第10話 九条凪②



 ホームルームの始まりから、午前中の授業が終わるまで。


 俺は授業をそっちのけであの夢について悩み、考え、必死に答えを探ろうとした。


 しかし、あの夢に関する情報があまりにも少なすぎたせいか、結局、解決の糸口を見つけられず、それとなくこの問題が迷宮入りしそうだと感じはじめ、現在、自分の席で途方に暮れていた。


 “努力は必ず報われる。”


 ただ単に運が良かっただけで成功し、薄っぺらい地位と名誉を得た大人達は口を揃えてそう言うが、現実はそんなに甘くはない。


 苦労が結果に結びついた者と、苦労が結果に結びつかなかった者。


 この世の中では圧倒的に後者のほうが多いのだ。


 だから、夢のことだって同じだろう。


 必死に考えたって、それが解決に繋がるかはまた別の話であって。


 そもそも、全ての努力が報われていては、世界は医者とアイドルとプロ野球選手で溢れかえってしまうではないか。


 努力が必ず報われるなんてあり得ない。


 よくよく考えれば分かるだろう。


 あぁ、無駄な時間を使って損をした。




 時刻は正午を過ぎ、学生にとってはお待ちかね、お昼休みの時間の始まりである。


 食堂に行くも良し、部活の練習をするも良し、友達と駄弁るのも、昼寝をするのも良し。


 お昼休みというのは、授業という名の孤立無援の砂漠の中にあるまさにオアシスのような存在なのだ。


 けれど、今日に限っては、俺はこのお昼休みという時間が始まってしまうのを心の底から恨んでいた。


 普段なら、俺だってこのお昼休みという時間を愛して止まない。


 なのに、どうしてそれを今日に限っては心の底から恨んでいるのか。


 その原因は、俺の心にダメージを与える二つの要因、残るもう一つの方にあった。


 そう、九条凪についてだ。


 彼女は普段は真面目な優等生らしいのだが、実は屋上で一人、目的もなく演技の練習をしている変わり者であり、昨日の放課後、俺は明日の昼休みにもう一度屋上に来ること、そして自分の演技の練習に付き合うことを彼女に言い渡された。


 面倒事が嫌いな上に、彼女を危険視していた俺は、自分が演劇やドラマなどには全く興味がないという理由をつけて、彼女の要求から逃れようとした。


 しかし、彼女の勘違いや俺の甘さが偶然にも重なってしまい、あえなく失敗。


 結局、約束を断われなかったのだ。


 その後、彼女について調べようと、西野に探りを入れてみたりはしたが、お目当ての情報を得ることはできずに、自分でも事態をよく把握できないまま、現在、彼女と約束してしまった「明日の昼休み」を迎えてしまったのだ。


 


 昼食用に買っていたパンをねじ込むように口に入れて食事を終え、俺は早々に教室を出て、とある場所をめがけて歩き始める。



 結論から言おう。


 俺は、今から屋上に出向き、彼女に対してもう一度、演技の練習には付き合えないという旨を伝えようとしている。


 やはり、得体の知れない人間とは極力関わり合いになりたくない。


 昨日の晩から今日の昼休みにかけて考えてみたが、どう見ても、彼女の行動は異常なのだ。


 関わってしまったら、面倒事に発展するかもしれない。


 それを感じ取ってしまった時点で、彼女との関係は俺の中ですでに終了している。


 俺は面倒事が嫌いなのだ。


 それに、演技に詳しくもなければ好きでもない俺が、彼女の練習に付き合ったところでお互いに得られるものは少ないだろうし、彼女にも失礼だろう。


 俺のためでもあって、彼女のためでもある。


 だから、今日はきっぱり無理だと断らなければならない。




 関係を断ち切るのなら、彼女との約束をすっぽかして屋上に行かないのもありっちゃありだ。


 恨まれようが、憎まれようが、嫌われようが、どっちにしろ他人になるなら何だっていい。


 けれど、彼女が俺を待っている姿を想像してしまうと、何となく良心が痛くなるというか、申し訳なかったので、直接断りに行くと決めた。


 腹を括り、ズンズンと屋上に続く階段を上っていく。


 昨日の放課後にこの階段を登った時とは打って変わって、強気で、足取りしっかりと前へ進んでいく。


 一瞬でも弱気を見せたら、また彼女に丸め込まれてしまうかもしれないのだ。


 それだけは、避けたい。




 階段を登り切り、屋上のドアの前へと到着する。


 昨日はここで、ドア越しに中の様子を窺ったりしたが、今日はしない。


 男がそんなコソコソとした行動は取らない。


 強気だ、心を鬼にして、強気に堂々と行くのだ。




 勢いよくドアを開け、屋上の中を見渡す。


 すると、奥のフェンスの近くに九条凪、その人物がいた。


 彼女はフェンスに手をかけ何かを見ているようで、俺の存在にはまったく気がついていないようだった。


 時間がもったいないので、こちらから声を掛けようと、彼女に近づいて行って肩に手を置こうとする。


 しかし、俺の手が触れるか触れないかのあたりで、彼女はビクッとしてこちら側に振り返り、驚いた様子で俺の顔をまじまじと見つめてきた。


 数秒の間があったあと、彼女は口元をにこりと緩ませ、少し嬉しそうにこう言った。




「夏目君、来てくれたんだ!」


「あ……ど、どうもっす……」




 うぅ……せっかく強気で行こうとしていたのに、そういう顔をされると調子が狂う。


 彼女は見た目だけはかなり整っているので、そのルックスで笑顔なんか振りまかれたら最後、年頃の男子高校生はそわそわせずにはいられないだろう。


 昨日もそうだ、この笑顔に惑わされ、俺はこの謎の約束を断われなくなった。


 けれど、今日はそうはいかない。


 俺は知っているのだ、九条凪が美人の皮をかぶった変人かもしれないというのを。


 だから、簡単には惑わされない。


 さて、彼女には悪いが、早いうちに演技の練習には付き合えないという旨を伝えてしまおう。


 あまり期待させてしまうのも忍びないし、事態がさらに面倒な方向へ発展する前に、全てに収集をつけてしまいたい。


 彼女が何か言い出す前に、俺の言い分を告げるのだ。


 そう決信し、俺は強気で彼女に話しかけようとする。


 しかし、彼女もまた俺に話しかけようとしていた途中らしく、俺の言葉と彼女の言葉の発せられるタイミングは、不運にも重なってしまう。




「あの昨日っん!」


「じゃあ、時間もないし、さっそく演技の練習始めてもいい?」




 か、噛んだ……。


 強気に出てこれは正直恥ずかしい。


 日頃、雑草のような人生を送っている俺が、急に九州男児のように男らしく振舞うのには無理があったのだろうか。


 どうやら、慣れないことはしないほうがいいらしい……


 しかし、ここで折れるわけにもいかない。


 ここで折れてしまったら、また、昨日みたいにズルズルと彼女のペースに乗せられて、最終的には言いくるめられてしまうのだろう。


 同じ轍を二度とは踏みたくない。


 ここは心を鬼にして、彼女の申し出に強く反発しなければ。




「九条さん、あのですね……」


「今日はね、『ビーバー、女帝になる。』っていうドラマの役をやってみたいんだけど……」




 彼女はまた、俺の言葉を聞かずに話を続けた。


 何なんだこの人、最低限のマナーも守れないのかまったく。


 何だよ、ビーバーって。


 本当、訳がわからな……ん?


『ビーバー、女帝になる。』?


 あれ、どこかで聞いてことがある言葉だ。


 一体、どこでその言葉を…………













 あっ。

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