第37話【五月七日~内藤省吾~】

「バッドモーニングでございます。会長閣下」

ぼくが挨拶する。

「ファッキン・ビヂグソ・モーニング。うんこ盛りくその会長閣下」

香織も挨拶する。やはり香織の罵倒はレベルが違う。

「なによ!それ!失礼でしょうが……まぁ、いいわ。吠え面かかせてやるわ」

香織の罵倒は失礼という段階はとっくに飛び越えていると思うぜ。

 玄関で遭遇した青森美園生徒会長が、朝から額に青筋を立てる。目的達成。吠え面なんかとっくにかいているよ。

「足は、もう痛くない?肩、貸してあげるわ」

「いや、いいよ。もう大丈夫だよ」

香織にこれを聞かれるのは、今朝だけで三回目だ。

「肩、貸したいのよ」

「だ、大丈夫だよ……」

「そう?」

香織がそう言って、ぼくの左手を取る。ちなみに捻挫したのは右足。香織は一人でいても、ちらちらと注目を浴びる美人だ。手をつないで校舎内を歩くのは、ちょっとした市中引き回し状態だ。

 正直ちょっと恥かしい……。

 別のクラスの香織が、そのままぼくの教室までついてくる。チャイムが鳴るまではいいんだけど、手をつないだままなんだよな。

 いや。良くない。ぼくの前後の席は男子なんだ。つまり香織が吐いちゃう。

 そのはずだったんだけど、吐かない。

 その代わり、香織は手をつなぐどころか顔をぼくの上腕三頭筋あたりに押し当てて両腕で、ぼくの左腕を抱き枕みたいにして抱きしめている。なるほど。視界に男子が入らないようにして、男子の匂いもぼくの腕の匂いで隠す作戦か。

 でも、手をつないで登校以上の羞恥プレイだ。

 なんだか、ぼくが香織に「おねがいっ!捨てないでっ!」って泣きつかれているみたいだ。次の休み時間、ぼくはクラスメイトにどんな質問をされるのだろう。それと、香織の薄い胸に押し付けられた肘のあたりがほんのり温かくて、腕に絡みつく指が細くて、どうにも落ち着かない。

 これはいけない。

 机にカバンを置くと、廊下に出る。そのまま階段へ移動する。屋上手前の踊り場。騒がしい登校時刻間際の校舎の中で、ぽっかりと静かな空間が出来ている。

 左腕にぶら下がったままだった香織が、ようやく顔を上げる。

「……香織、それ。さすがに恥かしい」

「私は大丈夫よ」

「いや、ぼくが恥かしい」

香織が無表情のまま首を二十度ほど傾ける。

「だれかに見られたくないの?」

どういう意味だろう。特定の誰かに見られるのを気にしているという意味だろうか。それとも、ごく一般的に誰かに見られたら恥かしいシーンだという意味だろうか。後者ならイエス。前者ならノーだ。

 ぼくが質問の意図を計りかねていると、香織が一歩ぼくに詰め寄ってきた。こつんと胸に香織がぶつかる。残念ながら、こつん、だ。仁美ちゃんなら確実にふにゃんなところだ。

「都祭さんに見られたくないの?」

前者だったか。

「ちがうよ」

「間があったわ。都祭さんのどこが好きなの?」

香織の手が、ぼくのワイシャツの襟元を掴む。

「べつに、都祭さんを好きなわけじゃないってば」

ぼくが好きなのは……なんてあっさり言えるくらいなら、世の中の少女マンガは絶滅している。

「うそよ。どこが好きなの?」

「好きじゃないよ。美人だなとは思うけど」

「どこが綺麗だと思うの?」

答えるまで、この質問攻めから解放してもらえないんだろうか?やってもいない罪を自白しちゃう冤罪容疑者の気持って、こんなだろうか。それでもぼくはやってない。

 香織がまた一歩詰め寄る。ぼくに接触している状態から一歩踏み出すと、ぼくの足の間に香織の足が入っちゃって、たいへんに困る。

「都祭さんのどこが、省吾は綺麗だと思うの?」

どうやら、なにか答えないと解放してもらえないらしい。背後は壁。前も、まぁ、ある意味壁。こつん。逃げ場なし。

「えっと……」

加水くんにもらった都祭さんのプレミア水着写真を思い出す。

「……う、ウェストかな?」

香織がまた一歩踏み出す。ひゃあっ。

 壁ドンだ。

 壁ドンとは、少女マンガなどでよく使われる例のシュチュエーションだ。背後が壁で、両手で左右の逃げ場をふさがれている状態だ。なんでぼくが香織に壁ドンされるという逆転状態なんだろう。まぁ、ぼくはこれ以上ないくらいの草食男子だ。トリケラトプス並みだ。

「都祭さんのウェスト見たのね」

しまった。選択肢まちがった。セーブポイントからやりなおしたい!クイックロードはどこだ。

「見てない。白状するよ。実は加水くんから都祭さんの水着写真をもらったんだ」

香織が一時停止する。

 汗が額を伝う。最近、香織が少しデレ期で嬉しい限りだけど、今はヤンデレるんじゃないかと恐れている。リアルヤンデレは洒落にならない。

「あばらが浮いているウェストは、嫌い?」

「え?」

ぎりぎりまで迫ってきている香織を見る。押し当てられた制服越しに緊張感に満ちた呼吸のリズムが伝わってくる。

 うあー。言うの?言わなきゃならないの?

 できれば、もう少し色っぽいシュチュエーションでいいたかったなぁ。以前にも一度思ったけれど、もしもこれが誰かの書いているシナリオだとしたら、最低だ。ちゃんとそういう舞台を用意してから、そのシーンにつなげるものだ。

 やっぱり、現実ってやつは映画よりもゲームよりもクソだ。

「あばらが浮いているのも浮いていないのも、好きじゃない」

「……そう?」

香織が唇を引き結ぶ。吐き気をこらえているような表情を浮かべる。

「ぼくは、香織のウェストだけが好きだよ」

「本当に?」

香織の切れ長の目が少し大きくなる。

「うん」

恥かしくて、目をそらす。もっとちゃんとしたシュチュエーションで言いたかった。まぁ、ウェストにしか言及していないという逃げ場はあるけれど。

「見たことないくせに」

「見なくても、そうだから……」

恥かしくて死にそう。

「そう」

香織が壁ドン状態から、ぼくを解放する。


 始業五分前の予鈴が鳴る。


「うたがってごめんなさい」

香織の頬がぼくの首筋を軽くなでて、離れた。

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