第15話 僕と彼女と彼女の秘密①

【七月十七日 火曜日】


「おい待てよ、隼人」




 昼休み、屋上に向かうために教室を出ようとすると、背後から西野に呼び止められた。




「なんだよ、西野」


「どっか行くんだろ? 俺も食堂行くから途中まで一緒に行こうぜ」




 西野のその提案に、俺は一瞬顔を引きつらせた。


 屋上への道のりについて来られると、色々と知られたくない秘密がバレてしまう可能性があったからだ。


 けれど、ダメだと断ってしまえばコイツはかえって着いてこようとする気がしたので、渋々、首を縦に振る。


 まぁ、屋上に続く階段と食堂に続く道は別れているので、上手くやれば西野に勘付かれる心配もないだろう。


 そう自分に言い聞かせて、俺は西野と共に教室を後にした。




「おまえ、最近昼休みになるといつもどっかに消えるなよな。何してんだよ?」


「まぁ、ちょっとな」





 西野のその問いかけにも、疑われない範囲でうまく誤魔化した返答をする。


 彼女に、屋上での諸々の出来事は誰にも言うなと釘を刺されたのは何週間も前のことだ。


 しかし、彼女の演技に対する不明確な反応を見るに、時間が経過した今でも、あまり人に言いふらしたりするのはよろしくないのだろう。


 それに、俺と彼女が昼休みに密会しているのを西野に知られてしまえば、俺が際限なくからかわれてしまいそうなので、単純に面倒くさいというか、恥ずかしいから秘密にしておきたかった。 


 俺は面倒事が嫌いなので、自分に不利な情報は極力口にしたくないのだ。


 俺が押し黙っていると、西野は両手をパンと一度叩き、何かを察しったような様子で俺の方を見てくる。


 何を思いついたのかは分からないが、こいつのことだから、どうせまたくだらないことでも考えているのだろう。


 そう高を括って視線を向けると、西野は“にんまり”という表現がよく似合う表情を浮かべて俺に言った。




「あ! 九条先輩に会いに行ってんのか!」




 また、バカなことを言いだした。


 そんなことをあるわけ……




 !?!?!?


 え!?  えぇ!? バ、バレた!? 何でこいつ分かったんだ!? 




 俺は西野の方を一度チラリと見て、また正面に視線を戻し、今の状況を頭の中で整理してから、また西野の方を見た。


 これが、俗に言う二度見というやつなのだろう。


 西野のその問いかけに、俺は心臓が飛び上がってしまうかと思った。


 こいつ、意外と鋭い………いや、もしかしたら、どこかで俺たちを見ていたか、誰かが見たのを人づてに耳に入れたのかもしれない。


 こいつの顔の広さなら、校内に張り巡らされた情報網を駆使してそれを知ることも不可能ではないだろう。


 くそ、完全に迂闊だった。


 こうなったら、潔く事実を認めて、やましいことはないと弁明したほうがいいのだろう。


 頑なに否定したりすると、逆に相手の好奇心に火をつけて、さらに煽られてしまう可能性もあるため、火に油を注ぐのと一緒になってしまう。


 だから、冷静に、何も気にしていませんよと言わんばかりの態度を取った方がかえって効果的なはずだ。


 しかし、こうまでして古くからの友人を陥れたいとは西野も意外と心のない奴だ。


 今まで信用してきて損した気分だ。


 もしかしたら俺は友達作りに失敗したのかもしれない。


 ……そもそも、そんなに友達いないけど。




「な、なんで分かったんだよ」


「えっ、そうなの?」


「は?」




 どうやってそれを知ったのかを西野に問いただすと、肝心の本人がきょとんとしたような顔をしているので、俺も訳が分からなくなってしまう。


 両者、しばらくの沈黙を生み出した後、西野はその表情を驚きの色に変え、俺に迫ってきた。




「マ、マジかよ! 適当に言っただけなのに本当に当たっちゃったよ!」




 一瞬、コイツが何を言っているのか理解できなかった。


 けれど、少しの時間をおいて、俺はやっとのこと今の状況を理解することができ、ようやく二人の話がかみ合った。


 ………………あぁ、神よ。


 どうしてあなたはそうも残酷なのだろうか。


 こうやって、裏を読もうとしたときに限って失敗する。


 俺は普段何もしない代わりと言ってはなんだが、悪さも滅多にしていないはず。


 それなのに、足りない知恵を振り絞って頑張った結果が、自爆。


 こんな仕打ちはあんまりではないだろうか。


 もうグレてやる。


 神様なんて信じてやらない。




「で、どうなの?」


「何がだよ」


「順調なのか?」


「そういうんじゃねぇよ」


「じゃあなんで会いに行ってんだよ?」


「その……それは何て言うか……」




 彼女の演技の練習に付き合っているだなんて、口が裂けても言えない。


 だから、うまくはぐらかす必要があった。




「お、お手伝いさん、的な?」


「なんだよそれ……」



 

 自分的には上手く誤魔化せたと思ったが、西野にとってはそうではないようで、あからさまに俺に対してドン引きしているようだった。


 確かに気持ち悪いな……お手伝いって何だよ……何のお手伝いだよ……




「まぁ良かったよ、仲いい人ができたみたいで」




 俺が自己嫌悪に陥っていると、呆れた顔をしながら西野はそう言った。


 昼下がりの、優しい日差しが照っている廊下の中で、光のせいか、心なしかその顔にほんの少しだけの慈愛と安心の色が見て取れる。


 続けて、西野は言う。




「お前、昔から俺以外とあんまりしゃべんないからさ、結構心配してたんだぞ」




 今度は、はっきりとわかるくらいに口角を上げた笑顔を見せてそう言ったのだ。


 予想外の発言に俺が動揺していると、西野は「まぁ、頑張れよと」と付け加えて、まるで照れ隠しをするかのように、俺の数歩先を歩いた。




「西野……」




 俺は、なんて大バカ者なのだろうか。


 俺のことをこうも思い、憂慮してくれる友人を疑い、悪者扱いしてしまうだなんて、本当に恥ずべき行為だろう。


 九条先輩の時と言い、俺は先入観で物事を決め付ける節があるらしい。


 そんなことを続けていては、いつか、本当に大事な人達ですら失ってしまいそうな気がしてならない。


 ダメだ、改善しなければ。


 しかし、俺は一人でも別に構わないし、そのほうが気楽でいいと思っていたのだが、西野の目にはそうには映らず、影でいらぬ心配をかけていたみたいだ。




 ………よし。


 これからは、楽しそうにひとりでいることにしよう。


 うん、そうだ。


 誰に何を言われようが、気の合わないヤツとは付き合えない。


 けれど、一人でだって楽しむことはできるのだ。


 これからは西野に心配をかけないように、最高で甘美なソロ充ライフを送って行こうではないか。


 とにかく、ありがとう神様、俺に良い友人を与えてくれ………




「で、いつ頃付き合えそう?」


「だから!  違うって言ってるだろ!」




 突然、西野はくるりと振り返りながら俺にそう告げる。


 その顔はびっくりするほどニタニタと緩んでいて、俺をいじり、笑いの種にしようとしている魂胆が丸見えだった。


 前言撤回。


 こいつ、やっぱだめだわ。


 西野のからかいを無視して、二人で廊下を歩いていく。


 すると、中庭から男女の声が複数に重なり合った、言葉にならない言葉というか、端的に言うと「あー」とか「うー」とか、母音だけを発しているような音が聞こえてきた。


 不思議に思い、中庭を覗き込んでみる。


 そこには、体操着やジャージなどの動きやすい服装をした生徒数人が、腹に手を当てて声を出している姿があった。




「なぁ、西野」


「ん?」


「あの人達、何してんのかな?」




 その光景を見て、怪訝に思った俺が尋ねると、西野は窓から身を乗り出すようにしてその様子を注視する。


 しばらくすると、西野は「あぁ」と納得したような声を上げて、俺に答えを教えてくれた。




「あれは演劇部だな。発声の練習でもしてんだろ」




 西野の言葉で、一瞬にして俺の中にあった謎は氷解していく。


 なるほど、演劇部か。


 となると、これが発声練習というヤツなのか。


 九条先輩から聞いてはいたが、実物を見たことがなかったために判断できなかった。


 しかし、実際に聞いてみるとかなり大きな声が出ていて迫力がある。


 彼女もこんなに大きな声を出せるのだろうか。


 あんなに小さな体から、こんなにも地を呻くような重低音が発せられるところを想像してしまうと少し可笑しく思えてしまう。


 俺と西野がその場で立ち止まり、演劇部の発声練習を見ていると、やがて部員たちは声出しの練習をやめて、台本のようなものを持ち出し、今度は何かのセリフを二人一組で演じるような練習をし始めた。




「へぇ、演劇部が練習してるとこ初めて見た」


「秋には文化祭だしな、今から準備しないと間に合わないんだろ」


「大変なんだな」




 うぇ~と舌を出して、率直な感想を口にした。



 面倒事が嫌いな俺には、そうまでして何かに打ち込むだなんて到底理解できないが、彼らにとってはそれが信念であり、青春なのだろう。


 理解はできないが、逆にそのような芯が、自分を構成する核があるのは少しだけうらやましくも思えた。


 ただひたすらに虚ろな瞳で中庭の様子を覗いていると、痺れを切らしたのか、西野がそろそろ行こうぜと俺に催促してきたので、俺もそれに頷き、再び廊下を歩きだした。




 演劇部の練習風景というものを初めて見たが、やはり、ある程度のレベルや演劇のスキルがある者同士が演技をしていると本格的に見えるものだ。


 それを身近に感じてしまうと、やっぱり、彼女の、九条先輩の才能とか、今の行動がもったいなく思えてしまう。


 彼女だってかなりのスキルを持っているのだから、俺なんかとお遊びで演劇をやるのではなく、部活に入ってちゃんとした仲間と一緒にやればもっと得るものがあるだろうに。


 このまま一人で燻ぶっていては、勿体ないと思ってしまう。


 でも、本人が演劇は趣味だと割り切っている上に、人には知られたくないご様子なのだ。


 彼女がやりたいと言っているならまだしも、そうではないのなら、俺がとやかく言うのはおせっかいというやつなのだろう。


 あまり、余計なお世話は焼くべきではないのかもしれない。


 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、不意に西野が俺の肩を叩き、前方を指さしながら聞いてきた。




「なぁ、あれ、九条先輩じゃないか?」




 そう言われ、廊下の奥に視線を送ってみると、確かにそこにいたのは九条凪その人だった。


 思い返してみれば、廊下で彼女を見かけるのは初めてかもしれない。


 まぁ、知り合ったのも最近で、それまではお互いの存在すら知らなかったような関係性なのだから当たり前ではあるけど。


 西野が俺の肩に手を置き、ニタニタと笑いながら「言って来いよ」と言うので、俺はその手を払って少しの威嚇をした後に、西野から離れ、彼女に近づいていこうとした。


 彼女は校舎の中心、おそらくは中庭で行われている演劇部の練習をじっと見ていて、こちらの存在にはまったく気づいていないようだった。


 徐々に彼女に近づいてくと、次第に彼女の顔が鮮明に見えるようになっていく。


 その表情は、普段俺に見せているものと変わりなく、一見、特別なものには見えなかった。


 しかし、気のせいだろうか。


 なんとなく、物悲しげな雰囲気というか、愁いを含んでいるように見えて、この間、俺の下手くそな演技を見て腹を抱えて笑っていたような彼女とは似ても似つかず、目の前にいる彼女は別人のように感じられた。


 ようやく声をかけられる程度の距離まで近づいたので、俺はそっと、驚かせないように彼女の名前を呼ぼうとした。




 しかし、その瞬間。




 彼女は誰に向けたのでもない、言葉にしたところでなんの意味も持たない、という想いが込められたようなその一言を、ぼそりと、静かに呟いたのだ。


 その一言を聞いてしまった俺は、彼女に声をかけられなくなってしまう。


 呆然とその場に留まっていると、彼女もようやく誰かが自分の背後にいることに気が付いたのか、素早い動作で後ろに振り返り、俺の顔をまじまじと見つめた。




「あの……先輩……」


「えっと……あの……」




 二人の間に数秒の空虚な時間があった後、彼女は自分がしていたこと、言葉にしてしまったことの全てを俺に聞かれたと悟ったのか、しまったという顔を見せ、何も言わずに屋上に通じる階段がある方向へと走り去っていった。


 一方で俺は、目の前で走り去っていく彼女を引き留めることも、追いかけることもできずに、ただ、彼女の背中を眺めることしかできずにいた。




「どうした?」


「……いや……何でもない……」




 事の顛末を遠くから見ていたのか、西野がこちら側に寄ってきて俺に尋ねてくる。


 しかし、その問いに対して俺は何も答えることができずに黙りこくってしまい、西野も少し困った顔をした。


 けれど、西野はその表情をすぐにいつもの形に改め、動揺し、冷静さを失っている俺の背中を一発強めに小突くと、そのまま、俺に諭すように言った。




「何があったかは知らないけど、追いかけた方がいいと思うぞ」


「………そうだな、すまん、ありがとう西野」




 西野の言葉でハッと気を取り直した俺は、急いで彼女が登っていったはずの階段の方へと駆けていく。


 西野の言う通りだ。


 彼女がどうしてあんな言葉を口にしたのかは、俺には分からない。


 なら、ここで彼女から目を背けてしまえば、ここで彼女から直接話を聞かなければ、その真相は一生分からないままだ。


 そんなの、一生後悔しそうで嫌だった。


 とにかく今は、彼女に追い付いて話をするしかないのだ。


 階段を走って登りながら、俺は彼女が言ったその一言を思い浮かべた。


 確かに彼女は言ったのだ。


 屋上で、一人きりで、膨大な専門知識を培ってまでも、


 演技は、これは趣味だと、そう言い張っていた彼女が、


 演劇部の練習を見ながら、物欲しそうに放った、その一言を。


 確かに俺は聞いたのだ。


 まるで、絶対に自分の手には入らないものを知ってしまった子供のように、彼女が悲しく、うらやましそうに、




「いいな」




 と言った、その一言を。

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