第14話 【四月二十四日~内藤省吾~】

 学食の隅に席を取って、弁当を開く。今日は、部室に行きたくない。昨日、香織はドアの前でなにをしていたんだろう。なんで、入ってこなかったんだろう。

 考えると、弁当が不味くなる。母さんに申し訳ない。

 うん。気分転換しよう。

 加水くんの気持ちを無駄にしてもいけないし、ちょっと、ちょっとだけ……。

 ポケットから封筒を取り出す。一枚目と二枚目は慎重に見ないようにして、三枚目だけ抜き出す。

 おお……。

 ウソじゃなかった。都祭さんの水着写真だ。ワンピースの水着で波の出るプールを背景にした写真が入っている。肩とか細いなぁ…。胸は、やっぱりないんだな。それにしても、なんてきれいなウェストのラインだろう。ゆるやかなカーブがたまらない。

 これは、いいものだ。

「内藤」

「ひゃいっ!」

ばむっ。頭上からかけられた都祭さんの声に、超反応で写真をテーブルの上に伏せる。

「なに?その写真」

「タイシタモノデハゴザイマセン」

自動機械以下のごまかし方だ。終わったかもしれない。

「ま、いいか。男子高校生が秘密にする写真なんて……。その話じゃないの…。ここ、座っても……いい?」

ふっふっふ。果たして、その写真が自分の水着写真とわかっても、そう言っていられるかな?試してみたくなるが、ぐっとこらえる。

「え?うん。いいよ」

いつもの都祭さんじゃない。弱弱しい声に、少し戸惑う。よく見ると、目の下にうっすらとクマが出来ている。美人なのにもったいない。首筋も細いなぁ。香織もすごい美人だけど、都祭さんも良く見ると、ひとつひとつの造形が華奢で綺麗だ。香織が良く目立つ美人だとするなら、都祭さんは、よく観察した人だけが分かるタイプの美人だ。

 都祭さんを見てると、無意識のうちに脳内で水着写真レイヤーとリアル都祭さんレイヤーを重ねてしまう。透明度を四十三くらいに設定する。透視能力に目覚めそうだ。映画研究会なき後はオカルト研究会に入れば、裏返したカードの模様を当てられるようになるかもしれない。

「今日は上原さんと一緒じゃないのね」

いつもと違う都祭さんが、テーブルを見つめて呟く。本当に様子がおかしい。都祭さんが人の目を見ないで話すなんて…。

「うん。なんだか、今日は具合悪いみたいで休んでいるんだ」

「……そう……よく、休むの?あの子?」

「そうだね。身体、弱いんだよ」

実際、香織はよく休む。フラッシュバックに襲われた翌日は必ず休む。高校一年のときも出席日数ギリギリだった。

「私のせい?」

なんだって?!息を止める。ノドから飛び出しかかった言葉を飲み込んで、もっと穏当な言葉に置き換える。

「……わからないよ」

都祭さんが香織になにかしたのか?

 昨日、ぼくが部室に到着したとき、とっくに到着しているはずの香織がいなかった。そのあとしばらくも来なかった。ぼくが集中して、周りの音を聞き取らなくなるまで、少なくともドアの外に香織の気配はなかった。

 その間、都祭さんは香織と一緒にいて、香織になにかしたのか。

 だとしたら、ぼくは……。

 ぼくは……。そうか。

「わからないよ。でも、たぶん悪いのは都祭さんじゃないよ……」

「どうして、そんなこと言えるの?」

まるで責めてくれと言っているように震える瞳で、ぼくを見る。

「悪いのは、ぼくだからだ」

「どういうこと?」

「ぼくが香織を助けなかったからだ。その罪を償うフリを続けていたからだよ」

家族でもないくせに、と胸の中だけで続ける。

 さっき疑念で都祭さんに怒りがわいたとき、それが八つ当たりなのだと気づいていた。

 ぼくが、香織を守るつもりで部室に招いた。ぼくは香織が望むようにしているつもりでいた。香織の場所を作っているつもりでいた。だけど香織の問題は、家族の問題。解決できるのは家族だけだ。

 ぼくは、香織になにもせず、なにも手伝えず、ただ自分の罪悪感の痛みを和らげるためだけに香織をそばにおいていたんだ。ぼくが香織に近づけるという特殊性を利用して。

「そうだったのね。上原さんは『助けに来なかったくせに』と言ったのね。あのとき……」

都祭さんがつぶやく。

「言ってた?」

「言ってたわ。内藤くんは上原さんを助けに来なかったから、上原さんのものだって」

「そんなの、理屈にあってない」

助けに行かなかったぼくは、香織の家族でもなければ、香織を助けたヒーローでもない。ヒーローになろうともしなかった。そんなぼくを香織が欲しがるわけがない。理屈に合っていない。

「そんなことが、何度もあったの?上原さんを助けに行かなかったことが」

「何度もあってたまるか!」

つい声を大きくしてしまう。

「あ……ご、ごめん」

都祭さんが驚いている。謝る。声をひそめる。

「一度だけだよ。十年も前に……一度だけ、ぼくは香織が辛い思いをしているときに助けられなかった……」

今度は、ぼくが都祭さんの目を見られない。手元に視線を落とす。

「おかしいわ。『一度も』って言ってたわ」

「なにが?」

顔を上げる。シンメトリックな都祭さんの顔を見る。今日見たばかりのときの、弱弱しさが薄らいでいる。女の子の強さが透けて見える。

「上原さんの言った言葉の後半が、『助けに来なかった』だとしたら……」

「うん……」

「彼女、『省吾、一度も助けに来なかったくせに』って言ってたのよ」

「一度も?それは、おかしいよ」

何度もなんてない。一度だけだ。香織が誘拐されたのは。

「もしかしたら『省吾、一度も助けに来ないくせに』かもしれないわよ」

「そんなはずはない。だれも今の香織を苦しめる人なんていないよ……」

「本当に?よく、考えてみて…そして…」

都祭さんが言葉を切る。目を伏せる。長い睫毛が震えている。こんなに長いのに地の睫毛なんだな……。

 そして、わずかな沈黙のあとに目を開く。

「そして、私に教えてね……私にできることを」

「ありがとう」

机の上で固く握られた都祭さんの手に軽く触れる。逃げるわけでもなく、そっと手が離れる。

 そのまま、後ろを向いて都祭さんが食堂から出て行った。

 視線をずらすと、食堂の反対の端にいる加水くんと目が合った。

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