第12話 【四月二十三日放課後~内藤省吾~】
件名:みんな落ち着け
本文:みんな落ち着け。生徒会にネタを与えるだけだ。個別に動くな。
そのメールが加水くんから届いたのは、昨日の夜中だった。それに四十を超える零細部活の代表がメールを返信していて、受信箱がめちゃくちゃになった。
昨日あったことは、こうだ。
最初は、重音部だった。
次は、旧ソ連研究会だった。半ヘルと角材を持って生徒会室前に集合して……と言っても三人だ……古い学生運動になりそうなところを加水くんが止めた。
ヒーロー研究会は、すんでのところで、ぼくが体当たりして止めた。駆けつけた教師には「アトラクションです!」「映画の!」でごまかした。
その次は、加水くんが中二病部を止めた。正式名称は《闇竜脈の守護者》で、読みはドラゴ・グローブネット・ガーディアン・ギルドだ。止めに走ったぼくと鉢合わせした。加水くんがあの声で、「今は、まだ時ではない!不完全な復活は世界を終わらせる!」と言ったときには、ぼくまでかっこいいと思った。中二病部の女の子とか、完全に惚れてたぞ。あれ。後でなにが起きても知らないぞ。
ちなみに廊下に描かれた魔法陣は、ぼくが消した。なにを呼び出すつもりだったんだろう。
いつの間にやら、零細部活たちは追い詰められていた。五月十日には四十の部活が消滅するか、統合される。焦りが怒りになり、生徒会に向かう。そして「どうせ潰されるなら、最後に一花咲かしてやる」という自爆テロを敢行する連中も現れている。
それにしても、予想以上だったのは加水くんだ。顔が広いのは分かっていたけれど、まさか一日もかからずに、四十以上の零細部活代表全員を捕まえて釘をさすところまで行くとは思わなかった。
放課後に加水くんを捕まえる。
「加水くん昨日は、ありがとう。助かったよ。ところでさ……」
もう十分に世話になっているけど、もうひと働きしてもらおう。
「そういうの向いてないから……。昨日のメールで、みんなのアドレスは分かったろ?じゃあ、またね」
「ちょ……」
呼び止めようとして、声が詰まる。
最後まで言わせてもらえずに、加水くんの背中を見送ることになった。それ以上呼び止められなかったのは、ぼくの対人能力の欠如だけじゃない。
加水くんのイケメンスマイルに、少しだけ不純物が混じったからだ。ぼくが触っちゃいけない不純物の香りに足が止まったのだ。
◆◆◆◆
どうしたものかなぁ……。
とりあえず、自分の心配だ。映画研究会の心配だ。映画研究会は、どうなるんだろう。正直、なにもできてない。他の零細部活のほとんどが、部員の貸し借りで最低人数はクリアしたと聞いている。こっちは仁美ちゃん、香織、ぼく、それに都祭さんの四人だ。あと一人足りない。もっとも香織は都祭さんの入部を認めていない。頭を下げて名前を貸してもらったぼくは、板ばさみで立つ瀬がない。しかも、いまや名前だけの幽霊部員ではすまなくなった。
ストレスで体内には、いろいろと悪いことが起きているだろうなと思いつつ部室に到着する。
ドアを開ける。
「香織?」
香織がいない。ぼくの方が香織よりも早く部室に到着するなんて、香織の入学以来数回しかないレアケースだ。それに、今日は加水くんと話してから来たのにな……。
まぁ、いいか。じきにやってくるだろ。
折りたたみ椅子を引いて、カバンからポメラを取り出す。プロットは出来上がって、脚本を書いている。ぼくの脚本は、ト書きとセリフをシークェンスごとに書いていくやり方だ。三人だけの映画研究会では、けっしてフィルムになることのないシナリオ。たまに小説にすれば、ネットとかで誰かに読んでもらえるかもしれないと夢想することもある。でも、それだと映画研究会じゃなくて文芸部になってしまう。文芸部はもうある。文芸部はまだある。あそこもたしか絶滅危惧種だ。WWFのレッドブックと違うのは、こっちはだれも保護してくれないということだ。
シナリオに集中する。ぼくの頭の中にスクリーンが広がり、架空の役者が銀幕を彩る。爪弾くギターのBGM。そのイメージ。イメージにおいていかれないように、キーを叩く。イメージが流れていく前に、液晶モニターに捕まえる。
シークェンスが終わる。
我に返る。頭の中の映画館を出て、現実にもどる。
まだ現実感がない。いつもの部室が部室じゃないみたいだ。
「そっか……」
きょろきょろと部室を見渡して気づく。
「今日は、ゾンビの唸り声が聞こえないんだ」
去年、香織が高等部入試で入学してくるまでは、部室はぼくの個室だったんだけどな。この一年間、ほぼ毎日ゾンビのヴォーってのを聞いていたら、それが日常になってしまっていたのだな。
「香織は……まっすぐ帰っちゃったのか」
そう呟いて、ぼくも帰ることにする。仁美ちゃんも来ないな。最近、仁美ちゃんはフク部のほうに行っていることが多い。まぁ、そりゃそうだ。ここに来ても香織はゾンビを見てるし、ぼくはポメラに向かっている。仁美ちゃんはほったらかしだ。
ちょっと悪いことしちゃったな。
反省。
カバンを持って、ドアを開け……。
あれ?開かない。鍵がかかっている感じじゃない。なにかがドアの向こうにある感じだ。なんだよ。ドアに肩を押し当てて、なけなしの力をこめる。ずずっという抵抗感とともにドアが開く。隙間から身体を斜めにして出る。
「ひぅっ!?」
変な声が出た。
ドアを押さえていたのは香織だった。正確には、香織の身体だった。ドアをすべるように倒れていき、べちゃりと音を立てて廊下に転がる。廊下はゲロまみれだ。
「か……香織……?」
嫌な汗が背中を伝うのを感じながら、廊下に転がる香織にかがみこんで声をかける。
香織の肩を手で叩く。
「香織?聞こえる?大丈夫?」
汚れた制服の胸を見る。上下している。白い香織の首に手を当てる。ちゃんと規則正しく脈打っている。
「香織……。大丈夫?」
青ざめた香織の顔を見つめる。その切れ長の目が開く。
「香織?」
そして、その幼馴染は身体をよじる。自分のまきちらしたゲロの海で寝返りを打ち、固いリノリウムの床に顔を伏せる。
「香織。だめだよ。汚れちゃうよ。保健室に行こう」
細い背中をよじらせるように、首を振る。そして、ごぼごぼとくぐもった声でなにかを言う。
それを聞いて、ぼくは携帯電話を取り出した。
だめだ。これは手に負えない。手に負えたとしても双方に多大なダメージが残る。人を上手に頼ろう。少しだけ香織から離れて、それでも視界に入れたまま移動する。携帯電話を取り出し、アドレスの一番上にある番号を押す。
◆◆◆◆
香織を背負う。じたばたと抵抗するが、両手を掴んで無理に両肩にかけてぐいぐいと引きずるように歩く。死体を運んでいるみたいだ。この重みは、サスペンスを書くときに使おう。こんなときでも、そんなことを思ってしまう。
学校の校門の前に、ミニバンタイプのタクシーがアイドリングしながら止まっていた。
ドアが開くと、中には香織のお母さんが毛布を持って待っている。香織を毛布に包んで、後部座席に寝かせる。ぼくの上着もダメだ。お母さんの持ってきたビニール袋に押し込んで、ぼくは前の座席に座る。
「香織。吐くならこっちね」
バックミラー越しに、後ろを見ると香織がバケツに向かって盛大に吐いていた。車内にすっぱい香りが満ちてくる。運転手さんが窓を開けていいかと聞いてくる。
どーぞ。どーぞ。
二十分ほどで、香織のうちに到着する。
「省吾くん本当にごめんなさいね。あとは、私が面倒見るから……」
香織を部屋に運んだお母さんが、玄関口で困惑気味に言う。
この際だ。聞きたいことを聞こう。ここで聞かないといけない。こんなことは、これが最後の機会であるべきだから。
「あの…。あれは……香織……フラッシュバック……を起こすと、いつもあんな風に……?」
「吐きはするけど、あんなじゃないわ。いつもは、もっと……目を覚まして三〇分くらいで落ち着くの」
フラッシュバックじゃない?あれが?じゃあ、なんだってんだ。
男子に近づいたって、あんな風にはならない。ただ、吐くだけだ。げーげーを通り越して、じゃーじゃーという勢いだけど。
いいのかな……。
目を閉じて、胸の中の衝動を見つめる。これは、勝手なことじゃないだろうか。出すぎたことじゃないだろうか……。
両方だ。勝手で、出すぎたことだ。
でも、止められない。
「香織のそばにいさせてください」
香織の母親の表情に困惑が浮かぶ。娘だけでも大変なのに、これ以上手間のかかることを増やさないで。そう思っているのがありありと伝わる。
「本当にごめんなさいね。うちの家族の問題だから……これ以上よそ様にご迷惑はかけられないわ。今日は、本当にありがとう」
ドアが閉まる。
ぼくは、黙って十メートル離れた自宅に帰る。
シャワーを浴びて着替える。窓を開けて空気を入れ替える。四月のさわやかな風が入ってくる。
向かいの窓を見る。カーテンの閉まった窓を見る。
《家族の問題だから》
《今日は、ありがとう》
ぼくは、だまってカーテンの閉まった窓を見る。
◆◆◆◆
陽が落ちて、街灯が灯る。向かいの窓にも明かりが灯る。机の上で、携帯がひっきりなしに震える。メールが届いているんだろう。余命わずかになった零細部活の代表たちのやりとり。
ぼくは、窓を見る。
遥かに遠い十メートル先の窓をだまって見つめる。
カーテンが揺れる。隙間に見慣れた顔。
「香織っ!」
自分の声に驚く。
香織の顔が消える。
窓の明かりが、消える。
「香織……」
自分の女々しさが嫌になる。
椅子に座って、窓の外を見ることをやめられない。ときおり、カーテンの隙間に香織の顔が覗く。目が合った気がして、また消える。
いつのまにか、椅子に座ったまま眠りに落ちてしまう。
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