第15話 【四月二十四日放課後~内藤省吾~】

「おにーちゃーん。一緒にかえろー」

教室の入り口まで仁美ちゃんが来て、ぴょんぴょん跳ねながら手を振っている。子供の可愛らしさと、主に胸付近の大人の入り口な女性らしさがあいまって、たいへんなことになっている。

「内藤てめぇ!」

「死なすしかない!」

「うらやましすぎる!」

一方教室の中のロリコン男子たちも、ねたみとそねみがあいまって、たいへんなことになっている。ぴょんぴょん跳ねながら、ぼくに手を振り下ろしてくる。あぶない!

「まてまて、同志たちよ。こう見えても内藤はタワリシチである」

かばってくれるのは、原田翔くんだ。

「まて、ハラショー。お前は騙されている。社会主義革命と言うのは、モテるものへのモテざるものの革命ではないのか?」

「む……」

「待つんだハラショー!今の、微妙に違うから!富は再配分できるが、愛は再配分できないからな!」

「愛なのかっ!」

「このロリコンがっ!」

しまった。口が滑った。

「ち、ちがう。今のは一般的な話であって、ぼくと、ひ……上原さんの妹はただのご近所さんだ!」

ここで仁美ちゃんなどとファーストネームで呼んだら、死神の鎌が十センチ近づく。

「えーっ。おにーちゃん。ひどいよー」

仁美ちゃんが教室に駆け込んでくる。揺れている。

「お」

「おおっ」

「デカルチャー」

ぼく殺害に燃えるロリコンたちの動きが一瞬止まる。

 今だ!

「仁美ちゃん、逃げるんだ」

停止したロリコンたちをすり抜け、仁美ちゃんの手を引いて脱出する。

 死地から脱出し、玄関で靴を履きかえる。仁美ちゃんと並んで駅のほうへ歩く。電車に用事はないが、駅ビルに用事があるようだ。あの駅ビルには、わりと漫画系の本のラインナップが充実している本屋もあった気がする。要注意だ。いちおう確認しておかなくてはいけない。

「で、買い物に行くんだっけ?」

「うん」

「一つ確認しておきたいんだけど」

「うん」

「買い物って、まさかボーイズラブの本じゃないよね」

「ちがうよ」

「そうか……。じゃあ安心だ」

すっと胃の付近が軽くなる。いろいろ心配なことはあるけれど、そればかりでは身体が持たない。とりあえず今は、仁美ちゃんと買い物を楽しむことにしよう。なにを買うんだろう。文房具とかかな。


◆◆◆◆


 胃の付近にずっしりと重いものを感じている。

 なんという居心地の悪さだろう。

「また、きつくなっちゃたんだよねー」

パステルカラーで埋め尽くされた店内で仁美ちゃんが、首を下に向けて制服を見ている。

「そーなんだー」

どういう相槌が正解だろう。まだボーイズラブの方がマシだった。

 仁美ちゃんは、女子中学生であり。

 ここは、下着売り場であり。

 きつくなっちゃったんだよねーである。

 きつくなっちゃったんだよねーである。

 大事なことなので二回言った。

 これは、確実にご褒美であるべきだが、今のぼくには過ぎたご褒美だ。レベルがもう少し上がってからにして欲しかった。今のぼくのレベルでは処理しきれない。

 ちがうんだ。処理って、そういうことではないんだ。

 だめだ。テンパりすぎてて脳が機能しない。

「仁美ちゃん。早く買い物を済ませて、帰ろう」

脂汗が出てきた。

「えー。せっかく来たんだから、一緒に選んでよー」

なぜここに来てからいつもの『お兄ちゃん』って呼び方をしてくれないんだろう。せめて、そう呼んでくれたら少しは周囲の視線が和らぐと思うんだ。

「おにーちゃん、何色が興奮する?」

周りの視線が鋭さを増す。すべてが裏目に出てる。

「ぼくはどの色でも仁美ちゃんに興奮したりしません」

棒読みなう。

「やっぱり、おにーちゃんは夏実ちゃん先輩にしか興奮しないんだねっ!」

がしゃんっ。売り場の向こうでなにかが派手に転んだ音がした。

「仁美ちゃん。変なことを言うのやめなさい」

「じゃー。おにーちゃん選んで」

「サイズわかんないし」

「前はアンダーが六十三センチで、トップが八十二センチだったよ」

「それが、きつくなったんだろ」

「うん。お兄ちゃん……」

「なに?」

「測りたい?」

「すみませーん。店員さーんおねがいしまーす」

「はーい」

店員さん登場。やっぱりプロに任せなくては。

 店員さんが、仁美ちゃんを試着室のほうに連れて行く。

 そして、ぼくは女性の下着売り場に一人取り残される。

 一難去って、また一難とはこのことだ。柱のかげとかに隠れたいが、隠れていたら不審者度数がアップしてしまう。なるべく堂々としていなければ。

「まったく、妹はしかたねーなー。買い物くらい一人で来いよなー」

棒読みである。ぼくに役者のセンスはない。ごまかせてない。

「あら。誰かと思えば、内藤君じゃない」

振り返ると、すごい美人さんが立っていた。白のブラウスにタイトスカート。黒のストッキングに包まれた長い脚が印象的だ。真っ赤なハイヒールと同色のリップが目を引く。

 ついため息をつく。

「加水くん。なにしてんだよ」

「買い物よ。下着買いに来たの」

聞くべきではなかった。余計なダメージを食らう。

「ふふ……」

美女がすっと屈みこむようにして、ぼくの顔に唇を近づける。ほんのりと香水の香りが漂う。もう本当にやめて。いろいろ認識がおかしくなる。

「ね。ひとつ聞きたいの」

「なんだよ」

声まで、微妙に中性的で普段が男装の麗人なんじゃないかなと思えてくる。

「まつりとどんな関係?」

「どんなって?ああ。食堂では香織のことを話してたんだ。なにか、香織とあったみたいでさ」

「それだけ?」

「それだけ」

あ、加水くんカラコンまでしてるのか。目を覗きこまれて、気がつく。

「まつりは、意外と弱いからね」

目がマジだ。

「わかった」

「Dだってー。Dから選んでー」

仁美ちゃんの声がかすかなドップラー効果で迫ってきて、次の瞬間むぎゅっとサイドから抱きつかれる。

 DをCに押し込めた柔らかさって、このくらいなんだね。すごぉい。わーお。すごい勉強になった!

 で。

「ぼくが選ぶの?」

「うんっ」

「私のも選んでくれる?」

店の中に点在する店員さんが、ぼくをちら見しまくる。《なにあの高校生》《なんで、あんな美人と美少女の下着選んでるの?》《警察呼ぶ?》みたいな視線だ。

 ひどい。

 今のぼくは、女装の男子に下着を選べと強要されているんだよ。

 むしろ、罰ゲームなのに。

「あと、まつりとなつも来てるけど、呼ぶ?」

「もう勘弁してください」

まて?都祭さん?

「ヘンタイ。何してるの?」

ひぃい!

 一瞬、自分のことかと思って五秒で三十七を言い訳を考える。

「ああ、まつり。内藤君に会ったのよ」

「ヘンタイ、いい加減にしなさいよ」

振り向くと都祭さんだった。そうか。ヘンタイと言うのは、加水くんのことであったか。ぼくのことじゃないよな。ホッと胸をなでおろす。ぼくの胸はなでおろせる。左腕にぶら下がる仁美ちゃんの胸は、そろそろ撫で下ろせない。仁美ちゃん、中学一年生の一学期でDカップとはな……。卒業する頃には、おっぱいの上にポカリスエットとか載せられるかも知れない。

 おそろしい。

 小学校三年生までは、つるぺたロリ美少女だったのに四年生くらいでほんのり膨らみ始めて、五年生くらいで香織が嫌な顔をし始めて、六年生くらいで赤いランドセルが犯罪のフレグランスを漂わせていたもんな。

 そして、本日D。Dデイである。

「お兄ちゃん。これすごいよー」

「よしなさい。まだ早いです」

仁美ちゃんから黒レースの下着を取り上げて、棚に戻す。Dだと、そういうチョイスが選べてしまう。

「お姉ちゃんだったらいーの?」

「どっちのお姉ちゃん?私?」

加水くんの声だ。

「黙りなさい。どヘンタイ。死んだら?」

都祭さんの声だ。

「ま、まつりはどんなの買うのさ!」

顔を真っ赤にした夏実ちゃん(女装装備)の声だ。必死の反撃だ。がんばれ、夏実ちゃん。ぼくは応援してるぞ。

 お。

 都祭さんの耳が赤くなってるぞ。効いてる!効いてるぞ!夏実ちゃん!

「そ、そうだ!仁美ちゃん!都祭先輩に選んでもらうといいよ!」

いいこと思いついた。なんと、ぼくの頭のいいことよ。ぐふふ。

「お兄ちゃんは都祭先輩の下着チョイスに興奮するの?」

「内藤……?どこで、私の下着チョイスを知ったの?」

めきぃ……。

「待って、都祭さん!ぼくの左手はそっちに曲がるようにできてないよ!らめぇええ。だいたい、仁美ちゃんの下着の価値観がおかしい。なんで、ぼくの興奮度が基準なの?」

「ふふ……省吾くんの興奮度はメーターになってて分かりやすいわね。ぐぃーんって感じ?」

「角度で分かるよね。最大値はへそだよね」

夏実ちゃん、加水くん、ひどいシモネタだ。お前ら、女装でそのシモネタは終わってるぞ。本当にヘンタイ認定しちゃうぞ。

 めきめきめきめき。

 都祭さん、ホント折れちゃうってば!

 結局、その日ぼくは、仁美ちゃんに白を勧めた。加水くんと夏実ちゃんにはボクサーブリーフを勧めた。加水くんに促されるまま、都祭さんにピンクのブラを勧めて、お礼にチキンウイングアームロックを教えてもらった。もちろん、かけられる方だ。


◆◆◆◆


 家の前で、仁美ちゃんと別れる。

 上を見上げる。二階の香織の部屋の窓。カーテンが閉まったままの窓。

「香織……」

つぶやいて、家に入る。

 二階に上がる。ポメラを開いてみるが、集中できずにすぐに閉じる。カーテンを開けた窓の外側が気になる。香織が気になる。

 カーテンの隙間にちらりと香織の目が見える。すぐに消える。

 幻?

 日が暮れる。

 夕食を食べる。

 また、ぼくは窓の外を見る。時折、カーテンの隙間に香織が見える。一分……それにも満たない時間。こちらをじっと見つめる。そして、消える。

「なにをしてるんだ。これじゃ、本当にストーカーだ」

これ以上はやめよう。

 香織の問題は、家族の問題なんだ。ぼくの問題じゃない。ぼくは香織の家族じゃない。

 携帯電話を開く。受信箱にぎっしりつまった未読メールを順番に開く。香織じゃない、別の問題に集中して忘れることにする。

 メールはカオスだった。混乱を極めている。零細部活の代表たちが一致しているのは、生徒会への憎しみだけで、その他の部分は一つも共通点がない。なんて酷い状態なんだろう。とにかく明日、一度、今の時点で生徒会の提示する条件を満たしていない部活の代表が集まることになっているみたいだ。これが夏実ちゃんの言っていた昨夜のやりとりか……。そーか。

 それにしても、このままで集まってもなんにも出来ないんじゃないかな。下手したら、ただ生徒会に暴動を起こすだけになりそうだ。そうなったときに、その場にいたらかえって連帯責任を取らされちゃったりしないだろうか。

 行かないほうがいいんじゃないか?

 これが、映画だったら都合よく行くのにな。映画なら、クライマックスシーン間際で、だれかヒーローが愛や前向きな団結を説く印象的な演説をして、まとめあげるというのが王道だ。

 これが映画のシナリオなら、だれの役目なんだろう。

 加水くんだな。ああいう一見軽薄な男が苦しみと過去を乗り越えて、みんなをまとめるんだ。それを観客は望むし、だれもが望む。観客の期待を裏切らない展開だ。


 明日、どうしよう?

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