第11話 【四月二十三日放課後~都祭真理~】
ホームルームが終わると同時に後ろを振り向く。ドアを見ると上原香織は、もう教室を出て行くところだった。あの子の席は、教室の一番後ろドア側。隣も前も斜め前も女子という百合ポジション。あの変な体質があるからしかたないが、少しうらやましい。
そんなことを考えながらも、ノータイムで窓側の自分の席から飛翔する。二歩目をスチーム暖房機にかけて、クラスメイトの脇をすり抜ける。そして、机を二つ分飛び越える。着地して、一歩でドアに届く。
「ちょっと待って!」
背筋をしゃんと伸ばした、私よりほんの少し高い肩を掴む。
真っ黒な綺麗に切りそろえられた髪が揺れて振り向く。
「かまわないでください」
冷たく言い放ち、するりと手から逃げていく。冷たい視線と振り払われた手。そして女生徒の背中。咽喉につかえを感じる。いやだ。
こらえる。無視する。こんな身体の不調はまやかしなのだから。
つかつかと長い脚で進んでいく相手に、小走りで追いつく。表情のない、整ったマネキンみたいな顔。パッツンに切りそろえられた黒髪がますますマネキンみたいだ。これが入学当初モテたなんて信じられない。人の愛嬌というものに完全に喧嘩を売ってる。隣に追いついてきた私のほうを見もしない。
こいつ嫌いだわ。まるで私みたいだから。
「待ちなさいって言っているでしょ」
「部活に行きます。急いでいます」
歩を緩めもしない。
「私だって、映画研究会の部員よ」
マネキンの頬が一瞬ぴくりと動く。人間らしい反応できるじゃない。よくできたわよ。
「認めていません」
「部長の内藤くんは認めているわよ」
「認めるわけありません」
「どうして?」
「私が認めていないからです」
「認めたわ。私のこと、好きだってさ」
マネキンの足が止まる。無表情のまま、身体ごとこちらを向く。
「ありえません」
「ひとつ教えてあげる」
「ありえません」
会話にならない。マネキン壊れたかな?そういえば、なつみが壊れたって言ってたっけ?まぁ、いいわ。私だって少々壊れているんだものね。上原香織と自分がいちいち似ていて、吐き気がしてくる。こいつと向かい合って、おたがいゲロしあってみようかしら。
よろしくおねがいします。おえええ。
いえいえ、こちらこそ。おえええ。
みたいな。
そんなことより、止まった今しかない。捕まえなくちゃ。
「映画研究会を救う方法を教えてあげるわ」
「ありえません」
「映画研究会を救うのがありえないみたいになってるわよ」
「……」
「聞きたかったら、ついてきて」
◆◆◆◆
上原香織を連れて、学食にやってくる。学食の端に片付けてあるついたてを勝手に移動させて、簡易のプライベート空間を作る。たまに、来賓などが来るときに学食で仕切りを作るために用意されているものだ。
「お茶、取ってこようか?」
「いりません」
椅子にまっすぐに背を伸ばして、上原香織は座っている。相変わらずの無表情。上原は授業中も、この姿勢で身じろぎもしない。本当にマネキンみたいだ。
実にいろいろ着せてみたい。
この子は、コスプレさせたらさぞかし見栄えがするだろうな。ビッグ・オーのR・ドロシー・ウェインライトの格好とかさせたら完コピになる。
やばい。よだれが出てきた。
いかん。横道にそれた。そんなことを考えている場合じゃない。
R・上原香織の前に座る。いい呼び方を思いついた。こいつは、イニシャルにRをつけるといい。
R・上原のロボっぷりを確認しながら、口を開く。
「映画研究会を救う方法の前に、それが可能か確認したいの」
「本当なんですか」
「なにが?」
「内藤省吾が、あなたを好きなのは本当ですか?」
「男の愛と女の唇って、どのくらい本物なのかしらね?」
「知りません。クソビッチ」
洒落たことを言ったら、罵倒のストレートパンチで粉砕された。
「それを答えたら、話にならないから内藤君が私とどこまでしたのかは最後に教えてあげるわ。それより、映画研究会の救い方だけど……」
「興味ありません」
「ふふ、よかった。じゃあ、映画研究会は潰れないわね。」
R上原の眉がほんの少し動く。
「……」
「上原さんが興味なければ、映画研究会は潰れないの。これで、方法が分かった?」
頭は悪くないはずだ。わかっただろう。
実は、映画研究会は人気がない部活じゃない。たしかに部費補助で映画を見るだけの三年生がいたころは予算不正利用の抜け穴みたいに見えて、人気がなかったのは本当だ。R・上原が入学してきたころ、上原さん狙いでチャラい男たちが殺到したのも本当だ。だけど本当に映画が好きな連中もいたのだ。
不真面目な三年生は卒業した。部長の内藤くんは、影が薄いけれど優しいし、少し芝居がかっているけれど芯の強い人だ。映画への情熱は本物で、いつもなにか書いている。
つまり今では映画研究会の部員が足りない理由はただ一つ。新入部員候補を片っ端から上原香織が追い出しているだけだ。
上原香織がいなければ部員は集まる。
「そんなことはわかってるわ」
たっぷり三十秒の沈黙の後。上原香織が口を開く。声音にほんの少しの不機嫌さの響きがこもる。もうR上原じゃない。
人間になった上原香織に、言ってやろう。
やさしい内藤くんが言わないことを、彼の代わりに言ってやる。
私の意地悪回路が接続される音が聞こえる。かちり。今日の私は、内藤くんが今まで苦しんだ分を返してやることにしたのだ。彼は高校生活の二年目まで上原香織にくれてやることはない。
好きな部活を、ちゃんとする権利が彼にもある。
好きな部活を……。
胃の辺りがキリキリとする。感情なんて殺そう。今日は、予定の役を演じきればいいんだ。そういうのは、たくさん練習した。不本意ながら。
「内藤くん……省吾がどれだけ、映画研究会の存続のために骨を折っているのを知ってる?」
「そんなこと知らないわ」
「あなたは映画研究会でなにをしているの?」
「映画鑑賞してるわ。バイオハザード、バタリアン、死霊のはらわた、リビング・オブ・ザ・デッド、殺戮兵団ジェノサイダー、死霊のえじき、ゾンビコップ、ゾンバイオ、ゾンビ特急地獄行き、メサイア・オブ・デッド、ゾンビ自衛隊、ドーン・オブ・ザ・デッド、悪魔の毒々バーガー~添加物100%~、死霊の盆踊り」
「盆踊り?」
「ありえないくらいつまらないから、DVDを貸してあげるわ。それ持って、とっとと消えて」
「いらないし、消えない」
ゾンビのことを話しているときだけ目に光が宿るのは、どういうことなの?なんて、やりづらい子なのかしら。
「上原さん。なんの権利があって……省吾の邪魔をしてるの?彼は映画を作りたいのよ」
「邪魔してないわ」
内藤をファーストネームで呼ぶと照れる。呼ぶ前に溜めが出来てしまう。まぁ、それも付き合い始めたばかりの初々しいカップルっぽくって、リアリティ増すわよね。ポジティブシンキングなう。
「じゃあ、映画のほかのスタッフが部室に行ってもいいのね」
「来ないでください。邪魔です。不快です」
「じゃあ、あなたは部室で省吾の映画のなにをするの?」
「私の部室だわ。省吾の部室は私のものだわ」
「ちがうわ。映画研究会の部室で、省吾はあなたの私物じゃないのよ」
「省吾は私の私物で、省吾の私物は私のものだわ」
これがジャイアニズムというものか。
「今までは、そうだったかも知れないけど……し、省吾はもうあなたのものじゃないかもよ」
だめだ。
ファーストネーム、照れる。内藤なんて別になんとも思ってないけど、それでも照れる。あ。ちょっと待て、今のツンデレっぽかった。そうじゃない。本当にアレはどうでもいい。
うぎぉー。あとで思い出したら悶え狂いそう。おのれ、内藤め。
「そんなはずはないわ」
「いいかげん、解放してあげたら?なにを根拠に、なにを求めているか知らないけれど、省吾はもう十分あなたに親切にしてあげたでしょう?そろそろ、好きな生き方をさせてあげてもいい頃じゃない?あなたがこの学校に来てから、内藤はどれだけ他の友達と遊んでたかしら?あれでも中等部の頃は、それなりに友達が多かったのよ。あなたは知らないでしょうけど……このままだと省吾、友達もなくすわ」
紙コップのお茶を飲むついでに顔の下半分を隠す。いけない。異様に照れる。なに?この《私、本当の彼を知ってるのよ。うふふ》みたいな状態。こういうのは、なつみにやらせて楽しむものであって、私がやるものじゃない。おのれぇ……。次に会ったときの内藤の殴り方を三十七通りまで数える。
上原香織は、フリーズしてる。R・上原機能停止かしら?
顔色が白くなる。ますますドロシー・ウェインライトに似る。
紫色になった唇が開く。
「…たす…に…くせに……」
さっきまでの録音したような、滑舌のいいしゃべり方とはうって変わって、聞き取れないほどの小さな声が漏れる。
「なに?どうしたの。大丈夫?」
さすがに心配になる。
「省吾…い、一度も…たす…に…くせに…」
「なにか省吾にしてほしいなら、今、言いなさい。それだけさせてあげる。それで省吾を解放してあげて」
それとあなたもね。ずるずると後に引っ張るのはやめなさい。そんなことをしているうちに、人生終わっちゃうわ。これで、映画研究会まで内藤から奪ってからじゃ遅いのよ。後悔の取り返しがつかなくなるわ。
「部室に行くわ。邪魔しないでください」
またスイッチが入ったように、はっきりとした口調でR上原香織が立ち上がり、すたすたと出て行く。
「え?」
思わぬ結末に、虚を突かれた。
おかしいな。
上原香織の弱点を突いたと思ったんだけどな。上原香織が無条件に信じているところに亀裂を入れたはずだったのだ。それで、あのマネキンの仮面を壊して、内藤くんのことを少しだけでも考えさせてやるはずだったんだけど……。
だけど、また仮面を被って出て行ってしまった。
思わぬ失敗に、半ば落ち込む。
「やっぱり、こういうのは加水にやってもらわないとダメか……」
そう呟いて気づく。
加水がやったら、最初に肩を叩いた時点でゲロまみれなんだわ。やっぱだめじゃない。
疲れが、一度に襲ってきた。
一緒にやってくるのは、後悔。
内藤に、自分を重ねて同情してみたものの、やっぱりやらなければよかった。
加水の言うように、名前だけ貸して、余計なことをするんじゃなかった。たぶん、上原さんを傷つけて、自分の嫌な思い出を思い出しただけ。
私は、こういうことは上手じゃない。誰かのために何かをするなんて、得意じゃない。わたしは、なつみじゃない。
「なつみ……」
なつみのところへ行こう。
私も立ち上がって、部室へ向かう。
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