第19話 いつか、僕は

「…………」


 巨大なモニターにはすでに誰もいなくなった穏やかな空と、回収船からの映像が映し出されていた。


「……イ、おい、セイ?」


 呼びかける隊長の声で、呆けていた僕の意識は指令室の中に戻った。見ると、例のカンテラが付いたメットを外した今宮隊長が百万ドルの笑顔を浮かべながら両手を広げておどけている。


「終わったぞ、どうする? 飯でも食うか?」


 初めてリアルタイムで目にした藤崎マドカの戦闘の様子が頭から離れずにいると、隊長の金色の頭が後ろから小突かれた。


「駄目ですよ。この後隊長には報告義務があるんですからね」


 叩かれたはずみで吹き出してしまった禁煙用パイプを悲しい目で拾い上げた隊長が、両手を腰に当てて呆れたポーズの世田谷ユイ副隊長さんを振り返る。


「いいじゃねえかよ? どうせあいつらだってシャワーやら何やらで遅れてくるに決まってんだから、飯食う時間くらいあるはずだね!」


「……今宮隊長は、《義務》の意味が分からないんですか? 義務っていうのはブランチよりも優先するんです!」


 両手を腰にあてたまま頬を膨らませるという二十三歳実年齢にあるまじきあざとい怒り方が似合ってしまうのがユイさんのすごいところだ。計算されたアピール全開でこれをやられたら、さすがの今宮隊長も言葉に詰まる。


「はいはい、わかったよ。んじゃあ、一本だけ、一本だけ吸ったらすぐ行くからさ、な?」


 作戦中の勇ましさはどこへ行ったのやら、隊長は両手を合わせて拝むようにヘコヘコと頭を下げている。うちの女性陣は本当にこんなのが好きなのだろうか。


「んもう。じゃあ、一本だけですからね? た・だ・し! ちゃんとガム噛んで匂いを消してくること! わかった?」


 ペシッと隊長の額を指で弾き、ユイさんは僕らを置いて出て行ってしまった。

 すると、くるりと振り替えった隊長が、一千万ドルの笑みで僕に聞く。


「よし。んじゃあセイ、何食べる?」

「…………は?」

「はっはっは! いいか、セイ。今から俺は、腹が減って力の出ない新人に奢ってやる優しい隊長だ! あー腹減った」


 颯爽と歩き出した隊長の背で、僕は小さく溜息を吐き出した。

 

 

 各小隊の部屋が並ぶ廊下の中央辺り、ガラス張りになった扉を抜けた先にそれはあった。建物のおかげで海風こそ来ないものの、喫煙者の哀れを思い起こさせるくらい周りに何もない空間に、腰の高さくらいのメタリックカラーの灰皿がぽつんと一つ。人気が少なく、小うるさい隊員にも見つかりにくいこの場所は隊長曰く「楽園エデン」らしい。

 何だかんだ食事に行くのを渋ったおかげで僕は楽園への切符を手に入れたというわけだ。

 

 にわかに積もり始めた雲に向かってふいーっと透明な煙を吐き出した隊長が、満足そうに口元をほころばせる。

 

「はー、生き返った。まったく、朝の出撃は堪えるぜ、なあセイ?」


 さらっと差し出された大人の誘惑を丁重に断った僕は、手持無沙汰をごまかすように今宮隊長に奢ってもらった缶コーヒーの縁を噛んでいた。


「……タバコは、体に悪いですよ?」

「はっ! んなこたぁ知ってるよ。でもなあセイ。自分の部下が命賭けて戦ってるつうのに、隊長が安全に生きてるなんて俺にはとても耐えられねえのさ」


 より害があるはずの副流煙を未成年者の僕に向けてぷはあっと吐きつけながら、したり顔の隊長は滅茶苦茶なことを言い出した。僕は精一杯不愉快な顔を作って、できるだけ大げさに顔にかかる煙を払いのける。


「……それなんですけど、あの二人は、いつもあんな感じで戦ってるんですか?」

「うん?」


 隊長は咥えた煙草が実はメンソールだったみたいな顔を浮かべて僕の顔を覗き込む。

 多分僕の生涯で出会った中で最も面のいい男に至近距離から見下ろされた僕は、少し口ごもりながら言葉の続きを告げてみた。


「……何て言うか……結構、危なっかしく見えたんですけど……」

「……そうか? 俺は見慣れちまってるからな。危なっかしいてのはどういう風にだ? 具体的に言ってくれると助かるんだが?」


 咥えた煙草をぴょこぴょこと揺らしながら急に冷えた彼の前で、僕はモニター越しに感じた事を言葉に変えようと試みる。

 

  だってそうだろ。藤崎は本当にただ真っすぐ突っ込んで行くだけで、素人の目に は味方の砲撃もあの蟲の顎やファージの舌もかなりギリギリをかすめて行ったように見えたのだ。さらにどう見ても奴らは先頭に立つ藤崎を狙っていたし、彼女が最前線を務めなくたって、上田隊やカナの攻撃ならもっと上手くやれるのではないかと思うのだ。しかも世の中にはそれなりに強力な兵器が存在するわけで、こういうときのために世界にはミサイルが溢れてるんじゃないのかとか、もっともっと皆で協力するべきじゃないのかとか、それはもう途中から自分でも何を言っているのか分からなくなるくらい、思いつく限りの事を並べ立てた。


 つまり、要するに、思っていたよりもずっと。彼女がやっている事は危険なんだと。僕が自分の心の腐った部分を慰めるために見てきたプロパガンダ的な映像よりも、自分が彼女だったらなどと想像していたよりも。ずっと。実際の藤崎マドカという人は――。

 

  僕の言葉が切れると隊長は煙を空に向かって吐きだして、長くなった煙草の灰を灰皿に落としながら喋り出す。

 

「なあセイ、まずはミサイル何てモンは使えない。いくらあちこちから税金かすめてるからって、一発で上官の給料全部が吹っ飛んじまうようなモンを乱れ撃ちにするわけにはいかねえし、大体得体のしれない魔法使いの島にミサイルくれてやるような国はこの世にはねえ」

 

  言って、隊長はまた新しい煙草に火を着けた。すぐに吸い終わってしまいそうな、普通よりも短い煙草。そうして彼はふうーっと長く、最初の一吸いを実に不味そうに吐き出して。

 

「これはな、セイ。そういうお仕事なんだよ。まあ長く住んでりゃ、そのうちわかるだろうけどさ。本土の人間が何て言ってるか知らねえが、別に俺達は人類のためにだとか、世界を守るだとか、そういうつもりでファージと殺し合いをしてるわけじゃないんだよ。奴らを殺せば、外の連中が食糧やらなんやらを運んでくる。誰かがやらなきゃ、島は干上がる。そういう約束、そういう契約のビジネスなんだよ。人間さん達は兵器を使わず、お国同士で余計な気も使わずに安上がりに事を収める。そんで、外じゃあまともに暮らせない魔法使いは、生活と自治を保障される」

 

 吐き出される。紫煙と共に、彼の中身が吐き出されて行く。

 

「確かに立場が弱いのはこっちだが、もし契約が守られないなら、俺達は仕事を放棄する。真っすぐこっちに飛んでこないような……腹を空かせたファージをちょろっと見逃しゃいい。それで十分。たったそれだけで人間社会は混乱する――そういう簡単なシステムなんだ……だからさ、セイ、勘違いするな。人類最後の砦だか防衛の最前線フロンティアだか知らねえが、それは全部、奴らの言い分だ。実際のところ連中の言う『人間』にも『我々』にも俺達は入っちゃいないし、こっちにすりゃあ連中はただの商売相手で、むしろパートナーって呼ぶべきなのはファージの方ってわけなのさ。わかるよな、セイ? お前をこの島に送ったのは誰だった? 俺達をここに閉じ込めてるのは、一体誰なんだって話だよ」

 

 喉の奥でそう言って、今宮隊長はとても苦い笑いで歪んだ口元を隠すように短い煙草を咥える。

 

「んで、藤崎は確かに接近戦には難がある。けどよ、それでもあいつの力は圧倒的だ。何せあの爆発が強烈過ぎて『前に味方はいない』って言われてる位にな。実際、それまで年間に二桁は出てた殉職者があいつが最前線に出るようになってからの二年程で、たった二人だけだ。だから、有沢やら上田のおっさんやら亜矢子ちゃんやら、周りの連中も完璧に自分の役割を理解してる。何があっても、どんな手を使っても、藤崎マドカは死なせない」

 

 きゅっと首を絞められたみたいに細くなった瞳を、一瞬の間瞼が覆う。

 

「いいか? これが今の特殊部隊の共通認識だ。いざとなったら藤崎の代わりに自分を捨てる。そのためにも有沢はカンテラを着けていない。万が一が起こった時、一瞬の遅れも起こさないように、だ。それ位に藤崎マドカの戦力は有用で、最前線あの場所こそがあいつの力と価値を最大限に高めてるってわけなのさ。それを黙ってサポートするのがあいつ以外の役割で、どうしようもないアンチバイラスの現実だ。なあ、セイ、それとも――」

 

 吐き捨てる様に、呪うように、今宮ナガセは笑いながら呟いた。

 

「お前なら、もっと上手くやれるのか?」

 

 じっと、暗い目をした隊長が僕を覗き込んでくる。お前なら、上手くやれるのか? 答えのわかっている現実を僕が消化するのを待っているかのような、そういう目。

 苛立ちと諦めが漂う、暗く澄んだ青色の瞳。


「……悪いな。こればっかりは俺の頭じゃどうにもならない。何とか最悪の目を消す作戦を考えるだけだ」

「……すみません」


 愛想笑いを噛み殺しながら、僕は答えた。


「謝ることじゃない。それに……藤崎の希望でもあるんだよ。万が一にも味方を巻きこま無い様に、自分が代えの利かない存在だと理解したうえで最も全体の被害が少ない戦い方を選んでる。そんで、期待通りの結果を出し続けてる。そういう奴なんだよ、あいつは。まあ、でも……」


 それまで口の端でピョコピョコ揺れていた煙草をグリグリッと灰皿に押しつけて、今宮隊長は苦笑した。


「あの糞親父なら、何とかしてたのかもな?」


 僕の頭を鷲掴みにして、隊長は笑った。


「はっ、俺は俺、お前はお前だ。無理すんなよ、小田島セイ」


 ニカッと白い歯を見せて、今宮ナガセは笑って見せた。

 その空っぽの笑顔を見て、僕はなぜだかぼんやりと父親の事を思い出した。

 

 

 その夜、空っぽの部屋のソファーに身体を預けた僕は懸命に頭を動かしていた。

 思い出して、検証して、反芻して、思考した。


『奴らをちょろっと見逃せばいい』


 そうして見逃されたファージは、一体どこへ向かうのだろうか?

 腹をすかせた異形の生物は、餌を求めて。

 例えばそこに、一機の飛行機が飛んでいたとして。

 その『墜落事故』により百七十八人が死亡して、そのほとんどが遺体としての形すら成さなかったとして。

 それは、不幸な事故と呼べるのだろうか。

 それを、不幸な事故と呼ぶのだろうか。

 仕方がない事だと、いつかちゃんと思えるのだろうか。

 

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