第4話 屋上の殺人鬼④

 バタンと、勢いよく屋上のドアが閉まる。


 そのまま彼女はドアに寄りかかるような形で出口を塞いでしまい、たった一つしかない屋上からの逃げ道は完全に閉鎖。


 俺は袋のネズミと化してしまう。


 おそらく、この女は俺という名の死体を作るために犯行現場に舞い戻ってきたのだろう。


 あぁ、スマホなんてあきらめておけばよかった……




『後悔先に立たず』




 これは、過去を悔いたところで現状は変えられない、だから事前に十分注意をしておけという意味の言葉だ。


 俺はこの言葉の真意をちゃんと理解していたつもりだし、実際に真意に沿った行動をしていたはずだった。


 なのに、そう努めた結果がこれでは少々納得がいかない。


 一体、俺の何がいけなかったのだろうか。


 警戒に警戒を重ねた上で屋上に侵入し、スマートフォンを探すという目的を迅速に遂行した。


 余計なことは一切していないと思う。


 どこでしくじってしまったのか、必死に原因を追究する。


 そうやって自らの行動や言動を必死になって省みてみると、ふと、ある不吉な言葉達が脳裏をよぎった。


 


“この戦いが終わったら(布団と)結婚する。”


“殺人鬼と同じ場所にはいられない、今すぐここから出してくれ!”




 死亡フラグ。


 考えうる限り、最悪の死亡フラグ。


 俺は、思いのほかスマホが早い段階で見つかったのをいいことに、調子に乗ってベタな死亡フラグを二つも踏んでしまっていたのだ。


 やらかした……


 やらかしてしまった……


 心の中の言葉とはいえ、よくもまぁこれほど雑にフラグを踏み散らかしたものである。


 俺的三大死亡フラグのうちの二つを踏み潰したのだ、これでは殺人ピエロが召喚されてもおかしくはないだろう。


 あぁ……神よ、あなたはなんて無慈悲なお方なのだろうか………


 ちなみに、三大死亡フラグの最後の一つには“金魚に餌をやっておいてくれ”がカウントされる。




 実は自爆していたという衝撃展開に精神的ダメージを受けると同時に、あんな発言をしてしまった自分に腹が立ち、過去の言動を呪う。


 そうして、ショックのあまりに無言のまま突っ立っていると、彼女は俺の顔を一瞥し、はぁと溜息をつき、睨むような目つきを向けながらゆっくりとその口を開いた。




「君、昼休みに私がやってたこと全部見てたよね?」




 彼女のその問いかけに、俺はどう答えようかと一瞬迷った。


 しらばっくれれば、もしかしたら言い逃れできるかもしれないと思ったからだ。


 しかし、そんな淡い期待も直ぐに散り果てる。


 彼女の奇行を見てしまったことに関しては、先の昼休みにすでに認めてしまっていたのだ。


 不幸中の大不幸。


 今さら事実を否定したところで、かえって彼女の逆鱗に触れてしまう恐れがあったので、抵抗はせずに、唇を噛みながら、俺は彼女に頷き返した。


 すると、彼女はまたもや溜息をついて、頭を抱えた。




 や、殺られる……。


 覗き見された腹いせに、これからどんな報復を与えられるのか。


 それを考えるだけで身の毛がよだった。


 こうして一対一で対面してしまった以上、逃亡するのも、事実をうやむやにするのももう不可能なのだろう。


 ならば、次に俺が考えるべきは彼女をどう説得すべきかだ。


 俺だって、好きで彼女の奇行を見ていたわけではない。


 たまたまその場に居合わせただけで、決して彼女の弱みを握ろうとしたわけでも、罠に陥れようとしていたわけでもない。


 俺は、君の味方だ。


 その旨を彼女に簡潔に伝え、命だけは助けてもらう。


 それが、俺にできる唯一の生存方法だった。


 何だか命乞いをしているみたいというか、ほとんど命乞いをするみたいで情けなくなってくるが、背に腹は代えられないだろう。


 俺は面倒事を避けるためなら、土下座でも靴舐めでもやってのける男だ。


 プライドなんて、元から存在しない。


 よし、そうと決まれば、彼女が隙を見せた瞬間に、流れるようなスライディング土下座を決め込んでやろうではないか。


 死中に活を求めるのだ。


 そう心の中で決め、来るべき絶好のタイミングを見計らう。


 すると、彼女のほうも何やら考え事を終えたようで、再びため息をついた後、俺に対して言葉を続けた。




「さっきのこと、誰にも言わないでもらってもいいかな? ……ううん、できれば忘れてほしい」




 彼女の意外とまともな要求に、俺は拍子抜けしてしまう。


 てっきり、「お詫びに臓器置いてけや」くらいは言われるのかと思っていたが、俺の想像とは裏腹に、本人はいたって冷静のようで、今の彼女の様子は、昼に絶叫していた人物と同じものには見えなかった。


 あれれ、おかしいぞ? 


 とも思ったが、これなら俺の命に危険が及ぶことはないだろう。


 良かった、助かった。


 もしかしたら、俺はこの人に対して大きな誤解をしていたのかもしれない。


 彼女は意外と話せる人で、現に忘れるのであれば今回のことは不問にしようとしてくれているのだ。


 奇人だとか、殺人ピエロだとか。


 全ては俺の考え過ぎで、本当のところは、彼女は優しい人なんじゃないだろうか。


 そう、思い始めた矢先である。




「誰かに言ったりしたら、絶対に許さないから」




 彼女は冷たい目線を向けながら、俺にそう告げたのだ。


 こ…怖ぇ……


 おかしい人ではないかもしれないが、少なくともおっかない人ではあるようだ。


 前言撤回、全然優しい人なんかじゃねぇ。


 けれど、心配ご無用。


 他人に伝えるどころか恐怖で今すぐ記憶が飛ぶまであるからそこのところは安心してほしい。




 しかし、話が進めば進むほど、目の前にいる彼女が昼に絶叫していた女と同一人物だとは思えなくなってきた。


 今、俺の目の前にいる女はいたって冷静で、知性を感じさせる雰囲気すら漂わせている。


 それとまったく同じ顔をした人間が、数時間前にはこの屋上で絶叫していたのだ。


 そんな姿は、今の彼女からは想像できない。


 昼休みのあれは何らかの幻だったのだろうか。


 そう思ってしまうほどに、彼女の印象は昼と比べてガラリと変わってしまっているのだ。


 おまけに、今度は昼休みの出来事を忘れろときた。


 忘れろというのは、つまりは覚えていてほしくないということだ。


 覚えていてほしくないというのは、つまりは人には知られたくない何かがあるということだ。


 人格を変えてしまうほどの秘密が、彼女にはある。


 大きな疑問が眼前に現れた時、それを解き明かしてみたくなるのが人の性だろう。


 彼女がどのような理由で、何を思ってあのような奇行に及んだのかは正直めちゃくちゃ気になる。


 こうなったら、直接本人に聞くしかない。


 あまり関わり合いになりたくはないが、このまま彼女と別れてしまえば真相が気になって後悔しそうだ。


 大丈夫、今の冷静な彼女であれば間違っても殺されたりはしないだろう。


 それに、少々意地は悪くなってしまうが、「真相を教えてくれれば忘れてやってもいい」みたいな条件を付けてやれば、彼女は否が応にも答えてくれるはず。


 非人道的な手段なのは理解しているし、もし彼女が教えてくれる気になったところで、「実は私、二重人格なの」的なヘビーな回答が返ってきても実際困ってしまうが、気になってしまったものは仕方がない。


 好奇心には逆らえないのだ。


 腹を決め、俺は彼女に向けてできるだけ柔らかい言葉を選んで尋ねた。




「ア、アンタ……頭おかしいのか?」




 …………あ、あれ?


 いかん! 間違えた!


 オブラートに包むはずが、モロに心の奥底に眠る本音が出てしまった。


 核心をついたというか、かなり失礼な感じになったけど、これ、大丈夫か? 


 恐る恐る、彼女の顔を覗いてみる。







 その表情は恥辱に歪んだように、みるみると赤くなっていた。







 やばい……怒ってる……。


 そう悟り、俺がドギマギ、オロオロしていると、彼女はキッとおれを睨みつけながら、飛びつくように弁明を始めた。




「ちっ、違っ! あ、あれは……」




 しかし、その否定的な物言いに勢いがあったのは前半の部分だけで、尖った言葉は徐々に弱っていき、やがて、彼女は何も言えずに黙り込んでしまった。


 えぇ……何だよ……途中でやめられると余計に気になるんだけど……


 そんな意味深な感じで話を切られてしまうと、もう真相を聞かずには帰れなくなってしまうじゃないか。


 どうして、彼女は黙り込んだのだろう。


 もしかして、昼の奇行には本当に触れてほしくない深い訳でもあったのだろうか。


 気になる、とても気になる。


 けれどその一方で、彼女が押し黙ってしまったことにより発生したこの予期せぬ沈黙にもそろそろ耐えられなくなってきた。


 さて、俺は、どうすればいい……




「何か、演技の練習でもしてたんですか?」




 結局、気まずい空気に我慢できなくなった俺は、雑な冗談でこの会話を終わらせることを決めた。


 できるなら真相を知りたかったが、嫌がっている相手から無理やり聞き出してまで探る必要もないのだろう。


 それに、知ったところで俺と彼女の関りなんてあってないようなものだ。


 彼女が突然屋上に現れたこと。


 彼女が案外まともな人間だったこと。


 それらの特異な事象が折り重なってしまったため、気持ちが昂り柄にもなく他人に興味を抱いてしまったが、元々、俺は知らない人間とあまり関係を持ちたくない性質なのだ。


 これ以上関われば、面倒事になるかもしれない。


 それじゃあ、ここらが潮時なのだろう。


 幸い、彼女も忘れてくれればそれでいいと言ってくれているので、嫌なしがらみは残らないはず。


 後は彼女が「まぁ、そんな感じです」とでも言ってくれれば、会話は終了。


 この一連の騒動も終結し、俺は晴れて自由の身になれるのだ。


 口から出まかせとはいえ、演技の練習などとかなり無理がある冗談を言ってしまったが、これで彼女に負目を感じさせずにこの話題に終止符を打てる。


 無難に始末をつけられるのなら、道化になるのもいいだろう。


 そう思い、彼女の方を向いてみると、彼女はかなりの衝撃を受け、驚いているような様子を見せた。


 いや、そんなに驚く事でもないだろうに……


 まぁ、一応は俺の思惑通り。


 彼女のその顔にはもう、暗い色や先ほどのような迷いの表情は残っていなかった。


 よし、後は彼女が適当に話を合わせてくれれば、互いに、誰も傷つくことなく、平和的にこの場を収めることができる。


 昼休みから放課後までのたった数時間の出来事だったが、体感的には長く感じたこの屋上殺人ピエロ事件。


 やっと解放されるのかと息をはいて彼女の反応を待っていると、彼女は弾んだような声を上げて、こう言った。




「どうして私が演技の練習をしてるって分かったの!?」













 ……………は?

























 えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。


 そっちぃ!? あ、あれ、演技だったの? 


 ……こいつ、一人で何やってんだよ!


 テキトーに言っただけの冗談が、突如として真理に繋がってしまう。


 あまりにも予想外な事実だった。


 つまり、俺が悩み、恐怖していた彼女の奇行は、まやかし。


 一人空想告白や殺人予告などの怪奇現象は、奇行などではなかったのだ。


 全ては、彼女が意図的に行っていた“演技”だったのである。

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