第16話 僕と彼女と彼女の秘密②
屋上の扉を開けると、案の定彼女はそこにいて、フェンス際に、入口に背を向けるようにして立っていた。
ちらりとも、こちらを見ようとはしない。
どう声をかけたらよいのか分からずに、俺はその場で少し迷ってしまったが、先ほどの西野の言葉を思い返し、静かに覚悟を決めて彼女に近づいた。
「九条先輩……あの……さっきのって……」
彼女は俺の問いかけには反応せず、魂を抜かれたようにただぼんやりと校舎の外を見ているだけだった。
それでも、俺はあきらめず、続けて彼女を問いただす。
「あれって、どういう……」
俺が明確な言葉を口にしようとすると、彼女はフェンスから手を放し、その小さな顔と体をこちらに向けた。
少しだけ困ったようなそぶりを見せ、はぁ、と溜息をつい後、彼女は俺に言葉を返した。
「逃げたりしちゃってごめんね。急に後ろから声かけられて驚いちゃってさ」
彼女は人工的に作られたような笑顔を浮かべながら、俺をなだめるようにそう言った。
彼女のその言葉に、俺は一瞬惑わされそうになった。
彼女がそう言うのなら、そうなのだろうと。
何にも気にすることのない、ただの独り言だったのだろうと。
いつもの、何気ない、少しだけ俺をからかったような表情でそう言ってくれたのなら、俺も納得できたはずなのだ。
しかし、そんな感情を圧し潰したような作り笑いを浮かべて否定されては、おいそれと引き下がれない。
俺がこの関係を断ち切ろうとした時にも、彼女はその表情を見せた。
俺は彼女の多くを知っているわけではない。
でも、それだけは。
一度、確かに目にしたそれだけは知っている。
彼女がその笑みを浮かべる時は決まって、何かを隠し、我慢し、自分を縛り付けている時だ。
それを知った上で彼女の言葉を鵜呑みにし、気づいてしまった嘘をなかったことにしてしまうほど俺は器用な人間ではなかった。
心配したような目で、彼女を見つめた。
すると、彼女は呆れたように笑った。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、大げさだなぁ」
「でも……」
「時間もなくなっちゃうし、練習、始めよっか」
このままではだめだと、彼女が否定した事実を必死に掘り返そうとすればするほど、それに反比例でもしているかのように彼女はさらに心を閉ざし、真実を隠そうとした。
一体、どうすれば全てがうまくいくのだろうか。
俺の足りない頭で考えみても、答えは見つからなかった。
けれど、ここで何もかもをあきらめて、彼女を蝕んでいる原因から目を背けて、全てを捨てて退いてしまうという選択肢だけは、俺の中にはなかったのだ。
「演劇部に、何かあるんですか」
「………」
彼女が隠そうとしている事実。
彼女が触れてはほしくない真実。
そんな彼女の意思を無視して、俺は踏み込んだ言葉を口にする。
彼女は黙り、首を垂れて目を反らしたが、それでも俺は、彼女の本質に近づくことをやめなかった。
「先輩、演劇部の練習すごくうらやましそうに見てて……」
「違う……」
なんとかしよう、少しでも状況をよくしようとしつこく彼女に問いただそうとした。
しかし、彼女はそれを認めようとはせずに、消えそうな声で否定を続ける。
「でも俺、確かに聞きましたよ」
「違うってば……」
「先輩が、演劇部の練習見て“いいな”って言うの……」
ついに、俺があの一言に触れようしたその時だった。
何かが弾けたのか、それとも我慢の限界だったのか。
彼女はいつもでは考えられないほど荒ぶった声を張り上げ、俺を拒絶したのだ。
「夏目君には関係ないじゃん!」
彼女はそう言い終えた後、自分が口にしてしまった言葉の重大さに気がついたのか、ひどく青ざめたような表情を見せた。
そのまま、何かを悔いるように力強くスカートの裾を握ると、彼女は俺から目を背けるようにして黙り込んでしまった。
こんなにも、彼女が自分の感情を露わにしたことが今まであっただろうろうか。
少なくとも、彼女が理性を超えて怒号を発する姿なんて俺の記憶の中にはなかった。
「そう……ですよね……」
俺は、こちらを見てくれない彼女にそう声をかけた。
たしかに、彼女の言っていることは正しいのだろう。
最近知り合ったばかりの赤の他人が、彼女の抱える心の深い部分に触れようとするなんて、鬱陶しくて図々しくて気持ちが悪い。
俺だってどうかしている。
元々、俺は面倒事が嫌いだったはずだ。
それを他人の、その本人でさえもどうにかできていない事情に首を突っ込もうとするなんて、以前の俺なら「そんなもの狂気の沙汰だ」とあきれててしまうはずだろう。
俺は面倒事が嫌いだ。
それは、もっと突き詰めていけば他人に興味や関心がないという人としての欠陥に繋がっていく。
自分勝手な人間だから。
閉鎖的な人間だから。
興味のないものに付き合うことほど退屈なことはない。
聞きたくない、知りたくもない。
そんな本心を隠しながら他人と付き合っていくのは面倒だ。
そうだ、それなら必要以上に近づかないようにしよう。
なぜなら、俺は面倒事が嫌いだから。
そうやって、いつも自分の中で割り切りをつけて生きてきた。
今回だって、いつもと何ら変りはない。
俺は自分の知っている、知りたい範囲にしか興味がなくて、彼女は他人で、これは面倒なことで、そう、極めて簡単だ。
いつも通り、むやみに立ち入らず、距離を取ってあきらめてしまえば楽になる。
きっとそうだろう。
けれど、彼女は、九条凪という人物は、俺にとって本当に他人なのだろうか。
彼女の行動に恐れをいだき、彼女の要望に嫌々ながらも付き合い、彼女のことで悩み、彼女のことを考えた。
どんな時に嬉しくて、どんな時に悲しいのかを理解しようとして、彼女が拒んでもなお彼女を知りたいと思った。
こんな気持ちを抱く相手を、他人と呼んでもいいのだろうか。
多分、違うのだろう。
少しの時間であっても、共に笑い、共に過ごしてきた。
俺が、俺達が、ただの他人であったのなら、彼女にここまで肩入れするわけがない。
もし、彼女が他人ではないと言うのなら、答えは一つに決まっている。
自分が望む、求める理想を後悔しないようにとことん追求すればいい。
なぜなら、それが一番楽で、正しい道のりだから。
たとえ拒まれたとしても、嫌われたとしても。
何もしないで後から悔いてしまうのが、きっと一番面倒なのだから。
「でも、俺、何で先輩があんなこと言ったのか、先輩の口から直接聞くまであきらめませんから」
彼女は、何も言わなかった。
それが何を意図するのかは、俺には分からなかった。
「だって……あんな顔されたら……」
しつこいと思われているかもしれない。
気持ち悪いと思われているかもしれない。
関わらないでほしいと思われているかもしれない。
彼女の拒絶などお構いなしに踏み込もうとしているのだ。
そんな風に思われていたとしても文句は言えないだろう。
けれど、俺はもう止まることはできなかった。
決めたのだ、彼女の力になろうと。
彼女を曇らせる闇を取り除こうと。
だから、それがどんな荊の道であろうと俺は歩みを止めない。
どんなにちっぽけでも、どんなに弱々しくたっていい。
それが彼女のためになるなら、俺は、支えになってやりたい。
「放っておけないですよ」
俺がそう言うと、彼女はゆっくりと顔をあげて俺の顔を見上げた。
その顔の中心にある彼女の透明な色をした瞳には、わずかな雫が滴っているように見える。
「今日は、帰ります」
俺は続けて彼女にそう言い、すぐに振り返って、屋上から立ち去ろうとする。
今は、彼女が何を思い、何を感じているのかは分からない。
けれど、俺は彼女のことを知ろうと、支えになろうと、大事な大事なはじめの一歩を踏み出したのだ。
後はどうなろうと、彼女が心を開くまで辛抱するしかない。
「夏目君!」
そう腹を括り、ドアに手をかけた時だった。
突然、彼女に呼び止められてびっくりしながら後ろに振り返る。
すると彼女は、何かにすがるような弱々しい声で、こう言ったのだ。
「放課後、もう一度ここに来てほしい」
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