第18話 【四月二十六日、朝~内藤省吾~】

 夜が明ける。

 目を覚まして、最初に気づくのは全身の刺すような痛み。

「いちち」

ボタンの飛んだパジャマの上着を脱いで、観察する。胸も両腕も引っかき傷だらけだ。足の裏も擦り傷だらけだ。起き上がろうとして、背中と肘にズキンとした痛みを感じる。顎もだ。そりゃ、そうだ。香織がいくら軽いとはいえ、二階からのフライングボディプレス直撃弾だ。ぼくが無事で済むわけがない。

 ひょっとして、アザだらけなんじゃ……。洗面所に行って鏡を見よう。

 立ち上がろうとして、転ぶ。足首に鋭い痛み。見るとまん丸に腫れている。どう見ても捻挫。

 そうだ。ぼくも二階から飛び降りたんだった。

 だめだ。痛すぎ。

 やめた。

 動くのやめた。今日は学校も休みだ。一日寝てる。決定。

 ……………。

 ひりひりひりひり。

 ずきずきずきずき。

 ずきん。ずきん。ずきん。ずきん。

 寝てられない。痛い。

 枕元で電話が鳴る。取ろうとして、肩を持ち上げる。ずきんっ!ぎゃあっ!肩もだめか。涙目になって、全身をそぉっと動かして電話を取る。

「は、はい?」

『内藤?』

「都祭さん?」

『うん……あのさ……その』

「なに?」

『上原さん、どうなった?……お、お姉さんの方』

「あー。ぼくにフライングボディプレスくださった。二階の窓から」

『はい?』

「ぼくにフライングボディプレスくださった。二階の窓から」

『聞こえなかったわけじゃないんだけど……。それって、どういう状況?』

「わかんない。でも、たぶん、香織は……少し落ち着いたと思うよ」

昨夜は、ちゃんと泣いてたし。

『思うって……あんたのうちって、お向かいさんじゃなかったっけ?見てくれば?』

「お向かいどころか、今のぼくはベッドから動くのも嫌だ」

『どうかしたの?』

「二階から、フライングボディプレスいただいた」

『……怪我したの?』

「いろいろと」

『そう。まぁ、上原さんが落ち着いたなら……よかったわ』

電話が切れる。

 薄情なやつだな。ぼくだって怪我したって言ったのに……。

 まぁ、いいや。

 痛む身体をまたシーツに沈める。シーツ、血がついてそう。


◆◆◆◆


 いつの間にか寝ていた。

「起きた?」

寝ているぼくを見下ろしていたのは、意外な人物。

「都祭さん?」

今日は眼鏡バージョン。目の下にクマが出来ている。

「で、なに傷?」

「え?」

「だから、怪我は?どんな怪我したの?アゴの打ち身は見れば分かるけど」

「胸と腕が切り傷、足の裏と背中が擦り傷、背中と尻が打ち身、足首と肩が捻挫」

「……見せて」

「うぎぎ……」

ベッドの上で起き上がるだけで痛い。都祭さんにパジャマの上着を剥ぎ取られる。ひゃっほぉ。ご褒美。

「なにをどうしたら、こんなになるの?」

腕と胸の引っかき傷を見て、都祭さんの目が丸くなる。

「ゾンビに襲われたりすると、たぶんこんな感じじゃないかと思う」

昨夜の香織はほぼゾンビだったからなぁ。姉はゾンビで妹は腐っている。お後がよろしいようで。

「上原さん?」

「まぁね」

ため息をついて都祭さんがエコバックに手を伸ばす。出てきたのはオキシフル。

「マキロンにしてくれない?それ、痛いやつだよね」

「子供みたいなこと言ってんじゃない。ちゃんと消毒しないと化膿するわよ」

うぎゃーっ。

 痛い!冷たい!しみる!痛い!

 脱脂綿につけたオキシフルで、ほぼ血まみれのぼくの身体を都祭さんが拭いていく。

 涙目のぼくに、つぎはエタノールが襲い掛かる。

 ぎゃーっ!


◆◆◆◆


「ありがとう……ございました」

三十分後。涙目を通り越して、マジ泣きしたぼくがベッドに伏せていた。治療って怪我本体より痛いことがあるよね。

「まだよ」

「いや。もう勘弁してください」

「その足、さすがに手に負えないわ。病院行くわよ」

「大丈夫。動かさなければ大丈夫」

「だめ」

「もう午後だから、病院の診療終わってるよ」

「大丈夫。さっき電話しておいたわ。さ、行くわよ。肩、貸してあげるから…」

都祭さんは、ドSだけど優しい。

 肩を借りて、ひょこひょこと階段を降りる。家の前まで呼んだタクシーに乗り込んで行き先を告げる。

「三丁目の加水医院までお願いします」

「加水医院?」

「ヘンタイの実家よ」

「お医者さんだったんだ。加水くんの家」

「そうよ。便利でしょ」

十分少々で到着した病院は、町医者というレベルじゃなかった。大病院というサイズでもないが、町医者と言うサイズでもない。入院設備もある立派な病院だ。

 外来診療は午前中で終わったらしく、待たされもせずまっすぐに診療室に通される。

「で、どうしました?」

うちの父親よりも少し年を取った上品な先生が診てくれる。どことなく加水くんに似ている。お父さんだろうか。

「二階から飛び降りて足をひねって、ダッシュして二階からのフライングボディプレスを受けて、アスファルトに背中から叩きつけられて、頭をぶつけた後、腕と胸をひっかかれました」

「……ん?なんだって?」

「二階から飛び降りて足をひねって、ダッシュして二階からのフライングボディプレスを受けて、アスファルトに背中から叩きつけられて、頭をぶつけた後、腕と胸をひっかかれました」

「そう。じゃあ、ちょっと上着脱いで」

「はい」

「これ、痛い?」

「はい。痛いです」

「ここは?」

「痛いです」

「ここも痛いね」

「はい」

カルテにみるみる文字が増えていく。

「じゃあ、足、レントゲン撮るから。あと、念のために頭もCT撮って調べてみましょう」

つまりCTがあるくらいの病院だ。でけぇな。加水くんの実家。

 しばし待たされて、先生がレントゲンとCTの映像を見ながら説明してくれる。

「あー。足は、折れてないね。捻挫だね。シップと飲み薬を出しておこうか。松葉杖も貸してあげるから、つかってなさい。」

「はぁ……ありがとうございます」

意外と丈夫だな。ぼくの足首。まぁ、一応、ひさし→ブロック塀→道路という三段階で降りたから、そんなに高いところからの落下にはならなかったはずだしね。

「あと、頭のほうも大丈夫だね。心配ないよ。吐き気とかもしなかったでしょ」

「はぁ」

「本当ですか?」

口を挟んだのは、都祭さんだ。

「本当ですよ。隠すようなことなんてありません」

「こいつの頭が、大丈夫なんですか?」

そういう意味じゃないし、だいたい加水くんよりイカれてないよ……と言いそうになって、目の前の医者が加水院長だと思い出す。あぶねぇ。

「医学的には正常ですよ」

医学的には……か。そうですか。

「ああ。ですよね。医学的にはですよね。社会的とか倫理的とかじゃなくて」

「そっちは、専門外なんでなんとも…」

肯定も否定もしない。正直な先生だ。医者としては信頼できるけど、優しさとか思いやりと言う面ではどうだろう。


 ぼくの頭は、社会的にも倫理的にも大丈夫だよ。

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