第17話【四月二十五日深夜~内藤省吾~】
五月が近づいて、そろそろ窓を開けておいても寒くない。
窓を開けたまま、布団にもぐりこみ電気を消す。枕元のスタンドをつけて、読みかけの本を開く。
開けっ放しの窓の向こう。十メートル先には香織がいる。
なんだか、香織と部室でゾンビ映画を観ていたのがはるか昔の出来事に思える。
昼間の仁美ちゃんとの会話がよみがえる。
香織……。
開いた本の活字が頭に入ってこない。同じ行を何度も読み返す。
「やめた……」
しおりを挟んで、枕元に投げ出す。スタンドも消す。
風に揺れるカーテンの隙間から街灯の明かりが射し込んで、天井を照らす。遠くの国道を走る自動車の音が聞こえてくる。
目を閉じる。
香織。
映画研究会。
来週は、月曜日に学校に行ったら、また休みだ。
もう五月九日まで何日もない。映画研究会は、なくなるのだろう。
ぼくは、どこか統合された部の幽霊部員になって、どこかでポメラを開くんだろう。そして、映画のシナリオを書く。今までと変わらない。
香織。
香織は……どうするんだろう。
また、香織と一緒に学校に行けるのだろうか。
いつしか、眠りに落ちる。
◆◆◆◆
不穏な衝撃音に目を覚ます。
「……けてぇ」
開きっぱなしの窓の外から、かすれた声が聞こえる。
「香織!?」
向かいの香織の部屋の窓に、ノドをかきむしる香織のシルエットが見える。フラッシュバック!
常軌を逸した香織の目が、カーテンの隙間から覗く。ぎょろりと目がひっくり返り、ぼくを見る。そして、香織が爪で引っかくようにして窓を開ける。そして、なにかを掴むように手をバタバタと伸ばす。
「香織っ!落ちる!」
気がついたとき、ぼくは二階の窓枠に足をかけて外に飛び出していた。ひさしを一歩で駆け抜け、飛び降りる。ブロック塀の上に足を乗せ、次の一歩で飛び出す。
アスファルトの地面に転がる。一回転して、駆け出す。二階の窓から、香織の身体が這い出て落下する。
香織!
ぐえっ!
上から降ってきた香織に押しつぶされて、したたかに背中と後頭部をアスファルトに打ち付ける。目の前に星が飛ぶ。肺の中の空気が押し出されて、声も出ない。
「…おっ……り……」
ノックアウト寸前の焦点がまだ合わない目で、自分の上に降ってきた香織を見る。見事にぼくの上に着地したらしい、かっこよく受け止めたりはできなかったけれど、クッションにはなれたみたいだ。ぼくにしちゃ上等。
「香織……だ、大丈……」
「う、うあああーっ」
最後まで言わせてもらえず、香織の絶叫が夜の住宅街に響く。遅ればせながら、上原家の明かりが点いて中が騒がしくなる。
「か、香織?ど、どこか怪我でも?」
聞いても、香織は泣き叫ぶだけだ。
家の中から、香織の両親が出てくる。
「か、香織!大丈夫!なにがあったの!」
「ま、窓から落ちたんです。で、でも受け止めた……というか、クッションになったから……」
香織の下敷きになったまま、説明する。
「落ちた?香織!?怪我は?」
おばさんが香織を立たせようと、香織の肩をつかむ。ひぎゃああ、という人外っぽい叫びで香織が反応する。ご両親もぼくもビビる。
「しょうくんっ!しょうくんっ!しょうくんっ!」
香織がぼくのパジャマに爪を立ててしがみつく。繰り返すのは、懐かしいぼくの愛称。
しょうくん。
小学校に上がるまで、香織はぼくのことを、たしかにそう呼んでいた。
バリバリとぼくのパジャマと腕と胸に爪を立てて、かきむしりながらしがみついて、泣きながらぼくを呼ぶ。
「痛たたたた。か、香織、痛いっ」
そして、気づく。
泣いている?
香織が、吐くんじゃなくて泣いている。
見たことがなかった。いつだって、香織は泣く代わりに吐いていた。辛いことを思い出して吐き。嫌なことに遭遇して吐く。
その香織が泣いている……。
「しょうくんっ!しょうくんっ!や、やっと……た、助けに……。しょうくぅんんああ…」
「か、香織……」
泣きながら少しずつ落ち着いていく、香織の背中を撫でる。
叫び声の音量が落ちていくのを感じて、ほっとする。固いアスファルトの地面に背中を預けて、街灯の冷たい光を見上げた。
香織……。
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