第29話 ハッピーエンドのその先に②
家に帰ってベッドに寝そべり、天井を眺めながら考えていた。
西野との一連の会話により、俺の想いは真実となり、確かな形を持った言葉としてこの世界に産み落とされた。
俺は、彼女が、九条凪が好きなんだ。
頭の中でその言葉を、その気持ちを、反芻しながら悶えた。
薄々勘付いていた、この感情が何なのかを。
知っていた、この想いの意味を。
けれど、改まってそう意識してしまうと、少しどころかかなり恥ずかしい気がしてきた。
如何せん俺にはそのような浮ついた経験は皆無で、この感情をどこにどうやって向けたらいいのかが分からなかった。
彼女にこの気持ちを告げるべきだとは思う。
大事ではない事からは逃げても、大事な事からは逃げない。
そう、彼女と約束したからだ。
この気持ちは、俺にとって大事なもの。
だから、逃げずに、しっかりと向き合うべきなのだろう。
けれど、もし彼女に拒絶されてしまったら俺はどうしたらいいのか。
それ考えると、少し身が竦んだ。
どう転ぶかも分からない未来に心配を募らせるのは無駄なことだ。
確かに、そう思う。
けれど、それを知っていたとしても、そう簡単には割り切れないのが人間で、合理的に行動できないのが子供というものだ。
それに、彼女は今、自分のことで精一杯。。
俺に構ってくれる余裕なんて皆無に等しく、それどころではないと一蹴されるのが容易に想像できる。
だから、今は、この気持ちに蓋をするべきなのだろう。
けれど、もし、彼女が母親の説得に成功して、自分を大切に、心の底から笑える日が来たら、その時、俺はどうするべきなのだろうか。
ベッドの上で二転三転、急に立ち上がってスクワットをしてみたり、部屋の中を無意味にグルグル歩ってみたり、またベッドに倒れこんでみたり。
羞恥に悶えながら考えた。
答えは一つのはずだ。
選択肢も一つのはずだ。
逃げちゃいけないのは分かっていた。
大事なことだから、大切なことだから、逃げたら何も残らないのを知っていた。
なのに、それを分かっていてなお、臆病なままの自分に嫌気がさしてきた。
どうしていつも自分はそうなのかと、劣等感に陥った。
どうして、おれは…………。
そう自分責めていると、突然、ベッドの傍に置いてあったスマートフォンが鳴った。
単発的な電子音のため、通話ではなくメッセージだろう。
すぐに手元に引き寄せて、画面を見る。
画面を見て、驚いた。
送信者は、俺の悩みの種。
彼女、すなわち、凪先輩だったのだ。
勢いよく体を起こし、ベッドの上で正座になってスマートフォンと向き合った。
ここ数日、彼女と会っていないどころかちょっとした連絡ですら取れておらず、彼女と繋がることができたのはゆうに一週間ぶり。
データ上であるとはいえ、彼女と久しぶりに意思疎通ができたのと、彼女の方から連絡してくれたという事実が嬉しかった。
ゆっくりとスマホを手に持ち、少しだけ震えた手で彼女からのメッセージを確認した。
『隼人君、少し話したいことがあるから、今から会えないかな?』
画面上には、そのような文字が記されていた。
彼女が俺に話したいこと。
おおよその検討はついていた。
おそらく、演技に関することだろう。
説得に成功したか、失敗したか。
前者であれば、報告。
後者であれば、相談。
どちらにせよ、何らかの区切りがついたということだ。
すぐに返信画面を開き、『わかりました。どこで会います?』とだけ彼女に返信する。
すると数分後、『駅で待ってるね』との指示が帰ってきた。
それに、『了解です』とだけ返して、後は放置。
すぐにベッドから降りて、外出の準備を始めた。
家族に友達と会ってくると伝え、家を出る。
時刻は八時を回っていて、辺りはすっかり夜の帳に包まれている。
彼女を待たせては悪いと、急ぎ足で駅へと向かった。
彼女が俺に何を伝えたいのかは、彼女に直接会ってみなければ分からない。
伝えたいことが、説得に失敗したということならば、俺の身の振舞い方はある意味では簡潔。
もしそうであったなら、ただあきらめず、これからも彼女を支え、親身に寄り添うだけだろう。
彼女の本音を守ること。
それだけが目標で、それだけが俺達が進む道なのだから。
迷わず、他の手段を探し、彼女の背中を押してあげればいい。
けれどもし、彼女が伝えたいというのが、演技を続けられること、説得に成功したということだったらどうすればいい。
全てが円満に解決して、彼女の不安は取り除かれ、彼女が笑っていける未来が実現したら、どうだろうか。
彼女は自分の大切なことから逃げずに、それを実現させた。
それなら、今度は俺の番だろう。
俺が、自分の一番大事なことに、逃げずに立ち向かう順番が回ってくるのだろう。
それを悟り、思わず立ち止まる。
まだ、迷いがあった。
彼女に拒絶されたらどうしよう。
この関係が終わってしまったらどうしよう。
それを思うと、恐怖で足が竦んだ。
けれどそれは、逃げる理由にはなり得なかった。
彼女は、自分の家族、環境が壊れるかもしれないと知ってなお、自分の大事なことを、目標を、夢を貫き通すのを選んだ。
そこには恐怖があっただろう。
不安があっただろう。
迷いがあっただろう。
けれど、それでも、彼女は前に進むために、逃げないことを俺に誓った。
なら、俺も、そうでなければいけないだろう。
息を吐いて拳を握り、再び彼女の待つ駅へと歩き出す。
覚悟を、決めた。
もし、彼女の口から出た言葉が、演技を続けられるというものだったのなら、俺は、彼女に告白する。
たとえ彼女の反応が俺が望むものでなかったとしても、この関係が崩れ去る危険性があったしても、構わない。
拒絶される未来よりも、彼女との約束を破ることの方がよっぽど嫌だった。
だから俺は、逃げずに本当に大事なことと、本当に大切な人と、向きあうと決めた。
駅に近づくに連れて、心臓の鼓動が早くなっていくように感じた。
いつか、彼女と初めて会った日の放課後、屋上に足を踏み入れようとした時もこんな感覚を抱いたなと懐かしむ。
思い返せば、彼女と過ごしたこの一ヶ月、色々なことがあった。
二人で演技の練習をしたこと、帰り道で犬と猫に追われたこと、映画を見に行ったこと。
彼女の悩みを知ったこと、彼女ついて悩んだこと、二人で変わろうと約束したこと。
つい最近の出来事のはずなのに、全てが遠い昔のような気がして、ずっと前からそこにあったような気がして。
もう、この感情には抗えないのだろう。
彼女の顔を思い浮かべると、すごく安心したような気分になるのがその証拠だ。
演技が好きな彼女が。
猫が好きで、犬が嫌いな彼女が。
訳の分からないタイトルの映画にハマる彼女が。
優しく、明るく、少しうるさいくらいの彼女が。
俺は、好きだったんだと思う。
その感情を意識すると、さらに全身の血流が早くなり、体が熱くなった。
行き交う人達の話し声、風の音、遠くで響く何かのサイレン。
周りの音が、全ての環境が、俺の心証と重なってざわついているように思えた。
おそらく気のせいなのだろうけど、そう考えてしまうほどに俺は緊張してしたのかもしれない。
そうして、動悸に耐えながら、俺は駅にたどり着いた。
彼女はまだ到着していない様子。
息が切れた体と、緊張したままの心を落ち着かせながら、身だしなみを整えた。
そもそも、まだ彼女が母親の説得に成功したのかも分からないのに、ここまで緊張してしまうのもおかしな話だ。
まずは彼女の話を聞いて、その内容が喜ばしいものであったなら、そこから緊張すればいい。
どちらに転んでも、今夜、俺の心は焦燥ですり減るハメになる。
だったら、今はまだ気を緩めていたほうがいいのだろう。
リラックス、リラックス。
そう思いながらも、結局、バクバクと鼓動を脈打ちながら、彼女を待った。
緊張もしていた。
不安もあった。
けれど、やはり、心の一番深い部分では、彼女に久しぶりに会えるのを楽しみにしていたのだと思う。
彼女に会ったらどんな顔をしようか、どんな言葉を掛けようか。
少しだけにやけた顔をしながら、彼女を待った。
しかし、いつまで経っても、彼女は現れなかった。
何かあったのだろうかと心配になって電話を掛けてみるも、一向に繋がらず、何もできないまま、ただひたすらに彼女を待った。
一時間経っても、彼女は現れなかった。
二時間経っても、彼女は現れなかった。
三時間経っても、彼女は現れなかった。
何度電話を掛けてみても、一向に繋がる気配はなく。
そうして、日付が変わる頃まで待っても。
彼女が、俺の目の前に現れる事はなかった。
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