プロローグ

 ふと目をひらくと、この場所にいることがある。


 ここがどこで、何の目的があって訪れたのか、どうやってたどり着いたのかさえも分からず、記憶もないまま、気が付いた時にはすでにこの場所に立っている。


 ここはどこだろうかと周囲を見渡してみるも、いつも決まって答えは見つからない。


 この空間には景色と言ったらいいのか、背景といったほうがいいのか、そのような周りを認識するために必要な概念が全く存在しない。


 何もないというか、何も見えないというか、感覚的に言えば、常に視界がぼやけているような状態に近いのだ。


 だから、自分が今どんな場所にいるのかも分からない。


 助けを呼ぶのはもちろん、どちらに向かって進んだらよいのかも分からずに、結果、ここから一歩も動けなくなってしまう。


 完全に万事休す。


 この場所で俺ができることなどほとんど皆無であり、万策尽きたといっても過言ではないのだ。


 この現象を初めて体験した頃は、ここがどういう場所なのかを調べようとしたり、自力で脱出してみようとしたりと、色々と試行錯誤を繰り返してはみたのだが、何をやってもそれらしき手掛かりは見つけられず、あえなく全て失敗。


 そうやって回数を重ねていくうちに、何をしようがここでは全てが無駄になるのに気付いてしまい、最近ではもう、ここに来たらあきらめるのが正解で、一番賢い選択なのだと自分に言い聞かせているくらいだ。


 つまり、結論としては、この空間が何なのかは未だ分からず終いというわけである。


 調べる事も、脱出する事もできない。


 ましてや、景色や背景すらない。


 この空間は、一体何なのだろうか。


「無」とでも言い表せばよいのだろうか。


 しかし、「無」とは何も存在していないということだろう。


 ならば、この空間は「無」には当てはまらない。


 この空間にもう一つ、俺以外に存在しているものがあるからだ。


 それは、全てがぼやけたこの世界にただ一つ、いや、一人だけそびえ立つ、凛とした人型のようなもの。


 何故か影が被っているように見えて、どんな顔なのか、どんな姿をしているのかは見出せないが、そのシルエットからして、髪が長い、全体的に小柄で丸み帯びているのを予測できるため、仮にあれが人だとしたら、おそらく女。




 そんな物、いや、者が、この空間には存在している。




 何もない、何も知らないこの場所で、薄気味悪い未知の生物、もしくは物体に遭遇した時、大抵の人間は何より先に恐怖を感じるだろう。


 例にもれず、自分もそうなると思っていた。 


 しかし、不思議とそれを見て怖いと思ったことは一度もなく、不気味に感じるようなこともなかったのだ。


 けれど、その代わりとでも言ったらよいのか、恐怖とは別に生じる感情はあった。


 その人型のものを見ると、何故か後悔や悲しみといった薄暗い感情が胸をうずまき、虚しさが全身を蝕んでいく。


 どうしてなのかは全く分からないが、その存在を見ているとそうなってしまうのだから、その感情は覆しようのない事実であり、抗うことのできない真実になってしまうのだろう。


 ゆえに、この存在にはあまり関わろうとはしてこなかったし、必要以上に詮索もしなかった。


 以上が、この空間に関わる全ての情報であり、俺が知るこの空間の全てである。


 後は何を聞かれようが答えられないし、そもそも、調べるだけ無駄だと自分で理解していたため、知ろうとも思わなかった。


 しかし、なぜだろうか。


 今日は、何だか、違う。


 いつもなら、このまま時が過ぎていくのをただ呆然と待つだけなのに。


 今日は、今、この瞬間だけは「この空間に唯一存在する俺以外のもの」についての興味が、知りたいという意欲が、頭の中にべったり張り付いて離れない。


 なぜ、急にそうなったのかは分からない。


 そもそも、この空間では全てが謎に包まれているのだ。


 それに理由を求めるのは無意味なのだろう。


 ただ、なんというか、そうすべきだという衝動が、話しかけるべきだという本能が、自分の中には確かにあったのだ。


 そうなってしまったのならば、もうそれに従うしかないのだろう。




 緊張するわけでもなく、




 怖がるわけでもなく、




 何かに少しの期待を抱いて、




 俺はそのもう一つの存在に声をかけた。











「おまえ―――――――」











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