閃いた日 ⑦-2-3
え、こわい。こいつ何で私の名前を? と固まる私。蜥蜴幼女もどうしていいのかわからないのか、私と自称神の顔をきょろきょろと見比べている。
一方で笑顔を張り付かせたままふざけたことをのたまう自称神様インザラブドール。
っていうかマジで神様ならラブドールに宿るのは早まったのではないかと思う。それ仏像ってことですよね。罰当たりは誰なのか。
「なんじゃ。妾がぬしの名を知りえたのに驚いておるのか? ならば驚く必要はない、そんなことは当然のことじゃ。妾は神じゃから【ステータスオープン】ができる。ただそれだけのことなのじゃ」
「……は、え、はい?」
ステータスオープン。それについてはアニメできいたことがある。最近世界中に流行りだした日本発の中国アニメの中のお約束ギミックだったか。
ということはこのドール、さてはアニメ転生者設定なのか。中二病をこじらせた娘という比較的メジャーなテンプレートか。しかも自分を神だと言うわりと
「そうですね。何からお話ししたものか……まず、最初にはっきりさせておきたいのは、私はあなたに雇われた覚えがないということなのですが――」
私はスマホを取り出しブルートゥース通信で筐体のプロパティを確認する。すぐに同期が取れスマホ画面に製品の情報が表示された。
〈Mon de Gnomeシリーズ.05 大地の巫女。
オリエンス工業がお届けする揉み心地抜群な自立歩行式ドリンクサーバー。
《 『揉めばその場で、飲める幸せ。』 》
立食式パーティなどで活躍すること間違いなし。より人間に近づいたフィジカル質感をお楽しみください。かしこみかしこみ。(尚オプション装備で従来通りラブドールとしてもお楽しみいただけます)〉
「…………」
新型だった。
それもコンセプトが旧来のドールとは隔絶している新シリーズだ。
それを見た途端、私の頭からすべての諸問題が吹き飛んだ。
――これは……いったい……。
意図を理解できない私は瞬時に思考の海の底へと引きずり込まれる。
――ラブドールを……禁忌を越えただけでなく……その先へ……?
確かにラブドールのおっぱいを呑みたいと思う紳士は少なくなかったはずだ。それは想像に難くない。ドリンキング機能の実装はそこまで奇抜な発想とはいえず、いつか誰かがやってしまうだろうと予測された未来でありいわゆる
しかし。しかしだ。
何故自立歩行機能を盛り込んだのか。
立食式パーティを視野に入れた理由がわからない。何故ならそれはゴールドバッハ博士によって提唱された『ダッチワイフの憂鬱理論』を真っ向から否定しうる思想だからだ。
とはいえ、あの老舗中の老舗、業界の風雲児たるオリエンス工業が何の狙いもなく作品を世に出すなど考えられない。ラブドールの未知なる可能性を引き出さんとしているという意図は計れる。そしてきっとそれだけではないはずだ。
――私は何を見落とした? クソ、焦るな、答えはある。目の前に作品があるのだから。思い出せあの企業の歴史を。考えろあの企業の持つテクノロジーで何を成せるかを。整理し逆算し見落としを洗い出せ。
脳裏に浮かぶ私の購入した最新型ドール4種と、目の前にある作品、新シリーズの初号機とが我が脳内で対照比較され始める。脳に叩き込まれた無数のテキスト情報が渦を巻き、それらは情報処理キャパシティギリギリまで展開した。
――4体のみ現存する最新型ドールを四色定理――平面上のいかなる地図も隣接する領域が異なる色になるように塗り分けるには4色あれば十分――になぞらえるとするならば、新シリーズは……まさか?! 『バッキンガムの
物理的な関係式が物理変数をn 個含みそれらの変数がk 種類の独立な基本単位を持つならばその式は元の物理変数で構成されるp = n - k 個の無次元パラメータを含む式と等価である。それはつまりある物理現象に関与する物理量の数が n、これらの物理量に含まれている質量、長さ、時間などの基礎物理量の数が m であるならば、この現象は互いに独立な n-m 個の無次元数で記述可能という事。
――だが、『バッキンガムの
私は脳細胞をフル回転させ考える。人生でここまで集中したことはないというくらいの集中力が、病気になる前の全盛期を越えたギフテッドの権能が、その閃きを手繰り寄せた――百年とも思える体感時間の実際の時間は数秒。思考の海に没していた私は現実世界に浮上する。
――嗚呼。……そうだったのか。
漆黒の闇の中から救い上げられている感覚。徐々に明るさが世界を満たしていく。
その景色は、まるでラブドールの未来を映し出す万華鏡のような世界。暗く湿った布団の中から華々しい社交会へと道を繋いだ運命は、すべての生きとし生けるものへと慈愛を注ぐ光を導く。
――主は皮の衣を作り、彼らに着せられた。
それは創世記からの一節。
そう。あるご主人様はたくさんの服を与えた。
また、あるご主人様はドライブに連れ出した。
満天の星空の元ともに天を仰ぎ、或いは草花咲き誇る美しい丘で互いに寄り添った。
一緒にご飯を食べたり、一緒に旅をしたりするご主人様。
ともすればインマイハウス運用になりがちなラブドール。
そんな扱い方しか知らない可哀そうなご主人様。
あえて新シリーズが社交場運用に特化した理由。
つまりこれは、ご主人様らへの救済であり、祝福であり、新たなる説話の始まり。
――……私は……侮っていた……侮っては、いけなかった。
十分な評価をしたつもりだった。レビューには満点をつけ絶賛もした。最大の敬意を払ったつもりだった――しかし私は、宛名問題に少しだけ触れてしまった。猿だって木から落ちるだろうと、弘法も筆を誤るだろうと、どちらかと言えば良かれと思って紳士協定について指摘してしまった。
――私はなんと浅はかな。……偽装しなかったのは、そういう事だったのだな……。
オリエンス工業は知っていたのだ。
この偽りの世界で偽らざる生き方をすることの大切さを。ドールという存在の真実を。
何が君の幸せ。何をして喜ぶ。
今を生きることで熱い心燃える。
だから君は行くんだ微笑んで。
忘れないで夢を。こぼさないで涙。だから君は飛ぶんだ、何処までも。
――そうだ。嬉しいんだ。生きる喜び。
業界の風雲児どころの騒ぎではない。この新型の設計思想は老舗の意地とかプライドとかそんなちゃちなものでは断じてない。
その高みへと至るまでには飽くなき挑戦があっただろう。いわれなき風評もあっただろう。それらすべてを乗り越え辿り着いた境地で、彼らは真理を見たのだ。
誰の目にも映り、しかし誰も気にも留めない当たり前の、当たり前じゃない世界を――だから彼らは、敢えて商品名欄を偽らなかったのだ。いや、偽れなかったのだ。
――使徒……もしくは
今ならば理解できる。尊き信仰すら憶える。いったいどれほどの頭があればこんな発想が出てくるのかと思っていたが、そもそも私と彼らとでは
―― 『揉めばその場で、飲める幸せ。』 ――。
彼らの熱き想いに心が震える。
彼らの背中に馳せる想いで目頭が熱くなる。
堪らず目をつぶると、涙がこぼれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます