第15話 本気で、君を

「小田島、てめえはこっちだ」

「え? 僕も、ですか?」

 

 まさか数に入っていると思わなかった僕は、これまた思わぬ展開にぱちくりとまつ毛をぶつける藤崎と目を合わせる。

 

「ちょ……教官、小田島セイは――」

「関係ねえな。誰だろうと俺の授業に見学は許されねえ。さっさと来い、小田島。てめえにゃ対人戦のやり方を叩きこんでやる」

 

 顎でクラスメートの方をしゃくり、教官はすたすたと向こうへ歩き出す。

 

「……ええと」

 

 じろりと、藤崎が戸惑う僕を睨みつけた。

 

「だってさ。さっさと行った方が良いわよ。もたもたしてるとハチの巣だから」

 

 向こうで巨漢の教師に集められる十人程のクラスメートと、僕の隣の小柄な女子と。

 

「えっと、一人で、大丈夫?」

「あんたね、誰にモノ言ってんの? あたしは藤崎マドカなの。退役したご老人とよちよち歩きの赤ちゃんなんかに負けるわけ無いっつうの」

 

 左腕をぐっと掴んで、彼女は不機嫌に吐き捨てる。

 

「分かったら、ほら、さっさと――」

 

 本当は少し不安で、そう言う自分を隠そうと、気づかれまいと、自信満々で不遜に振る舞って。誰かと自分に、大丈夫だと言い聞かせている。

 

「藤崎」

 

 そういう彼女に、僕は一度頷いて。

 

「……何?」

「僕も一応、今宮小隊の隊員なんだ」

「ただの雑用だけどね」

 

 僕のあからさまな媚に、藤崎は冷たく唇を尖らせた。

 

「ええと、だから……後ろに味方がいる分には、構わないんだよね」

「……何それ、教官の命令で私のご機嫌でもとろうっての?」

「そうじゃないよ。そもそも僕が味方した位で機嫌が良くなったりはしないだろ?」

「……当たり前でしょ? 足引っ張ったらぶっ飛ばすから」

「了解。約束だぞ、藤崎。僕を危険にさらすなよ」

 

 ちらりとこちらを見上げた藤崎は、猫背になっていた背筋をぴしっと伸ばして。

 

「そうね、特別に前線に立てない程度の怪我で済ませてあげる」

「いや、僕、味方だから」

「この島じゃ足を引っ張る奴を味方とは言わないわよ?」

「……失礼しました」

「ふふん。ま、せいぜい吹っ飛ばされない様に必死こいて私の背中に隠れてること。了解?」

 

 そう言って満足そうに後ろ髪を撫でた藤崎の灰色の眼が、ゆっくりと赤く色づいていく。

 そんな彼女は僕の返事を聞かぬまま、早速生徒を集めて指示を始めた教官の背に視線を投げて。

 

「言っとくけど、あんまり手加減は出来ないからね。本当に、絶対、巻き込まれない様に注意して」

 

 首の後ろでまとめた髪を振りほどき、低い声でそう告げた。

 

「全力を尽くす」

 

 少し緊張した感じの藤崎に頷くと、向こうで倉教官のドスの利いた声が響いた。

 

「なんだ? 早速教師の指示に反抗ってか? てめえ、マジでハチの巣だぞ」

 

 半笑いの顔が実に怖い。

 

「すみませんが、藤崎を敵に回して生き残れる自信はありませんので」

 

 ハチの巣の方がまだましだって。

 

「成程ね。まあ、小隊のメンバーとしちゃあ合格なのかもしれねえが、それが正しい判断だったかどうか医務室でゆっくり考えるんだな」

 

「お言葉ですが、あまりウチの藤崎を舐めない方がいいですよ。医務室送りになるのはきっと教官の方ですから」

 

 妙に興奮して調子に乗った僕の肩に、藤崎の拳がぱちんとぶつかる。

 

「ちょっと。どんだけ凶悪なのよ、私は」

 

 そう言いながら、彼女はにやりと腕組みをして。

 

「でも、ま、いいか。確かに積年の恨みを晴らすいい機会だわ。見てなさい、あのおっさんケチョンケチョンにしてやるんだから」

 

 そうして、肩のやや後ろにまで広げた両手をぴょこぴょこ揺らし。

 

「この辺、この辺から前に出ないで。出たら死ぬわよ」

「って、教官を殺すなよ?」

 

 恐らく、そこから先が危険区域と言う事なのだろう。あるいは彼女の攻撃範囲。真っ直ぐに伸びたその腕の延長線の後ろに敵は無く、前に味方もいない、敵と味方の境界線。

 その境界線に立つ者こそが、第ゼロライン・藤崎マドカ。

 ふんっと笑って振り向いた彼女の眼は、もうすっかり血の色だった。

 

「何だ、おい? 敵の心配たあ随分余裕じゃねえか。んじゃあ、行くぜ雑魚共。せめてあいつの――」

 

 生徒の持っていた火器を脇に構えて、倉教官は肩を鳴らし、

 

「――化けの皮ぁくらい、剥いで来いや」

 

 言葉の残像だけ残して、真っ直ぐに突っ込んできた。

 

 次の瞬間、何かがこすれた様な音を立てて連射される魔法の弾が、目の前の一定距離で爆発し、とんでもない速度で走る教官の身体の周囲にも次々と光の花火が巻き起こる。

 見慣れたつもりの動画よりも、ずっと恐ろしい光景だった。

 僅かに身体を浮かせた藤崎が、オーケストラの指揮者の様に両手を動かして身体の周りに湧き出る薄紫の小さな爆弾を自在に操る。

 それが爆発するたびに震える空気が、溢れる熱が、僕の頬にぶつかってくる。

 誰も彼もが、本気だった。魔法使い同士がぶつかり合う、本物の熱。


 空中をぐるぐると飛び回る守護爆弾と突然教官の身体の周囲で巻き起こる爆発とその間隙を縫って撃ちこまれる光弾と、全てが広がる銀髪の向こう側で踊り続ける。


 こうなるともう『煙』と言っていいのかどうかわからない周囲を覆ったモヤの向こうに、ふと殺気を感じた。

 

「っ!? 藤崎、左!」

 

 はっとした僕が声にするよりずっと早く、左側から回り込もうとしていた部隊が赤眼の魔女の一睨みで吹き飛ばされる。

 続いて、右に。

 くるっと反転して投げつけた無数の弾が、クラスメートの身体を曲げた。

 

「前、前!」

「うっさいわね! 分かって――」

 

 一瞬、ぴくりと、身体を丸めようとした藤崎がこちらを気にしてそれをためらい。

 

「いたっ!」

 

 左肩にぶつかった光球にひるんで、人工芝に足を着ける。

 

「……この、やろっ!」

 

 振り払った左手の先でぐにゃりと歪んだ空間が、呼吸をするように大きく膨らみ――。

 ドン! と吹っ飛ぶクラスメイト達。その光景に、僕の中で重なる記憶。反芻する恐怖。


 ――戦え。

 

「ぃっ!」

 

 思わず上げた悲鳴に真っ赤な目が振り向いた。

 

「セイ!? どうかした――」

「おいおい。よそ見か、藤崎?」

 

 バギンッとひどい音を上げ、吹き飛んだ藤崎の身体が地面を二度三度とバウンドする。

 

「藤崎ッ!」

 

 ついさっきまで彼女がいたその場所には、白い光で身体を覆った教官。身体の内側から湧き上がる様な笑みを浮かべた彼は、生徒を蹴り飛ばした足をゆっくりと地面におろしながら。

 

「はっ、相変わらず接近戦は絶望的だなぁ、藤崎。そんなんで最前線を張るんなら、仲間の事は気にすんな。ファージにだって命がある。俺達を食って生きようって意志がある。生きるってのは生き物の一番強え本能だ。だからてめえはそれを上回る殺意を燃やせ。生きるために奴らを殺せ。殺るか殺られるか。チャンスがあれば、仲間ごと敵を殺す。そうだろ、藤崎。そもそもてめえの『最初の願い』は『爆発』だろう? ぶっ殺すしか能の無い戦士が、お友達ごっこなんぞ笑わせんな」

 

「……うるさい!」

 

 藤崎が叫ぶと同時、僕の目の前で教官が爆炎に巻き込まれた。

 両腕を身体の前に構えてそれをガードした彼の目が、じろり、と僕を睨む。

 

「それとな、藤崎。俺がファージだったら、こいつはとっくに死んでるぞ。てめえが敵から目を離したせいでな」

 

「……あ」

 

 目の前にいるのが、ファージだったら。

 あの醜悪な顎に食い殺されて今頃僕は死んでいた。

 藤崎のせいで?

 

「……こんな風にな」

 

 呆けた僕に向かって教官の日焼けした手が伸びた。

 

「っ!? セイ、どいて!」

 

 瞬間、蠢く虫の様なおぞましい気配を漂わせた彼と思わず後退りした僕の間へと、藤崎マドカが真っ直ぐに飛びこんで来ようとする。

 

 そんな銀髪の姿を流し見た教官は、あきらめに似た優しい溜息を吐き出して。

 

「覚えとけ、小田島。魔法使いの闘い方って奴を」

 

 ぼそりと呟いた教官と、目が合って。

 

 ――本気だ。

 

「セイ、逃げて!」

 

 悲鳴のような声が聞こえる前に、僕はもう走っていた。

 

 ――この人は、本気で。

 

「っ!? 邪魔っ!!」

 

 突然自分の方へと走って来た仲間の姿に、一瞬藤崎の指が躊躇する。身体のすぐ脇をすり抜けていく紫爆弾に目もくれず必死の形相で走る僕の背後で爆発音。同時、かつてのエースが強く地面を蹴る気配がして。

 

「逃げろ、藤崎!」

 

 ほんの一瞬。爆発的なスピードで距離をゼロにされた魔女が、驚きに血の色の目を見開く。

 

 ――本気で、君を。

 

 瞬間、教官の黒い意志が宿った左手が彼女の喉を打ち払い。

 

 やめろ。

 

 銀髪がうっと呻いたその瞬間、脇に構えた右の拳から闇の様に暗い光が拡散する。

 

 ――そうだ。

 

「やめろぉっ!」

 

 瞬間、わずかに動きの止まった教官の腕に夢中で飛びかかった僕は、藤崎マドカの小さな悲鳴を聞いた。

 

 ――戦え。


 それとほとんど同時に顔面に炸裂した衝撃でグラウンドを吹っ飛んで行く自分の身体を他人の様に眺めながら、無様に転がった僕に向かってニヤリと笑った戦闘狂が、階段を駆け上がる様な無数の爆発に呑み込まれて行くのが見えて。

 

 僕も多分、少し笑っていた様に見えた。ざまあみろって。

 

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