第5話 最後に一回くらい

「…だからね、ごめんなさい。」


 仕事から帰ると、ミイコに謝罪をされた。


 因みに、俺の仕事は美容師だ。

 母子家庭で育った俺は、中学卒業後働きながら定時制に通った。知り合いの美容師から誘われ、アルバイトをさせて貰いながら、早朝にトレーニングを受けさせてもらい、夜間は学校、アルバイト代は大した金額では無かったが、食費くらいは稼いで母親に渡していた。ある程度貯金もしながら、高二の時に美容学校の通信過程の受講を初める。


 美容師になる為には、高卒の資格が必要だった為、通っていたが、必要無かったら、働きたかった。


 毎日のトレーニングと、知り合いに頼んで髪を弄らせてもらったりで、定時制を卒業する頃には、高卒の新人よりも余程技術的な物は進んでいた。


 卒業後、アルバイトから社員になり、早速客に着ける様になる。

 俺とは別に新人が二人入ったが、初めのシャンプー地獄で、一人は退職した。

 新人を三人もいれるような、美容室としては成功している店だったので、それなりに客は多い。


 当然、シャンプーの頻度も多く、手荒れが酷くなる。手の皺という皺が裂け、シャンプーをしている間、そこに髪の毛が入り込み、苦痛を伴う。

 次第に傷口からは膿が出て、手袋をしながらのシャンプーは、手袋を脱いだ時に、水には付けていない筈なのに、びしょ濡れになっている。膿が手袋の中で、滲み出ているからだ。


 キチンとケアさえすれば、そこまでにならないが、退職した一人は、そこから雑菌が入り込み、手首から上が赤く腫れ上がっていった。その腫れは手首から肘の真ん中辺りまで、登るように範囲を広げ、どうやら雑菌がリンパ管に侵入したらしく、嘘か本当か、この状態が続くのであれば、下手をすれば腕を切り落とさないといけないとまで言われたらしく、退職をしていった。


 残ったもう一人を励ましながら、早朝と閉店後のトレーニングを続け、当然俺の方が先に進んでいるので教えながらではあるが、同期として支え合った。


 通信制と言っても、月一で学校に行かなければならない。スクーリングというやつだが、そこで出会ったのが、碧だった。


 碧も、高校に通いながら通信過程を受け、実家の美容室を継ぐと言っていた。

 碧は、頑張り屋だった。

 高校と、美容学校、そして部活までこなしていた。

 そこで告白され、付き合う事に。


 別れた後にも関係が続き、ミイコに一目惚れしてから強引に紹介して貰い、身体目当てで結婚したのだが、現状がこれだ。


 俺は人としておかしいのは分かっている。

 結婚と言うものに希望なんてもの期待していないし、子供を作れない俺が、真面に結婚なんかしていい訳もない。


 じゃあ何故ミイコには結婚を申し出たかと言うと、彼女もやはり人としておかしいと分かったからだ。


 不倫しておいて、俺と付き合うのも結婚するのも受け入れたし、おかしいもの同士ちょうど良いと思った。俺はセックスがしたかったし、彼女は彼との色々な思いを誤魔化すため、そんなとんでもない理由なのだから、真面な結婚ではない。


 それともう一つ、ミイコの事は碧とイタ飯屋で会った時より以前から知っていた。その姿をキチンと確認したのはイタ飯屋だったが、様々な事情があり、存在は知っていたと言うくらいで、彼女も子供が産めない身体なのは知っていた。


 初めは結婚なんて考えなかったが、どうやら彼氏に操を立てているようで、体の関係には応じなかった。


 何度もぐらついている感じはあったが、結局一線どころか、キスさえもしなかった。


 強引に迫るなんて事は好きではない。じゃあ結婚すれば抱けると考え、そこまでプラトニックなままで結婚まで漕ぎ着けた。

 結婚式等は、お互い特に呼ぶ人もいないからと、しなかったから、籍だけ入れた。


 そして半年、合計五回の行為をして、これからだという時に、なんだか色々と告白された。


「分かった。それじゃあ仕方がないな。」


 この場合、俺には慰謝料の請求権があるが、別にそんな物どうでも良かった。

 そもそも知っていた事だしな。


 ただ、ここ迄大事に育ててきた身体を、一度も味わえない事がとても残念だ。


 時間をかけ過ぎたか。


 正直、身体に関しては運命の人だと思っている。

 俺自身、女からそんな事を言われて来た事が何度もあるが、俺は一度としてそんな風に思ったことが無い。


 俺の求める一番良いセックスは、合意の上でないと萎えてしまう。

 無理やりとか、強姦紛いとか、そんなのが好きな性癖のやつもなかにはいるだろうが、俺にはそんなものはない。


「本当にごめんなさい。碧に相談したんだけど、少し叱られちゃった。」

「碧が?何で?」


 碧がミイコを叱る?

 何故?

 碧なら俺と続けられるから、喜びそうだけどな。


「今迄あまりその…させてないから。最後に一回くらいさせても良いんじゃない?って。」


 なんだその叱り方…


 しかしながら俺は、心の中で碧にスタンディングオベーションを送った。


 やってくれたわ、あいつ。


 もう無理だと思っていたが、大事に育ててきた身体を、一度は味わう事が出来る。

 これは碧に何か礼をしなければならないだろう。


「これを…もう書いてきたから、後はソウくんが記入すれば出せるから。それで、ソウくんが求めてくれるなら…する?」

「する!」


 食い気味に返事をして、嬉々としながら離婚届にサインをした。


「うん。分かった。最後くらい、夫婦っぽい事しようか?」


 離婚するというのに、お互いに悲壮感はなく、この半年で一番和やかな空気で、作ってくれていた食事を食べた。


 ミイコは料理がうまい。

 本当に彼氏の事がなければ、子供を産めないとしても、良い嫁になると思う。


 まぁ、良い嫁ってのが俺には分からんが、一般的にはそうなんだろ?自分も働いているのに料理上手、部屋は何時も綺麗。普段も普通に会話するし。


 美味いご飯を食べ、ミイコが風呂の準備をしてくれたので、一緒にと誘ってみたら、承諾。


 そして風呂に入った。


 俺はミイコの身体を見て、激情が襲ってきたが、何とか抑え、最後の仕上げとばかりに、丁寧にマッサージをしながら、身体を洗ってやる。


「あっ…えっ?」


 戸惑うような声が聞こえ、仕上げは上々だと確信しながら、ゆっくりと湯船に浸かった。


 後ろから抱き締めるように浸かり、少し俯いているミイコの首筋や耳が赤くなっている事に気づく。


「ねぇ…ソウくん?」


 困惑した表情で、此方を振り向くミイコ。

 俺は彼女の手に指を絡ませ、ニコリと笑う。


「どうした?」

「〜っ!…なんでもない。…なんか何時もと違う。」


 何がだろう。

 俺の雰囲気か?それとも自分の身体の反応か?


 俺の視線を避けるように、再び前を向いて俯いたミイコの手を、ゆっくりと引き寄せ、その指先を口に含んだ。


「んんっあっ!」


 その瞬間、彼女の身体は硬直して震えた。

 それだけでイッてしまったようだ。


「ハァハァ…なんで?これ…ソウくんだ。」

「??」


 意味が分からなかったが、反応をみるに、流石運命の人。これだけでここ迄になるとは思わなかった。


 ウキウキしながら、彼女の耳元に囁く。


「寝室に行こうか?」


 息がかかって、身体を震わせているミイコの耳に、ハムッと噛み付くと、ビクッ!身体を跳ねさせ、ゆっくりと頷いた。






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