第2話 屋上の殺人鬼②
午後の授業とホームルームを終え、放課後の時間を迎えた学生たちは、それぞれの予定をこなすために教室内から散っていく。
部活に参加する者、遊びに出る者、家路に就く者。
その行先はてんでばらばらで、三者三葉様々なものになるのだろう。
放課後の時間は、学生にとってかなり貴重な時間である。
学校にも、家庭にも捕らわれない真の自由な時間。
だからこそ、学生はその時間を自分のために大切に使わねばならない。
その時間をどのように使おうが、その行いが有意義であろうが、無意味であろうが、それが自分のために使われるのであれば、それはとても素晴らしいと言えるし、決して不毛ではないと思えるからだ。
部活で汗を流すもよし、ゲームセンターで騒ぐもよし、家でダラダラするもよし。
自分で決めた、自分のためだけの行為なら、後悔もしないだろし、あの時はこうだったとか、こうしたからこうなったとか、全ては自分の経験や思い出として帰ってくるのだから、一見無駄なような事でも、その全てが無価値であるとは誰にも断言できない。
なので、俺は自分の自由な時間というやつを、誰かのために使ってあげようなどと思ったことは一度もない。
自分がしたくないのなら、しない。
もしくは極力避けるように生きてきた。
ましてや、自らの時間を削ってまで他人のことで悩むだなんて、俺の人生論からすればそれはとても不毛であり、愚の骨頂とも言える行為だと言える。
あの屋上での騒動の後、結局俺は午後の授業の開始時刻に間に合わず遅刻、教科担当の教師にちょっとした説教を食らった。
別に、教師陣からの印象が悪くなったり、自分の評価が下がったりするのは割とどうでも良かったのだが、正直、クラスの中で悪目立ちするのは避けたかった。
他人にどう思われるかなんて気にしないし、影で誰にどのように言われても俺の知ったことではない。
けれど、ただ一つだけ。
俺にも悪目立ちによって困ることがあった。
それは、誰かに興味を持たれることだ。
理由は簡単、面倒くさいからである。
これは俺の持論というか、ほとんど偏見みたいなものなのだが、基本的に、人は新しい人間関係を作る時、とてつもないエネルギーを使用してしまう生き物なのだ。
楽しくもない会話に笑顔で相槌を打ち、興味もない事柄に質問し、行きたくない集まりにも我慢して参加する。
ものぐさの俺にとってそれらは拷問であり、それだけでおにぎり3個分ほどのカロリーを消費してしまう自信があるくらい面倒だった。
ダイエットが面倒だというのなら、様々な人と交友関係を持つのをオススメしよう。
新しい人間関係をたくさん作り、たくさんのエネルギーを消費。
すると、あら不思議。
いつの間にかスリムでグラマラスなモデル体型の完成である。
うーん、我ながら完璧な計算、これで商売でも始めてやろうか。
まぁ、つまりは何が言いたいのかというと、人と関わるというのは往々にして面倒くさいということである。
知人、友人、恋人等々。
なければないで困りはしないのに、あればあったでその繋がりが、その関係が、悩みやトラブルやしがらみを生み出して、それが原因となって限りある時間を奪い、時には人そのものさえ狂わせる。
それに耐えてまで人付き合いをしようと思うほど、俺は精力的な人間ではない。
怠惰だ、根暗だと言われても構わない。
とにかく、他人に自分を侵されるのが許せないのだ。
今時の言葉では、省エネとでも言うのだろうか。
そんなものぐさで、面倒事が嫌いで、他人のことで悩むだなんてバカバカしいにも程があると考えてきた俺が、今、何をしているのかというと……
先ほどの女のことについて、頭を抱えて項垂れる程悩んでいた。
人が疎らになった放課後の教室に、「はぁ……」と悩まし気なため息が木霊する。
清々しいほど不毛である。
「や~い、不良の夏目君~」
「……うるせぇ、西野」
俺が自分の席で俯いていると、背後からいかにも軽そうな、まるで軽薄に服を着て歩かせたような男が、いつもと変わらぬニヤニヤとしただらしない表情で俺に声を掛けてきた。
その人を馬鹿にしたような呼び方に、俺は特に突っかかるわけでもなく、気を遣うわけでもなく、ただ自然に、今の自分の心境を現したような短い言葉を返した。
うるせぇと。
こっちも好きで授業に遅れたわけではない。
この背後から話しかけてきた、いかにも軽そうで、軽薄に服を(以下略)声の主の名は西野光汰。
俺がクラスで会話をする唯一の知り合いであり、小学生から付き合いのある幼馴染だ。
学校も、クラスも小学一年生から現在の高校二年生に至るまで一度も離れたことがなく、本当に幼い頃からコイツを知っている。
この関係に名前をつけるなら、まさに腐れ縁というヤツだろう。
ここまで付き合いが長いと、もはやコイツに気を遣うだなんて想像もできず、西野に対しては、『面倒くさい』という感情さえも湧いて来ない。
おまけに、西野は軽そうな見た目で軽薄な性格ではあるが、別に悪い奴ではないので、省エネ思考の俺でも付き合いやすく、友達として付き合う分には居心地は悪くなかった。
実際、かなりとっつきにくいというか、面倒くさい性格をしている俺にもこうして懲りずに構ってくれている時点で、西野がいいヤツであるのは明白だ。
おそらく、こいつのような信頼できる友達を持てて、俺は幸せ者なのだろう。
だから、俺はこいつに感謝しなければならない。
いつもありがとう、西野。
俺は、いつだって……お前を思って……
……何故か一部の女性層に人気が出そうな展開になってきているが、そのようなボーイズでラブな関係は俺達の間には一切存在しないのでご安心いただきたい。
居心地が悪くないとは言っても、一緒にいられるのはせいぜい5~6時間が限界で、それ以上はどんな事情があっても無理。
たとえ西野が生死の境を彷徨う大ピンチに陥っていたとしても、問答無用で俺は家路に就くだろう。
「それで、何かあったのか?」
「何が」
「いや、お前が授業に遅れるなんてめずらしいなぁと思って」
俺がごちゃごちゃと考えていると、西野はそっと、不思議そうにそう尋ねてきた。
おそらく、長い付き合いの中で俺が面倒事を避けている事、目立つのを嫌う事を西野は知っているのだろう。
そんな日陰者代表のような俺が、休むならまだしも授業に遅れて参加して、クラスの視線を集めたのが不可解だったのだろう。
たしかに、俺とて大勢の前で注目を浴びたくはなかった。
現に、今日だって想定通りに動けていれば、五分前には教室に到着して、誰からの視線も集めることなく、悠々と授業を受けていたはずなのである。
けれど、それは叶わなかったのだ。
そう、あの惨劇に遭遇したせいで…
立ち入り禁止の屋上。叫ぶ少女。必死に身を隠す男子高校生。
キーワードだけならちょっとしたサスペンスドラマである。
とりあえず、あの女がおかしな人種であるというのは確定でいいだろう。
叫ぶ、騒ぐ、喚く、逃げる。
あれほど情緒が不安定な人間を俺はいまだかつて見たことがない。
名前を言ってはいけないあの人どころか、脳内に姿を浮かべるのすら許してくれそうもない存在である。
もう、絶対にあんな怖い思いをするのは御免だ。
となると、今後の俺の身の振り方としては、あの女と関わり合いになるのを極力避けるというのが正解なのだろう。
何、顔を見られはしたが、俺が何年何組の誰々だという事まではヤツにも知られていないはず。
あの屋上に行くのさえ控えれば、彼女と一対一で対峙する可能性は極めて低いだろう。
しかし、問題はこれだけではない。
例えば、あの女が自分の痴態を覗き見されたのを恨み、屋上での出来事を知った者を片っ端から殺しに来るとしたらどうだろう。
現に、あの女は「殺してやるぅ!」などという物騒な発言をしていたため、判断能力や倫理観が限りなく低いと窺える。
かなり危険な人物であるというのは昼休みの惨劇からも明らかなので、彼女が今頃人を簡単に屠るような殺人ピエロと化していたとしてもまったくおかしな話ではないのだ。
仮にそうなっていたとしたら、まさに悲劇の始まりである。
西野は依然として、怪訝そうな表情でこちらを見ていた。
多分、何が俺を授業に遅れさせたのかが気になっていたのだろう。
しかし、こんな血生臭い怪奇現象を、何の事情も知らない友人に話しても良いのだろうか。
う、うーん……迷う……。
そうして迷った挙句、西野の視線に気付かないフリをして、俺は口を閉ざした。
もし、万が一にでも彼女が殺人ピエロと化しているとしたら、この場で俺が西野にあの出来事の顛末を話すというのは、西野の命が危険に晒されるのと同義になる。
コイツがどうなろうと知ったことではないし、俺的にはもしもの時の身代わりとして是非この面倒事に引き込んでやりたいところだったが、それでは西野の家族が悲しむだろうし、何の関係もないヤツを巻き込むのも少々気が引ける。
なら、ここは適当にはぐらかして、真実を隠しておくのが正解なのだろう。
それに、そもそも殺人ピエロに狙われているなんて話をしたところで、バカにされるのがオチだしね、うん。
「いや……まぁ……何というか……時間、見間違えたんだよ、ハハハ」
西野に笑いのネタにされるのを恐れた俺は、それらしい理由を西野に返し、屋上での出来事を隠蔽することにした。
西野はへぇーと間の抜けた返事をし、俺が口から出まかせに言い放った嘘を、特に怪しむこともなく信じているようだった。
「まぁ何でもいいけどさ、この後ヒマなら遊びに行かね?」
気の抜けた表情を浮かべながら、西野は言う。
そこまでのんきな顔をされると、身を案じてやったこちらとしては少々納得がいかないところもあったが、何も知らない西野からすれば、俺の配慮など余計なお世話の一言なのだろうから、文句は言わず、悶々とした気持ちを抑えて、放課後遊びに行くかどうかを考えるのに頭の中を切り替えた。
普段はすぐにでも家に帰ってゴロゴロしたい俺であるが、今日はあまりに衝撃的な出来事に遭遇してしまったため、かなり大きなストレスが脳に降りかかっていた。
こういうときはパーッと遊んで気分転換でもするのが吉だろう。
「おぅ、いいぜ。んじゃ、一応家に連絡入れとくわ」
手早く帰り支度を始めながら、俺は西野に遊びに行くという意思を伝えた。
まぁ、あの女も所詮は学生。
ほとぼりが冷めるまで当分あの屋上には近寄らず、接触させしなければ、あちら側から何かしてくる可能性は低いだろう。
というか、あんな危険な場所にはもう行きたくない。
どうしてもピエロに会いたくなったら、隣町にある遊園地にでも行けばいい。
殺人ピエロなど、所詮は俺の想像上の存在でしかない。
だから、そんなに悩む必要もない。
バカみたいに心配しても、時間の無駄。
ぱぁっと遊んで忘れてしまおう。
そう決め、机の中にある教科書やノート、筆箱を取り出して自分の通学用のカバンに詰め込み、財布をズボンの後ろポケットにねじ込んだ。
帰り支度を終え、家に連絡を入れるためにスマホを、スマホを……あれ、どこやった?
すぐにズボンの前ポケット、カバン、机の中を探してみるも、俺が愛用している通信機器はどこを探しても見当たらなかった。
「どうした?」
「いや、スマホが見当たらなくて……」
「あぁ? いつから見当たらないんだよ?」
西野の問いかけに、自分がいつまでスマホを持っていたかを思い返す。
たしか、午前の授業が終わるくらいまではズボンのポケットの中に入っていたはずだ。
そして、午後の授業あたりからはそれを見ていない。
となると、スマホを失くしたのは午前と午後の間、つまり、昼休みの時ということになる。
昼休み。
昼休み……。
えっと……昼休みと言えば……
「……悪い、西野」
「え、何?」
「俺、ちょっと殺人ピエロに会ってくる」
「………………は?」
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