第3話 屋上の殺人鬼③

 ほんのりと夕日が照り始めた校舎の中に、これから戦地に赴くとでも言わんばかりに険しい表情をした男が一人、重そうな足取りで屋上へと続く階段を登っている。


 彼は一体何者なのか。


 それは誰にも分かり得なかった。


 その男がどこを目指し、何を成すのかなんて、本人以外には計り知れないし、知る由もない真相であったからだ。


 他者に、その本質は見抜けない。


 その険しい表情の理由を知り得る存在は彼だけであり、その正体を認識し得うる者も彼だけだった。


 全ては、彼しか知らない。


 だから、真実を知りたいのであれば、彼の正体を突き止める、もしくは「彼」そのものになるしか、手段はなかった。


 その事実を確認した上で、もう一度問おう。


 彼は、一体何者なのだろうか……



 

 ………俺である。


 これから戦地に赴く無謀な愚者。


 まさしく俺のことだろう。




 どこを目指し、何を成すのか。


 屋上に、スマートフォンを取りに行くのである。




 ………忘れ物を取りに行くだけでこれほど重苦しい空気を生み出してしまっている人物は、何の事情も知らないヤツからすれば、はっきり言って頭のおかしな人間に見えてしまうのだろう。


 その印象は地よりも低く、決して良いものとは言えないはず。


 やれ大袈裟だとか、やれビビりすぎだとか。


 たとえ“臆病者”というレッテルを張られたとしても、決して文句は言えないだろう。




 実際、俺も目の前で知らない男が、「屋上に行くの怖いよ~」などと言い出すのを目撃したのなら、そいつをかなりの臆病者だと思うし、思わず「女子か!」と心の中で叫んでしまうこと間違いなしだ。


 たかが屋上。


 それに恐怖する理由など、高所恐怖症などの特定の体質以外では見出せない。


 俺は高い所が怖いという特異的な体質でもないので、恐怖の理由はゼロになる。


 そうだ、本来、そのはずなんだ。


 そもそも、普段通りの自分だったら、忘れ物を取りに行くだけでこうも屋上に行くのを渋ったりはしない。




 ある、ひとつのイレギュラー。


 異質な存在。


 それが、俺を狂わせているのだ。


 そう、あの昼休みの惨劇を体験してからでは話が違う。




“屋上には奇人がいる”




 たったこれだけの真実が、己の価値観がひっくり返ってしまうほどに大きな影響を俺に与え、屋上への足取りを重く、苦しいものにしている。


 俺にとって心のオアシスだったあの屋上は、いつの間にか殺人ピエロのアジトへと早変わり。


 静かで落ち着いた雰囲気の憩いの場は、血生臭い生き血の場に。


 大胆にして、斬新にして、殺人的なリフォーム。


 なんという事でしょう。


 匠もびっくりの劇的な大改造である。




 それを踏まえて考えてもらえれば、俺が屋上に行くのを渋るのにも多少のご理解をいただけるだろう。


 されど屋上。


 俺の中では、もはやあの屋上は屋上ではない。


 決して気軽に行けるような場所ではなく、何よりも重く、何よりも暗い、覚悟と秩序が必要な、いわば戦場みたいなものへと変わってしまったのだ。


 一応、西野には用事を済ませてすぐに戻るから教室で待機していてくれと伝えては来たが、状況次第では西野を一生教室で待たせる可能性もあるというか、二重の意味で、俺が帰らぬ人になってしまうのもあり得ないわけではない。


 俺が殺人ピエロの巣窟から五体満足で生還するのは可能なのか。


 それを考えるだけで、ひどい胃痛と気だるさに体を襲われた。




 はぁ…、と溜息をつきながら続けて階段を登る。


 不安か、はたまた緊張からか、屋上に近づくにつれてどんどん足が重くなっていくのが分かる。


 おそらく、体が拒否反応でも起こしているのだろう。


 スマートフォンを回収するために、屋上には行かなければならない。


 頭では分かっているはずなのに、体の方はそれをあざ笑うかのごとく、鉛のように重くなっていく。


 本能で屋上に向かうのを拒んでいるのだろうか。


 もしそうならば、ここらで引き返したほうが身のためなのかもしれない。


 けれど、やっぱりスマートフォンをあきらめきれず、自分の本音を誤魔化すようにして最上階へと続く道を歩んだ。


 まぁ、あまり悪く考えすぎるのも良くはないのだろう。


 そもそも、昼休みに一度遭遇しているのだから、放課後にまで彼女と出会う確率なんてほとんどないはず。


 というか、そんな巡り合わせの奇跡があるのなら、神様は奇人と一般人ではなく、ぜひとも恋する男女にでも使ってほしいところである。


 世の中には会いたくて会いたくて震えを起こしてしまう人もいるのだからなおさらだ。




 しかし、その一方で、昔から「犯人は犯行現場に戻る」とも言われている。


 彼女が殺人ピエロ、もとい犯人だった場合………いや、あの女は犯人で確定だろう。


 現に「殺してやるぅ!」とか言ってたし。


 犯人じゃないほうがおかしい。


 となると、屋上は現場、彼女は犯人。


 二つ合わせて犯行現場。


“二人は犯行現場”になってしまう。


 これは非常にまずいだろう。


 これでは、かの有名な伝説の魔法少女のようではないか。


 そんな聖域というか、著作権がうるさそうな場所に再び足を踏み入れてしまえば、俺は一体どうなってしまうのだろうか。


 死体だろうか。


 現場と死体と犯人だろうか。


 部屋(屋上)と(血まみれの)Yシャツと私(殺人鬼)になってしまうのだろうか。


 そんな未来は絶対に御免こうむりたい。




 そうやって、悪い方へ、悪い方へと思考を巡らせていくと、いつの間にか屋上へと続く階段を登り切っていたようで、とうとう、俺は殺人鬼の巣穴に到着してしまっていた。


 処刑台を登りきった時の死刑囚の心境と今の俺の気分とは、限りなく近しいものがあるのではないのだろうか。


 少なくとも、階段を登り切った達成感などは微塵も感じていない。


 ゴクリと唾を飲んで、ドアの前で立ち止まる。


 とりあえず、まずは安全策としてコッソリ中の様子を探ってみることにした。


 そぉっと音を立てないようドアに近づき、耳を当て、中から音が聞こえるか、誰かがいないかを調べてみる。


 しばらくの間、丁寧に、丁寧に中の様子を探ってみるも、派手な音や会話をする声は聞こえてこなかったため、おそらくではあるが、中には人がいないと思われた。


 まぁ、俺は探偵でも刑事でもないただの氏がない高校生なので、音を聞いただけで何かを完璧に判断するなんてできるわけもないのだが、備えあれば憂いなしとも言う。


 音がしないという事が、屋上には誰もいないという事を連想させ、少しだけれど緊張も和らいだ。


 これ以上、この場で俺ができる事は残っていないのだろう。


 深呼吸をして、一度目を閉じる。


 さて、とうとう屋上に突入する時間がやって来たようだ。


 正直気乗のりはしないが、突入しないわけにもいかない。


 屋上に入らない限りは、永遠にスマホは回収できないのだ。


 それはさすがに今後の日常生活を送る上で支障をきたしてしまうというか、正直、困る。


 だから、屋上に入らないという選択肢を選ぶだなんて、最初から許されていなかったのだ。


 しぶしぶ覚悟を決め、俺はドアノブに手をかけた。




 ドアノブを回しながら、「頼む、誰もいないでくれ」と最後に一念をおし、ゆっくりとその扉を開ける。


 すると、目の前にほんのりと温かい色をした光が溢れだした。


 屋上は、夕暮れ時ともあって、すごく幻想的というか、非日常的に煌びやかなオレンジ色の空間になっていた。


 ほんの一瞬、その光景に目を奪われてしまうが、すぐに自分がこの場所にやってきた目的を思い出して、俺は辺りを観察しはじめた。


 注意深く周りを見渡すが、屋上の中に人影はなく、人の気配も感じられない。


 どうやら現在、この屋上には俺以外の人間は存在していないらしい。


 その事実に俺はほっと胸をなでおろし、すぐにスマートフォンを探し始めた。


 今、屋上には俺しかいない。


 つまり、このままスマートフォンを見つけて屋上を脱出してしまえば、金輪際、あの女と関わることはない。


 それを思うと、安堵で胸の奥がじわりと焼けて熱くなりそうだった。




 しかし、まだまだ油断は禁物だろう。


 あまり長居しすぎると、ヤツがまた屋上にやってきて、バッタリとご対面してしまう可能性だってないわけではないのだ。


 それだけは、何が何でも阻止しなければならない。


 そう心に留めながら、必死にスマホが落ちていないか、顔面を地面に擦りつけるがごとくの勢いで探して回る。


 鬼のいぬ間にアイテム探し。


 これは一体何のホラーゲームだろうか。


 いや、これがゲームだったならどんなに良かったことか。


 それが現実で起こってしまっているのだから末恐ろしい。


 こんなどこにでもあるような田舎の普通科高校でデスゲームが開催されているのだ、世も末と言っても過言ではないだろう。


 そんなことを考えながらしばらくあたりを探してみると、ちょうど俺が昼寝をしていた物陰のあたりに、見慣れた形の電子機器が落ちているのが見えた。


 近づいていって、それを拾い上げる。


 うん、間違いない、俺のスマートフォンだ。


 おそらく、昼寝をしている間に無意識の内にポケットから落としてしまったのだろう。


 ふぅ……と息を吐いて、俺は張り詰めた緊張の糸を緩める。


 とりあえず、見つかってよかった。


 あとはもう、屋上を出て教室に戻るだけ。


 今さらヤツが屋上に現れるなんて、万に一つもあり得ないはずだ。


 やっと、この恐怖から解放される。


 そう思って気分的に楽になった俺は、軽くなった体を弾ませて屋上の出口へと足を向けた。


 これで、当分この屋上に近寄ることもなければ、ヤツと一対一で対峙することもない。


 俺の命も、普通でシンプルで一般的な高校生活も、首の皮一枚つながって助かったのだ、思わずスキップしてしまいたくもなる。


 不安や恐怖は一転して、希望と平穏へと変わりだす。


 なんて清々しい気分なのだろうか、心が浄化されていくようだ。


 今すぐ家に帰って布団に飛び込みたいくらいに晴れ晴れとした心象。


 もういっそのこと、西野と交わした約束を破ってこのまま直帰してしまうのもまた一興なのかもしれない。


 流行りの言葉で言うのなら、ありよりのあり。


 さすがに何も言わずに帰ってしまっては俺の良心が痛んでしまうので、「この戦いが終わったら、(お布団と)結婚するんだ…」みたいな無駄に何かを匂わせたメッセージを西野に送って、後はスマートフォンの電源を切って音信不通になってしまおうか。


 もし、西野がそれを深読みし過ぎて、行方不明だとか、捜索願だとか、大事に発展したとしても、俺は一貫して存じあげませんとでもすっとぼけておけばいい。


 責任を問われるのは西野だけ。


 西野には悪いが、俺は目先のだらけたい欲を優先したい。


 風のように去り、霧のように消える。


 現代の忍とは、まさにこの俺のような人間を言うのだろう。


 都合が悪けりゃドロンする。


 伊賀の忍もびっくりの早業である。


 あ! でも、荷物教室だ。


 どうしよう、ドロンできない……


 ………ま、いっか。


 今日のところは西野に付き合ってもいいだろう。


 とにかく、まずはここから脱出するのが最優先だ。


 こんな殺人鬼が出現するかもしれない場所に長居するのは危険極まりない。


 一刻も早く、この場から立ち去ってしまおう。


 今すぐここから出してくれ! 




 そう冗談めかしの軽口を心の中で呟きながら、出口の方へと歩みを進めようとしたその時だった。


 ガチャリと、出口もとい入口のドアが開く音が聞こえてきたのだ。


 そもそも、屋上と校舎をつなぐドアは一つしかないのだから、そのドアが屋上の入口兼出口になってしまうのは必然の事。


 つまり、校舎に戻ろうとしている俺からすればそのドアは出口と認識されるが、今、屋上に侵入してきた人物からすれば、そのドアは入口というふうに認識されているのだ。


 人や状況によって捉え方が変わる。


 言葉というものは本当に難しいと、心の中で思った。


 けれど、そんなこと、今はどうでもよかった。


 問題は、入口を開いて屋上に侵入してきた“その人物”にあるのだから。


 そいつは昼休み同様、またもや俺を絶望の渦へと巻き込もうとしている。


 その場で立ち尽くして、絶句する。


 無理もないだろう。


 そこに現れたのは、俺が今一番会いたくなくて、一番警戒していたはずの人物なのだから。


 残念なことに、出会いの奇跡は世の恋人たちではなく俺に巻き起こってしまったようで、屋上には、犯人、現場、死体(仮)のサスペンス三点セットが完璧に揃ってしまったのだ。













 そう、あの女が、再び俺の目の前に姿を現したのである。

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