第18話 日常的殲滅
晴れ渡った空の中むすっと押し黙ったまま正面のファージの群れを睨み付け、藤崎マドカは考えていた。
(……何か、今日は調子悪い)
何だか妙にイライラモヤモヤして、集中力が続かない感じがするのだ。肌の少し外に張った魔力の膜をくすぐる遠くの暗い海域の感覚も、どこか少しぼやけているようで……。
経験から不調の理由をいくつか推測する。最近、あんまり野菜を食べていない。
あとは、多分、もしかして。
(減退期……近いんだっけ)
隣に、カナがふわりと並びかけた。
「なーんかぁ、マドカさんピリピリしてません? もしかしてぇ、今朝の事怒ってます? あ! そういえば減退期近いんでしたっけ? そっかぁ、きつくなったら言ってくださいね? いっつでもあたしが前衛行きますからぁ」
「……うるさい」
「はい、すいませぇん」
白目をむいて謝るカナを、マドカはぎろりと睨み付けた。
一発殴ってやろうかと思うけれど、スピードで上回るカナに本気で逃げられたら追いつけないし、ましてや最前線を務める二人が追いかけっこをしてる場合じゃないのでやめておく。
すると、はあっと溜息を吐いた彼女の髪を揺らし、空気を切り裂く音と共に第一小隊の魔導砲が飛んで行った。上田隊長率いる彼らは、あの大砲による強力な遠距離攻撃を行う部隊である。
それを見たマドカはよしっと気合を入れ直して、遠くに見えるファージ共に向き直る。
集中、集中。
作戦は簡単。真っ直ぐ行って、ぶちかます。
迎撃ラインは東に二千の第一防衛ライン。魔導砲による正確な射撃の可能なその距離は、藤崎マドカの出現とともに、魔海以西に住む人類の絶対的な壁となる。
「行くわよ、カナ!」
「あいあいさあ!」
掛け声とともに二人の魔女は前方の笘篠隊を追い抜いて、ファージの群れへと突っ込んでいく。
こっちに当たったらどうするつもりだという位にギリギリ真横を追い抜いた緑色の魔砲に舌打ちをしつつ、ぶち抜かれたファージのトンネルへと飛び込んだ。
不快な羽音を響かせながら群がる虫型ファージ共は、薄紫色の光球に包まれたマドカに触れるわずか手前で頭や体に穴を開け、次々に青い海へと落ちていく。
「ヘイヘェーイ! そいつは悪い虫が近づける様な女じゃぁないんだぜぃ!」
相棒である有沢カナが両手に構えた『魔銃』から射出音が響く数だけ、ファージの命が刈り取られる。
「ふはははは! 残念だったな醜い諸君っ! マドカさんは面食いなんだぞぉっ!」
「違うっつうの!」
思わずずっこけそうになって、後ろの相棒に怒鳴り返す。
アンチバイラス最速のスピードで飛び回りつつ、動く獲物の急所を確実に打ち抜く――それも、二丁同時に。正に魔法と称賛されるカナの的確な援護によって一瞬で群れを貫いた藤崎マドカは、やや離れたところで口から蟲の羽を数枚はみ出させている爬虫類らしき姿を確認した。
(……ご愁傷様)
藤崎マドカの視界に入るという事は、それ即ち問答無用の爆撃範囲に入ったという事。
右耳のカンテラに意識を移し、そっと囁く。
「目標視認。三匹です」
「了解、それで全部よ」
その声を合図に、スピードを上げた彼女は円を描くように己の最も得意な位置――ターゲットの左上方へ。近づいてきた極上の餌の気配を感じて三匹のファージがその口から一斉に伸ばした鞭の様にしなる舌が、マドカの足に掛かろうとした瞬間、根元からバチンと一気に千切れ飛ぶ。
「もぅ、断然いい女から目を離しちゃだめだぜぃ」
格好をつけて『ちっちっち』とドルチェを振るカナに一瞬視線。次いで、その真っ赤な瞳がグロテスクな三匹の蟲を捉える。意識と、意思と。二つの焦点が奴らの中心で結びついた瞬間。
「そこっ!」
周囲の全てがそこに吸着するかのようにして出現した紫色の巨大な球が、爬虫類に似たファージ共を飲み込んだ。
同時、藤崎マドカが左手をぐっと握りしめた。
「爆ぜ……ろっ!!」
その瞬間、薄紫の魔導球の内側で空間をめくり上げる様な爆発が巻き起こる。そこから宇宙でも生まれてしまいそうな、人の常識すら粉砕する威力を持った小細工なしのその一撃が、一瞬で敵の姿を肉塵に変えた。
直後、ボバンッ! と弾けた球体によって辺り一帯に緑色したファージの体液が飛び散り、巻き上げられた海水の雨が降り注ぐ。
圧勝だ。
「……バイバイ」
飛んできた体液を空中で弾き飛ばし、第三小隊の二人は元来た方へと切って返す。はぐれた小型のファージを適当に蹴散らしながら、残りの群れの方へと向かうのだ。
「あらあら、相変わらず今宮のとこは仕事が早いんだね。んじゃ、笘篠小隊(うちら)もいくよ! 三、二、一、ハイッ!」
羽虫の群れを囲い込んでいた第二小隊の隊長笘篠亜矢子が指先をパチンと鳴らした瞬間、D級の蟲共はまるで網にでもかかったかのように突然その場でもがき始め、やがてパラパラと海へ落ちていく。瞬間的に任意の場の魔導力を『無』にしてしまうと噂される第二小隊隊長の固有現象。それは構造的に地球では空を飛べないはずと言われている蟲共はもちろん、藤崎マドカや有沢カナですら空中で喰らえば一たまりも無い恐ろしき魔法使い殺しの罠だ。その隙を万全の態勢で待ち構えていた笘篠隊が誇る精鋭達が逃すわけも無く。隊長以下十三名の美女による集中攻撃を浴びたD級ファージの群れが撃ち抜かれ、切り裂かれ、砕き散らされ、一斉に二度と飛ぶことの無い死骸と化していく。
そうして、マドカがぼんやりと海面に浮かんだ死骸の粒を眺めていると、
「はい、作戦は完了。無事に帰ってきてね」
という副隊長の声が聞こえた。
死骸の回収に島を出航した数隻の船と入れ違いに、各小隊はフロンティアの上へと帰投する。
空中から自分を吊り上げていた糸をたたむイメージで、マドカは白い大地に着地した。そうして『ふうっ』と息を吐いた銀髪少女の肩に、後ろから伸びた細い腕が巻きついてきた。
「お疲れマドカちゃんっ! んっふふ〜、相変わらずえげつないねえ君は!」
でもそこがいい! と叫びながら、笑顔全開の笘篠亜矢子隊長が小柄なマドカの体を思いっきり抱きしめてくる。
一応上官である彼女にあからさまな拒絶を示すのもどうかと思った藤崎マドカ少尉は。
「女性同士でも訴えますよ、亜矢子さん」
と言葉でやんわりと拒絶した。
「うにゃ? なんだい、つれないねえ。あ、それとも今宮なら良かったのかな?」
「なっ! 何でここであのボンクラがでてくるんですかっ!」
必死で否定するマドカの顔に『クシシシッ』という笑い声を上げると、笘篠亜矢子は両手を広げてぶいーんと部下の元へと走り去っていった。
「……まったくもう」
やり場のない恥ずかしさに肩を落としたマドカは、ニヤニヤ笑いを浮かべて歩き出したカナの後ろ髪を一掴みに引っ張った。
「いたっ! マドカさん、何怒ってるんですかぁ?」
「うるさい! ニヤニヤすんな!」
ペシっと手を伸ばして彼女の頭を叩き、最前線を務める少女は白い舞台を降りていく。
「私、シャワー浴びるから。カナ、あんた報告お願い」
後ろを歩くカナの顔を一瞬も窺うことなくマドカは告げて、今宮部屋とは反対側にあるシャワールームに向けてこつこつと軍靴を響かせ始める。
「ちょっ! 嫌ですよぉ、カナだってシャワー浴びたいですもん! 隊長に汚いって思われちゃいますもんね!」
「……別に、私はそうじゃない」
「ええー、そうなんですかぁ? じゃあマドカさん報告行って下さいよぉ。カナはシャワー浴びてきますからぁ」
「……うるさい黙れ。喋り方が気に障る」
「マドカさんこわーい! もしかして減退期きつめですかぁ? あ、何でしたらカナが隊長に言っときましょうか? マドカさんわぁ、減退期が近いのでぇ、愛しの隊長を見るとムラムラしちゃうらしいですよぉって」
身をくねらせて馬鹿を言う馬鹿を無視してマドカは歩き、
「あん、無視しないで下さいよぉ。それともぉ、この際小田島先輩でもいいやとか――はふぁんっ」
振り向きざま、後ろから覗き込んできたカナの鼻を白魚の様な指でぶすりと突き上げた。
「あーらやだ。指に馬鹿カナブンの体液がついちゃった……早くシャワー浴びなきゃ馬鹿がうつっちゃう」
「いっった! 何すんですか! ひどい! その攻撃は女として信じられません!」
背後で騒ぐカナを無視して、マドカは女性用シャワールームの脇の認識装置に手をかざす。
すると。
「……あ、そっか。マドカさんはぁ、ペタンコだから男の子みたいな攻撃ができるんですねぇ?」
コンプレックスの一つである謙虚な部分を横目で見ながら発されたその言葉は、戦闘を終えた藤崎マドカの心に再び火をつけるのに十分だった。
「………………………はあ? ペタンコ? なにそれ? 新しい魔法かしら? じゃあ、あたしの新魔法の実験にも付き合ってもらえるんでしょうね?」
対するカナは目を見開き、わざとらしく反省のポーズを示しながら言葉をつなげる。
「あっ、ごめんなさぁい。マドカさん全然ペタンコじゃないですもんね。そうですよね、もう今年で十七歳になるんですもんね? てへっ、年下が生意気言っちゃって失礼しましたぁ。じゃ、シャワー浴びましょっかぁ? ナイスバディーのマ・ド・カ・さん」
「……なっ」
マドカは俯いて唇を噛んでしまう。
「あれ? どうしたんですかぁ? 早く入りましょうよー」
大人なパーツを強調するように腕組みをして、カナは口の端に嫌味な笑みを浮かべた。
「……ちょっと、ほら、私今体調が……」
「えっ? 隊長のおっぱいが何ですひゃぁっ!」
わざとらしく差し出してきたカナの耳の穴に、マドカの細長い指が突き刺さった。
「うっさい。今度あたしの謙虚さを馬鹿にしたら、次の出撃でその出しゃばりな脂肪を消し飛ばしてあげるから」
秘孔に突っ込んだ白魚の様な指に優しいねじりを加えながら、マドカは静かにカナを脅迫する。その言葉の内容よりも現在進行形で感じる何とも言えない感覚に、カナは逃げるにも逃げられずスタイル抜群の身をくねらせて何度も頷いた。
「ちょっ、ひゃぅ、や、やめ、あ、ダ、ダメ、マドカさん、もっ、もうしませんからぁ」
お嫁にいけなくなっちゃいましたぁ……と顔を押さえて崩れ落ちたエロ女を顎をしゃくって見下ろして勝利の鼻を鳴らした対捕食者最高戦力は、ちらちらとカナの視線を気にしながら手早く服を脱いでいく。
――と、そこへ。
「むむむっ!? これはこれはもしかして? あれあれやっぱり今宮隊の美少女達じゃあ〜りませんか。こいつはラッキーだねぇ! どれどれお姉さんに見せてごらん」
と、両手を広げてニコニコ笑顔の
ちいっと声に出して舌打ちをして脱いだ防護服を籠に叩きつけた藤崎マドカは、心を仏の如く広げて己がコンプレックスの最終防衛ラインを外すべく背中へと手を回すのだった。
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