第46話 change the destiny⑪

【七月三十一日 火曜日】


 あの日。


 彼女を失った一学期の終業式。


 それは一度目の夏と変わらず、校長の意味のない根性論についての話を延々と聞かされるといった非常に不毛なものだった。


 一度聞いたことのある不毛な話を聞き流しながら、視点を定めずに虚空を眺める。




 この一ヶ月、色々な苦労をした。


 けれど、終わってみるとそれは大したものではなくて、問題だと思っていた原因はそもそもただのすれ違いだったわけで。


 翌々考えてみると、彼女を取り巻く問題は、俺が関与なんかしなくても自然と解決していたのかもしれない。


 なぜなら、彼女の夢を遮る“母親との確執”は、彼女が勇気を出してその本音を伝えれば、その気持ちは、その想いは、彼女の母親に伝わっていたのだから。


 だから、恐れなくても成るように成るし、しっかりと向かうべきところに向かうはず。


 そう考えてしまうと少し寂しいような気もしたけれど、解決するのは、問題が問題でなくなるのは良いことなので素直に喜んでおこう。


 これで、彼女を死に追いやったはずの要因も、彼女の夢を遮る原因もなくなるはず。


 もう大丈夫だ。


 そう、ゆっくりと息を吐きながら自分に言い聞かせた。




 終業式を終え、ざわつく生徒達の中を潜り抜けて自分の教室を目指した。


 この光景も一度目の夏と変わらず、これから始まる夏休みの予定を想像し、耳に響く声で同級生達が会話しているのが聞こえてくる。


 雑踏の中に、俺の方へと近づいてくる一つの気配を感じた。


 ドンっと背中を叩かれて後ろを振り向くと、そこには西野がいた。


 何だか、久しぶりに西野の顔を見たような気がした。


 ここ数日、凪先輩のことばかり考えて、自分の生活を、自分の身の回りを疎かにしていたせいかもしれない。




「おぅ」


「よ、よぉ」




 軽い挨拶を済ませると、西野は遠慮がちに肩を組んできた。


 妙によそよそしいその態度を不思議に思っていると、西野が普段よりも低い声で聞いてきた。




「なぁ隼人」


「ん?」


「嘘はなしだぜ」


「なんだよ?」


「……おまえ、九条先輩とデキてんのか?」


「は?」




 西野のその質問に疑問を抱き、何だか気持ち悪くなってバッと西野から距離を取った。




「何だよ、急に……」


「いやだって……」




 どうしてそんな風に思ったのか西野を問い詰めようとするも、それをする前に西野の方から口を割ってくれたので、その言葉に耳を傾けた。




「さっき、体育館の入り口で九条先輩見かけたんだけどさ……」




 どうやら終業式が終わった直後に凪先輩を見かけたらしい。


 しかし、それがどう繋がって俺と凪先輩がデキていると、そう思ってしまう材料になるのかがよく分からなかった。


 なんだ、背中に“夏目ラブ”と張り紙でもしてたのか。

 

 そんな幼稚な遊び、今時小学生でもしないぞ……




「めっちゃお前の事見てたぞ」




 西野の一言に、ドキリと心臓が鳴った。


 その胸の鼓動には二つの意味があったと思う。


 一つは、どうして俺なんかを見ていたのだろうかという思春期特有の動揺。


 そして、もう一つは……




「……なんか用事でもあったんだろ」




 頭の中にその原因を思い浮かべようとして、やめた。


 あまり、考え過ぎるのもよくないのだろう。


 今日は、今日だけは、自分がすべきこと、自分が守るべきものにだけ目を向けたい。


 余計なことは考えるべきではないと、感じた違和感を拭うように西野の言葉を切った。




「なんでもいいけどさ……」


「なんだよ」


「俺を……一人にしないでくれ……」


「えぇ……」




 ツレない態度で西野に接していると、西野が悲しそうな、泣きそうな声音で俺に言った。


 そんな西野に、少し引く。




「最近、なんかお前おかしかったし……あの、何かあったら俺に相談しろよ? 一人で悩むなよ?」


「わ、悪かったよ」




 しょぼくれたような西野を初めて見た。


 確かに、ここ最近は意図的に西野と関わる事を避けていたし(色々と説明するのがめんどくさかったため)、話す機会も減っていたけれど、まさかこれほどまでに精神的ダメージを受けていたとは。


 西野に申し訳ない事をしたと思うのと同時に、友達、なおかつ大切な幼馴染を大事にしなかった自分に何となく嫌気がさした。




 ×    ×    ×    ×    ×    ×    ×    ×


    


 時刻は十九時。


 日は完全に落ち、生暖かい夜闇がこの街を包んでいた。


 駅の近くを通り過ぎ、その場所へと足を運ぶ。


 電柱に張り付いた信号のボタンを押し、三秒待って信号の色が青に変わってから横断歩道を渡る。


 そうして少し歩いた後、目的地にたどり着いた。


 広めに設計された道路。


 高速道路のインターンチェンジが近くにあるために車通りが多く、トラックやダンプカーなどの大型車が物凄いスピードで通り過ぎていく。


 それに加え、人通りが少ないためか、街灯などの照明、すなわちここに人がいるということを教えてくれる安全装置が十分に設置されていない。


 両親にも、夜にこの辺りを通る時は気をつけなさいと口うるさく注意されたことを覚えている。


 


 そんな危険な場所で、彼女は……


 一度目の夏、この場所で彼女は……


 彼女は、交通事故に遭って死んだ。




 新聞やニュースを見て、この場所を知った。


 一度目の夏休み、引きこもりから立ち直りかけた頃にこの場所を訪れたことがあった。


 葬式に出れなかった分、せめて花くらいは供えようと、家族や西野に内緒で様子を見に来たのだ。


 電柱の近くに花や飲み物がお供えされていた光景が脳裏を過る。


 その光景を思い出して、そして、その瞬間を、彼女の命が無残に散る瞬間を想像して、全身に悪寒が走った。


 内臓が凹むような感覚と共に、胃液が喉のところまで出かかった。


 だめだ、弱気になるな。


 その悪夢を、その絶望を断ち切るために、今日まで頑張ってきたんだろうと自分を鼓舞した。


 腕時計を見る。


 時計の針は十九時半を示していた。


 彼女がこの場所で事故に遭ったのは、二十時を過ぎたあたりだったはず。


 未来は変わるということを、人と人とのちょっとした感情の起伏でそれに続く行動は、シナリオは変わるということを、俺はこの二周目の世界で知った。


 だから、俺のこの行動は無意味だと言っても過言ではないだろう。


 彼女が二度目の夏にも事故に遭うとしても、その場所がここであるという確証はないのである。


 そんなこと、知っていた。




 でも、それでも、彼女が一度この場所で事故に遭ったことを、その事実を知っていて、何もしないではいられなかった。




 今夜、彼女はこの場所には来ないだろう。


 いや、そうするために今日まで頑張ってきたのだ。


 来てもらっては困る。




 日が暮れる前、夕方、十八時頃。


『約束、守ってくださいね』と、彼女にメッセージを送った。


 すると、彼女は『わかってるよ笑、心配性だな~』と返事をしてきたから、大丈夫だとは思う。


 でも、それでも、万が一……




 そう心配になって、何も起こらないのを確認するために様子を見に来たのだ。


 もし、のこのことこの場所に彼女が現れたのなら、取り押さえて叱りつけてやろう。


 そんなことが起ころうものなら、俺は本気で怒ると思う。


 大声で、怒鳴りつけると思う。


 だから、だから……

 

 頼むから、来ないでくれ、何も起こらないでくれと、目を瞑り切実に願った。




 排気ガスを漏らしながら通り過ぎていく車を横目で流しながら、周囲の様子を窺った。


 これと言って変わった様子もなく、人の気配も感じない。




 時計の針が二十時を回った。


 嫌な緊張感が全身に伝う。


 より目を血眼にして周囲の様子を探った。


 高校生ぐらいの髪の長い女の子が夜道を歩いていないか。


 彼女が、この場所を訪れていないか。


 全神経を集中させて見張っていた。


 おそらく、あと少しで、一度目の夏に彼女が死んだ時刻を迎えるのだろう。


 頼むから、このまま時間が過ぎてくれと、最後は神頼みである。




 そうして、時刻は二十時十五分を回った。


 周囲に、事故現場に変わった様子はない。


 それでも疑い深く、警戒を続けた。


 けれど、何も起こらずに、時刻は十分、二十分と過ぎ、最終的に時計の針は二十一時を示した。










 …………やっ……たのか?


 彼女は、自分の死の運命を乗り換えることができたのか?


 俺は、彼女を死の未来から守ることが出来たのか?


 その場で、自問自答を繰り返した。


 時計の針は、二十一時を回った。


 自分の腕時計の時間が狂っていないか心配になって、スマートフォンの時計も確認してみることにする。


 画面を確認すると、メッセージの受信履歴があった。


 差出人は……凪……先輩?


 慌てて受信フォルダを開いた。


 まさか……まさか……また……あのメッセージが……




『今から、進路についてお母さんと話してみるね』




 そう、一度目の夏とは違うメッセージがスクリーンに映し出されている。


 受信時刻は二十時八分。


 それは、一度目の夏に彼女が死んだはずの時間だった。




 彼女が死んだはずの時間に、彼女から連絡がきた。


 メッセージ自体におかしなところはない。


 簡易的な報告だろう。


 そして、彼女が今から話すであろう進路の話についてはすでに対策済み。


 すなわち、彼女が血迷って夜の街に駆け出す可能性は皆無に等しいということになる。


 それは……つまり……







 やった……やってやった……彼女は死なない……俺は、彼女を救ったんだ……


 その場で、へたり込んだ。


 全身の力が抜け、様々な感情が体の中を駆け巡っていく。


 やった……良かった……とうわごとのように呟いた。


 周りの目が気になってすぐに立ち上がろうとしたけれど、すぐに人通りが少ないというのを思い出し、また、座り込んだ。


 彼女がいる現実を、彼女がいる未来を実感して、喜びを噛み締めた。


 目から涙が溢れ出しそうになる。


 それを、必死に堪えた。

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