第14話① 九条凪⑦

【七月十三日 金曜日】

 

「そうだ夏目君」


「はい?」


「今日の放課後って暇?」




 もはや日常と化しつつある昼休みの演技練習を終え、校舎の中に戻ろうとしていた時だった。


 彼女が俺に、そう聞いたのだ。


 今日の放課後、俺には予定というものはない。


 しかし、簡単に「はい、暇ですよ」なんて答えるわけにもいかなかった。


 なぜなら、彼女には前科があるからだ。


 先日、ほぼ無理やり自分の帰路に俺を連行し、貴重な放課後の時間を奪っていった。


 先日、図書室でとんでもない羞恥プレイに付き合わされた。


 その出来事から、何か裏がある、また面倒なことになると彼女を勘ぐり、返答するのに慎重になってしまったのだ。


 そうして悩んだ末、俺は戦略的撤退、すなわち、嘘をついてありもしない予定を作り出すことを選んだ。




「いえ」


「…………」


「暇じゃないですね」


「……何か予定とかあるの?」


「はい」


「何?」


「ちょっとした野暮用で」


「そっか……」


「申し訳ないです」


「それなら仕方ないね。それじゃあ、私と映画見に行こっか」




 彼女には悪いが、ここは逃げさせてもらう。


 今日は体育の授業でマラソンをしたため、体力的にも限界。


 だから、すぐに帰って昼寝でも…………って、まてまて。


 会話の流れ、おかしくない? 


 暇じゃないって言ってるのに、映画に誘ってきたぞこの人。


 俺の話、聞いてたの?




「いや、今予定があるって言ったじゃないですか……」


「君、面倒くさい時とか平気で嘘つくからね。今の君の顔、嘘ついてる時の顔だよ」




 ドキリ、と胸が鳴る。


 どうやら、拙い嘘を見透かされてしまったらしい。


 素人の俺が、詐欺師のように人を欺くにはまだまだスキルが足りなかったようだ。


 というか、一体何なんだこの人は。


 知り合ってからそんなに時間が経っているわけでもないのに、俺の表情から心理を読み取りやがった。


 確かに、最近は毎日のように顔を合わせてはいたが、簡単に嘘を見抜かれれるまでに掌握されてしまっていたとは、こちらとしても予想外である。


 我ながら、自分の詐欺スキルには自信を持っていたのだが、こうも簡単に見破られてしまうと自信を無くしてしまう。


 今まで俺の嘘を見破ってきた奴なんて、母親と妹と西野ぐらいしかいないのに……あれ、結構いるな?




「まぁ……どうしても行きたくないって言うなら無理にとは言わないけど……」




 彼女はそう言うと、少ししょんぼりしたような様子を見せ、片腕をきゅっと掴んで目を伏せた。


 ……またか。


 本当に落ち込んでいるのか、それとも演技でやっているのか、真相は知らないが、これをやられると弱ってしまう。


 罪悪感に駆られてしまうというか何というか、放っておいてはダメなような気分になるのだ。




「はぁ……なんの映画ですか」




 どんな映画を見るのかくらいは聞いてやってもいいだろう。


 そう観念して、溜息を吐きながら彼女に聞く。


 すると、彼女は分かりやすすぎるくらいにぱあっと表情を明るくして、スカートのポケットの中から二枚のチケットを取り出した。




「この映画! 友達が雑誌の懸賞で当てたんだけど、あんまり興味ないからって私にくれたんだ!」




 スカートにポケットって付いてるんだ……


 軽くカルチャーショックを受けながら、彼女の手元にあるチッケトを覗き見る。


 もし、これが恋愛映画や青春映画だったのなら、有無を言わさずに彼女の誘いを断わるつもりだった。


 そんな内容の映画は、良く分からない関係性の俺達が二人っきりで見るようなものではないからだ。


 心に決めて、彼女が持っているチケットに印刷されている文字を、目を薄めながら読み込む。


 ふむふむ、えーと……こ、これは……




「『ビーバー、女帝になる。』の劇場版だよ」




 彼女はしたり顔でそう言い、俺はその言葉に息を飲んだ。


 ……なん……だと……




 『ビーバー、女帝になる。』




 この作品は、かつて俺と彼女が演技の練習の際に扱っていた作品であり、俺をこの演技の練習沼へと引きずり込んだ間接的な理由でもある作品だ。


 元々は特別枠の限定ドラマで、彼女の演技を見た時に大体の物語の展開を把握し、ありふれた内容のドラマだなぁぐらいの感想しか持たなかったのだが、まさか劇場版になるとは驚きの一言である。


 こいつ、特別限定ドラマの分際で劇場版になりやがった……


 そんな事を考えながら、彼女にもう一度チケットを見せてもらい、今度は詳しいところまで詳細を調べてみる。


 しかし、詳しく調べるどころか、チケットを覗き見たその瞬間に、またもや衝撃が俺の脳内を巡り走った。


 そのチケットの中央には確かに映っていたのだ。


 マジの、リアルの、モノホンのビーバーが。


 えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!


 マジのリアルビーバーが出演しているじゃねーか! 


 え、これマジのビーバーが演技してんの? 


 いや、確かに以前、リアルビーバーが出ていないのは残念だとか言ったけれども、本当にリアルなビーバーを出演させてていたとは……。


 俺はてっきり、女優がコスプレでもしてんのかと思ってたんだけど……リアルビーバーが出ているなら、ちょっと見てみたい気も……


 ……いや、ダメだダメだ。


 一時の欲望に身を流されるな。


 たしか、この前もそんな感じで痛い目にあったじゃないか。


 そもそも、劇場版にするほどの内容とか伏線とかがあるのだろうかこの物語には。


 ドラマ版で、王女がビーバーの呪いを解いてハッピーエンドだったはず。


 あっ、もしかしたら今流行りの、劇場版と言いつつもすでに放送された内容を繰り返してファンから金を巻き上げる、いわゆる総集編というやつだろうか。


 それならわざわざ見に行く価値はないだろう。




「これ、テレビ版の総集編ですか?」


「ううん、完全新作エピソードだよ」




 ………ま、まじかよ。


 俺が唖然としていると、彼女は堰を切ったようにこの映画についての説明をしてくれた。




『劇場版ビーバー、女帝になる。』




 この作品は、特別限定ドラマ、『ビーバー、女帝になる。』の続編だということ。


 特別限定ドラマでは異例の劇場化だということ。


 一部の熱狂的ファン待望の劇場版だということ。


 それらの情報をあまりにも楽しそうに彼女が話すので、俺も思わず聞き入ってしまう。




「それで、どうしようか夏目君。一緒に見に行ってくれる?」


「え、えーと……」




 正直、見てみたい気持ちもあった。


 けれど、最初に予定がないと嘘をついた手前、ここで素直に同行すると言ってしまうのも恥ずかしい。


 なので、本当は行きたくはないが、彼女がどうしてもと言うので仕方なく着いて行ってあげるというような雰囲気を醸し出しながら、彼女に同行する旨を伝えることにした。


 というか、それしか自分の面子を保つ手段がなかった。




「そ、そうですね……先輩がどうしてもって言うなら、行ってあげないこともない……」


「本当? 良かった!」




 俺が言い終える前に、彼女は嬉しそうに笑ってそう言った。


 うっ。


 彼女のその素直な笑顔を前に、プライドを守ろうと必死になっていた自分が少しちっぽけに思えた。

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