第48話 change the destiny⑬
凪先輩のところに行かないと。
そう思う前に体が動いていた。
血が湧き、肉が歪み、骨が軋むほどに全速力で闇の中を駆けていく。
走りながらスマホを操作し、凪先輩に電話を掛ける。
どうして、どうしてこんなことになってしまった。
俺の何がいけなかった、何が足りなかった。
そんな思いを孕みながら、凪先輩が電話に出ることを願った。
プルルルル、プルルルルと無機質な音が鼓膜に響く。
頼む、頼むから電話に出てくれと心の中で叫ぶ。
そうして、八度目のコールが鳴った後。
「あ、隼人君?」
「凪先輩!」
「は、はい!」
のほほんとした声で、彼女が電話に出た。
信じられないくらい大きな声で、彼女の名前を呼ぶ。
すると、彼女は驚いたような声音で返事をした。
良かった、生きてる……と安堵し、その場に立ち止まって膝に手をつく。
「はぁ……はぁ……い、いまどこにいたんですか?」
「どこって家だけど……隼人君どうしたの? 様子おかしいけど大丈夫?」
息を切らしながら彼女に聞くと、そう答えが返ってきた。
よかった、家にいるなら安心だと、溜息をついてその場にへたり込む。
俺の焦ったような声を聞いて不安になったのか、彼女が心配そうに尋ねた。
そんな彼女を宥めるように言葉を返す。
「……大丈夫です……それより、お母さん説得できたんですか」
「……うん、おかげさまで」
「……よかったです」
聞くと、彼女は柔らかく、温かい感情を含んだ声でそう言った。
俺の予想通り、彼女は母親の説得に成功したようだ。
安堵すると同時に、彼女のその言葉に違和感を抱いた。
説得に成功したのなら何故、会いたいだなんてメッセージを送ってきたのだろうか。
その疑問が、頭の中を占めていく。
「何か、お互いに勘違いしてたみたいで……話せば長くなるんだけど……」
「そうだったんですか……明日、話聞かせてください」
疑問を解消させようと頭を回転させながら、彼女を言葉で誘導する。
知っている、凪先輩とお母さんの想いがすれ違っていたことは知っている、知っているから、分かっているから、今日は家から出ないでくれと、そんな気持ちを込めて彼女に言葉を返した。
「隼人君……それなんだけどさ……」
「なんですか」
「今から、会えないかな?」
けれど、彼女はその言葉には従ってはくれなかった。
俺の気持ちを汲み取ってはくれなかった。
どうして、そんなことを言うのか。
どうして、そんなことを思うのか。
どうして……と考えて。
考えるのが面倒になって、彼女に直接聞いた。
「どうしてですか」
「どうしてって……会いたいからだけど……」
けれど、彼女から返ってきた言葉は要領を得ないもので。
何の意味も持たない、抽象的な理由で。
何でもない日常の中で言ってもらえた言葉なら嬉しいけれど、今日だけは、その言葉に従うわけにはいかなかった。
どうして、よりにもよって今日なんだと、自分の運命を呪う。
「む、無理です」
「……どうして?」
「もう、夜遅いですし」
「まだ九時半だよ?」
そう言われて腕時計を見ると、時計の針は二十一時四十二分を指していた。
「充分遅いです……それに、女の人が夜道を一人で歩くのは危ないですから」
「私なら大丈夫だよ、いつもこの時間出歩いてるし」
「ダメ……ですよ……」
時間が遅いからダメなわけじゃない。
とにかく今日だけはダメなんだと、そんな想いを含んだ弱々しい言葉を口づさむ。
けれど、彼女の耳には、鼓膜には、心には、届かない。
「それに、会うっていっても少しだけだから」
「ダメです……」
長時間拘束されるのが嫌だからダメなわけじゃない。
とにかく今日だけはダメなんだと、そんな想いを孕んだ弱々しい言葉を口づさむ。
けれど、彼女の魂には、届かない。
「だから……」
「ダメです!」
怒号が、夜闇の中に消えていく。
初めて、彼女に直接的な怒りの感情を向けたかもしれない。
おかしなやつだと思われているだろう。
危ないやつだと思われているだろう。
どうしてこの人は理由もなく私を自宅に縛り付けようとするのだと、そう思われているのだろう。
「とにかく……今日だけはダメなんです……」
彼女にそんな風に思われるのも、彼女にそんな醜い感情を向けるのも嫌だった。
嫌だったけれど、仕方がなかった。
だって、あなたが今から死ぬかもしれないだなんて言ってしまえば笑われてしまうから。
信じてもらえずに、かえって不信をかって、約束までもがなかったことになるかもしれないから。
だから、彼女を守るために、彼女を救うために、死んでも真実を伝えるわけにいかなかった。
「……私ね」
沈黙がしばらく続いた後、彼女が言葉を紡いだ。
どんな罵倒が返ってくるのだろうと、ビクビクしながらスマホに耳を傾けた。
すると、彼女は……
「隼人君のこと、すごく尊敬してるんだ」
「……はい?」
そう、突然脈絡のない話をし始めたのだ。
何故、この流れでそんな言葉が出てくるのか。
俺には理解できなかった。
「私より年下なのにしっかりしてて、いつも冷静で、落ち着いてて、一見冷たそうな感じがするのに、本当は誰よりも優しくて……」
彼女は一体何を言ってるんだと、彼女の言葉を聞きながら思っていた。
それに、彼女の言葉に共感することもできなかった。
本当の俺は、一人じゃ何もできない卑怯な臆病者だ。
そんな暖かい言葉を掛けてもらえるような人間じゃない。
彼女が、凪先輩がいたから、彼女が言ってくれるような人間を演じることが出来たんだ。
「私の演技が好きだって言ってくれたことも、すごく嬉しかった。それまで誰にも褒められたことなかったから」
それも、違う。
一度目は自分が悪者になるのが嫌で、二度目は彼女に近づくためにそう言っただけで。
同じ時間を共にして、徐々に彼女の演技の魅力に気がついただけで。
彼女の演技を見れば、きっと誰もがそう言うのだろうと思っていた。
彼女がすごいから、彼女が頑張ったから、その言葉が、その想いが生まれたんだ。
「昼休み、二人で演技の練習したのも楽しかったな。自分以外の人と演技をするのがこんなに楽しいだなんて知らなかった」
それも、違う。
彼女一人が楽しかったわけじゃない、彼女一人が与えられていたわけじゃない。
俺も、彼女から貰っていた。
楽しいなと、こんな時間も悪くないなと、幸せだなと、そんな感情を彼女から与えられていた。
「花火大会の日、私の話を聞いてくれたのも嬉しかった。何も話してないのに、隼人君は全部知ってて、私が抱え込んでた気持ちも全部理解してくれて、頑張れって、励ましてくれて」
それも、違う。
俺は知っていた。
彼女が悩みを抱えていることを知っていた。
だから、彼女を救おうと思った、助けたいと思った。
彼女が優しく温かい人間だから、そういう人間だから、そう思ったんだ。
「隼人君がいなかったら、こうやって自分の気持ちをお母さんに伝えることもできなかったと思うし、夢もあきらめてたと思う。だから、本当に感謝してもしきれないっていうか」
それも、違う。
本当は、俺なんかいなくても問題は解決していた。
彼女の勇気が、未来や運命すらも変えたんだ。
「何だか、隼人君とは初めて会った気がしないんだよね。まるで幼馴染みたいな、昔から君を知っていたみたいな。そう思っちゃうくらい、隼人君と話してると楽しいし、隼人君といると安心する」
それは……
それは、違わない。
俺だって、そう思う。
彼女といると楽しい。
彼女といると安心する。
ずっと、彼女と一緒にいたかった。
ずっと、あの屋上で演技の練習をして、くだらない話をして笑っていたかった。
けれど、それは叶わなかった。
不可能だった。
だから、その未来を壊そうと、そう思った。
彼女を失いたくないと、そう思った。
なぜなら、俺は……
彼女が、好きだから。
だから、死に物狂いで彼女を救おうとした。
「だから……その……」
彼女が、言葉に詰まる。
結局、彼女が何を言いたかったのかは分からなかった。
けれど、彼女の言葉は、俺が彼女を好きであるということを、彼女がこの世界で一番大切だということを再確認させてくれた。
絶対に彼女を死なせはしない。
どんな手を使ってでも、今日を乗り越えて……
「私ね」
彼女が、言う。
「隼人君のこと、好きになっちゃったみたい」
言葉を、失う。
彼女が言ったことを、俺は理解できなかった。
そうして、ものの数分間の沈黙を挟んだ後、ようやく理解する。
心臓が、張り裂けそうになった。
「ごめん……電話で言うことじゃなかったよね……」
「いや、その……」
気まずい雰囲気の中で、二人言葉を交わす。
予想外だった。
考えたこともなかった。
自分が彼女を好いているというのは知っていた。
けれど、彼女までもが同じ気持ちでいてくれたなんて思いもよらなかった。
嬉しいのか、恥ずかしいのか、良く分からない気持ちになる。
「……私、駅の前で待ってるから」
「……は?」
混乱したまま聞いた彼女の言葉に、背筋を凍らせた。
心臓の鼓動が速まり、体が鉛のように重くなっていく。
「無理なら、私の気持ちには答えられないって言うなら、来なくてもいい。でも、隼人君が向き合ってもいいって思ってくれたなら、私のところに来てほしい」
「何を言って……」
必死に彼女を引き留めようと、その言葉を撤回させようとするも、彼女は聞き入れてはくれなかった。
「今、この気持ちを、この言葉を隼人君に直接、面と向かって伝えなかったら、一生後悔しそうな気がする。そういうの、もうやめようって決めたんだ。“本当に大事な事からは逃げないで、それ以外の事からは逃げてしまおう”って、私の大切な人と約束したから。この気持ちは、私にとって本当に大事な事だと思うし」
「ダメです凪先輩……家から出ない……」
懇願するようにそう言っても、彼女はその決意を変えようとはしなかった。
自分が今までやってきたことの全てが裏目に出ているような気がした。
悪寒が、全身を襲う。
「約束破っちゃってごめん。でも、待ってるから」
「ちょ、待っ……」
そう言って、一方的に電話を切られてしまう。
二、三度電話を掛け直してみても、彼女は決して電話に出ようとはしなかった。
「クソッ!」
スマホを地面に叩きつけ、また、夜闇の中を駆けだした。
俺は一つ、重大な間違いをした。
彼女は、母親の説得に失敗したから俺に連絡をくれたのではない。
俺に自分の気持ちを伝えるために、メッセージを送ってくれたのだ。
おそらく、一度目の夏もそうだったのだろう。
絶対とは言えないけれど、それ以外にメッセージを送る理由が考えられない。
母親の説得に成功して、その喜びのまま、自分の気持ちを伝えようとしてくれたんだ。
そんなに嬉しいことはないし、そんなに幸せなことはないのだろう。
けれど、それが……
それが、彼女が死んでしまった、死なせてしまった原因だったのだ。
悔しくて、涙が出そうになった。
どうして、どうしてだ。
俺が、彼女が、何をした。
俺の、彼女の、何がいけなかった。
特段悪いことをしたつもりはない。
誰かに迷惑をかけたつもりもない。
なのに、どうして、こんな残酷な仕打ちを受け続けなければいけないのだろうか。
どうして、想いを通じ合わせることを罰せられなければいけないのだろうか。
誰が、こんな仕打ちを企んだ。
誰が、こんな運命を定めた。
誰が、彼女を殺した。
誰が……誰が。
怒りで、目の前が真っ赤になった。
どうして、俺が。
どうして、彼女が。
答えのない疑問が頭の中を巡る。
どこに向かえばいいか、正解は分からなかった。
けれど、体は勝手に彼女が一度目の夏に死んだあの場所へと向かっていた。
どうやってでも彼女を見つけ出し、彼女を救わなければ。
使命、というよりも、怨念に近いようなそんな気持ちで足を動かした。
体が悲鳴を上げる。
喉が渇き、口の中が切れてしまいそうな感覚。
肉と骨が、歪な形に変わっていく。
それでも、それでも走るのをやめなかった。
明確なイメージが、頭の中に湧いていた。
事故現場に彼女が歩ってくる姿が脳裏に映る。
真っ暗な、街灯もない夜道を彼女は歩いている。
そうして、道路を渡ろうとして、彼女は……
……嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
絶対に、彼女よりも先にあの場所に到着して、彼女を保護する。
歯を食いしばりながら、靴の踵をすり減らしながら、コンクリートの上を駆けた。
事故現場に到着し、辺りを見渡す。
はぁ……はぁ……と息を切らしながら、彼女を探す。
肺が潰れそうになるほど苦しかったけれど、それでも彼女はどこだと、彼女はどこにいると、必死に目を凝らして闇の中を探した。
けれど、彼女は見当たらない。
「凪先輩!」
最後の力を振り絞って、彼女の名前を叫んだ。
喉が潰れて、口の中に鉄の味が広がった。
不安で押しつぶされそうになった。
もうだめだと、泣きだしそうになった、その時。
「隼人君!」
背後から、彼女の声が聞こえてくる。
バッと後ろに振り返ると、道路を挟んだ数メートル先に彼女の姿があった。
こちらに走ってくる彼女を見て、よかった……とは思えなかった。
大型のトラックが、彼女が渡ろうとしている道路の奥から走ってくる。
彼女はそれに気づかず、こちらに向かってくる。
「こっちに来るな!」と声を張り上げようとするも、上手く声が出なかった。
ついさっき、喉が潰れてしまったからだろう。
面白いくらいに全てが上手くいかず、運命は、彼女が死んでしまう未来へと向かっていく。
だめだ……だめだ、だめだ!
地面を蹴って、道路に飛び出す。
俺が、自分が死んだって構わない。
それでも、彼女は、彼女だけは……
道路に飛び出す彼女と、それに突っ込むトラック。
その間に割って入るように、飛び込んだ。
彼女を突飛ばそうとするけれど、もう間に合わないことを悟る。
けれど、あきらめなかった。
少しでも、彼女に与えられる衝撃を減らすために、トラックに背を向けるような形で彼女に抱き着いた。
鈍い音が、真夏の月の下に響く。
数メートル吹き飛び、地面に叩きつけられる。
衝撃に耐えきれず彼女を手放してしまったようで、少しだけ離れたところに凪先輩は横たわっていた。
血、血、血。
俺と彼女の間に、紅よりもどす黒い、腐ったトマトジュースのような液体が広がっていく。
彼女に触れようと、手を伸ばす。
しかし、それは叶わなかった。
腕が、なかった。
いや、腕以外にも、なかった。
体の至る所が、なかった。
不思議と、痛みは感じなかった。
ただ、どうしようもなく寒かった。
夏なのにどうしたんだろうと可笑しくなってしまう。
そうして、悟る。
自分は、死んでしまうのだと。
また、俺は失敗してしまったのだと。
また、彼女は死んでしまうのだと。
遠のく意識の中で、考えていた。
“誰が、こんな仕打ちを企んだのか”
“誰が、こんな運命を定めたのか”
“誰が、彼女を殺したのか”
彼女が、九条凪が、今日という日に、あの場所で、事故に遭って死んでしまうという結末を生み出したのは誰なのかを、考えていた。
彼女は、誰のために家を出た?
彼女は、誰のために夜の街を走った?
彼女は、誰を想ってくれた?
考えて、考えて、考えて。
そうして、知った。
答えを、見つけた。
こんな仕打ちを受けたのは。
こんな運命を呼び寄せたのは。
彼女を、殺したのは。
他の、誰でもない……
この、俺だ。
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