第16話 警報、あるいは

 ふと目が覚めると、僕はベッドの上にいた。


「いてて……」


 白いシーツと、簡単な布のパーテーション。

 病院だろうかと直感的に考えた。


「大丈夫?」


 声と共に、頭の上から逆さまになった白い小さな顔が覗き込む。

 灰の目、銀髪。小さな鼻、健康的な唇、仄かに香るにんにく臭。


「……あ、何だ、藤崎か……」


 どうりでちょっとおいしそうな匂いがしたわけだ。


「何それ? せっかく様子見に来てあげたってのに失礼しちゃうわね」


 少し笑って髪を払った藤崎に笑い返して、少しふらつく身体を起こしながら。


「てっきり天使か何かかと思った」

 顎の左側が、少し痛い。


「あ、そう。生憎ですけど、この島じゃそう簡単に死ねないわよ。医療スタッフが優秀だもん。大抵の怪我なら魔法の力でピュンピューンよ」


 立てた指先をくるくる回して、制服姿の銀髪がくすくす笑った。

 ピュンピューンて……そんなに簡単なモノなのか?


「そっか、ええと……それで、藤崎は大丈夫だった?」

 はあっと溜息を吐いて肩をすくめた彼女は、両手を広げて無事をアピール。

「おかげさまでね。まったく、本当に、あんたのおかげで無傷で済んだわ」


 僕は頷く。


「良かった」

「良かった、じゃないわよ、馬鹿。階級章(バッジ)の星より勲章の数の方が多い様な戦闘狂の前に飛び出すなんて無謀もいいとこよ? 分かってんの?」

「……ごめん」

 俯いた僕に、藤崎は。

「………謝られても、困るんだけど」

 銀髪に手櫛を入れながら複雑な顔で文句を言って、

「ごめん」

「だから謝るなっつってんでしょ。……これでも、一応責任感じてるんだから」

 頬の辺りで毛先をいじりながら尖らせた唇の先で呟いた。


 少し沈んだ彼女の気分を感じて、僕はなるべく明るく返す。


「わかった。じゃあ、お互い様ってことで」

「そうね。そういうことにしといてあげる。ま、私は全然悪くないんだけど」


 変な顔を作ってから背を向けた藤崎は、パーテーションの向こうから取ってきたパイプ椅子を僕の足元に置いていそいそと座り、ちらりと僕の顔を見て吹き出した。


「……ぷっ、ごめん、ごめんね。あはっ! ぶっさいく!」


 おい待て。


「謝ってから悪口を言うな」


 腫れぼったい左の頬をさすりつつ、けらけらと笑う藤崎を半目で睨む。

 すっかり肺の中の空気を吐き出して、あーおかしい、と言いながら目じりを拭った藤崎は。


「絶対言っちゃうと思ったから先に謝っといたの。あはっ、だって、セイの、顔……ジャガイモっあはは! 芽、芽ぇ出てるわよ、芽! ほっぺのとこ、黒くなって、発芽っ!」


 意味が解らない。

 さっきまで『責任感じてるんだから』なんて言ってたはずなのに――。


「とりあえず指を差すな」


 あははと笑う彼女の小さな手を叩き、腫れた側の顔を隠そうとそっぽを向く。


「授業は? サボったのか?」

「残念でしたー。教官がぶっ飛ばされちゃったんで今は自習なのよ。私みたいな優等生が授業をサボるわけないでしょ?」

「僕の知ってる優等生は寝坊しないし、教師をぶっ飛ばしたりもしない」

「馬鹿馬鹿。この島じゃ教師をぶっ飛ばせばぶっ飛ばす程尊敬の念を集めるのよ」

「嘘つけ。みんな君にビビってたぞ」

「そうね、後ろからこの世の終わりみたいな悲鳴が聞こえた気がするわ」

「…………」


 少し、嫌な事を思い出しただけだ。


「あーぁ、あれには私も驚いちゃったなあ。てっきりうっかり巻き込んじゃったのかと思ったわ。おかげでご老人に蹴られちゃったし」

「だから悪かったって」


 横目で睨んだ銀髪は、ニヤニヤ笑いを浮かべていた。


「……だけど、本当に大丈夫なのか?」

「何が? ……ああ平気よ、平気。あの位ならとっくに回復済みよ」

「魔法の力でピュンピューっンて?」


 指を回しながらの僕の相槌に、藤崎はすっと身を引いて。


「……何それ、だっさ」


 いや、君が言ったんだけど。


「ふふふ。それより、あんたこそ本当に大丈夫なの? アレをガード無しで無事でいるなんて、ちょっと信じらんないんだけど」

「大丈夫じゃないよ、ほら、きっちり発芽してるだろ?」


 青黒く腫れた左の頬を指差すと、藤崎はあははと笑ってくれた。


「まあ、そうだけど。う〜ん、やっぱ手加減――ううん、ま、それはいいわ。セイなら、まだ間に合うかもだし」


「? どういうこと?」


 ほんの一瞬自分の希望に縋る様に笑った彼女は、くにゃりと背中を曲げて転落防止用の柵に寄り掛かる。


「魔力はあるけどそれが上手く形にならないってのは、初期段階の傾向なの。んで、眠ってる魔力が目覚めるタイミングとその形はその子の意志によるところが大きいのね。その子が、一番強く思った事。だからそれを『最初の意志』とか『最初の願い』とかって言うんだけど……」


 言いながら、彼女は再びくるくると指先で空間をかき混ぜる。


「単純に『強くなりたい』だとか『スプーン折れろ』だとか、そう言うの。その『意志』が、生まれ持った魔力の型――エリー先生が言ってたABCのあのタイプね、それに従って『固有現象』として現実化する。A型なら力が強くなったり、B型ならスプーン自体が変化したり、C型なら周りの人に折れてるように見えたりって具合に。それが、今現在考えられてる『魔力』が『魔法』になる瞬間なの」


「成程……つまり、ええと、僕はまだそのお願いをしてない状態ってこと?」


 藤崎は小さく頭を振って、ちらりと僕の顔を覗きこむ。


「そ。もしかしてだけど。薬で魔力が抑えられてたんじゃ、そうかもって」


 うん、と自分の言葉に頷いた藤崎は。


「子供の滅茶苦茶なイメージってのも凄いんだけど。逆に、ある程度大人になってそれを選ぶ事が出来たならってのは、アンチバイラスの人間なら誰しもが思う事なのよ。特に、『飛ぶイメージ』がつかめない人はそう思ってるみたい。どんなに強烈な固有現象を持っていても、やっぱりそれじゃあ……うん、だから、武器なら軍にあるんだから『飛ぶ』ことさえできればよかったのにって――」


 銀色の髪ごと肩をすくめて苦笑して。


「だから、もしそうなら慎重にね。無理して闘う事なんてないんだから、モテモテになりたいとか、そういうので全然いいんだから」


 小さな前歯を見せて笑う彼女に合わせて、僕もおどける。


「ああ。間違いなく、それにするよ」

「うん。でも、悪いけど私はそこから外しといてね、迷惑だから」

「……覚えとけ、さんざんホレさせて振ってやる」


 優しい藤崎は笑う。


 だから僕は、笑顔の裏で胸を痛めている目の前の女の子に笑い返した。

 子供の頃、圧倒的な『爆発』を願ってしまった少女の危うい笑顔に。

 じゃあね、と言った不良生徒が医務室から出て行くと、僕はそっとベッドに身体を横たえ、頭を回転させ始める。


 最初の意志。一番強い願い事。

 子供の頃の、願い事。

 なんだったっけ?


 高校に入った時は、モテたいなって思ってた。彼女欲しいなって。中学校の時は、何にでも憧れた。動画の中のロックスター、ラジオで喋るラジオスター、そういう、特別な存在。代わりの効かない、スペシャルワン。

 小学校はどうだっけ? 卒業文集には、舞台俳優とかって書いた気がする。その前は、なんか、元気になりたいなって思ってた。運動会とか、出たいなって。そう言う行事に参加できるようになれば、父親も見に来るんじゃないかって。


 ええと、その前は――。


 首を振る。さすがに覚えていない。わずかに覚えているのは白衣の人達と真っ白な病院の天井ばかり。

 だからきっと、そんなに、それほど強く、願った事なんて――頭が焼ける位に強く思った事なんて。

 あの時だけだ。

 死にたくないと。

 殺さないでくださいと。

 あの時ほど。

 あんな、奴らに。


「〜〜〜〜っ!」


 首筋が震える位に奥歯を噛んで湧き上がった屈辱と恐怖を噛み殺し、残骸を溜息で吐き出す。

 ……僕だけが、生き残った意味。

 局長のグラフに並んだ『Sei Odajima 6 type C』の文字列。

 C型ならば、折れろと願えば折れてるように見える。

 生き残りたいと願えば、生きてるように見えるのか?

 ただの病弱なクラスメイトが、最初は奇跡の生還者、裏切りの魔法使い、そして仕上げに特隊生だ。

 もしかして自分はとっくに死んでいて、あの日以来誰かの思う『小田島セイ』が生きているように見えてるだけ。


 そう。


 藤崎は、何か知っている。藤崎だけじゃ無い。先生も、有沢カナも、ロビ霧島も、今宮隊長も、さっきの教官も、この島の誰も彼もが、きっと。フロンティアとアンチバイラスが必要とした『僕』に何かを期待して、時々僕の向こう側に僕じゃ無い誰かを見ている。まるでここにいる僕が、亡霊であるかのように。

 多分、藤崎は、それをずっと信じていなくて。それでも、今、さっきのあの子は――。


 頭を振った僕の耳に、突然、背中を這う様な重低音が聞こえてきた。


 ……ドゥウウウウウウィウウウウウ〜〜ーーーー!!


 始めは低く、それから耳をつんざくような高音へと伸びていくサイレンの音。

 途端に、全ての雰囲気が一変する。

 まるで暗闇の向こうに悪魔の鳴き声を聞いたかのような、動揺と恐怖の匂い。

 何だろう。これは、何の音だっけ。

 脳みそに負荷をかけた僕の前で、勢いよくパーテーションが開かれた。


「セイ、早く!」


 くいっと顎で窓をしゃくる藤崎は、きょとんとした僕の手を掴んで。


「――ファージよ」


 言うが早いか開いていた窓枠に足を掛け、そのまま保健室から飛び出した。


 派手にえぐれた校庭から隊列を組んで校舎の中へと引き換えしていく体操服の生徒の頭上を、藤崎マドカは戦場を目指して真っ直ぐに飛んでいく。


 西の端の学校群から東の端の蜘蛛の巣まで、一切の人影が消えたフロンティア一帯に響き渡るサイレンを浴びながら。


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