第11話 九条凪③

 ウソ……だろ……


 顔も名前も知らない、あんな有象無象の生徒の会話が実は伏線になってただなんて……


『ビーバー、女帝になる。』


 この言葉をどこで耳にしたのかを思い出し、衝撃を受けた。


 そして、それと同時に俺の頭の中には新たに強力で危険な雑念が浮かんで来ていた。




“正直、見てみたい”





 その願望の言葉が、俺の頭の中を木霊のごとく何度も反響する。


 初めて聞いた時から、ぶっ飛んだ内容なんだろうとは思っていたけれど、それがドラマとなればなおさらだろう。


 ストーリーが予想できないというか、タイトルからして奇抜すぎる。


 でも、それはこの世界に実在するドラマであって、この地球上で放映されたものなのだ。


 そうなると、それがどんなものなのか、見たくなってしまうのが人間の性だろう。


 正直、無茶苦茶気になる。


 けれど、ここで彼女に主導権を渡してしまっても良いのだろうか。


 おそらく、このまま彼女の演技を見てしまえば、そのままズルズルと彼女との奇妙な関係が続いていってしまう可能性が高い。


 それだけは、何がなんでも回避しなければならない。


 しかし、その一方で、俺の心の中枢にビーバー達が大量発生してしまっているのもまた事実だった。


 さて、どうする。


 リスクを犯してでも彼女の演技を見るべきなのだろうか。


 それとも、断りの旨を伝えてすぐにこの場を立ち去るべきか。


 迷う。


 演技に付き合いたくはないが、ビーバーは気になる。


 切り離せない二つの矛盾した選択肢が、どちらかを選べと俺に詰め寄ってくる。


 俺は一体、どうしたらいいのだろうか……







 ……いや、待てよ。


 ドラマなら、レンタルショップで借りれるんじゃないのか? 


 そうだ、借りられる。


 それなら、ブルーレイが発売されるまで我慢して借りに行けば、彼女の演技を見なくともビーバー達の真実に到達できる。


 何だ、悩む必要なんてなかったんだ。


 だったら、俺がやることは一つだけ。


 演技を見るのを断って、彼女との関係を断ち切るだけだ。


 勝った。


 そう心の中で歓喜し、得意げな顔をしていると、彼女は怪訝そうな様子で尋ねてくる。




「昨日の夜だけに放送された、地上波限定ドラマなんだけど……夏目君、見なかった?」


「……………演技、見たいです」




 俺がそう告げると、彼女の表情は少し明るくなり、そのまま、演技をするための準備を始めた。


 …………くそ!


 卑怯だ、そんなの。


 昨日の夜、しかも地上波限定って何だよ。


 それじゃあレンタルショップで借りれないじゃないか。


 ビーバー達の全容を知るにはもう、彼女の演技を見るか、インターネットで動画を調べるぐらいしか方法はない……ん? ネット? 




 ……やっちまった。


 い、いや、まだ全てが終わったわけではない。


 これを、このビーバーの演技だけを見て、それから断ればいいんだ。


 そうだ、それしか道はない。


 過ぎたことをどう嘆こうと、何かが変わるわけではないのだ。


 それに今更、「演技見るの、やっぱなし」なんて口が裂けても言えないだろう。




 そうしているうちに、彼女は準備を整えたたようで、一度喉を鳴らしてから演技を始めた。


 彼女の挙動やセリフから察するに、『ビーバー、女帝になる。』という作品は、とある王国の幼い王女が、悪い魔女の呪いでビーバーに変えられてしまうといったもののようだ。


 おそらく、ここからの展開はお約束のようなもので、仲間たちと協力して悪い魔女を倒して呪いを解き、その王女がその国の頂点、すなわち女帝になって幕引き、みたいなストーリーが素人の俺でも大方予想できてしまう。


 ……なんか、思ってたのと違う。


 俺は、てっきりリアルビーバーが女帝になるのかと……。


 いや、彼女が突然、おっさんみたいな鳴き声の、森の建築家とも呼ばれているリアルビーバーさんの演技をし始めたらそれはそれで困るし、速攻でこの場を立ち去っていたところだけれど、それでも、こんなメルヘンチックなストーリーでは、どんな奇抜な内容のお芝居を観れるのかと、リスクを踏んでまでこの寸劇に付き合った俺の立場がない。


 期待と現実とのあまりにも大きい落差を前に落ち込んでしまう俺を差し置いて、いつの間にか、彼女は王女がビーバーに変えられてしまうシーンを演じ終えていたようだ。


 表情にこそ表れないが、爽やかな気分が、達成感に満ちたりているという心象が、なんとなく彼女の様子から窺い知れた。


 彼女は、ふう、と一息ついた後、俺に演技の講評を求めてくる。




「どうだったかな?」


「え、いや、その……」




 まずい。


『ビーバー、女帝になる。』の内容ばかりに気を取られて、肝心の彼女の演技を全く見ていなかった。


 その上、俺は演劇についての知識も全く持っていないので、適当にごまかすこともできない。


 え、えーっと……ど、どうしよう……




「わたしの演技って不自然な感じするかな?」


「いや、まぁその、何と言うか…」


「あっ、夏目君、昨日のドラマ見てないんだっけ? それじゃあ不自然かどうかなんて分からないよね」


「ハハハ……」




 乾いた笑い声が、屋上中に響く。


 まずい……めちゃくちゃ不自然な会話になってる……


 冷や汗をかきながら誤魔化し続けると、彼女が不意に、俺に尋ねてくる。




「……もしかして夏目君、こういうの興味なかった?」




 突然訪れたチャンスに、俺は驚いた。


 そうだ、俺はここに、彼女との関係を断ち切るために来たのだ。


 ビーバー云々で忘れてしまっていたが、当初の目的はそれだったはず。


 だから、この展開は正直ありがたかった。


 彼女の方から、俺が断りやすい状況を作ってくれたのだ。


 このまま演劇全般に興味がないのを説明し、練習に付き合う気はないという旨を伝えてしまえば全てを終えられる。




「はい……実は、そうなんです」




 そう、俺が彼女の問いを肯定すると、彼女は怒るわけでも不機嫌になるわけでもなく、ただ、一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべ、すぐにそれを元の状態に戻すと、なぜか俺にむけて謝りだした。




「ごめん! わたし、早とちりしたみたいで」




 真剣に頭を下げる彼女を見て、俺はたじろいだ。


 このすれ違いは、彼女が俺の話を聞いてくれなかったのが口火となって起こった出来事だ。


 しかし、諸悪の根源、何が一番悪かったのかを決めるとなると、それはやはり、俺が彼女に対してはっきりとしない態度をとってしまったことが挙げられる。


 すなわち、俺にも手落ちはあったのだ。


 なのに、それでも自分にすべての非があるように謝罪をする彼女を見ていると、少し胸が痛くなった。




「昨日褒めてもらったから、つい舞い上がっちゃって。夏目君も演技とか好きなのかなって、勘違いしちゃったみたい」




 彼女は照れたような笑みを浮かべ、言葉を続けた。




「呼び出したりしてごめんね、明日からは、もう、来なくて大丈夫だから……」




 そう言って、彼女はもう一度ごめんねと付け加えた後、俺に背を向け、屋上から立ち去ろうとする。







 今の……笑い方……







 いや、違う、だめだ。


 何を考えているんだ、俺は。


 最初からこうするためにここにきたんだろう。


 俺は演技なんかに興味がなくて、面倒事が嫌いで、彼女は他人で、得体が知れなくて、関わってしまったら面倒臭そうな人間で。


 だから、全てをなかったことにするために、屋上に足を運んだわけで。


 そうだ、これが正解のはずだ。


 たとえ、本当は俺がするべきだった謝罪を彼女にされたとしても、彼女が一瞬だけ見せた悲しい表情を知ってしまったとしても、終わりが、彼女との関係を断ち切るという結末が決まっているのなら、それはただの過程に過ぎないだけで。


 結末が同じなら、過程で起こる出来事を気にするのは効率が悪い。


 全てが丸く収まるなら、とやかく文句をつけるのは聡明ではない。


 どうせ変わりはしないものに、力を尽くすなんて時間の無駄だ。


 俺は、面倒事が嫌いなのだ。


 たとえ、彼女が俺に謝りながら見せた照れ笑いが、昨日の放課後にみせた笑顔とは違う、何かを押さえつけるような作られた笑みだと気付いたとしても、それは、俺には関係がないことで……




「あの!」




 そう、理屈で自分の思考を抑えようとしていた俺は、気づいた時にはすでに大声を上げて彼女を引き留めていた。


 彼女は驚きながらこちらに振り返り、俺を見る。




「俺、演技とか詳しいわけじゃないですけど、練習、手伝うくらいならできますよ」




 どうして、そう言ってしまったのかは自分でも分からなかった。


 でも、無意識の内にそれを口に出してしまったのは、理性を超えた本能的な何かが、ここで彼女を見捨てるのを許さなかったからなのだろう。


 それに、俺はしがらみを残すのが大嫌いなのだ。


 彼女の無理をした表情とか、そうさせてしまった後ろめたさとか。


 それを知ったままいつもの生活に戻ったところで、どうせ俺はうじうじとそれを気にしてしまうだろう。


 罪の意識に駆られて生きるほど、面倒臭いことはない。


 何度でも言おう、俺は面倒事が嫌いなのだ。


 彼女が何故一人で演技の練習をするのか、それにはどんな意図があるのか、それは未だに分かっていない。


 けれど、彼女は相手を思い、自分を犠牲にできる優しい人間だというのを、彼女自身が行動で示してくれた。


 何者かは知らないが、少なくとも悪者ではない。


 それさせ知れれば、俺が自分の信条を曲げてまでも彼女に付き合う価値はあるはずだ。


 だから、今は。


 俺は、彼女との奇妙な関係を断ち切らない。


 そう覚悟を決めていると、当の本人、九条凪は、少し困惑しながらこちらを見つめていた。




「え……」




 …………いや、なんで引いてんだよ。

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