第26話【四月二十九日~内藤省吾~】
携帯電話のメール着信で目を覚ます。時計を見ると九時。ぐっすり寝すぎた。寝しなに本が読み進まないのは、寝つきがよかったみたい。
外は快晴。みどりの日。元、天皇誕生日の麗しき日である。
メールを開くと、夏実ちゃんからだった。
《件名:助けて!》
むぅ。ただ事ではない。
《本文:拉致された!助けて!ドームシティ!》
東京ドームシティか。水道橋だな。急いで着替えて、外に飛び出す。
駅に向かう道すがら夏実ちゃんに電話をかけるが、つながらない。実行犯に取り上げられたのだろうか。応援部隊を呼ぼう。加水くんに電話をかける。つながらない。だが、こっちは《ただいま電話に出ることができません》だ。メールする。
《件名:夏実ちゃんが拉致された》
《本文:夏実ちゃんが拉致されたらしい。ドームシティって言っている》
すぐに返信が来る。
《本文:知ってる。省吾も来る?》
なるほど。犯人が分かった。電車に乗り込みながら、都祭さんにメールする。
《件名:なんのコスプレ?》
《本文:夏実ちゃん、今日はなにを着るの?》
すぐに返信がある。
《本文:リースリット・ノエル。夜明け前より瑠璃色な、の》
これは急がなければ。あのゲームはぼくもやったことがある。かなり可愛いゲームだった。
はやる気持ちを抑えて、東京ドームシティへ向かう。こんなこともあろうかと、デジカメはカバンに入っている。電池は大丈夫だろうか。
◆◆◆◆
東京ドームシティに到着すると、案内が出ていた。左に行くと、キョウリュウジャーのイベント。右に行くとレイヤーズ・ヘヴン。迷いなく右に行く。子供連れが間違って右に行くと、お子様に悪影響があるかもしれない。加水くんの女装とか、女の子のアイデンティティが揺らぐ可能性がある。
参加費と撮影許可をもらって先に進む。
夏実ちゃんのリースリット・ノエルはどこだろう。わくわく。色とりどりのコスプレイヤーたちの間を歩き回る。すでに、あちこちが撮影会状態になっている。
あ。あれも夜明け前より瑠璃色な、のコスプレじゃないかな。壁際にワインレッドのベレー帽をかぶった後姿を見つける。なんで、あの子は壁のほうを向いて俯いているんだろうか。
近づかないほうがいいかな。
「あ。内藤くん」
後ろから、中性的な声をかけられる。振り向いて大丈夫だろうか。うっかり加水くんに萌えちゃったりしたら、ぼくは終わるかもしれない。
かすかな恐怖を感じつつ振り返る。
おうふ。
さやかさんだ。穂積さやかさんだ。紫のタイトな制服じみた服装の加水くんがいた。
「うおお。さやかさんだ!」
「あ、あの……写真いいですか?」
加水くん、大人気だ。ぶっちゃけ綺麗だ。でも写真を撮ってる君らは知らない。そいつならおっぱい揉んでもいいんだぞ。男で、ふくらみが百パーセントニセモノだからな。
即席撮影会が始まって、ぼくは輪からそっと離れる。ふと視線をずらすと少し離れたところに都祭さんを見つける。フィーナちゃんだ。ものすごく沢山に囲まれている。ちょっとモヤモヤしながら、そっちに近づく。
ほど近い柱と壁の間で小さく震えるリースを見つける。
ほぼホンモノ。
かわいすぎ。
「夏実ちゃん」
やはり。振り返ると夏実ちゃんだった。メイクをして、金髪のウイッグをして、ややゴスロリっぽいドレス。首のブローチも安っぽくない。かわいい。
「ひっ。あっ!内藤くん!」
やっと救いが来てくれた!そんな安堵の表情を夏実ちゃんが浮かべる。かわいい。バッグからデジカメを取り出す。
「写真撮っていい?」
夏実ちゃんの表情は、たとえるなら『ホラー映画でパトカーを見つけて駆け寄ったら、中で警官が死んでた』ときのそれだ。
誰かの「瑠璃色の人集まりませんかー」という掛け声で、周りにいる瑠璃色コスプレをしている人たちが集まってくる。加水が歩くと、女性も男性もほわーっと見とれる。お前ら、それ男だからな…と言いたい。都祭さんは、主に男性に人気だ。夏実ちゃんのおどおど感が、一部の男性の視線を集めている。おまわりさんはどこだ。
「あのー。あっちで瑠璃色コスの人あつまってますよー」
と、壁際に突っ立っていたカレンさんコスプレの人に誰かが声をかけている。それを見た都祭さんが、邪悪な笑みを浮かべて歩み寄る。ぼくのフィーナさんは、そんな邪悪な表情をしない。イメージを壊さないで欲しい。
「ほらっ。美園!こっち集まってー」
みその?美園!か!
なんと、カレンさんコスプレの主は青森美園生徒会長だった!
ちゃっちゃちゃらーん。
しょうごは、 すてきなネタ を てにいれた。
◆◆◆◆
「ここであったことは、なかったことよ。忘れた?いいわね!」
「ライスコロッケも頼んでいい?」
カプリチョーザのライスコロッケは絶品だよね。
「何でも頼みなさい。で、忘れた?」
んー。なんで今日の青森美園会長は気前がいいのかなぁ。わかんないなぁ。
「はて?なんのことを言っているのかもわかりません」
おごってくれるというなら、記憶くらいは消そう。
「デジカメデータも消して!」
「それはもったいない」
「アラビアータはどう?カボチャのタルトもいけるわよ」
美園会長は必死だ。おもしろい。ぐふふ。
「美園。大丈夫よ。とても可愛く撮れてたわ」
今、ここにいる中でもっとも邪悪なオーラをまとう都祭さんが片頬をあげて邪悪さを際立たせる。
「そういう問題じゃないの」
「なんで、そんなに嫌がるんだ?かわいかったぞ」
男に戻った加水くんが言う。隣の都祭さんがじろっと加水くんを睨む。
◆◆◆◆
イベントが終わって、加水くんが更衣室へと移動するときが大変だった。スタッフに止められた。夏実ちゃんも止められた。スタッフさんの気持もわかるが、間違っている。間違っているのが、スタッフか、加水くんと夏実ちゃんを作った神様かは分からない。
「そういう問題じゃないの。こいつにデータが渡っていると、あいつにバレるじゃない」
眼鏡の奥の瞳はちょっと涙目だ。生徒会長殿下の意外な一面に少しギャップ萌えしそうだ。
「あいつって、誰?」
同じく、データの消去を要求している夏実ちゃんが尋ねる。
「あいつよ!上原香織よ!」
青森美園会長が、両腕で自分の身体を抱いて震える。
「あいつにコスプレしていることがバレたら、なんて言われるか…」
本気で怯えている。先日の香織大暴走が軽くトラウマになっていたみたいだ。
「じゃあ、ぼくのカメラからは消すけど、その前に」
「私のパソコンに取り込んでおきましょう」
都祭さんとは以心伝心。映画研究会の仲間だしね。バッグから出てきた都祭さんのノートパソコンに、カメラのSDカードを入れてデータを移動する。
「ぼ、ぼくのも消して……」
どさくさにまぎれて夏実ちゃんがデータの消去を要求する。
「それはだめ」
「それはだめよ。なつのかわいい瞬間は永久保存よ」
都祭真理による夏見屋夏見の黒歴史永久保存の宣言。もちろん、ぼくも永久保存するとも。都祭さんのフィーナちゃんコスプレもだ。夏実ちゃんが泣いても許さない。
◆◆◆◆
不穏なメールで始まった休日だったが、フタを開けてみればなかなか楽しい日になった。さすがは元天皇誕生日。天孫のご威光があまねく国民に幸いをもたらしている。
「ただいまー」
家に帰ると、いそいそと自分の部屋に向かう。パソコンの大きなモニタで夏実ちゃんリースを見たい。
部屋のドアを開ける。
あれ?
なんで、香織がぼくのベッドで寝てるの?
ガン寝だ。ドアを開けても起きない。カーペットの上に、スカートとブラウスが脱ぎ捨ててある。パジャマまで着ている。もう一度言おう。ガン寝だ。
起こすのも悪い。というか、スカートとブラウスと一緒にブラまで脱ぎ捨ててあって非常に落ち着かない。ドアをそっと閉めて、居間に降りる。
「香織ちゃん、遊びに来てるわよ」
母さんが教えてくれる。知っている。遊びに来ているというか、ガン寝している。
「うーん。まぁね」
「香織ちゃんをほったらかしちゃダメじゃない。お茶持って行きなさい」
いや。むしろぼくがほったらかされている。なにせ、香織は熟睡中だ。パジャマに着替えて、本気寝だ。
無駄だと思いつつ。母さんが菓子器に盛ってくれた、いかにも自分ち感のあふれるお菓子とお茶をお盆に載せて、二階に戻る。足の腫れも随分減って、多少歩き方がおかしいくらいまで回復している。
部屋に戻る。香織はすーすーと寝息を立てて熟睡中。
ぼくの精神の安定のために、香織のブラウスとスカートを畳んで、ブラをそれで隠すようにして部屋の隅に置く。というか、香織にこの下着は要らないだろう。普段のあの絶壁感で、ブラを装着しているんだとしたら、かすかにあるかもしれない膨らみ分はブラの布の厚さとしか思えない。
ちょっと虚をつかれたが、とりあえず気を取り直して、パソコンを起動する。デジカメからSDカードを取り出してデータをパソコンに取り込む。
夏実ちゃん、かわいいな……。
加水くんの女装もいろいろ危険だが、夏実ちゃんもいけない扉が開きそうだ。
都祭さんのフィーナもかわいい。都祭さん、普段はけっこう強気な顔をしているんだけど、コスプレ用の余所行き表情をすると、本来の可愛さが出てくる。
「それ。都祭さん?」
びっくぅ!
心臓が跳ね上がる。
「か、香織。お、お、起きたんだ」
振り返ると、香織がベッドで起き上がっていた。薄桃色のパジャマ姿。あれだけ寝てたのに、寝癖がつかないあたりがうらやましい髪質をしている。
「それ。都祭さん?」
「そうだよ。夏実ちゃんの写真もあるよ」
「それは、かなり無理して寄せてるわ。騙されないで」
うん。知ってた。でも、そこは騙されたいじゃないか。
「ねぇ。省吾」
「な、なに?」
「この枕、ちょうだい」
「はい?」
「あと、毛布もちょうだい」
「いや。それないと、ぼくも困るから」
「私の部屋の枕と毛布あげるわ。新しいの買ってきてもいいわ」
「そんなに寝心地良かった?」
「すごい良かったわ。こんなに熟睡したの初めて」
「じゃあ、いいよ。あげる。でも、代わりの毛布と枕は持ってきてくれ。なくなっちゃうのは、ぼくも困る」
さっさと毛布を畳み始める。本気でもって行くつもりだ。香織がかがむたびに、襟元が気になる。だってつけてないの知ってるし。
「着替えるわ」
「あ、じゃ、じゃあ出ているよ」
「見たかったら、見ていてもいいわよ」
無言で部屋を出る。ウソはついちゃいけないが、黙秘という選択肢は残っている。
ドアの前にぼーっと突っ立って待つ。背後が気になる。ドア一枚向こうで、香織が着替えているのかー。そっかー。
ドアが開く。香織が、毛布と枕とパジャマを抱えて現れる。視界が遮られていて危ない。
「毛布。持つよ」
毛布を受け取る。ふたりでよたよたと階段を降りる。
「ちょっと、香織んち行ってきまーす」
外に出て、十メートル先の上原家へ移動。二階へ上がる。香織がぼくの部屋に来たのも久しぶりの出来事だったけれど、ぼくが香織の部屋に行くのも久しぶりだ。
「入っていいの?」
「大丈夫よ。エッチなものはないわ」
ドアをあけて中に毛布を運び込む。
消毒薬のような病院のような、もしくはプールのにおい。香織の部屋に入って最初に感じたのはそれだった。あんまり女の子の部屋っぽくない匂い。
「あ。お姉ちゃんおかえりー。あ。おにーちゃんっ♪」
机に向かってパソコンで何かをしていた仁美ちゃんが、ヘッドホンを外しながら振り向く。かわいい。
「省吾。わたし、ウソついたわ」
うん。部屋にエッチなものがあったな。仁美ちゃんのDカップは、いまや十分にエッチなものだと言っていいレベルに成長している。
香織が、すたすたと机に近づくとヘッドフォン端子を引き抜いた。
《先輩…クリスマスプレゼントは…ぼくです!》
パソコンがイケメンボイスで意味不明なことを言っている。画面を見ると、なるほど甘い顔をした弱気なイケメンが、ほぼ全裸で首に真っ赤なリボンを巻いている。画面も意味不明だ。
「ほら。エッチなものよ」
「ひぎゃあーっ!お、お兄ちゃんの前でなにするの!」
「省吾。見ての通り仁美は、ちょっとおかしいわよ」
「…うん。ある程度知っていた……」
でも、あえてスルーさせてくれ。
「お兄ちゃん。うちに住むの?」
仁美ちゃんがぼくらの荷物を見て、そんなことを聞いてくる。ありえないけど、まぁ、突然毛布と枕を持ち込んだら、そう思うのも無理な連想ではないかもしれない。
「そういうわけじゃない」
「なんだ。お姉ちゃんについに説得されちゃったのかと思った」
「説得?」
「昨日大変だったんだよー。お姉ちゃん大暴れしてー」
そういえば、昨日、父さんが上原家でなんかもめてる声が聞こえてたと言っていたな。とは言え、あまり立ち入らないほうがいいだろう。
「そうじゃないよ。ぼくの使っている枕と毛布を気に入ったから、交換してくれってさ」
「あ。それいいな。私も、お兄ちゃんの枕欲しい」
「仁美……あんた、なんか素敵な枕買っていたじゃない。今、持ってきて省吾にも見せてあげる」
よどみない動きで香織が部屋を出ようとする。
「ひぎゃあーっ!お姉ちゃんごめんなさい!やめてぇーっ!」
世の中には、知らないほうがいい世界もありそうだ。
「香織。それより、枕と毛布…」
「そうね。私の使ってるのでいい?新しいのがいい?」
「ぴろりーん」
「仁美ちゃん、今の効果音はなに?」
「選択肢ウィンドウが開いた音だよ。《香織の使用済みがいい》《新しいのがいい》《どっちでもいい》」
なるほど。これがゲーム脳というものか。
「どっちでもいいよ」
「ぴよっ」
仁美ちゃん。それは、もういいから。次回から選択済みの選択肢は色が変わるんだね。
「じゃあ、私のと交換して」
香織が、ベッドから毛布を剥がす。意外と使用感のない毛布だ。枕のほうも、ちっとも中の綿がくたびれたりしていない。ほぼ新品みたいに見える。
来たときと同じく。ぼくが畳んだ毛布を持って、香織が枕を持って移動する。
毛布を抱えると、やはり毛布からも少し消毒薬のようなにおいがする。前にかいだ香織の匂いとは違うな。けっこう新しい毛布なんだろうか。
いや。別に香織の匂いつきを期待していたわけじゃないよ。念のため。
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