第14話 授業

 大げさに足を引きずって教室に入ると、鼻歌を歌いながら現れたエリー先生がすべての名前に返事をしたくなるような声で出席を取り終えて、今日も授業が始まった。

 

「えーと、じゃあ……どうしよう。小田島君は共有圏振動についてはどれくらい知ってるのかな?」


「えーと……すみません。後で調べておくので先に進めてください」

 

「そっか。でも気にしないでね。じゃあ、復習からやろっか。まずは共有圏っていうのは……」

 

 そう言って、エリー先生は黒板に二つの人間らしき物体を書き、その片方にA、もう片方にC、そしてその間の空間にBと書き込む。

 さすがの僕も、その魔法使いの大まかな分類は藤崎に教えてもらっていたけれど。

 

「えっとね、小田島君。この『A』って言うのが《自制圏》――自分、つまり小田島君の意志が働く範囲ね。誰もが持っている『ここから先は他者の干渉を受けませんよ~』って言う『自分の自由意志の下にある空間』。小田島君の自由が効く場所って言ったらわかるかな? 自分の皮膚のほんの少し先まで。で、Cって言うのが《他制圏》――他の人の自制圏、他人の自由の下にある空間ね。それで、そのどちらでもないのがB、ここを『共有圏』って呼ぶの。例えばAが日本、Cが外国、Bがそれ以外の場所ってことね。ええと、それでいわゆる《願い事》って呼ばれてる《最初の意思》って言うのがあって――」

 

 要するに、現在『魔法』と呼ばれる物は使であるという考え方だ。誰もが持っている《自制圏》内の力を増大させ、身体能力などを向上させるのがA型。他人の自制圏、つまり《他制圏》に影響を及ぼすのがC型。そのどちらでもない空間共有圏で自由を行使するのがB型らしい。

 

 で、最初の意思ってのは、確か――

 

「それでそれで……あ! 小田島君は子供の頃にどんなことを願ってたの?」

「あ……いえ、あまり、覚えてませんけど」

 

 得意気にうんうんと頷くエリー先生とは対照的に、まさにABCの書き方から始まる様な授業に対しあからさまに沈むエリート高校二年目のクラスのテンションを感じて、僕は背中を丸めた。

 

「そっか~、残念。本土の子は色んな願い事があって、面白いんだけどなあ」

 

 エリー先生はがっくりと肩を落とす。

 が。それで少しもエロスの香りがしない公然個人レッスンが終わるわけでは無く。

 

「じゃあさ、小田島君がどんな魔法を使うのか教えてくれない? ね、みんなも本当は興味あるよね? 謎の特隊生が持ってる固有現象に」

 

 ちょこんと両手を合わせた欧米系のお姉さんの言葉で、クラスの注目が僕に集まる。

 

「あ、いや……」

 

 すると、言葉に詰まった僕の右前方ですらっと手が上がり。

 

「もういいわよ、エリー。あの馬鹿――セイにはある程度私が教えておくから、先に進めて」

 

 鶴の一声。

 

 新入りの部下を守る気まぐれな女王の一言で、ちくちくと僕を突きさしていた悪意が一斉に縮んでほどけていった。

 授業が始まって早一週間、ほぼすべての授業で繰り返されたこういうやりとりの度に僕は藤崎に感謝していた。極端に遅れている僕に合わせられると、クラスに迷惑をかけてしまう。

 その分、擁護してくれる彼女には迷惑が掛かっている様だけれど。

 

「うーん……そっか、じゃあお願いね、藤崎さん。でもでも、小田島君も藤崎さんばっかり頼りにしないで、たまには私にも聞きに来ないとダメですよ」

 

 藤崎曰く『生徒の代わりに大根が座っていても気づかないレベルの天然』であるエリー先生の説教を受けた僕は、そのまま無事にちんぷんかんぷんで授業を終えることに成功した。

 

「――助かったよ、藤崎」

 

 終了の鐘と共に銀髪頭に礼を言いに行くと、机の上で教科書を揃えていた藤崎があきれ顔で振り返る。

 

「別にいいけど、セイ。あんた本当に頑張らないとまずいわよ。本土出身の人間は『普通』じゃだめなの。ましてやあんたも特隊生である以上、それなりの価値を示さなきゃダメなんだから」

 

「ああ、努力するよ」

 

 それでは早速魔導科学について教わろうと彼女の前の席に座った僕を、藤崎は粘り気の強い視線で睨み付ける。

 

「……で、いつまでそこにいるのよ、このスケベ島りっしんべん」

「え?」

「『え?』じゃなくて、男子はさっさと出てけっつってんのよ、バカ島性」

 

 藤崎の低い声に周りを見ると、体操服を手にした女子達の視線が僕をぐるりと囲んでいた。

 

「え? 体育ってあったっけ?」

「実習よ、実習。体育なんてここじゃあ小学校まで。わかったらさっさと出てって」

 

 しっしっと手で追い払われて廊下に出た僕は、さてどうしようかと頭を掻く。

 制服と教科書を手に入れて安堵していた僕に、正直体操服は盲点だった。

 

 

 とりあえずTシャツと制服のズボンで校庭へ。

 少し高い位置にある昇降口から見下ろすだだっ広い人工芝の合同グラウンドは壮観だった。

 白と緑の対比をぼうっと見渡していると、背後でくすりと笑い声。

 振り返ると、赤いジャージを羽織った藤崎の姿が。

 

「うわ、何その格好? だっさ。日曜のパパみたい。体操服くらい用意しときなさいよ」

「そうするよ。とりあえず今日はこれで何とかするしかないけど」

「あー……残念ながらそれは無理ね」

「え?」

 

 苦笑いで横を向いた藤崎の視線の先、校舎から出てきた色の濃い眼鏡をかけたパンチパーマのおじさんがこちらに向かって歩いて来ていた。

 

「おう、てめえが噂の小田島か。で、まさかその格好で実習をやろうって言うんじゃねえよな? 二秒でハチの巣にすんぞこら」

 

 僕の正面に止まった百九十センチ以上はあるだろうパンチパーマの男性が、色眼鏡の奥の三白眼をギラリと光らせながらドスの利いた声で僕のあばらにボールペンを突き立てる。

 

「……あ、いえ、まさか……あはは。僕はまだまだ着替えの途中ですよ」

「ああ、それならいいんだ。さすがに特隊生をハチの巣にすると後始末がしんどいからよ。わざわざおっさんの手ぇ汚させるなよ、小田島」

 

 ポンと僕の肩を叩いた彼が、ヤニ色の笑顔を残して生徒達の方へと歩いて行った。

 

「ま、そういうこと。ああ見えて元アンチバイラスのエースだった人だから、あんたなんか本当にハチの巣にされちゃうわよ」

 

 後ろにまとめた銀髪を手で撫でながら、藤崎はちらりと僕の顔色をうかがう。

 

「……うん。あの人は、本気だった」

 

 このままじゃ、殺られる。

 

「なあ、藤崎」

「なに?」

「体操服、もう一枚持ってないか?」

「………持ってたとして、それをあんたに貸すと思う?」

「今の僕ならいやらしい事には使わないと約束できる」

 

 真剣な目で誓う僕を、藤崎は憐れむような目で見つめてくる。

 

「あのね、セイ。あんたが私のスパッツ履いてる姿を想像してみて。……できた? そう。そしたらそれが『変態』よ」

 

 成程、これが――。

 

「――この……程度で……?」

 

 脱ぎたてでもないのに?

 

「十分すぎるっつうの! ……ったく、あんたからしたら日常的行為でも、女子のスパッツ履いて校庭を走るなんて学校社会じゃ自殺行為よ? おまけに同じ本土の人間として私まで変な目で見られるじゃない、絶対貸さない!」

「だけどパンツ一枚で走るよりはましだろう?」

「どっちもアウトよ、馬鹿。医務室にでも行けば用意してあるはずだから、さっさと借りてくれば?」

「成程。その手があったか」

 

 そういえば昔、教室で吐いた時に良くお世話になったっけ。

 大いに頷いて保健室へ向かう途中、ふと足を止めて、歩き出した藤崎の背を振り返る。

 

「藤崎」

「……何?」

「いつも、いろいろとありがとう」

 

 すると彼女ははあっと溜息を吐いて。

 

「こちらこそ、あんたのおかげで私の威厳が台無しになって嬉しいわ」

「おるぁ! そこの特隊生共! いつまでくっちゃべってんだ!」

 

 良く響く教師の声に肩をすくめた藤崎は、しっしっと手の甲で僕を追い払い校庭へと走って行った。

 

 

 そうして借り物の体操着とハーフパンツに身を包んだ僕が校庭に出た頃には、すでに授業は始まっていて、僕の命は今にも終わりそうだった。

 

「早速遅刻たぁいいタマしてんじゃねえか? えぇ、小田島伍長さんよぉ?」

 

 軍の階級で呼ばれるのにはまだ慣れていない。巣の中にはたまにそう呼ぶ人がいるけれど、学校の中で呼ばれるとかなりの違和感がある。

 

「すみません。ええと、着替えに手間取ってしまいまして……」

 

 胸のど真ん中に押し当てられたボールペンに恐怖を感じながら、小さな声で謝罪をする。

 

「立場ってもんをわきまえるんだな、特隊生。その辺の奴らが望んでも行けない場所に、てめえがいることを忘れんな」

 

 グッとペン先で僕の肋骨を押し、顔の左半分に大きな火傷の跡のある百九十センチ以上のパンチパーマの男性はニヤリと笑った。

 

「……肝に銘じておきます」

 

 その『立場』と言う奴には望んでついたわけでは無かったけれど、今は頷くのが正しい事だと思った。


「は。まあその辺はあっちのちっこい奴でも見習ってけや。てめえらが夢見てるアンチバイラスっつうのがどんなもんで、最前線てのがどの位遠い場所なのか、思い上がったガキどもにしっかり示してやるんだな」

 

 視線の先で、無造作に。彼女がすぅっと左の掌をクラスメート達へ伸ばす。その瞬間、A組の連中も合わせた数十人の魔法使い達が一気に左右に散開した。

 右から五人、左に五人、その間の射撃部隊によって藤崎マドカに浴びせられる無数の弾丸。その色とりどりの粒が自分の周囲に広げていた薄紫色の空間に触れた瞬間、藤崎の後ろでまとめた銀髪がふわりと広がり、突き出した左手がぐっと握り返される。

 

 パン!パパン!

 

 いくつもの破裂音が同時に聞こえ、飛び交う魔力の粒が爆散する。

 だけど、当然それは想定内。初撃を潰されたことへの戸惑いなど一切見せず、巻き起こる透明な煙を切り裂いて五人の男女が赤眼の魔女を目がけて飛び込んだ。

 深く息を吸った藤崎の左手が大きく揺れる。

 

「うりゃっ!」

 

 僕の所まで聞こえた気合の掛け声に、爆発音と悲鳴が被さる。

 一動作で三つの空間を破裂させ、その爆風で正面と左手のグループを吹き飛ばした銀髪は、右手から飛び込んできた男の拳を空中を滑る様にして躱し、肩越しにちらりと僕を見つめる。

 

『見てなさい』とでも言うかのように、口の端が一瞬持ち上がる。

 

 そして彼女は、周りの全てを抱きしめる様に小さな体を縮こめると、次の瞬間えいっと一気に四肢を広げる。

 ぽこんと元気よく桃から飛び出す桃太郎みたいなそのポーズが見えたのは一瞬。

 思わず顔をガードした僕の手の向こうで、藤崎マドカを中心とする全てが爆発した。

 

「……すごい」

 

 舞い散った人工芝の屑を身体の周りに躍らせながらすとんと地面に足を降ろし、肩をすくめてゆっくりこちらを振り向いた藤崎は。

 

「倉教官。改めて言いますけど、この訓練には意味が無いと思います。私もこれ以上手加減は出来ませんし、もう少し個々のレベルを上げてからでないと怪我を負わせてしまう危険の方が高いかと」

 

「まあそう言いなさんなや、少尉殿。知ってんだろ? 無知なD級と違って、C級の獣型共はそれなりの連携をしてくるしな。それによ、このご時世、いざって時のために人間をぶっ飛ばす練習しとくのも悪かねえぜ?」

 

私達アンチバイラスが闘うのはファージだけです」

 

 ニヤつくパンチパーマの倉先生に冷たく言い放ち、藤崎は背後で立ち上がった生徒達をちらりと見て言葉を続ける。

 

「ですから、私一人を相手にするのは彼らにとっても意味のある訓練だとは思えません」

「おいおい、随分偉くなったじゃねえか、藤崎? さすがは最前線にして最終線第ゼロラインってわけか?」

 

「別に……そういうつもりで言ったわけでは……」

 

 あだ名を呼ばれたことにムッとした教え子の言葉を、パンチパーマの教師が遮る。

 

「なあ、藤崎。意味って奴は誰かに用意してもらうもんじゃねえ。自分で見つけるもんだ。遠慮するこたぁねえさ。こんなとこで怪我する奴はどうせ本番じゃ死ぬだけだ。だったら、んな奴にはハナから前線に出られねえ位に怪我させといてやるのが、優しさってもんだとは思わねえか?」

 

 そう言ったガチムチサングラスの奥の目が、一瞬僕を見た気がした。

 

「……私がいれば、問題ありません。誰が言ったか知りませんけど、第ゼロラインの後ろに敵はいないそうですので」

 

 頭の上に皮肉の角を生やした藤崎の声に、倉教官は黄色い歯を見せて。

 

「ああそれなら知ってるぜ、ついでに前に味方もいねえんだろ? ははっそう怖い顔すんなっつうの、さすがにそいつは尾びれ背びれよ。あいつだってそういう意味で言ったんじゃねえさ、解るだろ?」

 

「分かりません。ていうか、誰がどんな気持ちでそのあだ名で呼び出したかなんて、私にはどうでもいいことですから」

 

 ツンとすました風を装う藤崎の胸が、ちくりと痛んだのが僕には解った。

 

「あの、倉先生」

 

 思わず声を上げた瞬間、ちょっと後悔。

 

「ああ?」

 

 見下ろしてくる顔が、正直怖い。学校の帰りとかで見かけたら確実に迂回したいタイプだ。

 

「ええと、僕は、一体何をすればいいでしょうか?」

 

 勇気を振り絞って二人の間に割り込んだ僕を『はっ』と笑って、頭の上に色眼鏡を引き上げたパンチパーマが目を覗きこんでくる。義眼だろうか、質感の違う左の眼が余計に怖い。

 

「良い根性してんじゃねえか、小田島セイ。それでいい。お前がやるべきことは、この爆弾娘のお守りだぜ。今宮の坊主みてえに、銀色天使様のご機嫌を損ね無えように上手にごますってりゃ、それだけで立派なアンチバイラスだ」

 

「倉教官」

 

 ぷちっと音がしそうな表情で、藤崎が元アンチバイラスのエースを呼ぶ。

 

「ウチの隊員を侮辱するのはやめて頂けますか? なんでしたら、今ここで対人訓練の成果を試してみてもいいんですよ?」

 

 胃の上をぎゅっと圧迫されるような迫力を見せる最高戦力保持者の脅しに、五十近いおっさんの口が僕の目の前で凶悪に持ち上がった。

 

「おお、そうか。丁度いい、んじゃあそうさせてもらおうか。おい起きろひよっこ共。喜べ、藤崎マドカの倒し方を教えてやる」

 

 実に楽しそうに怒鳴った悪人面の教師が、僕を振り返る。

 

「小田島、てめえはこっちだ」

 

 

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