第3話 靴

 城の立つ丘の斜面には、無数の明かりが点っております。風が吹くと祭りの音も聞こえてきました。新たな王の誕生を祝う祭りでございましょうか。

前王、前々王の時には民が祝うことはありませんでした。それもそのはず、武器を持たずに街を歩けるようになったのは、ここ数十年の話になります。魔族以外の種族もかなり増えたこの国は、ようやく国として発展しようとしています。これは前王のご尽力の賜物でしょう。

 変わりゆく国の民を見ることもワタクシの趣味にございましたが、如何せん見た目がガイコツにございます。ワタクシを見て腰を抜かす者、腰から剣を抜く者も少なくはないでしょう。魔物の脅威に晒されずに生活している者には、無縁のビジュアルをしていますからね、ワタクシは。

 靴を履き替え、夜の城内を散歩に出るとしましょう。人々の元まで行かずとも、より近くで民の喜びを聞き、いつか語る王の伝説の一端とするためでに。

 ランプの明かりが廊下をぼんやりと照らしています。若いメイドがワタクシとすれ違うとき、こちらへ深々と首を垂れました。最近入ってきた者でしょうか。ワタクシにそのような挨拶をする者はほとんどおりません。

「おやすみなさいませ、大魔術師様」

「ええ、おやすみなさい。良き夢を」

 久々に大魔術師と呼ばれました。悪い気分は致しません。彼女の背に向かって小さく指を振りました。僅かなきらめきが彼女の耳元を舞い、静かに散ってゆきます。安眠のおまじないです。ワタクシの使う魔術も、些細な願いの集まりに過ぎないのです。

 よく風の通る廊下から庭園を見ていますと、薔薇の咲く中の東屋に一人の影が見えました。月の綺麗な夜ですから、花も美しく見えることでしょう。ワタクシは庭園に足を踏み入れました。薔薇の甘い香りが、一帯に充満しています。

 東屋で花見をしていたのは、魔王様でありました。上着を脱ぎ、くつろいでいらっしゃいます。

「おや、魔王様、おひとりで如何なさいました?」

 ワタクシの方を見ますと、少し驚かれたようでしたがすぐに花に視線を戻されました。

「少し、疲れたんだ」

「今日は忙しかったでしょう。お早めにお休みくださいませ」

 既にいくつかの職務をこなされておりましたが、今日は一段と忙しかったご様子。戴冠式の後、様々な方とお会いになられて、普段以上にご負担となられたことでしょう。細い手足が力なく投げ出されており、靴紐が片方解けております。お邪魔をしては悪いので、ワタクシは退散すると致しましょう。

「では、ワタクシはこれで」

「いや、そこにいてくれないか」

 魔王様はこちらを向くでもなく、静かにそう仰いました。

「お望みのままに」

 小さな背中に向かい、ワタクシは一礼いたしました。

 彼女はゆっくりと息を吐き、椅子に座りなおしました。

「ボクにはまだ、知らないことが沢山ある。今日、多くの人を見た。多くの人の声を聴いた。ずっと知っていたつもりだったのに、王に備わっているべき知識量には全然足りないと、感じたんだ」

「はじめは皆、そうですよ。これから貴方は、貴方の思い描ける中で最も偉大な王となるのです。自らの力不足を認識しているのは、良い傾向です。貴方の未来に栄光あれ」

 右手で宙をすくい、ワタクシは魔王様の胸元に花飾りを作りました。後ろからなので正確な位置はわかりませんが、リラックスのための香り物ですので細かいことは問題ないでしょう。

 魔王様はその花を手先で弄ばれました。

「魔術師は、どれほど多くの王を見てきたんだ?」

「そうですねえ、それは王の定義に依ります。この城へ来たのは、貴方の祖爺様が王になろうとしているときでした。まだこの国が国と呼べないくらいに、荒れていたころですね」

「父上もお爺様も、はじめはボクのように、頼りなかったのかい」

「ふむ、千差万別です。前々王は王座争いが激しかったので、当然王座に就かれるだけの力強さがありました。何より、一国を作り上げるという強い意志をお持ちでした」

「肖像のように逞しい方だったんだな」

 城の玉座の間には、前々王と前王の肖像が飾られております。前々王はその身体の逞しさもさることながら、力強い目を持ち、肖像に描かれたお姿は絵画でありながら、鑑賞者に威圧感を与える程です。対して前王は、魔王というだけに恵まれた体格をお持ちでしたが、涼やかな目元とすらりと伸ばした背が、上品さと冷淡さを感じさせる方でした。

「ええ、もちろん。また前王は、中庭のこともありますが、より多くの種族との共存を目指しておりました。そのため、王になる以前から沢山のものを見て学び、国策に活かしておられました」

「ああ、父上の功績はボクが知っている限りでも、とても皆のことを考えたものだった。だからボクは、今日沢山の人に祝福された」

「いいえ、皆は貴方を祝福したのです。前王の子が王座に就いたことを祝福したわけではございません。貴方がまだ王には幼いとか、頼りないなどということは気に留めなどしておりません。新たなる王によって作られる、その未来を思って祝福しているのです」

 小さく息を吸う音が聞こえました。

「期待か」

「祈りであり願いです。ワタクシも楽しみですよ。貴方がどのような王になり、どのような国にしていくのかを見届けるのが」

 魔王様は肩の力を抜き、椅子に浅く凭れました。解けている右側の靴紐が揺れます。

「どのような国になると思う?」

「貴方の望む、最も良い国になるでしょう」

「予言はしないんだったな」

「ええ、ワタクシは見届けるための魔術師ですから。それに、見えてしまった未来は未来ではなく、結果です。結果だけでよいのであれば、現世に肉体は不要ですよ。尤も、ワタクシに肉はありませんけれども」

 ワタクシは陽気に笑って見せましたが、魔王様は静かに「そうだったな」と呟かれました。

 しばし月明りの注ぐ薔薇の庭園に似合う静寂が降りました。まだ夜は浅く、風が吹くと相変わらず遠方から祭りの音が聞こえてきます。

 ワタクシは魔王様の横まで出ました。

「ところで王、靴紐がほどけております」

 失礼とお声をかけ跪きますと「いや、そのくらいはひとりで出来るよ」と魔王様は仰いました。ですが同時に出された腕は、どことなく重たげでありました。

「お疲れなのでしょう。今はゆっくりとおくつろぎくださいませ」

「ありがとう」

「礼には及びません」

 魔王様の靴には、紙吹雪の欠片がついておりました。

 結び直し終えますと、魔王様は跪くワタクシめを覗き込まれました。

「魔術師は、いつも色々な靴を履いているね」

「ええ、コレクションが趣味ですから」

 ワタクシが立ち上がり、魔王様の横になおりますと、彼女は肘掛を乗り出してワタクシの靴を観察し始めました。

「ワタクシの靴が気になる?」

 茶の皮と白い布にアラベスクの金の刺繍。魔王国での貿易先の多くは周囲の小国で、そのうち南に位置する砂漠付近の国では、装飾品が名産にございます。その国から輸入いたしましたオリエンタルなデザインの可愛らしいブーツ。見た目の美しさもありながらその機能性も侮れぬ逸品は、魔王様の目に留まったようです。

「それはとても良いものだね。他にも魔術師は、いろいろな靴を持っていたね」

「ええ。ワタクシの趣味の一つにございます。おしゃれは靴からと言いますでしょう? ワタクシはお洋服にも興味はありますが、特に靴はね、こだわっているのですよ。よければワタクシのコレクションでもご覧になります?」

 披露する相手もあまりおりませぬ故、ついそう言ってしまいましたが、多忙である魔王様にはそのようなお暇はないかと思いなおりました。しかし、彼女は是非と期待に満ち溢れたまなざしを、ワタクシめに向けられました。この城の中、煌びやかな物は精々魔法具程度のものです。人々が嗜むありふれた美品であっても、今の彼女を癒し養うことには違いないでしょう。

 ワタクシは早速彼女を我がプライベートルームのひとつに案内いたしました。ここでふと、いくら趣味に興味を持たれたお方とはいえ、魔王様を個人の部屋に招くのはと思いましたが、品を見せるだけですからと深く考えぬよう、自らに聞かせました。前王も前々王も装飾品には一切興味がなく、ワタクシの持ち物には全く関心を示されませんでした。ゆえに、掃除の際に給仕が出入りするばかりでした。

 扉を開けば古い宝物庫のように金色がところどころに見え、ランプの明かりで鈍く反射します。ワタクシはランプに息を吹きかけ、魔術によって部屋全体を明るくしました。美しい品々が所狭しと並べられているため、明かりが点ると多くの物が輝きを放ちました。

「まるで宝石箱のようだ」

 彼女はそう呟きながら、棚に並ぶ陶器などを見つめ歩き、最後にメインである靴を並べた棚の前にたどり着きました。正確数えてはおりませんが、その棚には百ほどの様々な靴が置いてあります。中にはワタクシでは履けない、大陸の東からやってきた小さな女性用の物もあります。ある渡航者から礼にと頂いたものです。碧色が印象的な、それこそ宝石のように美しい形の靴であります。

「一番のお気に入りは?」

 唐突に魔王様は仰いました。

「そうですね……悩んでしまいます。どの靴もそれぞれ良いところがあり、無二の美しいものです。なかなか一番は決められませんよ」

 ワタクシは少し困ってしまいました。どの靴も美しく、その数だけ様々な良いところがあります。東の国で見つけた赤に金のボタンのついたシンプルなブーツはその単純で洗練されたデザインが可愛らしいですし、西の国で手に入れた上部で折り返されている藍のブーツは、上品さの漂うフォルムがワタクシの心をつかんで離しません。

「そうか」

「ええ。どうです、魔王様もご興味をもたれましたか?」

「ああ、こういったものも悪くはないな。近々、遠方へ行こうと思っているんだ。その時に履く物は、君の意見も参照するよ」

「光栄にございます。国にも靴職人がおりますゆえ、ご入用の際はすぐに手配いたします」

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