第5話 何がために何をする

 政争に負けただけ。

 ただそれだけのことだ。悪行をなすりつけられ処刑されるも、人質をとられて悪事に手を貸す日々になるも、よく聞く話、よくある話。

 だが、この敗北の先の未来、この国はどうなるだろう。


「魔術兵器を他国に流し、他国と共謀して我が国を支配しようとしたその悪行。死をもって償うべきである!」


 断頭台に立つ私を、城のバルコニーから見下ろして叫ぶ元婚約者の王子。絶対の正義感と愛ゆえに、彼の目に迷いはなく、声もまた力強い。

 あなたのその真っ直ぐさを愛していたけれど、浮気する心の持ち主とは思わなかった。

 ああ、そうね、正義感の強いあなただからこそ、協力し合える私より、泣いてすがる娘に心なびいたのでしょう。私がどんなに努力しても、逆効果だったのね。

 儚い女を演じなければあなたの一番にはなれなかったのね。あなたの正義感は私を守ることには向かわなかったのね。あなたの正義感は、悪にだまされる程度のものだったのね。

 失恋で痛む心は冷えて暗く、何も感じない。

 うつろな心で、逆に冷静に頭は働きつづける。


 断頭台から見下ろす民草は、王子の言葉に呼応して、おおおと叫んだ。

 我が国を強国たらしめている魔術兵器を他国へ流すことは重罪だが、まだ直接だれかを害したわけではない。その罪の真偽はともかく。私を悪と信じている民たちでも、処刑に興奮はすれど私への憎しみを持つには至っていないようだ。愛国心の強すぎる者ならどこかで憎んでいるかもしれませんけれど。

 だから。

 民は私を憎んでいないようだから、だから、私はゆらいでいた心を強く、決めた。

 愚かだと思う。馬鹿だと思う。そんな義理、捨ててしまえばいいのにと、きっと誰かは言うだろう。


 私の罪は家族には及ばず、私一人がすべて悪いとすることでかろうじて家族は生きながらえた。爵位を侯爵から伯爵に落とされることにはなったが。

 王子の側近候補だった弟は今も王子の側近候補として彼の側にいる。今私がここにいてなお家族は許されたのは、弟の助力が大きい。それでも、王子に近づく儚げな美女を消すことができなかったと、王子を諫めることができなかったと、己の無力を嘆く弟に未来をたくす。


「刑を執行せよ!」


 しゃん、と涼やかな音をたてて、処刑人の手に持たれていた断頭のつるぎが抜き放たれる。

 一振りで首を切り落とすその魔剣は、あまりの斬れ味の鋭さゆえに王家保有の国宝である。

 その国宝を宝の持ち腐れするでなく処刑に使えと命じた古き王は、なかなか型破りな方であると思う。確実に一瞬で命を奪う、それを可能にするものが当時ほかになかったからだといわれている。


「かがみなさい」


 処刑人の低い声に従い、腰を落とす。首を差し出すように前へ身をかがめた。


 幾多の罪人の命を奪ってなお、清き輝きを失わない神秘の魔剣の、強い魔力を頭上に感じる。

 処刑人はその剣を持たされるがゆえに、伯爵位以上の貴族のみがつとめる仕事だ。忌み嫌われる仕事ではあるが、剣筋の確かな、実力ある者しか任命されない名誉な職でもある。

 だから私も苦しまずに一瞬でいけるだろう。

 そこに関して恐れはない。死への恐れはあるはずだけれど、幸か不幸か、失恋の痛みで胸にぽっかり黒い穴が空いていてよく分からない。


 実力ある処刑人は、戦となればこの魔剣を持って戦うことになる。一騎当千の英雄となろう。

 そんな男だから私は言った。


「国を頼みます」


 動揺なく、剣が振り下ろされる。

 それに先んじて私は魔術を発動させた。

 しゃん、と剣が首を斬り、通り過ぎていく音を間近に聞く。

 首を落とされてもすぐには意識は落ちないと聞いていたが、自分の首が落ちた音を聞くなんて思わなかった。もう少し長く息が続いたら、ちょっと恐怖で気が狂ったかもしれない。


 視界が暗がる。わああ、と歓声が聞こえる。

 流れた血のあたたかさをほおにかんじた。それがさいごだった。








「姉さん……」


 断頭台を見下ろす城の窓から処刑を見ていた。

 白く輝く魔剣が振り下ろされ、姉の紫紺の髪が切れて断頭台に広がったのが見えた。そのとたん、姉を中心にして姉の紫紺の魔法陣が広がり、処刑人の男がその場を飛び退いた。


 魔法陣が紫紺に輝き、魔術が発動する。

 強者である処刑人はとっさに魔術を止めようとしたようだが、その魔術式を理解したのかすぐにやめると、胸に手を当てて姉さんに敬礼した。


 彼に遅れて民も、そして城の面々も術の発動を感知する。

 彼と違って愚かにも術の種類を把握しないそれらは、わーぎゃーと騒いでいて、少しだけ胸のすく思いがした。


 術が広がる。紫紺の魔力は白に変わり、ドーム状になって周囲へ一気に広がった。

 おそらく国土を覆えるほどの、巨大なドーム。

 白は透明になり、ときおり虹色に輝いてその存在を示していた。きらきら輝くその虹色が僕の手の甲にも現れた。我が家の紋章の形をした虹色の模様は、徐々に輝きを失って紫紺色になる。


「お人好しすぎるよ、姉さん」


 結局出来てしまったのか、あなたにはそれが。

 魔術を学ぶ者ならば、あの虹色の輝きの意味を理解するだろう。城内がばたばたと騒がしくなり、僕の待機していた部屋に王子がやってきた。かたわらに不安げな銀髪の美女と、他の側近候補、そして宰相を従えて。王子の青い瞳には不安と恐れがゆらいで見える。


「ハンザ、手を、見せてくれるか」

 

「どうぞ、気の済むまで」


 僕の差し出した両手の甲に紫紺の模様を見つけて、王子たちが息を呑んだ。姉から王子を奪った女もだ。この女は最初からそうだった。己は悪いことなどしていないと、強く信じて、けれど理解されないと嘆いていたのだ。彼女の生家は悪名高い。だから彼女が悪くなくても友ができないと、悲しげに目を伏せて王子の関心をうばった。そのまま側妃になるならまだましだったが、彼女の生家は彼女が王子の関心を手にしたと気づくや、姉の悪評を広めた。

 魔術兵器を他国へ流したと。その他国とも口裏を合わせて、姉がやったという証拠まで捏造した。


 この女は王子の関心を奪っただけだ。それでも浮気という十分にひどいことではあるが、姉の冤罪を指示したわけではない。だから王子はこの女を信じた。

 何も知らねば嘘はつけない。

 この女の生家はこの女の使い所をよく理解している。

 そんな家にありながら、己が利用されているとも考えず、王子との恋に夢中になっていたこの女を、王子は可愛いと今も思うのか。加害者になりえる立場の人間の無知は罪だ。


 僕の手の甲を見た王子は、金の眉をひそめ、指先に魔力を集めると僕の甲に触れた。魔力に反応してきらきらと飛び散った虹色の輝き。王子の目は絶望に染まった。


「俺が間違っていたのか」


「僕はそう言いましたが、ご理解いただけなかったので、姉に全ての罪をきさせて他の家族の無実を証明しました。僕を責めますか」


 ぐっと眉根を寄せ、首を振る。


「いや……お前の発言は無実を証明するものだけだった……。彼女を悪く言ったことはない。罪をきせたとして罰するには値しない」


「ありがとうございます。僕らの無実を理解いただけたうえで、姉も無実である可能性がある。と言っても姉を盲信する愚かな弟としか思っていただけなかったのは残念でした」


「すまん……すまん。俺はなんということを、リャリーア、君はどれほど傷ついただろう」


「浮気者が正義面しないでくださいませんか。宰相閣下、こうなった場合の話し合いの権限は、現伯爵である父より僕に一任されています。陛下へお目通りを願います」


 王子を無視した形になったが、それを咎める者はいなかった。

 こうなった以上、僕の権威は王子より上だとみんな理解しているのだ。


「かしこまりました。こちらへ」


 宰相に続いて部屋を出ようとした。王子の横を通り過ぎたとき、不安げな女が王子の腕にとりすがったのが見えた。そして反射的に王子がその手を振り払い「え」と驚愕の声をあげる銀髪のはかなげな女。


「しばらく、俺にかまわないでくれないか」


「どうして、なんで、どういうことなの。なんで、私不安なの」


 上目使いで王子を見る女は、見た目だけなら美しく儚い。だが王子は反応しなかった。


「どういうことなの。だって、あれ、あれは、あの魔術は心が清らかで魔力が強い人が、殺害される時にしか発動しない神秘の術のはずでしょう? 殺される時にも一切の邪心を持たない状態じゃないと発動しないから、不安や恐怖を抱えているだけで、どんな清らかな人でも発動できなくて、だから無理やり生み出すことができなくて、まず実現不可能な術で、新しく作るなんてありえなくて、唯一発動させた聖王様の血筋がいる聖地にしか存在しないはずなのに。それがどうして、なんでリャリーア様が使えるの。なんで、だってそれじゃあ、それじゃあまるで」


「姉さんは無実だった。それだけのことですよ」


 足を止めて振り返る。王子は拳を強く握りしめ、何も言わない。


「どうして!? だって、あんなに証拠があったのに。それに私あの人に睨まれたわ。とても怖かったの。心に悪意がないなんてありえないわ!」


「恋人を奪った相手を睨むなんて当たり前のことでしょう。あなたが悪いんですよ、全部、あなたが殿下に手を出さなければ、姉さんが殺されるなんてなかったんだ。そして殿下があなたになびかなければこんなことにはならなかったんだ。全部、あなたと殿下が悪いんですよ。全部、全部ね」


「そんなの、そんなことない! だって、だって、私は、私は幸せになりたかっただけなの。王子なら幸せにしてくれるって思ったのよ。それだけなの! 悪いことなんてしようとしてないのよ!」


「婚約者から奪って? それで悪いことはしていないと、本当に胸をはれるんですか。こうはならなかったとしてもそれだけで十分最低では?」


「ちが、ちがう。ちがう。私は、だって、誰もいなくて。誰も、王子しかいなかった」


「そんなことはないはずですよ。あなたは綺麗だから、殿下でなくても声をかける男はいたでしょう。あなたの家とのつながりは貴族にとって害悪でも、他国の貴族になら影響もたいしておよばない。あなたに声をかける他国の貴族がいたのを、僕はパーティで見ているよ。それでもあなたは殿下を選んだ。それはあなたの選択です」


「ちが、ちがう。そんなつもりじゃない。私、わからなくて」


「分からないふりですか。小賢しいですね、さすが、あの家の人間だ」


 カッと急に火が燃え上がったように、女は怒気をはらんで睨み上げてきた。


「私を親と一緒にしないで!」


「その親に自分が利用される可能性も考えなかったのですか。考えなかったのでしょうね。考えたくなかったんだ。あなたはあわれな人だが、周りまで不幸に巻き込まないで頂きたい」


「それ……は」


 一歩、女に近づいて低くささやく。


「考えろよ。その頭使ってもっと考えろよ。あんたは自分の幸せだけ考えて姉さんの幸せなんて考えもしなかったんだ。自分が不幸なら他人を踏みにじってもいいとでも思ってるのか。それこそ、不平不満ばかりつぶやいて周りに迷惑かけるお前の親と同じだな」


「そんな、同じ……私、同じことしてた?」


「あんたも他の人も幸せになれる、そういう選択肢を探すのは大変だから諦めた。その結果がこれだ。あんたの選択の責任だよ。自分で背負え」


「わたしが…わるいの。わたし、違う、そんなことな、い、違う、やだ。やだ! やだ! 親みたいになりたくない! いやぁ! ねぇ、違うでしょう、違うって言って、お願い。私は悪くないでしょう? ね?」


 王子の腕にとりすがる女。王子は振り払いはしなかったが、一歩身を引いた。それで十分だった。


「そんな」


「もうなってるよ。親と同じに」


 僕が代わりに言ってやった。

 いやぁと泣き叫ぶ女に背を向けて部屋を出る。反省しないなら、もうそこからあがってこれないよ。




 宰相につづいて陛下の元へ行く。

 玉座の間に入って、まず驚いた。


「陛下」


 陛下が玉座に座っていなかった。

 玉座のある3段上の場所から降りて、拝謁者が立つ場に立って僕を待ち受けていた。


「アルヴェール伯爵家への非礼と此度の失態、謝罪いたす。つぐないの機会を願いたい」


 世の中に冤罪はどれほどあるだろう。

 そのすべての冤罪がはらされることはなく、またこうして最高権力者に謝罪されることはまずないだろう。これも姉さんが術を成功させたからこそのものであって、それがなければ捨て置かれておしまいだった。姉さんの死は悲しいのに、姉さんが死んだおかげで僕らは優遇されるんだ。

 にがいなぁ……。


 陛下との話し合いの結果、アルヴェール家は公爵に叙爵され、領地が増えることとなった。

 他国から国を守る姉の結界は、姉が加護を与えた者の魔力をつかって存続する。加護の付与の証明となるのは僕の手にあるあの紋章だ。僕だけでなく、父と母にも現れていた。

 加護は僕が子をなせば子にも受け継がれていく。


 アヴェール家が存続する限り、結界は維持され国は守られるのだ。

 心配なのは、今はいいけど先々この結界の加護にあぐらをかいて、僕の子孫が傲岸不遜ごうがんふそんなやつにならないかということだけど。そこはまぁ教育でがんばるか。

 我が家が権力の頂上ではなく、上に王家がある、ということだけでも自制の助けになるといいな。


 王子は結婚を機に王太子に任じられる決まりで、まだ王太子でもなかった王子は継承権を剥奪されたうえで、夫に先立たれた女辺境伯のもとへ婿入りすることに決まった。

 56歳の女性との結婚なので子は望めないだろうし、もしできたとしても辺境伯家の親族に王家の血が入るのは望ましいことだ。


 しかしそもそも女辺境伯は亡くなった夫を愛しているので後添えは不要、と言う人だから、子ができることはないだろう。結婚というより、不出来な王子の再教育先と言った方が正しい。辺境伯家には齢30になる跡継ぎもいる。王子に権力が集まることはない。辺境で魔物討伐をして役に立ったらいい。王族は魔力豊富なのだから。

 次期王太子には12歳になる第二王子がなることになった。


 姉の無実は証明された。

 そしてあの女の家こそ他国と通じていたとして一族郎党首を斬られた。

 あの女は最後に「ごめんなさい」と言っていたと処刑人が僕らに教えてくれた。


 しかし伯爵家であるあの女の家の立場では、魔術兵器を取り扱うことはできないし、教えられる知識を得ることさえそもそもできない。あれは侯爵以上にしか関われないものなのだ。


 ではどうして他国に兵器が生まれたかと言えば、単純に技術が追いついただけだった。

 どこの国にも天才はいる。努力家はいる。結果、同じものを作ることに成功した。はじめから目標となる兵器の実例があるのだから、無から作り出すよりは簡単だったとその国はうそぶく。


 姉さんが死んだのは、あの女が王子の関心を奪ったことで、次期王妃も狙えると考えた伯爵家による陰謀のせい。ただの政争負けではある。


 けど姉さんは最後まで貴族だった。次期王妃として育った侯爵令嬢だった。

 姉さんは言っていた。


「理由は分からないけれど、他国が兵器を手に入れたことは事実なのね。もうこの国は兵器だけで安泰とは言えなくなったのだわ。それに殿下が……あの令嬢を王妃にしてしまったらどれだけ国にとって害悪でしょう。側妃でも危ないでしょうに。どうにかあの令嬢が王家に入ることはないようにして、ハンザ」


 失恋で暗い目に、しかし決意の光を宿す姉さんを見て、姉さんの身を案じるだけの僕はまだまだ貴族として志が低いと思わざるを得なかった。


「私の心に負の感情が生まれなかったなら、私はあの術を成功させてみせるわ。私は国民を守るために生きてきた。最後までそうありたいの」


 敬愛なるリャリーア姉さん。

 命日の今日、国中で姉さんに感謝を捧げる祭りが行なわれているよ。

 あの処刑台に集まり、姉さんの死を喜んだことを恥じた民たちは、今日もあなたに許しを請うているらしい。姉さんならきっと気にしていないなんて教えてあげない僕はまだ、あなたのようにはなれそうにない。

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