第47話 change the destiny⑫ 



 一度目の夏の今日、彼女は死んだ。


 それを阻止するために、この一ヶ月努力した。


 彼女との間に再び信用を築くために、ストーカーまがいの行為に手を染めてまで距離を詰めた。


 彼女と仲良くなるために、得意ではない会話を必死に盛り上げようとした。


 彼女の命と、彼女の夢、その両方を守るために頭を悩ませたりもした。


 彼女の夢を遮る大元、それを取り除くために、顔も知らない彼女の母親に会いに行ったりもした。


 全ては彼女の幸せのために、彼女を救うために、その一心で身を削るような思いをしてまで頑張ってきた。


 彼女を救うために、できることは全てやった。


 そうして俺は……




 彼女を救った。




 現在、俺はかつて彼女がその命を散らした場所、その運命を上書きした場所を後にし、家路についていた。


 蒸すような夏の熱気を身に纏い、夜の闇を軽快な足取りで切り裂いていく。


 もう少しで家に着くだろう。




 彼女は、死なない。




 その結果を、その未来を知っているせいか、心なしか体は軽く、先程までのどんよりとした気分も嘘みたいに吹き飛んでいた。


 今頃、彼女は母親と話しているのだろうか。


 自分の夢を、目標を、生きがいを、語っているのだろうか。


 その姿を想像して、思わず笑みを溢した。


 きっと、幸せな時間を過ごしているに違いない。


 今までの自分の葛藤が、全て笑い話のようなすれ違いだったことに気づき、笑っているのだろう。


 夢を、自分の好きなことをあきらめなくていいと知り、未来に希望を感じているのだろう。


 彼女からその話を聞くのが、今から楽しみで仕方がなかった。







 家まであと少し、というところで不意に立ち止まり、後ろに振り返る。


 大丈夫……だよな?


 と、少し心配になってしまったのだ。


 様々な苦労をし、様々な策を練り、完璧だと、もう何の心配もいらないと、そう言えるほどに手を尽くし、彼女を救った…………はずなのに。


 何故か、俺の中には、微かな大きさだけれど鋭い、心臓をチクチク刺すような不安が残っていた。


 おそらく、それは本当に気のせいで、気が立っていたから過敏に反応してしまっているだけで、心配し過ぎなだけで。


「言いがかり」と言えるほどに根拠のない不安だった。


 やっぱり、直接会って彼女の生存を確認しなければ安心できないのだろうか。


 それなら……




 『頑張ってください。良かったら明日、どうなったか教えてくれませんか?』




 と、彼女にメッセージを返しておいた。


 これで、明日直接彼女と顔を合わせれば、俺の中にある不安要素は全て消滅し、安寧を手に入れることが出来る。


 今日さえ、今日さえ乗り切れば、全てが丸く収まるんだ。


 


 大丈夫だ。


 そう、宥めるように自分に言い聞かせながら歩いた。


 狼狽えるな。


 やるべきことはやってきたはず。


 大丈夫、彼女は死なない。


 その事実を、ついさっき自分の目で確かめてきたじゃないか。


 凪先輩は生きて、自分の夢を叶えるんだ。


 だから、大丈夫だと、何度も、何度も、自分に言い聞かせた。




 大丈夫、大丈夫だ。


 だって、彼女が死ぬ理由なんてもう一つも存在しないじゃないか。


 諸悪と思っていたものは、そもそもただのすれ違いだったわけで。


 彼女を取り巻く問題は、俺が関与なんてしなくても自然と解決していたわけで。


 彼女の夢を遮る“母親との確執”は、彼女が勇気を出してその本音を伝えれば、その気持ちは、その想いは、彼女の母親に伝わっていたわけで。


 だから、恐れなくても成るように成るし、しっかりと、向かうべきところに向かうわけで。


 これからは、俺にも、彼女にも、幸せなことしか起こらない。


 彼女は自分の夢を全力で追いかけることが出来る。


 俺はそれを全力で応援することが出来る。


 そして、俺が彼女に抱いているこの気持ちも、いつかは伝えることだって……




 そう、前向きなことばかりを考えて自分を宥めた。




 自宅に到着し、玄関のドアノブに手を掛ける。


 そう、大丈夫だ。


 何をそんなに心配する必要がある。


 そもそもこれは、彼女の夢に関するいざこざは、俺がいなくたって解決していた問題だったじゃないか。


 もしかしたら、一度目の夏だって、彼女は俺が関わらなくても母親の説得に成功したのかもしれない。


 なぜなら、彼女と母親の気持ちは同じで、それはただの勘違いだったのだから。


 話をすれば、その想いは伝わるはずなのだから。


 説得を失敗するだなんて、有り得ないはずなのだから。


 迷った彼女が夜の街に飛び出すわけも、そのまま事故に遭うこともないはずなのだから。


 彼女が死んでしまう可能性を全て取り除き、その結末が消滅したのをこの目でしっかりと確認したのだから。


 だからもう、何も心配する必要なんて……

















 じゃあ、どうして、彼女は一度目の今日、“話したいことがある”だなんてメッセージを俺に送ってきたんだ?
















 ふと、そんな疑問が頭の中に思い浮かぶ。


 表情が、強張った。


 俺は、彼女が一度目の夏の“あの日”に家を飛び出して事故に遭ってしまった原因を“母親の説得に失敗したからだ”と仮定した。


 心ここに在らずの状態で、周りが見えない状態で俺に相談を持ち掛けようと夜の街を走ったから、不遇な事故に遭ってしまったのだと、そう考えていた。


 だから、二度目の夏には、その説得失敗の原因を取り除こうとした。


 一度目の夏、見て見ぬふりをした彼女の夢を遮る根幹を、今回は自分が何とかしてやろうと躍起になり、奇しくもそれに成功した。


 そして、知った。


 彼女の苦悩は杞憂であるということを、彼女の母親は彼女を否定したりなんかしないということを。


 話せば、しっかり受け止めてくれるということを知った。


 さらに、それでも、万が一にでも間違いがないように、二度目の“あの日”、つまり今日、彼女が家から出ることを禁じた。


 これで充分だと、これで彼女を死の可能性から救えると、勝手に自分の中で満足していた。




 けれど、違う。


 まだ、足りない。


 そのことに、その片鱗に、今、気がついてしまったのだ。


 二度目の夏に知ったから、その可能性が頭の中から零れ落ちていた。




 彼女の母親は、最初から彼女の演技の道を否定するつもりなどなかったのだ。




 何が言いたいのかというと、つまりはこうだ。


 彼女の母親が、そもそも彼女の演技の道を否定するつもりがないというのなら、一度目の夏の時点で彼女は母親の説得に成功したのではないのだろうか。


 そうだろう、拒絶するつもりがないのなら、説得に失敗するはずがない。


 それは、もはや確定的な事実であると言っても過言ではない。




 しかし、そうなると、一つの矛盾が生じる。


 母親の説得に成功したのなら何故、彼女はあんなメッセージを送ってきたのだろうか。


 説得に失敗したから、相談するためにメッセージを送ったんじゃなかったのか。


 そのために、夜の街に出たのではないのか。


 てっきり、俺はそうだとばかり考えていた。


 いや、それ以外の原因が思いつかなかったと言ったほうが正しいのかもしれない。


 


 けれど、その真実の可能性を感じてしまった今、自分で建てた仮定を全く持って信用できなくなってしまった。


 母親の説得に成功したのなら、彼女は一体何のためにメッセージを送ってきたのだろうか。


 もしかしたら、彼女は一度目の夏の“あの日”、母親と自分の進路の話をするつもりはなくて、全く別の理由で俺にあんなメッセージを送ってきたのではないだろうか。


 ……いや、それだと、なおさらあのメッセージを送ってきた真意が分からなくなるし、そもそも真面目な彼女がテキトーな理由で夜遅くに人を呼び出すなんてことは考えられない。


 なら、彼女は、どうして……


 一度疑ってしまうと、昨日の昼に彼女が見せたよそよそしい態度や、西野が言っていた「彼女が俺を見ていた」ということでさえ疑わしく思えてきた。


 まさか、俺が見落としている原因が、まだ……




 考えて、吐きそうになる。


 ズシリと体が重くなり、悪寒と胃を締め付けるような倦怠感が体を襲う。


 冷汗がダラダラと流れ、目の前がくらくらした。




 もし、もし、何か重大な見落としがあったのなら、今回も、二度目の夏も、俺は彼女を失うことになる。


 それは、それだけは嫌だと、思わず叫び出してしまいそうだった。


 二度も彼女の死と直面し、耐えられるはずがない。


 廃人になってもおかしくはないだろう。


 乾いた口内を潤すために唾を飲み、今までの全てを、何か、何か重大な見落としをしてないかと、頭の中でグルグルと考えた。




 何が、何で、何のために彼女は死んだのか。




 考えて、考えて、考えて。




 それでも、自分で建てた仮説以外の要因を、説得に失敗してしまった彼女が血迷ったという以外の死の原因を見つけることはできなかった。




 そうやって、自宅のドアの前で停止していると、ピコンと、ズボンのポケットに入っていたスマホが震えた。


 体が、鉛のように重くなった。


 焦りが、全身を伝う。


 信じられないくらいの量の汗が、額から流れた。


 画面を確認する。


 送り主は…………凪先輩だった。




 ……違う。


 これは、先程送ったメッセージに対する返信だ。


 明日会えるよと、そう彼女が返事をくれたに違いない。


 そうだ、そのはずだと思い込んで、震える手でスマホのロックを解いた。




 画面には、短い文章が表示されていた。






『隼人君、少し話したいことがあるから、今から会えないかな?』

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