第五十一話 呼ぶ声


 雪山登山をしていた一団が吹雪に襲われた際の話。


 何とか山小屋に辿り着いた一団は、疲労のあまりウトウトと居眠りを始めた。

 幸い薪は十分にある。暖を取るには問題無いが、火の番が必要なので交代で眠ることにした。


 最初に起きているのは二人。眠気覚ましに何か話そうと小声で会話を始める……。


「ウチのパーティーは男ばかりで色気が無いよな……何かエロい話でもしろよ」

「……。そんなことより、この雪山には化け物が出るって話知ってるか?」


 眠気を覚ますには少し精神を昂らせた方が良い……そう考えたCは、敢えてその雪山にまつわる怪談話を始めた。


「化け物?それは一体どんなヤツなんだ?」


 Cの思惑通り話に食い付いたS……Cはニヤリとほくそ笑み、勿体付けつつ話を続けた。


「こんな吹雪の日……風の音に紛れて誰かが呼ぶ声が聞こえるんだとさ。“お~い!お~い!”ってな?」

「それは空耳だろ?すきま風とか木々の軋みとか……」

「嘘じゃないさ。何なら聞いてみるか?」


 二人は吹雪の音に耳を澄ました……。すると、遠くから人の呼ぶ声が聴こえる。


「う、嘘だろ……?」

「ハッハッハ!信じたか?人間てのはそういう風に聴こえると思うと、本当にそう勘違いしちまうのさ。お前のそれは、お前自身が言った通りの空耳だ」

「騙しやがったな……」


 笑うCと憤るS。しかし……その耳には再び呼び声が……。

 それは先程より近く……確かに“お~い!お~い!”と聴こえてくる。


「……お、おい。き、聴こえたか?」

「い、いや……きっと空耳だ。こんな吹雪だぞ?」


 しばし様子を見ることにした二人は、沈黙の中吹雪の音に耳を澄ます。


 すると……先程より更に近くで“お~い!お~い!”と呼ぶ声が……。

 それは空耳というにはあまりにリアル。慌てた二人は急ぎ仲間達を叩き起こした。


 事情を話すと迷惑そうな顔をしていた仲間達だったが、再度呼び声が聴こえたことで一気に緊張が高まる。


「おい……これは遭難者がいるんじゃないのか?」

「ああ。捜索に行くべきだ」

「いや、二次遭難になる恐れがある。非情かもしれないが、俺は動くべきではないと思う」


 確かに外は猛吹雪……少し先すら霞んで見えない。


「俺は行くぞ……逆の立場なら見捨てられたくない」


 メンバーの一人が単独での捜索に踏み切ると聞かず、皆が同意し掛けたその時……Uが真剣な顔でSを見た。


「皆を止めるぞ……」

「何だ、ビビったのか?」

「……実はこの雪山には化け物が出る」

「おい……冗談は……」

「冗談じゃないんだ……その話は俺の叔父さんが体験した話だからな」


 あまりに真剣なUの顔に、Sは渋々協力することにした。


「皆、聞いてくれ……今外に出るのはマズい」

「お前は遭難者を見殺しにするのか?」

「違うんだ……少し冷静に考えてみろ。今の猛吹雪……人の声が聴こえる距離ってどれくらいだと思う?」

「それ……は……」

「そう。小屋の直ぐ外で叫んでも多分殆ど聴こえない。だけど、呼ぶ声は吹雪に関係無く聴こえるんだ」


 一同は顔を見合わせ困惑の色を見せる。


「今から話すのは叔父さんから聞いた話でな。俺は今の状況になるまで信じていなかった。だけど今は信じざるを得ない」

「おい……何を……」

「この山には吹雪の日に人を食らう化け物が居る。俺の叔父さんも登山家でな……丁度今の俺達と同じ状況になったらしい」


 Uは叔父から聞いた話をポツリポツリと語り始めた……。


「叔父さん達は声を聞いて救助に向かったんだ。皆がはぐれない様にロープで互いを繋いで、山小屋が見える位置の樹にロープの端を繋いでな?でも声は聞こえても姿が見えない。流石に限界を感じて小屋に戻ろうとした時、それは起こった」

「い、一体何があった?」

「一番先頭に繋がれていた人が消えたんだ。ロープは鋭利な何かに切られていたそうだ」


 そのロープには血のようなものが付着していたという。


「焦ったのは仲間達だ。二次遭難なんて洒落にならないからな……でもそこで、叔父さん達は聞いてしまった……」

「……な、何を?」

「呼ぶ声の続きさ。あの声はこう言っているんだ。“お~い!お~い!こっちに美味そうなヤツが居るぞ!”ってな?叔父さん達はあまりの恐怖に仲間のことを考えられず山小屋に篭ったそうだよ」


 叔父の話では、その夜が明けるまで呼ぶ声は続いたという。


 ただ最後に聞こえた声に叔父は震えていたそうだ。


「声は最後にこういったそうだ。“お~い!お~い!美味かったからまた食おう!”──叔父さん達は朝になるまで小屋から出られなかったそうだ」

「そ、それで……居なくなった仲間は?」

「後で捜索隊が見付けた時には、既に惨い有り様で死んでいたそうだ。熊にでもやられたんだろうって結論になったらしいけど、咬み痕が熊よりデカかったって……」

「そ、それじゃ、小屋にいてもヤバイんじゃ……」

「どういう訳か化け物は建物の中には入らないって……ただ、小屋の周りには歩き回った跡があったらしい。だから外に出るのはヤバイんだ……」


 沈黙する一団。その間も呼ぶ声は続いていたが、どうも近付いている気がする。

 結局、その話を聞いた男達は小屋から出ることは出来なかった……。


 あんな話を聞き眠れない男達は、実は外で呼ぶ声にずっと耳を傾けていた。


「お~い!お~い!出てこないから食えないぞ!」

「お~い!お~い!出てこい!出てこい!」

「お~い!お~い!食わせろ!食わせろ!」


 小屋の周囲を移動しながら延々と続く呼び声は、朝方にようやく聴こえなくなった……。 



 完全に日が昇ったのを確認した男達は外の様子を窺う。吹雪は既に止んでいて、辺り一面は銀世界。しかし……山小屋の周囲には異様な形の足跡が大量に残っていた。


 急いで下山した男達。その後も登山活動は続けたが、その山にだけは二度と近付くことはなかった……。




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