第2話 婚約破棄からの断罪カウンター

 侍女に荷物を持ってもらって学園から帰る途中のことだった。


「テリア・コートン! 貴様との婚約を破棄する!」


 ガタンと勢いよく椅子から立ち上がってそう宣言した己の婚約者である第二王子の言葉に、テリア嬢はきょとんと首をかしげた。


 ここは学園の公園。


 ゆえに他の生徒もちらほらとまわりにいて、何事か、と興味本位で立ち止まって聞き耳を立てているのが見て取れる。


「あら。まぁかまいませんけれど。なぜ、とお聞きしても?」


「なぜだと?」


 銀のまざった淡い金の髪に緑の瞳に整った顔立ち、という麗しの王子様は、その見た目には似合わない激情にかられたように顔を赤くしている。


「お前は! ミレアに嫉妬するあまり、彼女の制服を破き、教科書を燃やし! 靴を切り裂き!

 あまつさえ階段から落として害したそうではないか! そのような性悪な女を私の婚約者にしておくわけにはいかん!」


「まぁ、ミレアさん? という方に私がそのようなことを?」


 テリア嬢は茶色のふわふわと波打つ髪をゆらして、翡翠色の目をまたたかせる。


「しらばっくれるつもりか!」


「いいえ、どうでもよろしくってよ。それで、そのミレアさんという方は、今殿下のお隣にいらっしゃるそのお嬢さんでよろしいのかしら?」


 顔の赤い麗しの王子様のとなりには、椅子に浅く腰掛けて王子にすりよる女生徒がいる。

 心細げにぷるぷるとふるえていて、これが庇護欲をそそられる、という女の仕草だろうかとテリア嬢は思案する。


「なんだその言いぐさは。さんざん傷つけておきながらの厚顔無恥ぶり。いかに公爵令嬢といえど罰さぬ訳にはいかぬぞ!」


「かまいませんわ。それより」


 ふふ、と笑ってテリア嬢はちょっと驚いた顔をしている王子と、とても困惑した顔をしているミレア嬢を見る。


「私がなにをしたか、もう一度教えていただけるかしら? 確か、何かを切り裂いたのでしたかしら」


 バカにされているとでも感じたのか、王子はギリと歯噛みする。


「知らないふりも大概にしろ! お前はミレアの制服を破いただけでなく、泥水の中に捨てたそうではないか!」


「なるほど」


 テリア嬢は人差し指で被害者と言われたミレア嬢を指さすと、すい、と横に指を動かした。

 とたん、制服がびりびりと破けたかと思うや、ふっとミレア嬢の体を覆っていた制服が消えて、下着姿というあられもないものに変わる。


「きゃ、きゃあああっ」


 ミレア嬢が体を抱えて身を隠す。王子は顔を今までとは違う意味で赤くして、動揺しながらも己の制服の上着を脱いでかけてやる。


 大丈夫か、とか、ええ、とか言い合っている二人にテリア嬢は微笑みかける。


「私はあとなにをなさったの?」


「貴様! まさかこれは貴様の――」


「私はあと何をしたのか。と聞いているのよ」


 王子は声をかぶせられて言葉をつぐんだのではない。声が出なくて言葉をつぐんだのだ。

 何事か言おうとして、だが声が出ず、のどをかきむしるように触れている。


「答えなさい」


「きょうかしょを、もやして、すてた」


「なるほど」


 パチンと指を鳴らす。するとミレア嬢付きの侍女らしき女が持つ手荷物から火があがった。


「きゃああ」


 今度の悲鳴は炎にまかれそうになった侍女のもの。

 スカートに燃え移った炎は他の侍女(おそらく王子の侍女)が持っていた荷物で叩いておとし、鎮火される。


「あとは?」


 公園の芝生の上、放置された荷物はまだ炎をあげてい

る。

 その場にいたテリアと彼女の侍女以外の全員の顔が青くなっていた。


「テリア様って……たしかオルザ王国の王女様だよな」


 そうつぶやいたのは公園の端にいる男子生徒。


「秘密の海国オルザ」


 他の生徒たちもこそこそと言葉を交わす。


「いろんな噂があるけど、そのうちの一つがしゃれにならないんだよ」


「しゃれにならないような噂ですか? 私聞いたことないわ」


「……かの国は、天使と悪魔の休息地で、王族は天使の血と悪魔の血、両方をひいているとか」


「そんな、まさかぁ」


「さすがにそれは夢のみすぎでございましょう」


「でも、魔法詠唱どころか魔法陣すらなしでの魔法発動なんて、人間技じゃないよね」


「しかも魔法耐性の強い王族であらせられる殿下を、苦もなく口封じして指定の発言だけさせている……」


 彼らが話している間にも、ミレア嬢の靴が切り裂かれて悲鳴があがっていた。


 ごくり、と誰ともなく唾を飲み込む。

 皆の視線の先、テリア嬢の艶やかな唇が言葉をつむぐ。熟れた果実のような、血に塗れた赤のような形のよい唇は、可笑しそうに弧を描いた。


「なにをおびえていらっしゃるの?

 私はあなたが確定していることのように言い切ったから、嘘にならぬよう事実にしてあげているだけなのに」


 ミレア嬢はがたがたと震え、何を言えばこの場を切り抜けられるのか思いつくこともできないでいるようだ。


「ねぇ、私、あとなにをしたの?」


 顔から血の気が失せた王子は、首を左右にふって拒否を示す。だが王子の口は、強制的に言葉をつむいだ。


「かいだんから、つきおとした」


「なるほど」


 にっこりと笑むテリア嬢がパチリと指を鳴らすと、ミレア嬢の姿が公園に設置されていた白い椅子の上から消えた。


 きゃあああ


 学舎の中から、つい先ほどまで公園に響いていた声と同じ声による悲鳴が響いてくる。

 言葉を封じられたまま学舎に駆けていこうとした王子の脚が、時が止まったように固まった。

 その背にテリア嬢の、笑みの消えた声がかけられる。


「婚約者がいるのに浮気をしたという加害者の身でありながら、

 居丈高にもの申してくる恥知らずなだけでなく、

 ありもしないいいがかりを信じ、本来かばうべき私をかばわずよその女をかばった愚かな殿下。

 私のような被害者が増えぬよう、一時的に婚約者であったよしみであなたに贈り物をさずけましょう」


 パチリと指が鳴った。


 その音を合図になにが行われたのか、見ていただけの生徒たちには分からない。当の王子にもそのときは分からなかった。


 体が動くようになった王子が学舎へ駆けていくのを見送って、テリア嬢とその侍女二人は、背に白い翼をばさりと出した。

 それと同時に、テリア嬢の茶色の髪は色を無くして銀色に輝き、翡翠色の瞳は青に変わった。


 周囲にいた生徒たちは呆然と見つめて「天使だ」とつぶやく。

 三体の天使は虹色にきらめく翼で空に上がり、王城へと飛んでいった。





 城の、本来王族だけが立ち入れるバルコニーに三体の天使が降り立った。その前をふさぐ扉という扉が、テリア嬢のついっと横に動かした指ひとつですべて開く。


 背に翼をたたんだ状態で優雅に歩きゆく彼女たちをはばもうと、騎士たちが動こうとしたが首を動かすことすらできなかった。


 驚愕の視線を浴びながら進むテリア嬢は、王の執務室の扉を開ける。

 中にいた王が目を見開く前で、その部屋の棚に納められていた一枚の紙を、また指をついと動かしただけで呼び寄せる。


 ふわりと浮かんでやってきた紙は、テリア嬢と第二王子の婚約を示したものである。

 だが、その紙はテリア嬢の白い指に掴まれるやいなやすすけるように黒く変色し、まがまがしい漆黒に変わった。


「これは……テリア嬢、これは一体。まさか」


 汗をたれ流す王の言葉に、銀髪に青の瞳をもつ美女は微笑んで答える。


「この国は脱落」


 ひらり、と黒い紙が宙を泳いで王の前の机に落ちる。

 黒い紙。魔力で作られた契約の紙に宿っていた清らかな魔力は失われて、ただそこに書かれていた文字だけがより濃い黒で読める。

 それはもう今となっては契約が解除されたことを証明するだけのものだ。


「罪をねつ造して婚約者のいる男を奪おうとする女と、それにだまされる男。

 魅了の魔法は無効になるよう王子には術をかけていたから、あれは間違いなく彼の問題よ。

 そのような者たちが当たり前の顔をしていられて、周りが行いを正すことすらできない国には、悪魔の祝福がふさわしい」


 己の息子の失態を察した王が、その身にわずか怒りを宿すのを見て、天使は笑う。


「彼だけの問題ではないわよ。

 彼をいさめることのできなかったのはあなたたちでしょう。

 彼が正しく役目をまっとうできるよう、導くことのできなかったのもあなたたち。

 あの娘を学園に入れたのもあなたたち。

 その責を忘れて何も知らなかった王子だけを責めようという気持ちが湧く、その心を恥じていさめなければ、この国は疲弊していく一方よ」


「耳にいたい、お言葉です」


「ふふ。ひとつだけ私からあなたたちに贈り物をあげる。この愚かな国を導くのに、今の王子は役に立つわ」


 苦悩をにじませる王は、いぶかしんで天使の美しい顔を見上げた。


「それはどういうことでしょうか」


 ふふふ、と悪魔のような天使は笑うだけ。


「彼をよく守りなさい」






 結果として、第二王子はおおいに国の役に立つ存在となった。

 その能力は秘匿されていたが、侯爵以上の高位貴族はその呪いとも呼べる効果を知っている。

 ゆえに、高位職の人間で彼と親しくなろうとするものは極々まれであった。


 その力に目覚めた(正しくは天使に授けられた)日。

 彼はそれまで婚約者であった天使をないがしろにしてとなりに侍らせていたある女生徒を助けるために、学舎へと駆け込んだ。


 階段から落とされたらしき女生徒は、あられもない服装のまま踊り場に倒れていた。

 顔にも腕にも脚にも痛々しいあざを作り、それは無惨な姿で意識を失っている。口の中が切れているのか、かすかに開いた唇の間から赤いものが流れていた。


「なぜここまでされなければいけない!」


 もしミレア嬢が本当に、彼の婚約者であったテリア嬢から過去に突き落とされていたのであれば、今のような姿を過去にさらしていなければならない。

 なのにミレア嬢は毎日元気に彼の腕にくっついていたという矛盾には混乱した頭はたどり着かず、彼はただこの痛々しい姿に怒りを燃やした。


 そして助け起こそうとして、しかし打ち所が悪かった場合は下手に動かしてはならないということにかろうじて頭が働いて、抱き起こそうとした手が勢いを弱め、彼女の体にそっと触れたその瞬間が、彼の平穏な人生の終わりであった。


 ――女の声が聞こえる。

 今は目を閉じて助けを必要としている痛々しい姿のミレア嬢の声。


 彼が聞いたことのあるやさしげな声だけでない。悪意のこもった声も、それをつぶやく彼女のゆがんだ表情も、昨日見たことを思い出すように彼の脳裏に浮かんだ。


 それだけではない。


 彼女が何を思っていたのか、何を考えて生きてきたのか、何をしたのか。


 そのすべてが理解できた。


 長い、長い、人の人生、そのすべて、細かな心情をまじえて描いた小説を読みきったかのように、ミレア嬢の過去を彼は知った。


「な、なん……は……?」


 嘘をつかれていたこと、テリア嬢はまったくの無実であったこと、己があまりに愚かであったこと、ミレア嬢が彼に向ける好意は、彼女が口にしていたような彼の幸せを願うやさしいものではなかったこと――。


 それらの事実に衝撃を受け、それ以上に知った方法が意味が分からず衝撃を受け、これは事実なのか幻なのかも分からず、ふいに恐怖が全身を包み込む。


 おののき立ち上がり足をひいて壁にぶつかり、階段から足がはずれて己まで転がり落ちそうになったところでハッと、彼は先ほどまで愛していた少女が瀕死の重傷であることに気づく。


 いろいろ思うところはあるがひとまず置いて、彼は医術師を呼ぶ魔法を飛ばした。


 ――贈り物。

 それは触れた者の過去を知る力。

 彼が知るのは記憶ではなく過去であり、記憶喪失の者の過去も、洗脳されて自我喪失している者の過去も読み解いてしまう。


 人と手を触れ合わせることすら恐怖するようになった彼がそれでも気が狂わずにいられたのは、彼の母と兄を筆頭に、心から彼を案じる者がいたからだろう。


 そんな彼が妻と選んだのが、鋭い眼差しで他者を寄せ付けず長年社交場で壁の花となっていた伯爵令嬢であったことに、彼の力を知る高位貴族たちはいろんな意味で驚いたのであった。





 階段から落ちたミレア嬢の命に別状はなかった。

 それもまた天使の温情であったのかは誰にも分かりようのないことだ。


 テリア嬢にいじめられたと嘘の証言をして王子と彼女の婚約が解消される原因を作った男爵令嬢は、魔法によって過去の記憶を消された。

 その上で、罪をおかした罰で記憶がないのだと教えられて修道院へ送られた。


 記憶がない彼女は性格もまた変わっていたが、本質までは変わるものか定かでない。

 修道院で彼女がまた誰かをいじめるのではないかと、死ぬまで警戒対象とされていたが、そういったことはなく、毒舌がたまにきずだが敬虔なシスターとしてその生涯を終えたという。


 男爵家はとりつぶしはまぬがれたが、手がけていた商売を民間に譲渡したうえで領地を移された。

 新しい領地であるその小さな土地は、二大侯爵家がともに領有を主張して争う場所であった。


 男爵家は名実ともに両家の緩衝材かんしょうざいとして、胃を痛めながら過ごすことになる。


 主権争いのために開発が頓挫とんざしていた『勇者の村(とされている村の跡地)』の研究と観光開発事業は、男爵家の胃を犠牲にしてやっとすすむことができたのであった。




 その後テリア嬢を見かけた者はいない。

 彼女のことを噂する者も徐々に減っていった。

 それは記憶が薄れるのに従ってというには不自然なほど関係者以外の記憶から存在そのものが忘れられ、第二王子に婚約者がいたということすら忘れられていった。


 秘密の国の噂は、いつまでも確信のない噂のままだ。

 ただ海国オルザ王国の王女や王子が嫁いだり婿入りした国では、過去と比べても幸運と呼べる出来事がよく起きるようになったという。

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