第3話 【四月十五日放課後~内藤省吾~】

 午後の授業が終わって、部室に行く。

 香織はいつもぼくより早く部室に来ている。ホームルームが終わるのは、ぼくのクラスのほうが早いこともあるのだけど、ぼくはクラスの友人と話したりするから遅くなる。話し込むわけじゃない。一言二言言葉を交わしているくらいだ。

 香織は無言ですたすたと教室を後にしてしまうから、部室到着が早い。

 そんなわけで、今日も例外なく香織が部室で待っていた。

「あの、お昼に言っていた部活って、どこでやってるの?家庭科室?」

「どこだろ。家庭科室ではないんじゃないかな?」

「料理するのに?」

「料理?料理はしてないと思う。ぼくも詳しい活動内容は知らないんだけどさ」

「副食研究会でしょ?おかず研究会」

「え?ちがうよね」

と、言いつつ自信がない。たしか夏実ちゃんから受け取った紙に正式名称が書いてあったはずだ。鞄からクリアファイルを取り出して確認する。

 やっぱり違う。

「服飾文化研究会だよ。衣服の服に、宝飾の飾に、文化。略して『フク部』だってさ」

「腹部なのね」

「今、どんな漢字をイメージした?」

「ここ」

香織が指差すのは、ぺたっとしたお腹だ。やっぱりな。

「違うよ。衣服の服」

「それは、はっとりだわ」

言われると思った。服部だもんなー。はっとりだよな。

「ニンニン」

「ニンニン」

香織とハイタッチをする。

「まぁ、いいわ。早く行きましょう?」

「え?行くの!?」

「私、部員なんでしょ」

まだ、生徒会に届けは出していないと思うけどね。五人分の名前がそろわなかったら意味がない。でも、部員なのは間違いない。

「あの……それが、場所がわからないんだ」

実は、香織が服飾文化研究会に名前を貸す以上のことをするとは思っていなかった。

「私、部室の場所のわからない部活の部員にされたの?」

「まぁ……ホントに参加するとは思っていなかった」

「また省吾にだまされたわ。このあと、どんな酷い目にあわされるのかしら?」

「フク部の部屋に行って、加水くんがいて、じゃんじゃか嘔吐をしたりするのかな」

「先に行って、男子は全部追い出しておいて欲しいわ」

「それ。都祭さん残して、全員出てけってことになるからな」

「血祭り」

「そのネタはもういいから」

「とにかく出ましょう」

香織が部屋に入ってきたばかりのぼくの肩をつかんで、百八十度回頭させる。そして背中をぐいぐい押す。ドアを開けてもいいかな。さっきから、ドアに押し付けられているんだ。

 そして、突然ドアが開いて、外に転がり出てしまう。

「きゃっ」

女の子の悲鳴。

「ちっ」

香織の舌打ち。

 胸の付近に柔らかい圧力。

「お、お、お兄ちゃん……」

見ると、香織の妹。中等部一年の上原仁美ちゃんだった。身長百五十センチに少し足りないくらいの小さな身体は、ぼくの胸辺りに顔が当たる。

「間にファッキン合わなかったわ」

背後で、香織の不機嫌そうな声が聞こえる。

 なに?仁美ちゃんが来ても無人にしておくために、出て行こうってしたのか?

 振り返ると、外に出ることを早々にあきらめた香織がDVDを物色している。死霊のなんたら、死者のなんたら、なんたらデッドという上原ゾンビコレクションだ。ゾンビ映画というのは、ひとつのジャンルとして成立するくらいたくさん種類がある。

 香織の趣味はマイナーだが、仲間がまったくいないというほどではないのだろう。

 ぼくは、香織ほどゾンビを偏愛する人はみたことがないけれど。

「お兄ちゃん。映画研究会ってここ?」

「うん」

「仁美。映画が好きじゃなかったら、無理して入らなくてもいいのよ」

「映画が好きじゃなくても、入ってもいいんだよね」

それは、もちろん構わない。映画の魅力を伝えるのも、映画研究会の役割だと思っている。

「だめよ。映画かゾンビが大好きで、男子じゃなくて、ファッキン省吾をイヌのクソよりも嫌いな人じゃないと入っちゃ駄目なのよ」

香織が、指を一つずつ立てながら、ゆっくりはっきりわかりやすく説明する。汚い言葉が混じるのは、香織の機嫌が悪くなったシグナルだ。

 それにしても、なるほどそうか。ここは映画研究会もしくは、内藤省吾撲滅委員会なんだな。後者なら青森生徒会長も認めてくださると思う。

「香織は、ぼくを嫌いなのか」

香織が、じろっとこっちを一瞬だけ見る。嫌いなのかもしれない。嫌われていても不思議ではないけどね。

「じゃあ、映画が好きで、男子じゃなくて、お兄ちゃんが嫌いならいいんだね」

仁美ちゃんが、部室の会議机にぴかぴかの鞄を置きながら言う。中等部一年生のきれいな鞄だ。

「そうよ」

「じゃあ、私、やっぱり入るよ。映画好きだし!プリキュア劇場版観に行ったし」

「アニメじゃない」

「香織、アニメを馬鹿にするな。日本の映画ではアニメが一番評価されているんだぞ。ホントのことさ」

「まぁ、ゾンビも出るアニメもあるから、許すわ」

ゾンビさまさまだ。

「男子じゃないし!」

仁美ちゃんが胸を張る。中等部一年生にしては立派なサイズの胸が強調される。うむ。間違いなく男子じゃない。二次性徴合格。

 高校二年生でAAカップの香織が、無言で机の上のティッシュの箱を手に取る。ティッシュを引き抜いては、丸めて襟元から制服の中に入れていく。制服の胸をもこもこさせる。

「まけないわ」

ぼくにもティッシュをくれ。悲しくて涙が出てきた。

「お、お兄ちゃんのことなんて、だ、だいっ嫌いなんだからねっ!」

仁美ちゃんが、胸の前に腕を組んで、つんっとそっぽを向きながら言い放つ。

「…仁美。失格よ」

「なんで!?お兄ちゃんのことなんて、だいっ嫌いなんだからねっ!なのに?」

「『なんだからねっ!』が強調を表す表現だと国語辞典に載るまで、そう時間は掛からないわよ」

「待て香織。代表を嫌っていることなんて入部の条件はないよ」

「省吾を好きな女とか入ってきたら、絶対にたたき出すわ。ショットガンでぶっ飛ばしたい」

香織が過去に一度でもデレてくれていたら萌えるところだが、そんなことは一度もない。やきもちではないのだ。今だって照れてない。制服のすそから丸めたティッシュをポロポロ落としているだけだ。

「お、お兄ちゃんのことなんて、だ、だいっ嫌いなんだからねっ!だから、大丈夫だよ」

「ツンまではいいけど、デレたら追い出すわ」

「了解!」

仁美ちゃんが親指を立てる。

 自宅とお向かいさんの付き合いが、部室に丸ごと移植されている。

 居心地がいいともいえるが、どんどん部室が居間と化していくな。

 部員の登録用紙は、まだ三人分しか集まっていない。夏実ちゃん、うまく都祭さんのサインをもらってきてくれるだろうか……。香織ほどじゃないかもしれないが、けっこうオレサマな人だと聞いている。

 それが集まったとしても、あと一人はどうしよう。

 映画が好きで。男子じゃなくて。ぼくを嫌いな人か……。

 いや、最後の条件はおかしい。

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