第6話 屋上の殺人鬼⑥

 夏は日照時間が長いためか、他の季節と比べると日の入りの時間もだいぶ遅い。


 それでも時刻が午後の七時を過ぎるとなると、ぼちぼちと夕日は沈みだし、あたりは薄っすらと暗くなり始める。


 昼の間、肌を刺すように照り続けた太陽は消え失せ、街灯の光と少しばかりの涼しさが暗闇の訪れを告げる。


 これが、夜の世界の始まりの合図だ。


 夜の学校。


 それは、何かしらの理由で帰宅が遅れた生徒のみが味わうことができる稀有な環境であり、授業が終わるとすぐに実家に帰還してしまうような俺にとっては中々に物珍しい体験だった。


 普段、日業生活を送っている居場所と何ら変りないはずなのに、何か、少しだけ違う。


 夜の校舎には、そのような言葉では言い表せない、背筋をなぞるような不気味さがあった。




 そんな不気味な校舎の中で、現在俺が何をしているかというと……


 教室で誰かを待っていたはずの男に、ひたすら頭を下げていた。




「遅ぇよ!」


「す、すいませんでした……」




 はらわたが煮えくり返っているであろうこの男、名を西野光汰と言う。


 俺が教室で待機との指令を出し、そのままほったらかしにしていた相手であり、昔からの腐れ縁でもある。


 ……西野、本当に申し訳ない……屋上から出る頃にはもう、完全におまえの存在を忘れてた………


 いつもなら待ち合わせやら集合時間やら、その辺の約束事は絶対に忘れたりしないし、時間厳守を信条とした上で自分のスケジュールを管理しているつもりなのだが、今日に限っては俺の予定管理能力は全く機能せず、西野が待っているというのも完全に忘れてしまっていたのだ。


 どうして約束を忘れたのか。


 原因は明白だろう。




“九条凪”




 諸悪の全てはその女にある。


 彼女が意外とまともな人間であること。


 彼女が屋上で演技の練習をしていたこと。


 彼女が一つ年上の先輩であること。


 彼女を異常なまでに警戒していた俺からすれば、どれもこれもが驚きの新事実であり、それらの真実は俺の好奇心を大きく揺さぶった。


 加えて、彼女は「明日の昼休みに屋上集合」という奇妙な指令を残していったのだ。


 何の説明もなく、突然だ。


 それに対してこれっぽっちの理解も納得もしてない俺が、彼女に対して不満を覚えるのは当然だろう。


 そのようにして、大きな疑問と小さな怒りが混在してしまった結果、俺の頭の中のリソースは全て彼女、“九条凪”という女子校生に割かれてしまい、片隅にあったであろう西野との約束など、いとも簡単に抜け落ちてしまったというのが事の顛末である。


 まぁ、こう言ってしまうと彼女に全ての責任があるかのように聞こえてしまうが、彼女と屋上で話していたのはせいぜい十五分ぐらい。


 実際のところ、話を終えた後、すぐに教室に戻っていれば西野を待たせることもなかったのだ。


 しかし、その後がいけなかった。


 彼女が校舎に戻った後、俺は「あいつ、先輩かよ……」だとか「うわぁ……面倒な事になった」だとか「明日、どうしよう……」などと、その場で長い思案に暮れてしまったのだ。


 そうしているうちにあっという間に時計の針は進み、俺が慌てて教室に戻る頃には、辺りはすっかり真っ暗である。


 結局のところ、西野を待たせた責任は俺にもあるのだ。


 とにかく、今は西野に謝るしかない。




「西野……ホントにすまん……」


「はぁ、もういいよ……今日は遅いから、家帰ろうぜ」




 必死に謝り倒していると、どうやら西野も納得してくれたようで、それ以上は何も言おうとはしなかった。


 申し訳ないが、正直ありがたい。


 西野のような心の広い友達を持てたことに、ただひたすらに感謝するしかなかった。


 西野に感心しつつ、机の上に置いてある自分の通学カバンを肩にかけ、二人で教室を出る。


 そのまま、靴を履き替えるために昇降口へと向かっている途中、西野があきれたような口ぶりで俺に聞いた。




「で、結局殺人ピエロって何だよ?」


「えっ!?」


「いや、さっき言ってたじゃねぇか、殺人ピエロに会いに行くって」


「そ、それは……」




 突然、何の前触れも無く核心に迫る質問を投げかけられ、驚いた。


 思わず「殺人ピエロっていうのは三年生の先輩で、そいつに絡まれていたから戻るのが遅れたんだよ」と、全てを吐き出しそうになってしまうが、寸でのところで口を噤む。


 屋上で起きたことは誰にも言うなと彼女に釘を刺されていたのだ。


 西野を巻き込まないためにも、俺の身の安全を守るためにも、その事実だけは隠さなければいけなかった。




「そ、そんな事言ったっけ?」


「言っただろお前……」




 適当に、真実をはぐらかす。


 西野はあきれたていたが、聞いたところでどうせ答えはしないだろうと悟ったのか、それ以上はその話題について触れようとはせず、すぐに他のありきたりな事柄へと話題を切り替えてくれた。


 ふぅ……察しがよくて助かる。


 こういう気遣いができるところが友達も多く、女に人気がある所以なのだろう。


 西野の大人らしさというか、落ち着いた姿と比べると、今日知り合った他人の命令をホイホイと聞いてしまっている自分がとんでもなく情けないように思えた。


 俺も、西野の“大人力”を見習わなければいけないのだろう。




 しかし、改めて考えてみると、俺は “九条凪” という人物についてあまりにも知らなすぎる。


 どうして屋上で演技の練習をするのかも、それをなぜ隠しているのかも分からない。


 知っているのは、名前と学年だけ。


 こんな状態では、明日から演技の練習に付き合うだなんて到底無理な話だろう。


 あの人の目的は、一体何なのか。


 どうして出会ったばかりの俺を、演技の練習なんかに付き合わせようとするのか。


 あの人は、一体何者なのか。


 ハッキリ言って、彼女は謎だらけの存在だった。


 西野がダラダラと話しているのに相槌を打ちながら、考える。


 けれど、悩めば悩むほど謎は深まって泥沼に落ちて行ってしまうので、結局は考えるのをあきらめて、思考を停止し、会話に戻ろうと西野の方を見やる。


 そうして西野の方にチラリと視線を送ると、ふと、ある一つの名案が頭の中に舞い降りた。


 待てよ……学内の事情に詳しいコイツなら、彼女について何か知っているんじゃないのか? 


 普段、省エネを心掛け、極力人付き合いを避けているような俺には、上級生の、ましてや女子の事など分かるはずもない。


 けれど、校内での顔が異常なまでに広いコイツなら、何かしらの情報を持っていてもおかしくはないはずだ。


 なに、屋上で演技の練習をしているのさえバレなければ、彼女との約束を破ったことにはなるまい。


 ここは、西野に聞いてしまうというのも一つの策なのかもしれない。




 昇降口に到着し、上履きを脱いで下駄箱にしまう。


 代わりに取り出した外靴を履きながら、俺は西野に聞いた。




「なぁ西野」


「ん?」


「お前、三年の九条凪って人知らないか?」


「九条凪? あー、聞いたことあんな」




 西野は、上履きを仕舞いながらそう言った。


 ビンゴ! さすがはリア充様! 頼りになる!


 やはり、持つべきものは情報通の友なのだろう。


 帰りながら、彼女について教えてもらおう。


 そう決め、少しの期待を持って、俺は西野と共に昇降口を後にした。




「どんな感じの人なんだ?」


「んーと、たしか……」




 頭をポリポリと掻きながら、西野は彼女について、自分が知っていることを教えてくれた。


 九条凪。


 彼女は文系コースの三年生だそうだ。


 成績は良く、学内テストではいつも上位圏内。


 模試でも高い偏差値を保ち、俺のような負け組とは住む世界の違う優等生らしい。


 また、その整った顔立ちと、静かで凛とした雰囲気から、男子生徒にも密かに人気がある。


 らしいのだが、本人がとてもまじめというか、お堅いというか、警戒心が強い性格らしく、今まで打ち解けたような男子は皆無。


 俗に言う“高値の花”というヤツ。


 ちなみに、好きなお菓子はカントリー〇アムだそうだ。




「へぇ、詳しいな。もしかして知り合いか?」


「いや、俺も直接話したことはない。何回か廊下ですれ違ったくらいだな」


「えっ、じゃあお前、なんでそんなに詳しんだよ?」




 あまりの情報量に、俺は西野が彼女の知り合いであるという可能性を疑った。


 しかし、西野はそれを否定した。


 となると、残る事実は一つのみ。


 もしかしてコイツ……リア充の皮を被ったストーカーなんじゃないか?


 普通、廊下ですれ違っただけの人の好きなお菓子なんて知らないだろう。


 自分から話を振っておいてなんだが、「西野の職業はストーカー」というのが事実なら、今すぐ距離を置きたいくらいである。


 この変質者が!




「この前、バイトの先輩達が話してるの聞いたんだよ……」




 ……何だ、そういう事か。


 それならそうと早く言ってくれればいいのに………西野、これからも友達だよ! 




「へー」


「俺が知ってるのはこれくらいだな」




 そう言って、西野は話すのをやめてしまった。


 西野の話してくれた九条凪という人物と、俺が実際に会った九条凪という人物の印象がかなり食い違っていて、正直戸惑ってしまう。


 たしかに放課後に会った時は、落ち着ていて、頭の回転が早そうな様子もあった。


 けれど、それ以上に何かに動じていたり、焦っていたり、人の話を聞かなかったりと、彼女にそういった場面を多く見せられたことで、俺の中での彼女のイメージは「変わっている」というものに書き換えられてしまったのだろう。


 さらに、あの昼休みの悲劇である。


 演技だったというのを知った上でも衝撃が強すぎて、未だに頭から離れない。


 少なくとも、俺には彼女が優等生で、高値の花だなんて一ミリも想像できなかった。


 しかし、西野の情報が真実なら、なおさら彼女の意図が分からない。


 警戒心が強くてお堅い性格なら、どうしてどこぞの馬の骨とも知れない俺なんかを演技の練習に付き合わせようとしたのだろうか。


 それが、今一つ理解できなかった。




「あ、それともうひとつ」


「なんだ?」


「九条先輩って、演劇系の部活に入ってるよな?」




 第一前提として、彼女がなぜ一人で演劇の練習をするのか。


 これが一番不可解な疑問だった。


 ただの高校生が一人で演技の練習をするだなんてほとんどありえないだろうし、仮に学校外の劇団や養成所に入っているのなら、そもそも俺に演技を見てほしいなどと頼んではこないだろう。


 そこで、俺が考えたのが「九条凪、演劇部員説」である。


 演劇部員なら、昼に一人で自主練習するのもおかしくはないだろうし、部外者の意見がほしいというのも納得できる。


 それを、西野に確かめておきたかったのだ。




「いや、たしか、部活には入ってないって聞いたぞ?」


「………」




 必死の推理もむなしく、俺の立証した説は西野の一言によっていとも簡単に砕かれてしまう。


 けれど、そうなると、やっぱり彼女は変わった人物なのだろうか。


 本格的に演技の勉強をしているわけでもなければ、演劇部でもない。


 なのに、何故か一人で演技の練習をしている。


 その事実が、彼女が変人であるという紛れもない証拠なのだ。




 明日から得体のしれない人物と共に昼の時間を過ごさなくてはならない。


 それを想像すると、胃がキリキリと痛むような気がした。


 右手でお腹を察すっていると、どこかから不気味なせせら笑いが聞こえてくる。


 隣を見ると、西野が邪悪な笑顔を見せていた。


 ビクッと、悪寒を感じて身震いをする。


 嫌な予感。


 コイツ、何を企んでいやがる……




「さっきから無駄にその九条先輩って人の事聞きたがるな、急にどうした?」


「いや、まぁ、ちょっとな……」




 なぜかニヤニヤしている西野に、適当にごまかした回答を返す。


 西野にここまで世話になっておきながら、自分は何も話さないのが正直申し訳なかった。


 けれど、屋上での出来事が誰かにバレてしまうと、彼女から何らかの報復を加えられそうで怖い。


 全てを吐き出してしまいたい気持ちを抑えて、黙っておいた。


 西野に対する仕打ちに俺が心を痛めていると、西野はニヤニヤしたまま言葉を続けた。




「まさかお前、その九条先輩とやらのことが好きなのか?」


「……は?」


「おっ! 図星か?」


「ちげーよ……」




 その一言で、西野に対する罪悪感は消え失せ、呆れ果てる。


 こいつは何を言っているんだろうか。


 あぁ、分かった。


 悪寒の正体はこれだ。


 コイツは俺をからかうためにニヤニヤしていたのか。


 正体不明の変人など好きになるわけがないだろうに……


 今すぐ昼と放課後に屋上で起こった出来事を西野に伝え、それだけはあり得ないと反論してやりたいところだったが、こっちは口止めされている上に報復を恐れる身。


 結局うまく否定することができず、俺は家の近くに着くまで、何度も何度も西野にからかい続けられ、更なる疲労をため込むハメになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る