第6話 戸惑い

 深い深い眠りについていた。

 そして、幸せな夢を見ていた。


 日差しの優しい公園でベビーカーを押している私と、隣には愛する夫。愛している筈なのに、夫の顔はハッキリと見えなくて、それでもこの穏やかな空気が、幸せという事なんだと分かった。


 何時の頃からか、私はこんな穏やかな笑顔をする事は無かったような気がする。

 歪んだ笑みや、卑屈な笑みを浮かべ、好きだと言ってくれる人が傍にいるのなら、それがどんな人でも私は幸せなのだと思い込もうとしていた。


 俯瞰で見ている私と夫と私達の子供は、暖かい雰囲気で、それこそが私の憧れていた家族なのだと、思い出し、涙を流す。


 悲しみと、今見ている夢の多幸感が、少しずつ遠ざかるようにして、私はゆっくりと目を覚ました。


「んんっ…あ?あれ?」


 時刻は昼過ぎ。

 今日は私も宗次郎も休みで、昨晩から朝方まで抱かれていた。


 それが、今迄の宗次郎とは別人のようで、本当は謝罪の意味を込めて抱かれた筈なのに、私は宗次郎の首にしがみつき、腰に足を絡ませながら、自分から求めるような事をしてしまっていた。


 エッチをする前は、修司さんに、これで最後にしますと謝りながら始めた筈なのに、行為の最中は、全く修司さんの事が頭に無かった。ただ、もっともっとという欲望と、宗次郎の温もり、それを感じている安心感、それらを強く感じ、文字通り頭が真っ白になる程に夢中になっていた。


 ベッドの上で身体を起こし、あれだけ体力を使ったというのに、疲労感どころか、充実感さえ感じている。


 何時も宗次郎に抱かれた後は、罪悪感があったけど、それは修司さんに対するものの方が比率が高かった。


 今は、罪悪感を感じない。

 何故だろう。夫婦なんだから、まぁエッチをしても間違いではないし、それどころか推奨される事なのだから、これで正解なのだと思った。


 色々と考えていたけれど、そこでハッと我に返った。


 隣に寝ていた筈の宗次郎がいない。


 ゆっくりとベッドから離れ、リビングに行くと、テーブルに置いてあった離婚届が無くなっていた。

 代わりに、書き置きがある。


【美衣子へ


 昨日は最後の願いを聞いてくれてありがとう。

 離婚届は出しておくので、彼と幸せになってくれ。


 最低限の荷物は持って行く。残りの荷物は、申し訳ないけど、住む場所が決まったら送って欲しい。


 さようなら。】



 それを眺め、呆然としてしまう。

 慌てて携帯を取りに行くと、着信が何件もあった。


 着信は、修司さんと碧。

 宗次郎からは無かった。


 何故か修司さんの着信を見て、モヤッとした感情が湧き、自分で少し戸惑った。

 それと同時に、何故私は慌ててしまったのかと、混乱する。


 それを望んでいた筈で、昨晩はやっと終わると安堵していたのに。


 何より、何時もなら修司さんからの着信があれば、直ぐにかけ直すのに、そうする事がだと思ってしまう。


 そして私は、修司さんではなく、碧に電話をした。


『もしもし〜!』

「あ、うん。」

『離婚届書いてもらったんだね?』

「え?な、何で?」

『美衣子に付き合って離婚届取りに行ったから、友達として、宗次郎がどうなってるのか心配になってさ〜。』

「う、うん。連絡をしたの?」

『そうそう。でさ、住む所探してるって言うから、暫くは家においでよって言っといた。』


 私は激しく動揺した。

 別に宗次郎が碧とどうなろうが、良かった筈。

 私には好きな人がいて、その人以外はどうでもいいと思っていたのに。


「ちょ…ちょっと待ってよ!」

『ん?どうしたの?』

「どうしたのって…」

『あれぇ?もしかしたら、昨日した?』

「〜っ!何なのよ!あれは何?」

『だから言ったじゃん。宗次郎以上に上手い人いないって。』

「だって!今迄と全然違う!」

『ざぁんねぇん。もうすぐ宗次郎が着くから、またね?』

「ま、待って!」

『何?いいじゃん、美衣子には彼がいるんだから。』

「そうだけど…でも、その……あ!夫婦だし!まだ夫婦だし私達!」

『…ズルくない?』


 ズルいと思う。

 私は一体何を言っているのだろう。


『まぁね、宗次郎も離婚届を出すまではしてくれないって言ってるけど…今回碧が説得してくれたから最後に出来た。お礼をしたいって言ってたから、それは頂くつもりだよ?』

「そ、それは…」

『フフン。あんたさぁ、彼から連絡来てるんじゃない?休みの時は何時も会ってるでしょ?』

「う、うん。」

『会っておいでよ〜。好きな人に。宗次郎は私に任せて。ね!』

「…ず」

『ず?』

「ズルい!離婚届出すの待ってって言っといて!絶対に言っといてよ!」


 私もなんだか訳が分からなくなって、電話を切ると、修司さんに連絡を入れた。


『もしもし?』


 電話に出た修司さんは、少し不機嫌そうな声音だった。


「あ、ごめん。さっきまで寝てて。」

『ちっ。で?会うんだろ?』

「う、うん!直ぐに支度するね?」

『何時もの所に迎えに行く。』


 身体はフワフワとした軽い感じなんだけど、気分が重くなる。


 嬉々としながら支度を整えていた今迄と違い、モタモタとしながら準備をし、言われるがままに待ち合わせ場所に向かった。


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