第37話 change the destiny②

【七月六日 金曜日】


 幸か不幸か、偶然、その日は朝から彼女の姿を目にすることが出来た。


 下駄箱で靴を履き替える彼女。


 背筋の伸びたその姿は、凛としていて儚く、大人びた雰囲気を醸し出している。


 俺が今まで抱いていた彼女のイメージとは、まるで違う。


 そのギャップに驚き見惚れていると、不意に、遠くからの視線に気が付いたのか、彼女がこちらに振り返った。


 二秒、いや、一秒。


 刹那の感覚で、俺と彼女の目が合った。


 その一瞬で、彼女は警戒したような目つきで不愉快さを訴え、また振り返り、自分のクラスへの道のりを歩き出した。


 その視線は、俺の心の深い部分に突き刺さる。


 頭のどこかでは分かっていた。


 こうなる可能性だってなかったわけではない。


 なんせ、始まりがああなのだ。


 警戒されたって不思議じゃない。


 分かっていたのに、理解していたはずなのに、実際にそうされてしまうと、戸惑いを隠し切れなかった。


 彼女との繋がりが深い程、彼女との安らかな記憶が存在する程、その関係が失われるのが辛かった。


 元からないのと、なくなったのでは意味が違うのだ。


 喪失感がみしみしと俺の心を蝕み、精神力を吸い取るように疲弊させていく。


 


 廊下を歩き、教室にたどり着く。


 西野に挨拶しようと思ったけれど、俺と面識がない生徒と話し込んでいたのでスルー。


 溜息を吐きながら、うなだれるように自分の席に着いた。




 これから、どうしたものか。




 単純でいて、シンプルでいて、難しい。


 そんな疑問が頭の中に張り巡らされていく。


 言葉を交わせばどうにかなると思っていた。

 

 けれど、現実はそう簡単じゃなくて、その初歩的なステップにさえ躓いている始末。


 一度失った信頼を取り戻すのは、一から信頼を築き上げるよりも何倍も難しい。


 ましてや、今の“避けられている”状態では、ちょっとしたアクションを起こすのでさえ困難を極めるだろう。


 四方八方手詰まり。


 打つ手なしのドン詰まりである。


 心の中で吐いた大きな溜息が、体の中に木霊する。


 それに共鳴するように、始業の鐘が鳴った。


 


  ×    ×    ×    ×    ×    ×    ×    ×




 授業中も、休み時間も、ずっと考えていた。


 何か、状況を打開する策はないかと、光明が差すのを待っていた。


 けれど、待てど暮らせどこれと言った案が湧いてくるわけでもなく、頭の中は空っぽのまま。


 詰まっているのは無力感だけだった。




 教室に、初老を迎えた男性教諭の弱々しい声が響く。


 金曜日の午後一番の授業は驚くほど静かだ。


 皆、昼飯を食べた後では眠くなってしまうのだろう。


 おまけに、この独特のリズムと声質で行われる日本史の授業。


 週末の疲れも相まって、睡魔の誘惑に屈してしまうのも仕方がないのだろう。


 ただ、今日だけは、その静けさが恨めしかった。


 静けさが、不安を煽るのだ。


 どんよりとした息を吐く小さな音が、静かな教室に響く。




 憂鬱な気分を紛らわすように、答えを求めるように、このどんよりとした心象の解消を求めるように、教室の窓から流れる景色を覗いてみる。


 カラッとした太陽と、雲の少ない空。


 心地よい風が運ぶ、初夏の匂い。

 

 それらを眺め、それらを感じていると、ふと、彼女と屋上で演技の練習をしていた情景が脳裏をよぎった。


 屋上の殺人鬼。


 一度目の夏、俺は彼女をそう呼んで危険視していた。


 けれど、ひょんなことから演技の練習を手伝うようになって、それでも、彼女を鬱陶しいと執拗に避けたりして。


 用事もないのに嘘をついて彼女の誘いを断ったり、彼女に見つからないように逃げ隠れたり……


 あぁ、彼女もこんな気持ちだったのだろうか。

 

 それを思うと心が痛んだ。




 立場が逆転して、はじめて気づいた。


 俺は彼女の優しさにかまけて、彼女の気持ちも考えずにとんでもない仕打ちをしていたのだと、今更ながらに後悔する。


 自業自得。


 そう言われてしまえばそうなのかもしれない。


 彼女に対する行いが、回りまわって自分に帰ってきたのだ。


 どうしようもない自分があまりにも醜くて、嫌になりそうだった。




 思い返してみれば、俺はいつも彼女に貰ってばっかりだった。


 演技の練習を手伝うようになったのだってそう、一緒に帰ろうと誘われた時もそう、映画を見に行った時もそう。


 いつも彼女に手を差し伸べてもらって、俺はそれに縋り、もたれかかり。


 彼女が抱える問題に直面した時も、男らしく解決するわけでもなく、一緒に変わろうと、結局は彼女ありきで、彼女に頼ろうとして。


 そうして結局、あの日も、何もしてあげられないまま、何も分からないまま……




 頭の中に、思い出したくもない映像と文字が流れていく。


 吐き気を必死に堪え、不安と焦りを飲み込んだ。


 ダメだ、やっぱりダメだ。


 ここで立ち止まるわけにはいかない。


 拒絶されようが、嫌われようが、構わない。


 彼女にどう思われようが、知ったことではない。


 ここで折れてしまえば、ここで逃げてしまえば、俺はまた、あの結末を繰り返すハメになる。


 俺には使命があるのだ。


 それは、何物にも代えがたく、何者にも代えられない使命だ。


 彼女が嫌おうが、怖がろうが、そんなのどうだっていい。


 大切なのは、今現在の彼女よりも、未来の彼女。


 それを求めるためには、手段を選んでいられなかった。




  ×    ×    ×    ×    ×    ×    ×    ×




 放課後、ホームルームが終わると同時に昇降口へと足を向ける。


 荷物は机に置いたまま。


 帰宅するために、その場所に向かっているわけではなかった。


 とある使命を果たすために、俺はその場所へと向かっていた。


 使命とは、再び彼女との繋がりを取り戻すことである。


 彼女の信頼を、もう一度もぎ取ることである。


 そのために、俺が案じ、選んだ苦肉の策。


 拒絶し、逃げ惑う彼女と向き合うためにひねり出した粗悪な手段。


 それは……それは。




“待ち伏せ”だった。




 聞いて驚け、犯行予告。


 十中八九地雷。


 失敗すれば、彼女に嫌われること間違いなし。


 もはや、あれほど嫌がられた末にこの案を思い浮かべてしまう自分のメンタルの強さを称賛したいくらいである。




 けれど、この作戦は、ある意味では極めて有効な策と言えるだろう。


 昨日今日と、彼女は意図的に俺を避けている。


 ならば、今日の放課後も、おのずと彼女に逃げられてしまう可能性は高いのだろう。


 しかし、ここで、出口兼入口の逃げ場のない昇降口で待ってさえいれば、校内を探す手間も省け、取り逃がす心配もない。


 彼女は完全に袋のネズミと化し、俺の追撃から逃れられなくなる。


 合理的かつ絶対的な策。


 道徳的な欠陥はあるが、以前彼女にも似たようなことをされた気がしたので、それはお互い様で手打ちにしてもらおう。




 そう、これは彼女のためを思っての行動なのである。




 あ……何かこのセリフ、すんごいストーカーっぽい……


 こういった軽はずみな行動と理由のこじつけが、犯罪への意識のハードルを低下させ、ストーカー化へのきっかけとなってしまうのだろうか。


 うーん、恐ろしい……




 昇降口に到着し、一番端の目立たない下駄箱の陰からじいっと彼女が訪れるのを待つ。


 若干、周りの視線が気にはなったけれど、構わず監視もとい待ち伏せを続けた。


 十分、二十分と時が流れていく。


 何かを待つときの時間の流れほど、長く感じられるものは他にはない。


 カップラーメンの完成を待つ三分と、カップラーメンを食す三分の体感は違うように、彼女を待つ時間は永遠の時のように長く感じられた。




 両手が、ぐっしょりと汗で濡れている。


 制服のズボンで手を拭い、落ち着こうと深呼吸を一回。


 おそらく、自分で思っているよりも緊張していたのだろう。


 そんな状態になってしまうほど、この作戦における懸念材料はまだまだ沢山あったのだ。


 彼女をここで待ち伏せし、確保するなんて作戦の初歩の段階でしかない。


 仮に、彼女にうまく声を掛けられたとしよう。


 けれど、そこから先はどうなるのだろうか。


 依然として彼女は俺を警戒したままなのだ。


 会話を発展させるのは至難の業だろう。


 一応、策と言うか、上手く会話を広げる方法は考えてはきたものの、それが成功するのかも定かではない。


 不安はあったが、自信はなかったのだ。


 俺が持っている言葉は一つだけ。


 それは全てを取り戻してくれるかもしれない魔法であり、俺が、俺達が積み重ねてきた言葉でもあった。


 けれど、それは一度目の夏に、彼女と“秘密”と約束を交わした言葉でもあった。


 しかし、彼女に拒絶されるかもしれないという恐怖が打ち勝って、俺はその約束を破ることを決めた。


 何て不甲斐のない。


 心の中で、一度目の彼女に謝罪する。


 けれど、覚悟は決まっていた。


 彼女のために、俺は彼女との約束を破る。


 そう、男らしく意気込んでいたけれど、頭の中のどこかでは、“もし、また無視されたらどうしよう、メンタル持つかな……”などと弱音がぐるぐると渦巻いていた。


 


 不安定な精神状態で、気を張り詰めて廊下を覗いていると、不意に、背後からトントンと肩に軽快な振動が加えられた。




「うおっ!」




 心臓が突き破れるかと思うくらいに驚き、声を荒げた。


 急いで後ろに振り返ると、そこにいるのは西野。


 何の用だとジト目で睨んでみる。


 


「何だ、西野かよ。脅かしやがって」


「俺のセリフだぞ、それ」




 すると、西野もジト目になりながら




「お前、こんな所で何やってんだよ?」




 そう、返した。




「いや……まぁ、その……」




 “一つ年上の先輩女子高生を待ち伏せしている”だなんて口が裂けても言えず、押し黙る。


 ごにょごにょと返答に困っていると、西野は溜息をつきながら尋ねてくる。




「お前、最近おかしいぞ? 一昨日の昼休みといい、今日といい、一体どうしちまったんだよ、何かあったのか?」


「い、いや……え、えーっと……」


「白状するまで逃がさないからな」




 期せずして迎えたピンチに思わずたじろいでしまう。


 西野の真剣な眼差しに、適当な答えを返すわけにもいかずに困惑。


 けれど、それでもやっぱり未来からタイムスリップしてきましたと白状するわけにもいかず、その場で不毛な押し問答が繰り広げられてしまう。


 おそらく、西野は心の底から俺を心配してくれたのだろう。


 ありがたい、本当にありがたいのだが……どうしてよりによってこのタイミング!?

 

 梅雨の時期に本能寺の変やっちゃったくらいの間の悪さだよ?


 火を放った方も火を放たれた方も気まずい雰囲気になるやつだよ、絶対。




「な、何でもない」


「嘘つくなよ」


「お前の気のせいだって」


「んな訳あるか」


「うぅ……分かったよ、話すよ」


「ほら、やっぱり何かあるんだろ?」


「実は……うちの両親が……」


「おじさんとおばさんどうかしたのか!?」


「最近ホットヨガにハマってる」


「しばくぞ!」


 


 くだらない言葉の攻防が続く。


 一方は秘密を探ろうと、一方は秘密をはぐらかそうと、決して噛み合うことのない二つの信念が時の流れを無駄に浪費していく。


 そうして、俺と西野が不毛な押し問答を繰り広げていると、背中の方から聞き慣れた笑い声が聞こえてきた。




 状況が急変した。




 そう、彼女だ。


 長らく待ちわびた彼女が、昇降口に姿を現したのだ。


 ……最悪だ……最悪のタイミングで現れやがった。


 面倒事と面倒事のダブルパンチ。


 前門の虎、後門の狼とはまさにこのことだろう。




 しかし、本当にどうしたものだろうか。


 現在の西野は、俺と彼女の関係性を知らない。


 いや、そもそも今の段階ではその繋がりすら存在していないのに、突然彼女の目の前に飛び出してしまっては、疑念を抱かれるのはまず間違いないだろう。


 ましてや、彼女にまた拒絶されるかも分からないこの状況。


 失敗してしまえば、完全にストーカーのレッテルを張られてしまう。


 これ以上面倒事が増えるのは、はっきり言ってごめんだ。


 けれど、それを気にして彼女に声を掛けそびれてしまっては、待ち伏せした苦労が水の泡、元も子もない。


 それだけは、絶対に避けたい結果だった。


 俺には時間がないのだ、一日だって惜しい。


 そうなるくらいだったら、俺の評価や印象がおかしくなるほうがマシだ。


 それに、一か八かで成功する可能性だってまだなくなったわけではないのだ。


 だったら、前向きな未来に賭けたほうがいい。


 だから、ここは……




「西野悪い! また今度しっかり話すから!」


「あっ、おい!」




 呼び止める西野を振り払い、覚悟を決めて彼女の方へと向かった。




 カバンを背負い、廊下を歩く彼女。


 その隣にはいつも彼女と行動を共にしている二人。


 三人が横一列に並んで楽しそうに笑っている。


 初めから、この三人が一緒に昇降口に向かってくると想定していた。


 それ込みで、昇降口で待ち伏せするのを決めたのだ。


 三対一の構図、中々に気まずい雰囲気の中で、俺は彼女に声を掛けなければいけない。


 分かってはいたけれど、実際に目の前にしてしまうと、少し臆してしまいそうだった。


 けれど、止まるわけにはいかない。


 腹を決め、彼女達のいる方向へと勢いよく進んでいく。


 俺と彼女の距離が数メートルまで縮まると、ようやく彼女は俺の存在に気がついたようで、足を止め、その場でびくりと体を強張らせた。




「あ、あの!」




 乾いたような声が廊下に響く。


 彼女の両隣にいた二人はきょとんとしたご様子。


 肝心の彼女の反応を伺うと、彼女は呆れたような、怒ったような、あきらめたような、それら三つを均等に混じらせたような表情を浮かべていた。


 どんな心境からその表情を浮かべているのかを考えようとするも、そんな暇もなく、彼女は溜息を吐き、両隣の二人に断りを入れてからこちらに近づいてきた。


 彼女は俺の目の前に立つと、強気な眼差しで語りかけてくる。




「君さ、最近私のことつけてるよね?」




 明らかに迷惑そうな声音で、彼女はそう言った。


 その言葉を聞いた彼女の友達二人は、驚いた様子でこちらを静観している。


 背後から、むせたような音が聞こえてくる。


 おそらく、それは西野のもので、盗み聞きした彼女の言葉に驚いてしまったのだろう。


 事の張本人である俺自身も、彼女の強気で真っすぐな姿勢と言葉に面を食らい、何も言い返せずに、否定することもできずにいた。


 自分が不利にならないように、彼女と顔を合わせたら、すぐに心の内に温めてきた言葉を言うつもりだった。


 しかし、彼女に先手を取られてしまった。


 ペースが乱れ、シミュレーションが狂う。


 まずい、会話の手綱を完全に彼女に握られてしまった。




「どうしてこんなことするの?」




 優しく、諭すような口調の裏に、明確で強固な拒絶の意思。


 その残酷な感情が、俺の中に微かに残っていた不安心を育て始める。


 本当に、その一言で、その言葉一つでこの状況を打破できるのか、今更になって自信がなくなってきたのだ。


 自分の幼稚さと精神の弱さが只々憎かった。




「……どんな理由があるか知らないけど、そういうことされると困るから、やめてほしい」




 俺が黙っていると、彼女は何を聞いても答えないと悟ったのか、もう一度溜息を吐き、片手で頭を抱えながらそう言った。


 


「お願いだから、もう付きまとわないで」




 シンプルで、直接的な決別の言葉。


 それを告げると、彼女は後ろに振り返り、背後で呆然としていた友達二人の下に歩み寄ろうと足を踏み出した。


 俺は、また何も言えずに、ただその場に立ち尽くしているだけ。


 言葉の重みが、自分の心に寄りかかってくる。


 拒絶が、否定が、心の中を薄暗く蝕んでいく。


 分かっていた、分かっていたけれど、やっぱり、しんどい。


 彼女の口からそれを聞くのが、何よりも耐え難かった。




 一歩、二歩と彼女が俺の元から遠ざかっていく。


 また、俺は何もできないまま、彼女の死を受け入れなければいけないのか?


 また、俺は何もしないまま、彼女を見殺しにしなければならないのか?


 本当に、それでいいのか?


 形の成さない濁った感情が、自身に問う。


 嫌だ。


 そんなの、嫌に決まっている。


 もう、どこにも行かないでほしい。


 その一心だけが、本心であり、本懐だ。


 なら、やるべきことは一つだろう。


 言ってしまえ。


 言わなくとも、言って失敗したとしても、結果は同じ。


 拒絶される事実に変化はないのだ。


 なら、何事にも囚われずに、全てを吐き出してしまえばいい。


 たとえそれが、道義に反する卑劣な手段だとしても。


 たとえそれが、彼女との約束を破ることになったとしても。


 彼女を救うために、自分の我儘を通すために、利用してしまえばいい。


 俺と彼女を引き合わせてくれたのは何だ?


 俺と彼女が打ち解けたきっかけは何だ?


 俺と彼女を成長させたのは何だ?


 俺と彼女に共通するのは何だ?


 それは、やっぱり……




「お、俺は!」




 大きな声で、そう叫ぶ。


 彼女の友達と、西野の視線が体に刺さる。


 その場にいた多くの生徒達が振り返り、こちらを見る。


 けれど、彼女は、彼女だけは、こちらに振り返りはしなかった。


 俺の戯言など、もう聞く気にもなれなかったのだろう。


 いいさ、なら言ってやる。


 拒絶しようが、避けられようが、無理矢理振り向かせてやる。


 そんな風に、半ばやけくそになりながら、俺はその言葉を、魔法の呪文を、叫んだ。


 




「俺は、先輩の演技が好きなんです!」






 廊下に響き渡る、少しだけ低い声。


 雑音が切り裂かれ、昇降口には一時の静寂が訪れる。


 周りにいた人々は、俺が言い放った言葉の意味を理解できずに首を傾げている。


 空気が凝り固まり、そこにいた全員の音が奪われてしまったかのようにも思えた。


 しかし、ただ一人だけ。


 俺が言った言葉を誰よりも理解している一人だけが、俯いて、わなわなと体を震わせていた。


 その人物は、ゆっくりとこちらに振り返る。


 表情を見て、俺はギョッとのけぞった。


 真っ赤だ。


 真っ赤なリンゴのように頬を深紅の色に染めている。


 目には少しの涙をため、こちらをキッと睨んでくる。



 

 ぎこちない動きで、こちらに近づいてくる彼女。


 そろりそろりとこちらに歩み寄り、グイっと俺の半袖シャツの袖を掴む。




「ちょっと来て」




 彼女はそう言うと、後は何も言わずに、ただ前だけを向いて俺を引っ張っていく。


 西野も、彼女の友達も、生徒達も、その場にいた全員が口を開けてポカーンとしていた。


 その光景が何だかおかしくて、吹き出しそうになったけれど、必死に我慢した。


 今笑おうものなら、彼女に何をされるか分からない。


 やっと、彼女と二人きりになれる機会が訪れたのだ。


 このチャンスを逃すわけにはいかない。


 口を押えながら、彼女にされるがまま、俺達二人は昇降口を後にした。

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