第2話 初登校



「ようこそ、アルビハル魔道学校へ」

どこかに存在する、小さな島。故郷にあった城よりはるかに高く、なめらかな曲線が渦巻く鉄の門。そこを抜け、まだ早朝で静かな一本の長い市場の先、ひらけた石造りの広場。噴出口の見当たらない噴水の前に、その人は立っていた。黒い髪に、ローブの上からでもわかるすらりとした体躯。歳の頃はまだ三十にもなったばかりといったところか。彼は集まった子どもたちににこりと笑いかけ、穏やかな声で続けた。

「君たちが今日来たぶんの我がアルビハル魔道学校第375期生だね? 名簿を読みあげるから、呼ばれたらはいと返事をしてね」

ゾン、トトナ、タギウク、ミザキ、ネブルスと、耳慣れない名前が続いたあと、最後に「ハマテテ」と呼ばれ、ハマテテは元気に返事をした。

「よし、全員間違いはないみたいだ」

 彼は満足げにみんなを見渡したあと、名簿を懐にしまい、優雅に胸に手を置いて一礼した。ふわりと紅茶のような匂いがした、ような気がする。

「僕はアルビハルの教員、レキン。今日から5年間、君たちの先生を務めさせてもらうよ。魔導師からすれば恐ろしく短い間だけれど、まだ小さな君たちには大きな5年だ。よろしくね」

 紫色の髪の男の子と、茶髪の女の子がよろしくお願いしますと丁寧に礼を返す。ハマテテもよろしくお願いしますと笑顔で応じた。他の子はそっぽを向いたり、恥ずかしげに俯いている。

「君たちの自己紹介は校舎についてからやってもらおうかな。じゃあまずはみんな、星を出して」

 レキン先生に言われ、皆カバンに大事に大事にしまっていた星をそっと取り出した。木のような、石のような、こぶしよりやや大きな不思議な物体である星を、レキン先生は指を振って宙に浮かせる。信じられないと言いたげに目を見張る子、なんでもないように見上げる子。そんな子どもたちの反応を意にも介さず、レキン先生が何事かを口ずさんだかと思えば、星が弾けた。目の前で逆五角形のような形になったそれに麻の紐が飛んで寄ってくると、するすると絡みついてペンダントになってしまった。宙にぶら下がっていた透明な糸が切れたようにストンと再び手中に収まると、子どもたちはやっと息をするのを思い出した。

「それは学生証だ。身につけてないとこの島に出入りできなくなってしまうから、外に出るときには絶対に失くさないこと。あと、それは通信機器のようなものでもあって、持っていればどこでも何度でも僕と通話が出来る。まあ、島の中限定なんだけどね。島の外と繋げる場合は一日に一回しか使えないから気をつけて。昔は使い放題だったんだけど……」レキン先生は昔を思い出したのか、乾いた笑いを漏らした。「二百年くらい前に一日中使ってる生徒がいてね、その、通信料もバカにならないんだよ。通話専用の魔力ラインが整ってからというもの、いろいろ面倒になってしまった。昔は料金もかからず契約も要らず、好き勝手に通信できたんだけどね」

 ハマテテがすっと手を挙げると、レキン先生は「何かな?」と応じる。

「なんだか昔から生きてたみたいに言ってますけど、レキン先生は何歳なんですか?」

「ああ、僕?細かい数字はいくつかの暦から計算しないとわからないけど、だいたい七百歳くらいかな」

「な、七百?!」

 ハマテテは思わず叫んでしまった。七百だなんて、そんな。魔導師は普通、二百歳ほどで死んでしまう。七百も行っているとすれば、まさか。

「せ、先生は、きゅ……旧世代の魔導師なんですか?」

 七百年前──そう、『第二次の奇跡』が起きた頃だ。おとぎ話に出てくる大魔導師リャットの、最初の伝説である第二次の奇跡。その頃に生きていた魔導師を旧世代と呼ぶのだが、彼らの最大の特徴は、本人が望み続ける限り不老であるということだ。

 レキン先生はまるで「ねえ、朝ごはん食べた?」と聞かれたときのように「うん」とうなずいた。

 ハマテテがなんとか言葉をひねり出そうとしていると、先程ミザキと呼ばれた緑髪の気の強そうな少女が鼻を鳴らして笑う。

「知らないでアルビハルに来たの?こんなのがアルビハルの生徒に選ばれるって、世界中の空を見上げている子たちがかわいそうだわ。あんた今すぐ棄権したら?空いた枠にもっと優秀な子を連れてきた方が社会のためよ」

 ハマテテは顔がさっと赤くなるのがわかった。

「そこまで言う必要ないでしょ!」

 レキン先生は落ち着いた顔で「やあ、入学初日から喧嘩はやめたほうがいいんじゃないかな?これから五年も毎日顔を合わせるんだよ、君たち」とミザキを見る。ミザキはむすっとした顔でそっぽを向いた。

「それと、ハマテテ、この学校にどれほどの権威があるか、自覚は持ってて欲しいかな。みんなも、アルビハルの学生である以上、学校と学長の名を汚すことはしないように頼むよ」

 ハマテテは「はぁい」と力なく返事した。最悪の滑り出しだと思った。

 レキン先生が森の奥にあるという宿舎兼校舎に案内すると言って歩き始めたので、それに続く。道中、いくつかの同じような建物が目に入った。レキン先生は「ここは明日来るぶんの375期生のための宿舎兼校舎。あっちは374期生のものだね。今は課外授業でどこかに行ってるみたいだ」と説明を入れてくれる。建物の周囲にはそこそこの土地があり、小さな畑として使っているのか、土の色が違う場所がある。そしてその周囲には小さくて可愛らしい(頼りなさげとも言う)木の柵が巡っており、柵の外にはちょっとした森が広がっていた。他のグループの区画に行くには、一本延びている乾いた道を頼りに森の中を歩くしかないようだ。

各々荷物を抱えながら周りを見渡し、やがてレキン先生が立ち止まって一つの区画を指し示した。

「ここが僕の受け持つ学び舎、オオルリの館だよ」

 デザインは他の校舎と全く同じものであるが、木の柵に取り付けられたアーチの上にオオルリの館と書かれていたり、外に置かれている道具がシンプルで機能性の良さそうなものであったり、建物の窓からちらりと見えるカーテンが落ち着いた緑であったりと、他のところと違う箇所も多少はある。

 みんな緊張した面持ちで続々と中に入っていった。ハマテテは3階建てほどの校舎を見上げ、ごくりと唾を飲み込む。ちょうど天頂に至った太陽が眩しい。

 ここなら、何か変われるだろうか。

 家族も、認めてくれるようになるだろうか。

 明日が見えないからこそ胸は高鳴るし、丸く押しつぶすような不安もすぐそこに寄り添っている。ひとつわかっているのは、期待や希望だけでは明日など掴めないということ。

──失望とも向き合って、夢を果たすか決めるのは自分だ。

 ハマテテは姿勢を正してから、そろりと一歩を踏み出した。

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遥か先、そしてあなたへ。 はもの @katsuta-hamono

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