第4話 魔物

 ワタクシは、ベッドの中で微睡んでおりました。

 朝の空気はとても冷たいもので、顔に触れているその温度から、どれほどの時刻なのかがわかります。今はまだ起きるには早いことがわかっておりますので、廊下から騒がしい物音が聞こえても、普段は目を閉じたまま無視をするのです。ですが、本日ばかりは様子が違い、ワタクシのベッドルームのドアを激しく叩く音が聞こえました。

「大変です、魔術師様! どうか起きてください! 出てきてください!」

 緊急事態であれば致し方ありませんが、あまり気は向きませんね。

 ゆっくりと骨が露出した姿のまま、扉をわずかに開けました。

「まだ日が昇って間もないですよ。どうされたのです」

 執事はドアの隙間をねじ開け、部屋に飛び込んでまいりました。

「外で、魔物が暴れております!」

「おや、それは珍しいですね。魔物というのは普通、夜の方が活発なのです。こんな明方に働くのは農民ばかりだと思っていたのですが……」

「何をおっしゃっているのですか、そんな呑気なことを言っている場合ではありませんよ!」

「そうは言いましても、ここは魔王城です。その暴れている魔物というのは一体、どんな魔物なのですか」

 魔物というのは魔王の眷属とそうでないもの、この二種類しかおりません。前者であれば、城で暴れる理由はほとんどないでしょう。ただし、前王は魔物に対しても冷血なお方でしたので、その関係であればこのタイミングで暴れ出すことも納得できます。

「それが……よく分からないのです」

「よく分からないとは、例えば全く身分の確認が取れない、という意味でございましょうか」

 魔物に身分もなにもございませんが、魔王様の眷属であるのなら、それを示すのは簡単なことでございます。あるいは、街で比較的穏やかに暮らしている魔族であるのなら、その所在を明かすことは難しくないでしょう。

「ええ、どこから来たのかがよく分からないと言いますか、彼らが言うには、ここはこれから俺たちの縄張りだとか何とか……」

「賊ですか。朝から物騒ですね。着替えたらすぐに行きます」

 これは厄介なことになりました。ワタクシが想像するにその輩は、自ら新しい魔物の長となるべく魔王に挑みに来たのでしょう。困りましたね。いつかは起こることではありますが、非常にタイミングが悪いのです。あるいは早すぎるのです。現魔王様には勝ち目が全くないのですから、間違っても魔王様が賊の前に出るようなことが、あってはならないのです。

 ワタクシはすぐさま完ぺきな魔術師の恰好に着替え、現場へと向かいました。

 門と城の間の広場に着きますと、想像以上に事態が深刻化しておりました。結界は破られ、兵もなぎ倒され、今にも城内に入ろうとしている魔物が六体、確認できました。それらがこの辺りの魔物でないことは見た目のみならず、その秘めたる魔力から伝わってきます。

 その賊の前に小さな影がひとつ。大きな二本角と美しいたてがみが見えました。

「魔王様! 気を早められてはいけません!」

 ワタクシが駆け寄りますと、魔王様はこちらを向かずに制止の合図を送りました。

「魔術師か。ボクなら何も問題はない。ボクは既に王位を継いだ魔王なのだから、我が命に従わぬ魔物などはいないだろう」

「いえ、そこが問題なのです!」

 通常、魔王とは魔物を統べる力を持つ者のことを言います。魔王となった者はこれまで必ず、魔物を従える能力を持っておりました。魔物であれば何者も歯向かうことの出来ぬ、唯一無二の力です。しかし、現魔王様はその力をお持ちではございません。

 ワタクシめの言葉に耳を傾けず、魔王様は本来備わっているであろうスキルを発動いたします。

「【魔王が命ずる。我が城から直ちに退け】」

 しかし、その能力を前王様から引き継いでおられないため、当然発動は致しません。

 対峙する魔物は魔王様のお姿を、巨躯を屈めて覗き込みました。

「何だァ、お前が本当に魔王なのか? じゃあ、噂は本当だったみたいだなァ」

「効いていない? 噂とは何だ!」

「オォヤ、坊ちゃんは知らんのか。なら都合が良い、死ね!」

 魔物はその巨体で魔王様を押しつぶすべく、地面を揺らし飛びかかろうとします。

「【吹き飛べ!】」

 ワタクシが右手を払いながら呪文を唱えますと、飛び上がった魔物は豪風に煽られ、瞬く間に城の門まで吹き飛ばされました。それを見ていた他の魔物が僅かにひるんだようにも見えましたが、すぐにワタクシらへ敵意をむき出します。

「何だァ?」

 状況はイマイチ呑み込めていないようです。しょせんは魔物にございますね。

 しかしそれは魔王様も同じだったようです。いえ、少なくとも魔王様の方はワタクシの起こした事象に対しての理解はございますでしょう。呑み込めていないのは魔物の前で無力なご自身についてかと思われます。

「魔術師! これはどういうことなんだ」

「説明はあとです、魔王様はお下がりくださいませ。ここは貴方様に仕えるこの最強の魔術師めにお任せくださいまし」

 魔王様はワタクシの後ろへと回り込みました。充分です。ワタクシより後ろにあるものすべて、ワタクシによって不足なく守られるのですから。

 魔物のうち一番偉そうな者が、ワタクシに向かってきます。

「魔術師? 噂には聞いていたが、本当にスケルトンなんだなァ。残念だが、こっちにも魔術師は居るんだ」

「それ以上ワタクシ共に近づくことは許しませんよ。【吹き飛べ!】」

 ワタクシの右手から放たれた風の塊は、その魔物を先ほどの魔物同様に門の方へと吹き飛ばしました。同時に、魔物の中でも比較的小柄な者が手に魔法石を持ち、こちらへと向かって叫びました。

「それしか使えんのかァ! 【砕けろ!】」

「ぬるい! 【弾けろ】【そして瞬け】【舞い散れ】【狂い咲け!】」

 ワタクシは魔物の魔法を払い、その者の肉体を瞬時に粒子状にし、星のように輝かせました。他、近い方から二体、花びらとなって宙を舞う魔法、肉体が植物と化す魔法をかけますと、庭園には花びらが舞い、一帯が煌めき出しました。

「な、何だそれは」

 場に残っている一体の魔物は、腰を抜かせてその場に座り込んでおります。先ほどワタクシが吹き飛ばした魔物のうちの一体が、門の方からこちらへ向かい、走りながら叫んでおります。

「ふざけた魔術を使いやがって。【燃えろ】【広がれ!】」

 おや、まだ魔法の使える魔物が残っていたようですね。彼の着火と同時に、ワタクシは「【水よ舞え】【押しつぶせ】」と唱え即座に鎮火した上で、相手の体積を著しく小さくする魔法をかけました。ワタクシの掌が拳を作ると同時に、魔物の巨体はあたかもその場から消えたかのように圧縮されました。

 腰を抜かしていた魔物はこの詠唱中に立ち上がり、ワタクシに向かって飛びかかろうと足を踏み込みましたので、【樹にのまれよ】とその足元から大量の植物を生やし、進路を妨害いたしました。数秒足らずで魔物の姿が見えなくなるほどに植物が成長します。もう身動きは取れますまい。

 少し遅れて門の方から戻ってきた魔物に、ワタクシは照準を合わせました。

「最後の一体ですか。【跪け】」

 魔物は瞬時にその場で膝をつき、首を垂れました。それに必死に抗っていることが、小刻みに震えている様子から見て取れます。

「な、何をした……!」

「どうですか、この低級魔物に一打も与えられず、見下ろされる気持ちは。魔術師というのはワタクシのような者のことを言うのですよ。貴方がたのような野蛮な者の浅知恵で倒そうとは、お頭の足りていない哀れな魔物らしいですね」

「クソっ、同じ魔物の癖に! 絶対に殺してやる」

「精々喚いていなさい。【縛り上げろ】。それにね、魔物だからこそ、相手が魔物だという理由で同情するような心を持ち合わせていないのですよ。前王様をご存知でしょう?」

 前王様は国を発展させるため、横暴を働くすべての種族に罰を与えておりました。魔物に対しても例外はなく、それはもう恐ろしい程平等に。魔であり王である者の鑑と言っても過言ではないでしょう。

「くっ……」

 ワタクシめの見えない力によって縛り上げられた巨体は、身をよじりながら顔をゆがめておりますが、その魔物の感情を表情から感じ取ることは、ワタクシには到底できません。

 城から次第に数名が出てこられました。先頭を切っているのはあの生意気な元聖騎士にございます。こういう時こそ王に仕える騎士らしく、最前に立つべきでしたのに。彼の身なりの半端さを見る限り、余程の寝坊をしていたことが窺えます。半端に背負った防具の下は寝巻のようです。

「おっと、もう倒しちまったのか? つーか、なんだこのデカい木は」

 聖騎士殿は、先ほど魔物をのんだ樹に向かって剣を振りかざしながら仰いました。

「おや、騎士殿、そちらは数分前まで魔物だった新鮮な大木です。それにしても遅いですよ。まさにワタクシの朝飯前でしたので構いませんが」

「魔術師、さっきのことだが……」

 我々の間に、魔王様が割り入られました。

「それは後にお話しいたします。先に辺り一帯の清掃、そして壊れた物品の修理、門前警備の再配置、結界の張り直しを行わなくてはなりません。魔王様は城の者にその内容をご命じください。ワタクシは魔物から、先に聞かねばならぬことがありますゆえ。失礼いたします」

「あ、ああ。わかった」

 動揺している様子でしたが、すぐに魔王様は城へと駆けて行きました。

 残った聖騎士は、普段のふざけた態度とは打って変わって神妙そうな面持ちになりました。

「なあガイコツ。この騒ぎはまさか、ってやつじゃねえよな」

「さて、詳しくはこの者から聞くと致しましょう。朝食を食べながらね」

 ワタクシは縛り上げた魔物を宙に浮かせて、城内の塔のうちのひとつへ向かいました。


 上部に小さな開口が三つあるのみの薄暗い塔は、内部の音が漏れないよう、扉は重い鉄扉ひとつのみです。その外から扉を叩く音だけが聞こえました。

 聖騎士殿が扉を開けますと、小さな給仕が盆に食事を載せて立っておりました。

「魔術師殿、朝食にございます。本当にこちらでお食べに?」

「ええ、空腹でいらだっていては、彼を殺してしまいかねませんからね」

 ワタクシの代わりに聖騎士が朝食を受け取りますと、給仕は深く頭を下げて部屋を出て行きました。それを確認し、ワタクシは鉄扉に入念なロックをかけ、簡素な椅子に座りました。塔の中には二つの椅子と、付属する小さな机だけが備わっております。

「食い終わってからでもいいんじゃないのか?」

 聖騎士は机に食事を置き、もう一つの椅子に腰かけました。

「一理ありますが、優雅に楽しんではいられないでしょう?」

「何だそれ」

 魔法で宙に逆さ吊りされた魔物は、身を振り子にして揺らしております。次第にその体勢を苦痛に感じることでしょう。

「さて、早速ですが貴方に三つお聞きします。素直にお答えくだされば、それ以上の苦痛は与えません。ワタクシは貴方がた程、野蛮ではありませんからね」

「馬鹿言うな、この腐れガイコツ!」

 魔物の顔にワタクシの右手は照準を合わせました。

「【水よ】。口の利き方にはお気を付けくださいませ」

 魔物は咳き込みながら、水を吐き出しました。

 ワタクシはそれを見ながら野菜の盛られた皿とフォークを手に取り、質問を続けました。

「まず一に、貴方がたは何故本日、ここを襲ったのですか?」

「言ってどうなる!」

「【水】」

 反射でフォークの先から宙に水の渦を生み、魔物の顔に向かって放ってしまいました。その水が鼻から入ったのか、魔物は先ほどよりも苦しそうに咳をしております。

 聖騎士は足を組み替え、ため息を一つ吐きました。

「魔物に忠告するのも変な話だが、こいつはガイコツでも強いガイコツだからな、とっとと答えた方がいいぜ。大魔王と恐れられた前々王と、互角に戦えたとさえ噂されるくらいだ。まあ、それはさすがに尾ひれはひれってヤツだが」

 聖騎士殿はいつも一言余計な方にございます。

 野菜にフォークを突き立てると、赤い根野菜が刺さりましたので、ワタクシはそれを口へ運びました。噛むと心地よい音を立て、その風味が口いっぱいに広がります。

「おや、新鮮な赤大根ですね。これは非常に美味です。赤大根は豊かな土に埋まって旨味を蓄えるらしいですよ」

 魔物はワタクシを一瞥し、鼻を鳴らしました。

「それがどうした」

 質問に答える気がまだ起こらないようですね。

 今度は魔物の口内に土を発生させました。

「【土よ】。ワタクシはそう何度も同じことを聞きたくはありません。もう一度聞きます。何故本日、魔王城に来たのですか」

 魔物は床に湿った土を吐き出してから「わかった、話すからやめてくれ」と悲鳴に似た声を上げました。存外音を上げるのが早かったですね。

「前の魔王が正式な王位継承をせずに死んだと聞いたんだ。つまり今、魔王の力を持つヤツはいねえってことだ。それなら魔王城なんて忌々しいモンを壊すのに最高だって考えたんだ。だから、次の魔王が現れる前に城に攻め込んだ」

 魔物の言う通り、確かに現魔王様はこの国の王としておられますが、魔王の力を継いではおりません。本来であれば、魔物を統べる唯一無二の存在として、魔物の中で最も強い者が〈魔王の力〉を継承します。魔物の中で一番強いと言っても、天が決めているわけではございません。通常、現在の魔王を倒し最も強いことが証明された者、あるいは魔王が能力を与えたいと思う相手へ、何らかの方法で力を譲渡することで決定されます。これは最も強い魔物へ対する呪いにも似たものです。そのため半永久的に、その能力はこの世界に留まっているはずでした。

 ですが、前王は前触れなく亡くなられました。倒されたわけでなく亡くなられたため、現在その呪いの行方は分かっておりません。当然、国を任されました現王様は王位こそ継がれたものの、〈魔王の力〉は譲渡されておりません。そもそも力と魔王の関係について知るものは数少なく、現王様にも秘匿されておりました。ですから現魔王様は、あのような反応を示されたのです。

 まあ、そのことについては追々考えると致しましょう。ワタクシは野菜を食べきり、パンを手に取りました。

「では二つ目、それをどこで誰に聞きましたか?」

「誰って……」

 魔物は黙り込みました。

「【鼻よ潰れろ】」

 魔物はグッと顔をしかめました。恐らく彼には刺激臭が感じられていることでしょう。

「本当に知らねェんだって! 誰って言ったって、噂というか、なんつーか……」

「特定の誰、というわけじゃなくても、何処で聞いたとか、お前と一緒に来たヤツのうちの誰が言い出したとか、そういうのがあるだろ」

 魔物が再び言葉に詰まりますと、聖騎士殿が助け舟を出してやりました。聖なる者は慈悲深いのですねえ。

「いや、それは確かあにいが……いや、ドルトスだったか? でも俺も聞いたんだ……何処でって言われても、風? 風の噂か?」

「抜かしおる! 【鼻よ潰れろ】」

「ヴアアアアア! ほん、本当だって、よく分かんねえんだ! わかんねえんだよォ!」

 魔物は目に涙を浮かべながら、宙で暴れ始めました。強い臭いは鼻以外にも影響を及ぼしますからね。もっとも、これは彼が嗅いでいると思い込んでいるに過ぎませんが。

「可哀そうになってきたな」

「では最後に、貴方がたはどこから来たのですか?」

「に、西だ! 西の外れに森があるだろ、普段はあのあたりにいるんだ。ちょうどでっけえ塔が見えるあたりだ。つっても、あんなのの近くにはいられねえから、そんなに塔から近くはねえけど……」

 間髪入れずに魔物は答えました。聖騎士殿は自身の髪を撫でつけながら魔物に問います。

「塔っていうと、箱庭のことか?」

「箱庭? あ、ああ、確かにそんなふうに呼ばれてたな」

 そうなると、というのは本当のことなのかもしれませんね。そして、ワタクシは昨日、大きな過ちを犯してしまったようです。

「なるほど、よくわかりました。これはワタクシの想定ミスのようです。ありがとうございました」

「あ、ああ……じゃあ、下ろしてくれよ。もう何もしないで帰るからさ」

 魔物は安心しきったようで、その身体の力を抜きました。ワタクシは彼の方へ掌を向け、即座に拳を握りました。同時に魔物の巨体は見えなくなります。

「【圧】。誰も帰すなど言ってはいませんよ」

「やっぱり人の心がねえや」

 聖騎士殿は音を立てて椅子から立ち上がりました。

「おや、そうでしょうか。約束は守りましたよ。と」

「そういうところだぜ、ガイコツよ」

 聖騎士殿はワタクシがロックをかけたはずの扉を簡単に開け、塔から出て行きました。

 魔王の配下に居ながらも、未だに加護をその身に宿しておられるのですね。きっと彼は魂から根っこまで神聖な人間なのでしょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る