第16話 【四月二十五日放課後~内藤省吾~】
今日も、香織は学校を休んだ。フラッシュバックがあっても、二日連続と言うのは今までになかった。本格的に心配になった。
でも。
家族の問題だから……。
授業が全て終わる。向かう先は、二年三組の教室。そこに、零細部活の代表が集まることになっている。
教室に入ると、すでにけっこうな数の代表者たちが集まっていた。空気を読んだ関係ない三組の生徒たちが入れ替わるように出て行く。
「わるいな」
「いいよ。お前らも大変だな」
「がんばれ」
教室を出て行く安泰のメジャー部活連中と言葉を交し合う。
いつしか、教室の中は零細部活の代表者たちだけになる。数人ごとに、あちらこちらで雑談している。話題はどれも、どうやって生き延びるか。生徒会に対する文句。そんな話題みたいだ。
ぼくは、窓際でぼんやりする。廃部の危機のない運動部がグラウンドで奇声を上げながら練習している。女子陸上部の短距離練習を見ながら、お前ら都祭さんが陸上部に入ったら一人は大会に出られなくなるぞと思った。名前を思い出してみれば、都祭真理は中学時代の百メートルと二百メートルで全国三位だ。あのくらい美人だとコスプレでも世界を取れそうな気もするけどね。あ、いや。美人スプリンターとかの方がすごいのか。
……女子の妬みもすごそうだな。
フク部がいいよ。うん。
「遅くなっちゃったけど、まだ始まってないの?」
後ろから声をかけられる。振り返ると夏実ちゃんだ。
「あれ?代表は加水くんじゃないの?フク部」
「おしつけられた」
「まじで?」
ちょっとまて。加水くんが来ないと困る。失意がぼくを包む。
「それより、内藤くん、まだ始まっていないの?」
「ってか、ずっと始まらないんじゃないかな。集まることにはしたけど、まとめる人なんて最初からいないもの」
ぼくは、なぜか勝手に加水くんに期待していた。
まとまらない零細部活代表の集まりで、彼が壁をノックして口を開くことを。
みんなが加水くんに注目して、いつもの少し人を食ったような笑顔で言うんだ。ひとりひとりを尊重する言葉を言って、みんなをつなぐ。そして、また別のだれかの口から名案が出ることを期待していた。
加水くんは、そういうことをする役だと思っていた。
またこれも、ぼくのひとりよがりな勝手な思い込みだったのか。
くそっ。
「じゃあ、みんな始めよう!」
ぼくは、やけくそになって大きな声を出す。そして教卓へ向かう。
ぼくのキャスティングした主役が来ないなら、ぼくがやるしかないじゃないか。
そして撃沈した。
三十人近い全部が「代表」の人たちをまとめられるはずもなかった。みんなが勝手なことをいい。みんなが違う論点を持ち出した。なにが重要なのかを見失った。ぼくは、ただ立っているだけになった。三時間話して、結局分かったのは、二つのことだった。
一つは、五月十日は土曜日で、実質五月九日が期限であり、ゴールデンウィークを除くと登校日は五日しかないこと。
もう一つは、三十人近くしか来ていないこと。零細部活は全部で四十二ある。十二の部活代表者が来ていない。昨夜、ぼくが心配したのと同じ判断だったのだろう。暴動みたいな流れになってしまったときに、ここにいるだけでリスクになる。それを心配して来なかった部活が十二ある。ぼくらは、生徒会に対抗するどころか一つにまとまることすら出来ない。
◆◆◆◆
「内藤くん!ナイストライだったよ!」
帰り道、夏実ちゃんに慰められる。残念ながら、今必要なのはナイスなトライではなくて、グッドな結果だ。本当に、最近のぼくはなにもかもが上手く行かない……というか、いままでダメだったことが一気に露呈した。
オカルト研究会が今のぼくのキルリアン写真を撮ったら、暗黒オーラが写ると思う。
アニメ研究会に言わせれば、魔女化一歩手前だ。ソウルジェム真っ黒。
駅前で夏実ちゃんと別れて、夕暮れの住宅街を歩く。
家の近くの公園を通りかかったところで、ふと見知った顔を発見する。
「仁美ちゃん」
ベンチに座って、本を開いていた仁美ちゃんに声をかける。
「どうしたの?こんなところで」
「読書の春なのです」
「それを言うなら秋だと思うけど、春も読書はいいよね。というか、一年中いい。なにを読んでたの?」
仁美ちゃんの隣に腰を下ろす。今日は、ちょっとまだ自分の部屋にもどりたくない。
「これだよ。バイク便のお兄さんが、男の子を拾って同棲する話」
男の子なところが仁美ちゃん通常営業だ。ちょっと日に焼けた表紙を見せてくれる。
「なんだか古そうな本だね」
「うん。古本屋で見つけたの。これ、私が生まれる前の本なんだよねー」
「それはまた……」
「なんか、時空を超えて出会った感じー。ちょー面白いですよ」
背表紙の著者を見ると、知らない作家さんの名前が書いてあった。挿絵の人のほうは、たしかボーイズラブの漫画でけっこう有名な人だ。そうか、仁美ちゃんが生まれる前から仕事してたのか。
「そうなんだ。じゃあ、その人の本を古本屋で見つけたら買っておくよ」
「ほんとっ!ありがとー」
「それより、なんで公園?」
「なんか、あんまり家にいたくなくて」
「ふーん。じゃあ、ぼくと一緒か」
「お兄ちゃんもなの?」
「まぁね…」
「ねぇ。お兄ちゃん…」
「うん」
「お姉ちゃんとなにかあった?」
「え?」
香織の名前が出てきて、ぼくの心臓が跳ね上がる。
「ぼくは、なにもないよ。ただ、香織が部室の前で吐いてた。それだけ」
平静を装う。事実だけを並べる。
「お姉ちゃん。家でも吐くようになっちゃって大変なの」
「なんだって?」
「わりと一日中ずーっと食べてるんだけど、すぐに吐いちゃうんだ」
「大丈夫なの?それ?」
「わかんない。お母さんは、入院させようかって言ってる」
「どこ……」
どこが悪いの?と聞きそうになって、言葉を飲み込む。香織の不調は精神的なものだ。つまり入院なんてことになったら、精神病院になる。そんなの。絶対にダメだ。
ダメだと言いたくて、言えない。
家族の問題だから。家で香織が吐いたとき、フラッシュバックを起こしたとき、面倒を見ているのは香織の両親なのだ。ぼくじゃない。だから香織の両親が香織と決めることだ。
ぼくが、ダメといえることじゃない……。
「ダメだって言わないの?お兄ちゃん?」
「香織の家族の問題だから……ね」
「お姉ちゃん、かわいそう」
「うん……」
そんなことはわかってる。なんで、なんの罪もない香織がこんなに長いこと苦しまなきゃいけないんだろう。いつまで苦しまなくてはいけないんだろう。
カウンセリングなんてものもやったけれど、効果はなかった。
今も、香織は男性に近づくと吐く。フラッシュバックを起こして、辛い事件を再体験する。
そして、ぼくは『かわいそう』しか言えない。
それしかできない。
「寒くなってきたよ。そろそろ戻らないと、風邪引いちゃうよ。なんか、ごめんね。ぼくまで一緒に暗くなっちゃって」
仁美ちゃんと二人、長くなった影を背負って家に戻る。
家の前で、仁美ちゃんが言う。
「お兄ちゃん……」
「ん……」
「お姉ちゃん。大丈夫だよね」
「…………」
不安そうな表情の仁美ちゃんに、気休め一つ言えない。
無力感に打ちひしがれて、家に戻る。
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