第5話 最後の魔王

 城の復旧が進む中、ワタクシは昨日訪れたばかりの作業場へやってまいりました。昨日の今日ですからなおのこと荒れております。結界を新たに張るための道具、そして新たな結界の設計図がそこら中に置いてありました。結界の設計図が誰でも見れてしまうとは不用心ですね。

 図面は今日までの伝統的なものではなく、粗くはあるものの目新しい技術が加えられた、高度なものとなっておりました。

「どなたですか、この術式を書いたのは」

「上級魔術師、エトモント様にございます」

 誰ともなく返答があり、続いて足下から「呼んだ?」と声が聞こえてきました。

 机の下で寝ころんでいた青年が起き上がります。伸ばし放題の髪を振り払い、座ったままワタクシを見上げておりましたので、ワタクシはその場に座り込みました。

「おや、エトモント殿、お久しぶりです」

「大魔術師様、ごきげん」

 ワタクシの記憶の限り、彼は眠気のない時でもこのような調子でしたので、気にせず話をつづけました。

「ごきげんよう。早速ですがこちらの結界術式、なかなかよいものだと思います。斬新で不規則ゆえに解読がしにくい。ですのでベースはこちらで良いのですが、いささか締まりが悪い悪いと言いますか、若干の粗が見られます」

「わかる。突貫で組んだから、特に展開式が弱い」

 ものの数時間で組んでしまったというところは、さすが上級魔術師です。ですが甘いところが多い。心配せずとも優秀な彼はこれを更に洗練させ完成品とすることでしょう。しかし、この場に放っておく程度には不用心ですので、念のためワタクシは付け加えておきました。

「ですので一度、結界高度を見直してから書き直してはいただけませんか? それが終わり次第、こちらの結界に移行しましょう」

「わかった。四日」

 この場合の四日は、彼がこの式を実用まで完成させるのにかかる時間でしょう。

「ええ、四日後また参ります。よろしくお願いします。それから、くれぐれも完成品はそのあたりに置かれぬよう、用心くださいませ。結界の全貌がわかる者が多くては、リスクが高くなりますから」

「ん」

 短く返事をした彼は、再び机の下で横になりました。

 ワタクシはいま一度その図面を眺め、記憶します。

 結界を新たに張り直すというのは、それなりの人員と労力を割かねばなりません。昨日は一部のみ結界を解放するといった形をとっていたのですが、それだけでも忙しかったものを、張り直すとなれば数日はかかることでしょう。通常、結界は簡単に破れるはずがないのですが、城の正面はどうしても人の出入りが多いため、色々と甘くなってしまうのです。そのための警備兵ではありますが……やはり今回のことは厄介なことが絡んでいるようですね。

 ワタクシは結界を張る手伝いをと考えておりましたが、すべき仕事は他にあることを確信いたしましたので、作業が滞りないことを確認し退散しました。


 城の中央、ワタクシ二人分の高さがある大きな木扉の左右には、兵が控えておりました。

「魔王様、失礼いたします」

「魔術師か、入ってくれ」

 こちらは魔王様の執務室にございます。兵は魔王様のお声が聞こえますと、ワタクシの代わりに扉を開けてくださいました。部屋の中には既に聖騎士殿もおられます。

 扉を閉め、魔王様の座る机の前にてワタクシは先ほどの図面を思い起こし、その場に結界を展開させました。そうはいっても先ほどの図面をそのまま再現したわけではございません。こちらの結界は外に音が漏れぬよう、そして外部から内部の詳細がわからぬよう構成されております。

 ワタクシが靴底で床を二度鳴らすと、そこから三者が丁度収まるよう、床には即座に円状の陣が描かれ、それを断面としてドーム状に空間の境が形成されました。

「用心深いね」

 聖騎士殿は魔王様の机に寄りかかりました。ワタクシも一歩魔王様の方へ寄ります。声が漏れぬことは分かっておりますが、声をひそめました。

「当然ですとも、この件は出来ることなら墓場まで持っていくつもりことでしたから」

「その話、他に知っている者はいるのか?」

 眉をひそめられた魔王様は、机に少しばかり身を寄せられました。

「貴方様の教育係が存じております。そして前王様、聖騎士殿、ワタクシの計四名の中でのみ共有されておりました」

 その教育係は前王様が亡くなられた後、現王様が仕事に慣れるまで魔王業務の一端を担うこととなり、現在は遠方へ出かけております。

「なぜボクに黙っていたんだ、王位を継いでも〈魔王の力〉が得られないということを」

「既にこの国は争いごとの少ない平穏な国へとなっております。ゆえに、魔王の力を必要としないことも、夢ではないと前王様は考えておられました。前王様はそのお力を使われてはおりましたが、すべては争いをなくすため、一方的な虐げをなくすためだけに使っておられたのです」

「それでも、今朝のようなことが起こらないとは言えなかったんだ。ボクは元々力が弱いから、〈魔王の力〉がないのであれば簡単に殺されてしまう! それで王が務まるか!」

 小さく握られた拳を震わせ、魔王様はこちらを睨みつけました。確かに、魔王様はお体も小さい上に、戦闘能力は皆無と言っていい程です。種族を問わずとも、倒すことは容易にございましょう。

「それでも問題のない国へとなるように、前王様は貴方に力を譲らなかったのです。突然の死ではあったものの、恐らくご本人は死期を悟っておられたでしょう。それでいて、貴方に力を譲らないことを選ばれたのです」

「ボクが簡単に死んでしまうようにか」

「真に民が安心して暮らせる国は、王がもっとも危険にさらされるものなのでしょう。前王様が目指した国は、全ての者が対等である国にございます。争いを嫌った前王様は、争いをなくすために、この国が多くの種族と共にあれるよう尽力されておられました。そして、魔王という存在もその例外に漏れぬようにとご計画されておりました」

「つまり、民同様に無力な王が必要だったということか? そんなことをしては、王が国を守れぬだろう……」

「国を守ることは決して、王の力が強いことのみで果たされるわけではありません。民の代わりに戦うことがあっても、国のために死ぬことがあっても、王の力のみで支えられる国は、いつまでも王の支配から逃れることが出来ないのです」

 魔王様は更に眉間にしわを寄せられました。

「王の支配から逃れる?」

「民をまとめる存在があっても、絶対的な主人がいるのでは、いつまでも国はその主人に依存する。言い換えるのであれば、王が居ることこそ国の発展には不十分だと、前王様は考えておられたのです」

「つまり父上は最初から、魔王という存在をなくすために王になったと? 自らで魔王を絶やすために」

「左様にございます。その保険として、聖騎士を配下に入れるなどまで、されておられたのです」

 聖騎士殿は現王様が誕生するより少し前、方々にその腕を知らしめていた聖騎士でありました。何をしたのかは知りませんが、そのうちに元居た国を抜け、一人で魔物の退治を行うようになりました。この国へも最初のうちは魔物を狩りに来ておりましたが、その腕を見込み、前王様はお雇いになられたのです。

「ああ。前王が命惜しさに血迷ったときのための保険として、そして次に魔王が現れてしまったときのための切り札として」

 魔王様はしばらく言葉を失っておられました。

「それで、そう……では何故ボクが王位を継いだのだ。そうであるのなら、魔王から遠い者を次の王に任命すれば良いではないか」

「そこがミソ。今朝のことがあったように、未だに魔物の中には他のヤツらと仲良くしようって気になれないヤツがいるからな。段階を踏む必要があったんだ。いきなり他の種族が出てくると、一気に国は不安定になる。だから、まずは魔王の力を持たない魔王から始めることにした」

「だから兄上には王位を譲らなかった?」

 前王様のご子息は現王以外にその長男がおられました。現在は、この国の西に位置する場所にある塔、通称“箱庭”にて封印されております。そういえばその際に活躍したのは聖騎士殿でした。

「それは少し違うな。でも、強すぎる者が王であっては魔王の力の有無に関係なく、支配力のある王となってしまう。そのくらいは考えていただろう」

 王位を譲らなかったのは封印されているからであり、厳密には譲ることが出来なくなっていたというのが正しいでしょう。そうでなくとも、ご長男様は角もたてがみもなく体格もきゃしゃで、見た目がとてもヒトのようでありました。それでいて恐ろしい程の力を持つ方でしたので、他種族に脅威を与えるには十分だったのです。

「もっとも、前王様は次の王を魔王というシンボルを持ちながら、魔王の力を持たぬ者とすることで、魔族からの支持とその他の種族からの信頼を得ようと考えておられた。ずっと単純なことなのですよ」

 しばしの静寂が訪れました。

 魔王様は目を閉じ、何かお考えを巡らせているようです。

「……わかった。父上には多くのお考えがり、それは父上の学んでこられた膨大な知識から考え出される最善だったのだろう。しかし、もしボクがそうして王を全うしたら、次の王は一体どうするつもりだったんだ?」

「次の王を何か別の方法で、暴力じゃねえ方法で決めるか――」

 聖騎士殿の言葉を遮りました。そこから先はまだ決められていないことです。ワタクシ共はまだ、国のこの先について語るべきではない。

「それは、貴方様がお決めになることです。その先のことも前王様は計画されておりましたが、今この国は貴方様と共にある。貴方がお決めください」

 王国の方針は王が決めることなのです。

「それはボクが父上のお考えに背こうが、お前たちは止めることがないという意味か?」

「左様にございます。少なくともワタクシは、国の行く末を見守るのみにございます。見守るのに値しない国へとなれば、去るのみです」

「俺は暴力で国を動かそうとする悪い魔族を倒すために雇われているから、そういうことがあれば話は別だ」

「解雇したら」

 この聖騎士めを雇ったのは前王にございます。当然、国での処遇を決める権利は現王様にございます。

「人間や信仰深いヤツを困らせている魔物を倒す仕事をするようになるまでだ。アンタのせいで困っている人間が居たら、当然俺は例外なくアンタも倒す」

「いずれにせよ、全て父上のお考え通りということか」

「ええ、貴方が王位に就かれた時点で、前王様の望まれた国の実現に不足はなくなりました。少なくともこの国は、魔族という力の強い種族が権力を得るような国には戻れますまい。〈魔王の力〉が消失した今、貴方がなのですから」

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