第17話 僕と彼女と彼女の秘密③

 放課後、九条先輩に言われた通りに屋上へと戻ってくる。


 すると、彼女もすでに到着していたらしく、灰色のタイルの中心で俺のことを待っていた。


 昼にしつこく迫ったというか、嫌がる彼女を無理やり問い詰めてしまったので、放課後はどれほど気まずい雰囲気の中で彼女と向き合うことになるのだろうかと恐れをなして震えていたが、屋上に入って彼女のその姿を確認した瞬間、その不安のほとんどは、呆れと言う言葉と取って変わるように消えてなくなってしまった。




「夏目君、お疲れ様」


「……何ですか、それ」




 その理由は、彼女の体勢にあった。


 なぜなら、彼女は怒るでも、俺を警戒するわけでもなく。


 屋上で、透き通るような青空を見つめながら。


 まるで、これからひと眠りでもするかのように大の字になって、寝転がっていたからだ。


 そんな彼女の姿を見て、唖然とし、言葉を失い、その場で呆然と立ちつくしてしまう。


 とうとう頭がおかしくなってしまったのかと心配していると、彼女はちらりと顔だけをこちらに向け、気の抜けた様子でこう言った。




「夏目君もやってみなよ、気持ちいいよ、これ」


「はぁ……」




 正直なところ、恥ずかしいので結構ですと断りたい気分だった。


 しかし、昼休みに彼女に拒絶された痛みや気まずさがまだ残っていたので、仕方なく、空気を壊さないように、屋上の固いアスファルトでできた地面に横たわり、彼女と同じように空を見上げた。


 傍から見たら、かなりおかしな二人組に見えてしまうだろう。


 けれど、彼女の言う通り、こうして寝転がるのは思いのほか開放的で、まるで、自分が雲にでもなってしまったような気楽さがあった。




「君が素直に私の提案に乗るなんてめずらしいね」




 彼女は少し意外そうに言いながらこちらを覗き見て、すぐにまたその眼を空の方へと戻す。




「まぁ、たまには」




 そう俺が言葉を返すと、彼女は少しだけフフッと笑って「そっか」と満足げに言った。




「これは発声練習の一つでね、あお向けになって力を抜いて、地面に声を共鳴させるように声を出すっていうものなんだ」


「へぇ」


「これやると良く声が通るから、私もちょくちょくやってるんだよね」




 彼女は、俺達が今やっていることが一体何なのかを大まかに説明してくれて、その説明で、俺もこれにはどんな意味があるのかを知ることができた。


 知ると同時に、危機感を抱いた。


 彼女は、屋上でこの寝転がる行為を頻繁にしているという。


 それが、少しだけ心配になったのだ。


 確かに、この屋上に人が来るなんて滅多にないだろうが、万が一にも誰かがここを訪れた場合、スカートでその無防備な恰好をしているのは危険ではないかと、そう思ったのだ。


 まぁ、それについてはよくよく注意しておこう。


「心配し過ぎ」と笑われそうだが、俺にだって譲れないものがある。




「試しにやってみよっか、声出し」


 


 彼女はそう言い、発声練習を始めようとした。


 けれど、それには同意できなかった。


 俺は、彼女が隠した本音を聞くために、この屋上に来たのだ。


 だから、話の流れをうやむやにされそうな行動は極力控えてもらいたかった。




「あの、九条先輩」




 彼女を止めるために、俺はいつもより少しだけ低い声を出して、彼女を呼んだ。


 すると、彼女もそれを、俺の考えを初めから理解していたように答えた。




「うん……話すから。全部、話すから。少しだけ落ち着かせて」




 俺が本題を切り出す前に、彼女はそう、焦りというか、憂いを含んだ声で言ったのだ。


 それを聞いて、俺は理解する。


 彼女は全てを伝えるために、ここに俺を呼んでくれたのだ。


 彼女に頼ってもらえる。


 そう思えると、少し嬉しいような気がした。


 話してくれると言うのなら、俺はいつまでだって待つつもりだ。


 俺にとって彼女が他人じゃなかったとしても、彼女にとってもそうであるかと聞かれたら、一概にそうだとは言えないだろう。


 他人に自分の深い部分を知られてしまうのは、とんでもなく恐ろしいことだ。


 何でもないように、平然としているように見えて、彼女の心の中は不安でいっぱいなのかもしれない。


 でも、それでも、彼女は俺に全てを話してくれようとしているのだ、自分の、九条凪の、簡単には触れられたくはない本心を。


 そう決めてくれたのであれば、それにいくら時間がかかろうと俺は構わない。


 何時間でも、何日かかったとしても、俺は彼女の側を離れるつもりはなかった。


 そう意気込んでいると、彼女は突然力を抜いたような声で「あー」と声を出した。




「リラックスできるから、夏目君もやってみなよ」


「嫌ですよ、恥ずかしいですし」


「うぅ……」




 彼女の提案を数秒の間も開けずに断ると、彼女は呻くようにたじろいだ。


 だから、そういう反応はやめてほしい。


 普段だったら、これしきの揺さぶりでは自分の意思を譲ったりはしないのだが、今日に限っては状況が状況だ。


 後ろめたさも相まって、少しだけ彼女に甘くなってしまう。


 やろうかやらないか迷よったあげく、俺は溜息交じりに彼女と同じように声を上げた。


 そんな俺の様子を見て、彼女は笑みを溢す。




「昼休みさ、急に怒鳴ったりしてごめんね」


「別に、気にしてないです。俺もしつこかったと思いますし」




 不意に彼女が謝ってきたので、俺も“大丈夫だ”と彼女に返した。


 すると、彼女は小さな声で「ありがとう」と呟き、続けてふぅっと息を吐いた。




「それじゃあ、私の話聞いてもらおうかな」




 覚悟を決めたように、彼女は言った。


 彼女が心を決めたことにより、同時に俺にも緊張が迸った。


 当然だろう。


 彼女がどんな理由で一人きりで演技をし、どんな気持ちであの一言を言ったのか。


 それを、彼女は包み隠さず話してくれるのだ。


 俺にも真剣に、誠実に、それに向き合わなければならない義務があるはずだろう。


 生半可な気持ちでは受け入れられない。


 心の準備を整え、彼女が口を開くのを待つ。


 すると、彼女はその視線を青空に向けて、ゆっくりと、自分の心の内にある真実を語り出したのだ。



「私の家ね、父親がいないの―――――」

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