第30話 ハッピーエンドのその先に③
結局彼女に会えないまま、俺は駅を後にし、自宅に戻った。
理由は説明できないけれど、何故か、嫌な予感がした。
彼女に何かあったのではないのだろうか。
漠然とした不安に包まれながら、リビングにあるソファの上で彼女からの連絡を待った。
暗闇が、不安心を煽る。
彼女の性格上、約束を破ったり、忘れてしまったなんてことは考えられない。
となると、駅に向かう道中、もしくはその直前に、何かしらの特別な事情が彼女の身に巻き起こったという可能性が一番濃厚。
何が起こったのかは分からないが、何かが起こったのは確かだろう。
とにかく、無事であってくれ。
そう願うことしか、俺にはできなかった。
時計の針が回っていく。
午前二時を過ぎた。
彼女からの連絡はない。
午前三時を過ぎた。
彼女からの連絡はない。
午前四時を過ぎた。
彼女からの連絡はない。
Tシャツの背中の部分に嫌な汗がにじみ、口の中が渇く。
悲観的な想像ばかりが頭の中で湧きあがり、全体に浸透していく。
不安で、狂いそうだった。
そのまま、段々と夜が明けて行き、日が照り始めた頃、このままではおかしくなってしまうと思い、気分を落ち着かせようと自室に戻り、ベッドの上に横になって少しだけ体を休めた。
あまり、悪い方向に考えてはいけないのだろう。
少し寝て、起きた頃には彼女からの連絡が入っていて、俺の不安は杞憂へと変わってしまうに違いない。
そうだ、そうであってくれ。
明日になれば彼女から電話がかかってきて、「ごめん! お昼寝してたらそのまま朝になちゃってて……」みたいに謝られて、「勘弁してくださいよ」と俺が少し怒って、そのまま、こんな不安や焦りも跡形もなく消え去って、いつもの日常へと戻れるはず。
そんな微かな希望と実態のない不安を抱きながら、俺は、瞼をゆっくりと閉じた――――――――――――
気が付くと、あの場所にいた。
背景も景色もない空間、ぼやけた世界。
いつもと同じ、その世界。
けれど、俺が置かれた状況は、明らかにいつも通りではなかった。
アイツが、目の前に立っていたのだ。
影かかったように見えて、姿も、表情も視認できない。
けれど、俺は理解していた。
声も、姿もない、アイツは。
生きているかさえも分からない、アイツは。
俺の目の前で、アイツは。
アイツは、泣いていた―――――――――――――――
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
聞き慣れた声と共に体を揺すられ目を覚ます。
目の前には、妹、すなわち比奈がいて、むくれた顔で俺を見ていた。
「比奈か……おはよう」
「寝ぼけてないで下降りてきてよ、お母さん呼んでるから」
どうやら母親に俺を起こして来いと頼まれたらしく、少し不機嫌だったのもそれが理由のようだった。
体を起こしてベッドの上に腰掛け、ふぅーと息を吐いて心を落ち着かせた。
すごく、嫌な夢を見た。
悲しく、虚しい夢を見た。
何だ、あれは。
少し考えてみるが、理解できるわけもなく、只々、不快感だけが体の中を這いずり回っていた。
俺がげっそりとしていると、比奈が引き続き不機嫌な様子で言う。
「あと、下に置いてあるお兄ちゃんのスマホ、さっきから鳴りっぱなしだよ? うるさいから早く何とかしてよ!」
「……本当か!?」
比奈のその言葉を、俺は少しの間をおいて理解する。
夢見の悪かった寝起きの嫌な気分も、倦怠感も上書きされ、すぐさま、ベットから飛び起きた。
そうだ、今はくだらない夢なんかで悩んでいる場合じゃない。
今は、彼女のことが何よりも気掛かりだった。
スマートフォンが鳴っていたのは、おそらく、彼女からの連絡があったからだろう。
良かった、無事だった。
安堵の溜息をつきながら、早足で階段を駆け降りる。
昨夜、彼女に何が起こったのか。
どうして待ち合わせ場所に来れなかったのか。
聞きたいことは山程あったが、とりあえず、まずは彼女の声を直接聞いて、さらなる安心とやすらぎを得たかった。
階段を降り、勢いよくリビングのドアを開け、テーブルの上に置いてあったスマートフォンを手に取る。
着信履歴なのか、メッセージなのか、確認するため慌てて電源を入れた。
画面を見て、顔をしかめる。
確かに、連絡は入っていた。
しかし、それは彼女からではなく、予想外の人物、西野からのものだった。
着信と、メッセージの履歴が数十件。
どうかしたのかと怪訝に思い、急いで西野に折り返しの電話をしようとする。
しかし、スマートフォンを操作しようと指を動かそうとするも、何故か、指に力が入らなかった。
また、あの漠然とした、理由のない不安が全身を襲った。
動悸が激しくなり、まるで本能でそれを避けようとしているように。
何か、良くないことが起きているような気がした。
「おはよう、隼人」
俺が西野に返信しあぐねていると、後ろから、キッチンにいたであろう母親が声をかけてきた。
「おはよう」
振り返って、挨拶を返す。
家の母親は普段はもっと適当というか、明るい人間のはずなのだが、今朝に限っては妙に静かで、神妙な面持ちをしていた。
それを不思議に思って、母に尋ねた。
「……何かあったの?」
「隼人、ちょっとこれ見てくれる?」
そう言って、母は定期購読している地元の新聞誌の朝刊を差し出した。
「この九条凪さんって子、あなたと同じ学校でしょ?」
新聞を広げ、記事に指を指しながら俺に聞く。
母のその問いかけで、また、動悸が激しくなった。
嫌な胸騒ぎがした。
内臓を締め付けられるような感覚を覚えた。
理由のない不安がさらに重たく襲い掛かってきた。
どうして、母さんが彼女のことを知っているのか。
どうして、新聞なんか持ってきたのか。
頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
全身から嫌な汗が吹き出し、血の気が引いた。
心臓の鼓動が頭の中まで響いている。
何か、書かれてある。
今、俺の目の前にあるあの灰色の紙には、彼女に関する何かが綴られている。
状況、言動から明らかだ。
けれど、それを分かっていても、それを読みたいとは思えなかった。
読んでしまえば、二度と戻れなくなる。
そう、本能で理解していたのかもしれない。
何とか、その現実から逃げようとしていたのかもしれない。
「……大丈夫?」
「う、うん……」
母さんの一言で幾分かの正気を取り戻し、震える手で新聞を受け取った。
依然として動揺したまま、記事に目を通す。
一度、文字を追う。
二度、文字を追う。
そうして、何度読み返しても、その現実を受け入れることが出来なかった。
何度も、記事を疑った。
何度も、これは笑えない冗談なのではないかと思った。
腹の底から、強い吐き気が込み上げてくる。
信じられなかった。
昨日まではそこに在ったはずなのに。
側にいたはずなのに。
繋がっていたはずなのに。
もう、それは存在していない。
そんな風に突然言われても、受け入れられるはずがなかった
「この子、昨日の夜に駅前近くで交通事故に遭って亡くなったそうよ。即死だったみたい。アンタと一つしか変わらないのにかわいそうね……」
けれど、結局、母さんのその言葉で、俺はその現実を飲み込むハメになる。
目の前がスローモーションになるのと同時に、膝から崩れ落ちた。
パニックだった。
何もかもが遠くなってしまった世界の中で、母さんの驚いた声と、妹の悲鳴だけが耳に響く。
何が起こったのかを、理解したくなかった。
けれど、それは覆しようのない事実で、真実で。
認めるしかなかったのだ。
それが、現実だった。
彼女は、九条凪は。
俺を変えてくれた、俺の希望となった、俺の大切な人は。
夏が始まる、ほんの少し前。
高校の終業式があったその日に。
この世界から、消えて、なくなった。
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