第13話 【四月二十四日~内藤省吾~】

「おにーちゃん、グッドモーニングー」

「仁美ちゃん…おはよう」

仁美ちゃんの花の咲いたような笑顔と、一つも真実の含まれていない挨拶。真実ゼロパーセント。

 椅子で寝てしまったぼくの腰と背中は痛いし、あまり眠れていなくて頭痛もする。ちっとも、グッドなモーニングじゃない。バッドモーニングだ。ぼくは仁美ちゃんのお兄ちゃんじゃない。仁美ちゃんの家族じゃなくて、香織の家族でもなくて、家族の問題になにもできない。事実なにもしてこなかった。

 香織の言うとおり、ぼくは香織を助けたことなんてなかったんだ。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

駅への道すがら、顔色のすぐれないぼくを心配してくれる。

「ちょー眠い。……ところで、香織は休み……だよね」

「うん。お姉ちゃん、また具合悪くなっちゃって」

「そう……」

「ホントは今日の帰りに、お姉ちゃんに買い物付き合って欲しかったんだけどなー」

仁美ちゃんが口を尖らせる。

「ぼくが、いっしょに行こうか?」

本当は、それどころじゃないかもしれない。映画研究会存続のために、なにか手を打つべきかもしれない。でも、今だけは部のことを考えたくなかった。

「ホント!?絶対?約束だよ!」

「うん。いいよ。絶対約束」

大げさに喜ぶ仁美ちゃんの笑顔に救われる。落ち込んでいた心が溶けていく。

 まだ重たいまぶたを押し上げて、太陽を見る。

 まぶしい。

 目を伏せる。隣に、ニコニコと笑いながら歩く仁美ちゃん。こっちもまぶしい。仁美ちゃんの笑顔は地上の太陽だ。頭の中にホモが詰まっているとは思えない。

「そういえば、お兄ちゃん昨日のアニメ見た?」

「…あ、いや。昨日は見なかったけど?」

昨日…っていうと、あれか。戦闘機で戦う戦場ロマンか。あんな男くさいアニメも見てるとは意外だ。

「あれ、絶対デキてたよね!『俺の後ろのヤツをやってくれ!』『やろぉ。俺のダチに好き勝手しやがって』って、完全にお前の尻は俺専用宣言だよね!」

「え?…えと、そうなの?」

「そうだよ!っていうか、戦闘機ってエロいよね。だってエースパイロットたちが互いに後ろを取り合って命がけなんだよ!ぜったいエロいよ!」

仁美ちゃんの頬に朱がさして、力説する。美少女が通学路でエロいエロいと言っている。ぼくは大丈夫かな?おまわりさん居ないよね。

「そ、そういう解釈もあ、あるかもね」

「しかも後ろを取ったらミサイル発射だよ。どんだけエロいの!?もー。ロックオンされるとピーだしさー」

エロいのは、仁美ちゃんの脳内であって戦闘機ではない。ミサイルを発射するのはエロいことではない。ピーという電子音は、ロックオン警告で別にいやらしい言葉ではない。

 …と、注意するのは野暮というもの。

 仁美ちゃんが楽しそうならいいじゃないか。


◆◆◆◆


 玄関で仁美ちゃんと別れて、教室に向かう。

「あ、内藤くん!」

階段を昇ったところで呼び止められる。振り返ると夏実ちゃんがいた。

「昨日、メール読んでた?」

「メール?」

 正直、昨夜はメールどころじゃなかった。絶滅危惧種のガラケーを開いてメールを確認すると、すごい量のメールがやりとりされていた。

「あー。夏実ちゃん、三行でプリーズ」

「うん。零細部活の代表が

 明日の放課後に

集まって対応を協議する」

 これだけメールをやり取りしても三行でまとめられてしまう。みんなごめんなー。

とにかく、明日の放課後空けておけばいいんだな。内容は、あとでこのメールの山を読めば分かるだろう。

 夏実ちゃんと別れて、教室に入る。

「よぉ。なんか、いいオカズでも見つけた?」

椅子に斜めに座って、だるそうにしてた加水くんがぼくの顔を見るなり寄ってきて、そんなことを言ってくる。普段は別に話しかけもしないのに、今日のぼくはそんなに顔色が悪いんだろうか……。

「は?なに?」

「顔色悪いよ。寝不足なんじゃね?」

「べつに、いいオカズで寝不足なんじゃないから」

「否定すると、ますます怪しいな」

「じゃあ、いいオカズを見つけたんだ。これでいい?」

「自白したな」

「なに?この結果が先に出来ている取調べ。どこの軍事政権?」

加水くんが吹き出して、大笑いする。いいように遊ばれている。笑うのをやめた加水くんが、耳に顔を寄せてくる。ほんのりと香水の香りがする。イケメンめ。

「じゃあ、ほんとにいいオカズやるよ」

そう言って、ぼくの手に封筒を握らせる。なんだこれ?そっと隠すようにして、中身を改める。数枚の写真。最初の二枚だけを改める。

「いらない。返すよ」

「傷つくなぁ」

 夏実ちゃんと加水くんの女装写真なんてオカズにできるか。中身を知らなければ、実用レベルに達しているけどダメだ。そんなものを持っているのが仁美ちゃんに発見されたら、いろいろ大変なことになるだろう。特に仁美ちゃんの脳内が大変なことになりかねない。

「三枚目は、まつりの水着写真だよ」

「まじでっ!?」

それは欲しいぞ。結局、封筒を受け取る。

 席につく。振り返ると、らしくない心配そうな表情の加水くんと目が合う。すぐにニコっといつもの表情にもどって、ウィンクを投げてくる。

 ああ……加水くんらしい。

 ああ見えて、人の機微に敏感なんだ。落ち込む、ぼくの気持ちを察して慰めてくれたんだな。

 ありがとう。

 心の中でお礼を言う。

 あと、都祭さんの水着写真もありがとう。そして、ありがとう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る