第13話 学校

 そうして、僕が第三小隊の一員になって数日が過ぎた。

 学校から帰ると小隊の詰め所に顔を出し、隊長のタバコやカナの日焼け止めを買いに巣の中をパシり回った挙句走りこみや筋トレを行うという具合に、ただひたすら基礎体力をつけるための特訓をこなす毎日。


 正直長距離走は苦手だけれど、自分より小柄な女の子――ましてや空を飛べる女の子がこちらを睨みながら走っているとなると大地を踏みしめて生きる男として音を上げるわけにもいかず、壁に張られた集中力を高めるための幾何学模様を視線でなぞりながら僕は必死で走り続けた。


 そんな藤崎が別の用事でいないときには、自分の筋トレをサボるついでに様子を見に来る有沢カナにこっそり筋トレの負荷を増やされたりしながら、他の小隊との合同訓練などにも顔を出して、それなりに楽しく忙しくこの数日は過ぎていった。



 ――そして。今日も今日とて今宮小隊の一員としてこなし始めた日課の一番最初の項目として、人気の少ない食堂で朝食を済ませた僕は、まだ見慣れない通貨で買った品物を筋肉痛の両手にぶら下げて、寮の屋上を歩いていた。


 男子寮と女子寮の屋上を結ぶ橋のど真ん中をずるずると進み、女子寮側の扉を開ける。日本の高校生の感覚からするとがっちり閉ざされていそうなものであるが、南の島のおおらかさなのか、それとも上層部の気使いなのか、開きっぱなしにされているうえに女子寮の中で姿を見られても特別咎められるようなことはないときている。

 とはいえ、時折寝起きで無防備なお姉さま達の姿を見かけるのは恥ずかしい物であり、なんというか、仕事だから仕方ないのだ。パジャマか下着か判別しかねる格好のお姉さまに『あら、新人クンだ、かわいいのね』とかからかわれるもまあ、仕事の内という事で我慢できる。


 そうして今日も、まだ静かな女子寮四階の通路を歩き一番奥の部屋の前で足を止める。僕の部屋よりも豪華な造りの扉に張られた四○三の札と支給品の腕時計を交互に確認。時刻は七時ちょっと過ぎ、何とはなしに制服の襟を正した僕は遠慮がちにドア横のベルを鳴らした。


 一回、二回、三回目の呼び鈴を押そうとしたところで、目の前の扉がゆっくりと押しあけられる。


「……ん……何? ……起きてるわよ……」

 ぼっさぼさの銀髪の下の眠そうな目を必死にこすりながら、今宮小隊のエース藤崎マドカが顔を出す。身に付けた黒いパジャマのおかげで、色素の薄い髪の毛の柔らかさやチラリと覗く首の辺りの肌の白さが際立っていて僕は視線をさまよわせた。


 現在、これが今宮小隊における僕の一番大きな仕事なのだ。遅刻の常習犯だという彼女を毎朝起こしに来るという大役を(お肌のために睡眠時間をしっかり確保したいらしい)世田谷ユイ副隊長殿から引き継いだのである。

 この部屋への行き方を説明する際に『お肌の曲がり角を曲がって』と口にした隊長の頬をつねっていたユイさんが言うには電話では効果が薄いらしく、そもそも僕に電話番号を教えるのを『太陽が潰れる位の万が一があった場合のみ、こっちから連絡するから』と藤崎が拒否したと言うこともあって、こういうことになっている。


「おはようございます。今日もお迎えに上がりました」


 当初こそ起こしに来た僕を睨みつけて追い払おうとしていた藤崎も、毎日忠実に仕事をこなす僕にさすがに諦めたのか単純に眠気に負けたのか、不機嫌そうに口の中で呪いの言葉を転がしながらもさもさと部屋へと帰っていくようになっていた。


 扉の前でぼんやりと突っ立っていた僕は、腕時計の長針が二つ隣の数字に移動したのを確認し再び呼び鈴を鳴らす。


「藤崎、起きてる?」

「今から寝る」


 気怠い声が返ってきて、僕は安堵。起きていてくれるのならば返事の内容なんてどうでもいい。


「もう着替えた?」

「………うっさいなぁ、今着替えてますー」

「開けるぞー」

「開けたらドアごとぶっ飛ばす!!!」

 藤崎隊員の起床に敬礼。


 やがて、ドアの向こうから涼しげな紺色のセーラー服に身を包み、襟元の赤いスカーフをアクセントにした藤崎が現れる。足を覆う黒いタイツが何とも言えない色気を醸し出し、少し背が高くなった様に感じるのは猫背を伸ばして踵の厚い制靴を履いているから。まだところどころ跳ねてはいるが髪の毛も大体落ち着かせたようだ。

 手櫛で。


「ほら、着替えたわよ。さっさと例のブツを寄越しなさい」


 鞄と小さな袋を持った両手を広げて通学モードをアピールした藤崎は、偉そうに顎をしゃくって「ほれほれ」と僕が手にぶら下げたものを要求する。


「ははあ。今日はこちらでございます」


 跪いた僕が差し出したのは、食堂で手に入れてきた朝ご飯。二度寝防止のために着替えが終わるまでは渡さないよう副隊長から言われているのだ。


「あは。何よほれ? おひめはまみたい……ふぁ……」


 笑いにまじったあくびを両手で隠した藤崎は、袋の中を覗いた途端に薄い眉尻を持ち上げた。


「……ちょっと、セイ? あんたには私が朝から焼肉を頬張るような女に見える? もしそうなら今すぐ目を洗を洗って来ると良いわ、海でね」


 ぱちくりと瞬きをしながら、胸の中で苦笑する。


 さすがの僕も、朝から「必勝! 男のスタミナ生姜焼き肉ダブルサンド!」なんてもんを寝不足女子高生が喜んでくれるとは思わない。今藤崎が手にしているのは食堂で酔っぱらっていた霧島局長が半ば無理やりおごってくれた物なのだ。


 だから僕はとぼけた口調で。

「焼肉? おかしいな? 確かヨーグルトサラダを選んだはず――ぬあっ!」

 言った途端、両目に生姜焼きサンドの袋がぐりぐりと押し付けられた。

「言っとくけど、パンに挟んだら生姜焼きがヨーグルトになるなんて魔法は無いの。油は油。私は私。セイは馬鹿で気が利かない。これが世界の法則ね。理解した?」

 くそっ、こいつめ……僕だって毎朝眠い時間に早起きして食堂へ行ってわざわざ君が好みそうなフルーツヨーグルトを買って来てやってるっていうのをわかって言ってるんだろうか? 

 僕の反抗に気付いたのかどうか、藤崎は両手を肩の脇に広げて大げさに溜息をついた。

「まあ、でもいいわ。毎朝毎朝ありがとね」

 少し皮肉っぽいその一言で、僕の心の闇は一瞬で吹き飛んでしまう。

 まるでご主人様に褒められて喜ぶ犬みたいだ。

 そんな複雑な喜びに首を捻っていると。

「何ひてんの? 置いてふわよ?」

 数メートル先のエレベーター前で、油っぽいパンを咥えた藤崎マドカが半身になって僕を待ってくれていた。

 まあ、何というか……今日も早起きした甲斐がある。


 そうして僕らは、すっかり指定席と化した通学バスの一番後ろの広い席に座っていた。

 始発である『蜘蛛の巣』から乗り込んだ僕らを乗せたバスは、巣の西側にある『工業区』を越え、集合住宅が建ち並ぶ区画辺りから生徒が乗り込み始める。

 バスの真ん中付近にある乗車口を登ってきた彼らは、それがいつもの習慣なのだろうという動作で僕らの方へ向かって歩き出す。そして、気怠そうに二、三歩進んだところで例外なく驚愕に息を飲む。それまで身長と角度の問題で見えなかった銀髪が、座席の後ろからちらりと覗いていることに気づいたのだ。


 不自然にバスの前方に集まった生徒達からちらちらと向けられる視線は気持ちのいいものでは無いけれど、彼らの気持ちは分からないでもなかった。

 何しろあの藤崎マドカがバスに乗っているのだ。空を飛べると言うのにわざわざバスに乗り込んで来た最高戦力保持者を意識するなという方が難しいだろう。そうやって、すっかり藤崎の腰巾着だとか家来だとか犬だとかいう噂になりながらも僕は割と楽しく、気怠そうに窓の外を眺める噂の主役様の横に控えていた。


 窓の外では、巣を出た当初はまばらだった建物の間隔がぎゅっと詰まり、しばらくするとその間隔は再び広くなり始めた。というのも、この島では学校をはじめとする蜘蛛の巣以外の重要施設はすべて西側、つまり魔海と反対側に建設されているらしい。よって、一般市民の住む居住区の更に西にあるこの区画は、たいそうご立派な豪邸やらお屋敷やらの見本市となっていた。


 その高級住宅区の停車場でバスがスピードを落とすのを感じると、僕の隣の女王様は小さく肩をすくめてドアの向こうで微笑むショートカットの女生徒へと視線を向けた。


「おはようございます、先輩」


 落ち着いた艶っぽい声とともに乗り込んできたのは、黒髪の映えるクリーム色のジャケットに茶色いチェックのミニスカート。両手で持ったカバンが清楚なお嬢様っぽさを醸し出すもう一人の噂の人物、有沢カナだ。


「あ、うん。おはよう」

 

 すると僕を挟んだ反対側で、しかめっ面した藤崎が割と大きな声で呟いた。


「ったく、朝からエロい匂いさせてんじゃないっつーの」


 エロ良い匂いをさせて僕の右隣に座ったカナは、ちらりと横目で藤崎を見ながら――

「焼肉臭いよりはましだと思うんですけどぉ?」

 と言った。言ってしまった。僕がずっと黙っていたのに、言ってしまった。


 公然の秘密が暴露され、微かに車内がざわつき始める。

 左の肩越しにピクリと藤崎の眉が動く気配を感じた。


「朝から焼肉って、すっごいですよねぇ? もしかしてぇ、どこかのごっついおじさまがバスに乗ってるのかなぁ? ホント、女子高生としては匂いくらい気にしてほしいですよ。ねぇ、マドカさん?」


 さらりと髪を撫でながら、カナは勝ち誇ったような笑みを浮かべて藤崎を見下ろす。清楚な見た目に反して嗜虐的なその笑みこそが有沢カナが一番輝いて見える顔だと思う。


「……ぅ〜〜!」


 口を開けば更なる罵倒が来ることを察した藤崎が、やり場のない屈辱と怒りを執拗に僕の左の太ももにぶつけてくる。さすがに責任を感じていた僕はその全てを甘んじて受け入れながらも、痛みに滲む涙は止まらなかった。


 そうして体調が悪い時の学年旅行よりも長く感じたバスの旅が終わり、校舎の前の南国花壇にたどり着くと、それまで表面的には無抵抗な藤崎を口先で良いように嬲ったカナは実に晴れ晴れとした顔で『ごきげんよう』などと手を振りつつ、左手の女子高の方へと優雅に歩いて行った。

 苦笑いでその背中を見送ると、それまでカナから逃げるように僕の周りをクルクル回っていた藤崎が顔を真っ赤にして僕のすねに蹴りを入れた。


「あ、の、女〜! わざわざこっちのバスに乗ってんじゃないっつうのよ! 誰がごっついおじ様よ! なあにが『女子高生としてわぁ』よ! あんたはこないだまで中学生だったでしょうが! はんっ! 焼肉臭くて悪かったわね! あたしのせいじゃないっつうの!」


 ピシッピシッと小気味の良い音をたてながら同じ個所を的確に蹴りつけてくるので、制服の下の足をエリー先生にでも見られたらきっと僕は酷い苛めを受けていると思われるに違いない。

 一端蹴りを中止し、怒りに肩を震わせていた藤崎がうっすら涙を湛えた眼で上目使い。

 ドキッとして目を逸らした僕に、声量を落とした彼女が伏し目がちに口を開いた。


「……そんなに臭う?」

「いや、そんなことは無いと思う」

「怒らないから正直に言って」

「……ちょっとだげふっ」

「あんたのせいだからっ」


 僕のみぞおちに拳を埋め込んだ藤崎は、念を押すようにきつく睨みあげてそう言うと踵を返してさっさと歩きだしてしまった。

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