第3話 デイサービスでの難病患者

さて、認知症や痴呆症の高齢者の輪の中に放り込まれた難病患者は、どういうことになるのでしょう。

悲しいことに、ほとんどの難病患者は記憶力も思考能力も、衰えていません。

デイサービスの利用者は、だいたいですが、1日に20人から30人ぐらいと推察できます。

そのほとんどが、認知症かまたは、痴呆症であるのです。

他人のことを思いやる力はありません。

若い人は、自分のために動いてくれるものと思い込んでしまいます。

当然、トイレに行くのでも連れて行って欲しいと、難病患者に頼みます。

すると、難病患者が職員に伝言しなくてはならなくなります。

ルールも覚えていない方の将棋のお相手もキツイです。

カラオケでもあれば、自分が歌う、好きな歌の題名をたずねられます。

答えられなければ、怒ります。

そんなことを、毎回繰り返されては、たまったもんじゃありません。

並みの精神力では、認知症高齢者には我慢がしきれなくなります。

お給料をもらえる介護職員でさえ虐待に走る人が出るほどひどいのです。

難病患者の場合、その施設に行けなくなると、入浴が出来なくなりますので、我慢するしかありません。

しかし、それでもストレスはどんどん蓄積していきます。

しかし、介護職員は、難病患者も楽しんで来ていると、勘違いしてしまいます。

これは、難病患者が我慢を強いられて、嫌な状況に追い込まれても、笑顔でいることに原因があるのですが、難病患者には、そんな環境しかありません。

ノーベル賞クラスの先生方が、よってたかって研究を重ねているのにわからないのが難病ですので、普通は理解できるわけないのです。

難病患者は、下手に頭がしっかりしているものだから、相当強情な性格の人でも、一歩引いている方が、世間の優しさを受けられることを覚えてしまいます。

そうなると、一歩下がり、さらに、もう一歩下がりと下がり続けてしまう人が多く、難病患者への理解が得られない原因となってしまったのでしょう。

看護師でさえ、難病患者の動きや気持ちを理解できない方々がおられるというようなことが続出する結果になってしまったのでしょう。

そうです。

病院でさえ、難病患者は入院しても安心できる環境にないことが多いのです。

神経難病専門の病棟ですら、なかなか1人1人に合わせることはできません。

難病患者であっても、人は、それぞれですし、千差万別です。

100人居れば、100通りの介護介助が必要になります。

しかも、いつ急変するかわからない難病患者のことを理解せよという方が無理なのです。

しかも、絶対的に少ないのです。

ノーベル賞クラスの科学者や医師でさえ理解ができない。

原因がわからない、現代の医学では治す方法が無いから難病なのです。

絶対的に数が少ないから研究が進まない。

ほとんどの難病は、身体が不自由になっていきます。

患者は、どんどん動かなくなっていく自分の身体に恐怖と悲しみを抱えているにもかかわらず、周りに理解してもらえないという恐怖の中にいます。

したがって、どんどん下がっていく方が得策になっていきます。

ましてや、デイサービスは医療機関ではありません。

職場の都合上、認知症高齢者を中心にせざるを得ないのです。

それが、政府の制度上、そうでないと企業が倒れてしまうので、仕方がないのです。

営利企業である以上、仕方がないことですが、それでも難病患者にしてみれば、たまったもんではありません。

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