第5話 屋上の殺人鬼⑤

 コイツ……紛らわしいことしやがって……


 今すぐこのやりきれない気持ちを目の前にいる少女にぶつけてやりたかったが、驚きのあまりに言葉を失ってしまっている俺に反し、彼女は何故か少し嬉しそうな顔をしていたので、何となく、強気に出られなくなってしまう。




「いや、まぁ、なんとなく……」




 はぐらかすように苦笑いを浮かべてそう答えると、彼女は困るというか、それとなく迷ったような表情をして、そのまま少しの時間が経った後、うん、と小さく何かを決心したような声を出して俺の方を見返した。




「そ、その、私の演技って、どうだったかな……」




 どういうつもりか、彼女は俺に対して演技の評価を求めてきたのである。


 どうして赤の他人の俺にそんなことを聞くのか、全く持って理解不能だった。


 そもそも、俺は演劇に詳しいわけでもなければ、ドラマや映画が好きなわけでもない。


 だから、演技がどうだと聞かれたところで、分からないとしか言いようがないのだ。


 まぁ、強いて言うなら突然あんな異常な行為を見せられてすごく怖かったくらいの感想はある。


 あるのだが、こうも期待の視線を向けられると、後ろ向きの回答をするのは彼女に悪いような気がしてならない。


 仕方ない……ここは波風を立てないように適度に褒めておくとするか……




「ま、まぁ、よかったんじゃないですか?」




 俺がそう告げると、彼女はびくりと体を震わせ、突然下を向き、両手でスカートの裾を掴んだ。


 彼女の耳が真っ赤に染まっていくのが分かる。


 こちら側からは見えないが、おそらく顔も赤くなっているのだろう。


 はて、どうして顔を赤くしているのだろうか……


 はっ! 


 ま、まさか、自ら感想を求めておいて「素人が偉そうに言うんじゃんねぇ」的な理由で怒り出したのか!? 


 それが事実なら理不尽もいいところである。




 しばらくして全体の赤みが引いてくると、彼女は頭を上げてこちらを見直した。


 結局、下を向いていた時にどんな表情をしていたのかは分からず仕舞いだが




「あ、ありがとう……」


 


 という言葉が彼女の方から返ってきたので、少なくとも怒ってはいないようだった。


 そうして感謝の言葉を述べると、彼女はまたもや口を噤み、黙り込む。


 その表情には先ほどと同じく、少しの不安を孕んでいるような様子が伺えた。


 俺が訝しむように彼女を見ていると、彼女もその視線に気が付いたのか、両手を胸の前で組み、心なしかもじもじしたような態度で俺との会話を再開した。




「あの……今日はじめて会った人に頼む事じゃないと思うんだけど……」




 彼女は少しバツが悪そうに、消え入りそうな声で何かを言い出した。


 俺に、頼み? 


 あぁ、屋上で演技をしていたのを黙ってほしいということか。


 頼まれなくとも誰かに言いふらしたりはしないので安心してほしい。


 俺は目立つことも、面倒なことも、どちらも嫌いなのだ。


 自分から他人の事情に首を突っ込むだなんて、死んでもしない。




「良かったら、その……」




 彼女は戸惑ったような様子を見せながら、続く言葉を口にするのを躊躇していた。


 そんなに身を構えなくとも、ちゃんと要求は呑んであげるのに。


 もしかしてあれか?


 俺に弱みを握られたから、何らかの方法で脅されるとでも思っているのだろうか。


 そう思っているとしたら、それは杞憂というものだろう。


 十八禁の同○誌じゃあるまいし、そんなの現実では起こりえない。


 まぁ、仮に、現実でそういった事実があったとしよう。


 あったとしても、俺にその事実は絶対に当てはまらないのだ。


 女の子がかわいそうとか、道徳的にどうなのとか、そんな話ではない。


 ただ単に、“脅すのが面倒臭い”のである。


 そんな管理職めいたこと、金でももらわない限り死んでもやってたまるか。


 彼女を脅すくらいなら、ししおどしを眺めていたほうがよっぽど優雅な時間を過ごせる自信がある。


 だから、そんなに心配しなくとも、彼女をどうこうしようだなんて微塵も思ってなんかいな……




「……また、私の演技を見てくれないかな?」




 ………は?


 彼女のまさかの要望に、頭の理解が追い付かなくなる。


 コイツ、今なんて言った?


 良かったら、また、私の演技を見てほしい? 


 俺が? なんで?


 つい先ほど出会ったばかりで。


 数えるほどの言葉を交わしただけで。


 顔見知りどころか、ほとんど他人のような関係で。


 ましてや舞台だとか、映画だとか、そのような演技に関わる知識は一切なく、興味すら持たないこの俺が、これからも彼女の演技の練習に付き合っていく?


 そんなおかしな話はないだろう。




 彼女は俺に対して何か誤解をしている。


 もしや、演技を褒められ気を良くし「この人、もしかして詳しい人?」とでも思ってしまったのだろうか。


 だとしたら、それはただの勘違いに過ぎない、彼女にとって都合の良い解釈だ。


 俺は演技が好きという訳でもないし、詳しい訳でもない。


 そもそも、素人の俺が彼女の演技を見たところで何になる。


 双方にメリットがないのだ。


 そんな不毛なこと、俺は絶対に許さない。


 だったら、面倒になる前に、今のうちにこの誤解を解いてしまったほうがいいのだろう。




「え、いや、俺別に演技に詳しいとかじゃないですよ?」


「詳しくなくてもいいの! 私は……ただ……客観的な意見が欲しいだけだから……」




 予想していたよりも彼女が激しく食い下がってきたため、少したじろいでしまう。


 客観的な意見が欲しい? 


 そんなもん、友達や家族にでも頼めばいいだろう。


 それに、何度も言うが俺の腐った感性では、何を見たところで「いいね!」ぐらいの意見しか出せないのだ。


 客観性もクソもない。


 それなら某SNSに演技の動画をあげて、「いいね!」を集めるほうがまだ生産性がある。




「ダメ……かな……」




 彼女がすごく心細そうにこちらを見つめて尋ねてくる。


 そんな顔をされると、こちらとしても困ってしまう。


 内容はともかく、このようなプライベートというか、かなり踏み込んだ頼み事をするのには相当な勇気が必要なはずだ。


 彼女の中にも何かしらの葛藤があって、それでもなお俺を頼ろうとした。


 簡単に断るのには、良心が痛んでしまう。


 でも、それでも、無理なものは無理なのだ。


 彼女には申し訳ないが「引き受けられない」という意思を、俺は溜息交じりに伝えることにした。




「はぁ……い……や……ですかね……」


「はぁい? ですかね?」




 後ろめたさで心がいっぱいになりながら、恐る恐る、彼女の方を見る。


 泣いたりしていたらどうしようかと思ったが、俺の心配とは裏腹に、何故か彼女の表情はみるみる明るくなっていく。




「えっと……それは……OKってこと?」


「…………え?」


「え……その……あ、ありがとう!」




 はぁい? OK? 


 コイツ、何言ってんだ?













 ……いや、“はい”ってそうじゃねぇ! 


 引き受けるって意味じゃない! 


 くそ!


 罪悪感から無駄に歯切れが悪くなったせいで、全然違う意味で言葉が伝わってしまった。


 これが曲解というやつなのか? 


 日本語って難しい! 


 と、とにかく、早く誤解を解かなければ……本当もう……さっきから何なんだこの人……




「君、名前は?」


「いや、夏目ですけど、さっきのは誤解……」




 まずい、急に名前を聞かれたせいで、また返答が曖昧なものになってしまった。




「夏目君だね! よろしく!」


「ちょ、いや、待っ」


「うーんと、じゃあ……とりあえず明日の昼、ここで待ってるから」


「いや、だから」


「それじゃあ、また明日」




 必死に釈明しようとするも、彼女は約束を取り決めるとすぐにその体の進行方向を出口へと向けてしまい、取り付く島もなく、校舎の中へと戻り始めた。


 この女……人の話聞かねぇ……


 俺が呼び止めようとしても、彼女はどんどん出口の方へと歩いていく。


 そうして、彼女がドアの近くまで到達し、俺がほとんどあきらめかけていた時だった。


 彼女は突然「あっ」と言ってその場に立ち止まり、振り向くようにして、また、俺を見た。




「私三年、九条凪!」




 彼女はそう告げ、校舎の中へと姿を消した。
















 その場に取り残された俺はというと、昼休みと同様、ただただ呆然と立ち尽くすだけ。


 今日だけで、彼女にどれだけ振り回されたのだろうか。


 一日だけでもこれほどの精神的ダメージを負ったのだ、明日から毎日これが続くのなら、俺の日常は、地獄、いや修羅に変わるとしか思えない。


 くそ、あの時、断われてさえいれば……


 そう、彼女が、自分の名前を教えるために立ち止まった、あの時。


 やろうと思えば、彼女をその場に留まらせ、断ることだってできたはずだ。


 でも、俺にはそれができなかった。


 それは何故か。


 何故だろう。


 おそらく、揺らいでしまったのだ。


 彼女が振り向きざまに見せた、笑った顔。


 沈みかけた夕日に照らされたせいか、はたまた屋上という非日常のせいか。


 彼女が不意に見せたその笑顔は、俺が今まで見た何よりも美しく、何よりも儚く切り取られた一瞬で、俺はそれに、不覚にも魅せられた。


 判断が鈍り、断るのをためらってしまうほどに、それは綺麗だったのだ。




 はぁ、もうこれ以上悩んでも仕方がない。


 後はなるようにしかならないのだ。


 明日のことは明日考よう。


 そう心の中で抵抗をあきらめ、俺も帰ろうと出口に向かって歩き始める。


 数歩歩いてみると、ふと、彼女が去り際に残したあの言葉が頭の中にフラッシュバックした。


“私三年、九条凪!”


 ……三年。


 思い返して、少し驚いてしまう。


 うわぁ……あの人……




「先輩かよ………」

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