君がいるなら、僕はいらない。

村木友静

前編

モノローグ

 私には夢がある。


 それは、幼い頃から憧れ続けた目標であり、私の十七年という短い人生のほぼ全てを埋め尽くほどに膨らんだ大きな願望でもあった。


 好きで、好きで、たまらない。


 そんな夢中になれることに、生きがいとも言えるそれに出会えたのは、自分で言うのもなんだけれど、恵まれていると思うし、とても幸せなことだなとも思っている。




「ご飯、食べないの?」


「ごめん、ちょっと行くとこあって」




 昼休み。


 仲のいい友達の一人、葉月が声を掛けてきた。


 いつもは葉月と私、もう一人仲のいい友達の理紗を加えて昼食を囲む。


 一年生の頃から同じクラスで、葉月は少し不思議系が入った天然さん、理紗は流行に敏感な今時女子と、どちらもバカ真面目な私とはまったく違ったタイプの女の子だけれど、二人とも優しく、面白く、個性的な子達なので、一緒にいる時間はとても楽しく、自分には勿体ないくらいの友達だと思っている。


 三人でご飯を食べながら、くだらない話をして、ケラケラと笑う時間の居心地は良く、日々の学校生活の中でも大切にしたい時間の一つだった。


 けれど、今日はだめだった。


 今日の昼休みは、その大切な時間を犠牲にしてまでも、やるべき、やりたいことがあった。


 だから、私は葉月の誘いを断った。


 すると、葉月は少しだけ寂しそうな顔をして「そう? 分かった」と返事をしてくれた。


 チクリ、と良心が痛む。


 せっかく誘ってくれたのに……ごめん……と心の中で平謝り。


 友達を大切にしない自分には、いつか、とてつもなく大きな罰が当たるのだろうと、そう思った。


 どうにか葉月をフォローしようと、頭をフル回転させて掛けるべき言葉を考えていると、グイっと、誰かが後ろから私に抱き着いてきた。




「なんかあったの? あ、もしかして彼氏とか?」


「ち、ちがうよっ!」




 後ろに振り返ると、理紗がニヤニヤとした表情で私に聞いた。


 私は手を振って否定する。


 


「あやしいな~……ま、なんにせよ、早くしないと昼休み終わっちゃうから行って来たら?」


「あー……うん、そうするね」


「葉月は私と購買ね」


「うん!」




 理紗がそう言うと、葉月の表情はみるみるうちに明るくなり、さっきの落ち込みようが嘘だったのではないかと疑ってしまうほどに上機嫌になって、二人は購買の方へと歩いて行った。


 き、切り替え早いなぁ……と心の中で思いつつも、気を遣わない関係であるからこそ、こうやって自由な行動が許されるのだろうと、自分がいかに周りの人間に恵まれているのか、そのありがたみを噛み締めた。


 多分、普通の女の子同士ならこうはいかない。


 私のような変なところで真面目で頑固な一面のある人間は、付き合う人間を間違えれば、いつ、“いじめ”というものの標的にされてもおかしくはない。


 それほどに、思春期の女の子というのは面倒くさい生き物なのだ。


 まるで本当の妹のような葉月だから、まるで本当の姉のような理紗だから、次女の、姉であり妹である私が、楽しく、気ままな学生生活を送れているのだろう。


 改めて、自慢の友人二人を自分の中で称賛しにやけていると、近くにいたクラスメイトの男子がこちらを不思議そうな顔で見つめてきたので、慌てて表情を直し、教室を後にした。




  × × × × ×




 私は、屋上に続く階段を登っていた。


 久しぶりに、この階段を登る。


 前回屋上を訪れたのはたしか先週だったはずだから、約一週間ぶりにこの階段を登っていることになる。


 ウキウキととした気分を隠すことが出来ず、軽くスキップでもするかのように屋上に続く階段を登っていた。


 ちなみに、屋上、もとい高いところが好きだから、こんなにも嬉しそうにしているわけではない。


 どうして、お年頃の女子高生がこんなにもはしゃいでしまっているのかというと、それは、先程にも述べた、私の夢に関わる目的が、利益が屋上にあるからだ。


 本音を言えば、屋上でなんかやりたくない。


 しっかりとした場所で、しっかりとした設備で、仲間や、周りの人に認められ、切磋琢磨したい。


 心の底ではそう思っているけれど、現実は甘くなくて、自分の思い通りにはならなくて。


 今の私には、誰もいない屋上で、一人寂しく自分の“好き”を追求することが精一杯だった。


 悲しいけれど、くよくよしてはいられない。


 後ろ向きな考え方をしていたら、未来まで後ろ暗くなってしまいそうで嫌だった。


 どんな時でも楽しいと思うのが人生を上手に乗り切っていくコツだと、テレビでベテランの女優さんも言っていたし、こういう時こそ笑顔を忘れてはいけないんだと思う。


 パンッ! と自分の頬を両手で軽く叩き、無理矢理笑顔を作ってみる。


 そして、馬鹿みたいに明るい笑顔で、それでも、いつかは……と心の中で誓ってみる。


 でも、自分なんかにできるのかな……と弱々しい言葉が頭の中に木霊しそうになって、ダメダメと首を横に振った。


 弱気になったらダメだ。


 とにかく、余計な事を考える前に、今自分ができることに集中しようと、そう思って、私は目の前にある階段を登るのに意識を向けた。


 とても簡単で、とても単純で、バカバカしくなったけど、気持ちは、何だか楽になったような気がした。


 


 ×    ×    ×    ×    ×




 駆け上ること数分。


 やっと屋上の出入口に到着するといったところで、その違和感というか、イレギュラーは現れた。


 いつもは人気がないどころか“人”そのものが近寄らない屋上から、ぎぃぃぃと重い鉄の扉を開けて、誰かが出てきたのだ。


 私は、この屋上を「人が来ない」から利用していた。


 それなのに、現在、私の目の前では「人が来ない屋上」から人が出てきてしまっている。


 それって……つまり……




 あぁ……ついてない。


 本当についてない。


 神様は不公平だ。


 こんなにも我慢しているのに、これ以上私から何を奪おうというのだろうか。


 はぁ、と溜息がこぼれそうになって、慌てて口を塞いだ。


 人が見ているのだ。


 たとえ知らない人であっても、すれ違い様に溜息をつくのは失礼だろう。


 ぐっと溜息を飲み込んで、前を見据えた。


 


 ど、どうしようかな……


 ドアを閉め、淡々と階段を降りてくる人物を眺めながら考えた。


 膝丈までまくり上げられた制服のズボンに、白い半袖シャツ。


 制服を着ているから、先生や、設備管理をする業者の人ではない。


 私と同じ、この学校の生徒、そして、男の子だ。


 顔は見覚えがないので、同じクラスではないはず。


 その事実に、少しだけホッとした。


 別に、後ろめたい事をしているわけではないし、法に触れるような事をしているつもりもないけれど、屋上を訪れる理由が、すごく個人的な、ナイーブなものであったため、正直、私が屋上に来ているというのを他の誰か、特にクラスメイトなんかには絶対に知られたくなかった。


 だから、今、階段を降りてくる彼が同じクラスではなかったのは、私的には不幸中の幸いというか、ラッキーだった。


 けれど、油断は禁物。


 彼が、私が屋上に来ていたのを誰かに話し、それが連鎖して噂にでもなってしまったら敵わない。


 万に一つの可能性でも、私の知られたくない部分が、私の近しい人達にバレてしまうかもしれないのだ。


 それだけは、絶対に避けたい。


 本当なら来た道を戻るか、物陰に身を潜めて“私”という存在を認識させないようにするべきなのだろうけど、今更引き返すのも何だか不自然だし、開けた階段の踊り場では身を隠すのもままならない。


 だから、どうしよう……




 ……あーもう! こうなったら、知らんぷりしてすれ違うしかない。


 一瞬、体感では数分悩んだ末、私はそのまま屋上に続く階段を進む選択肢を選んだ。

 

 大丈夫。


 堂々としていれば、相手だって変に気に留めたりはしないだろうし、明確な上下関係のない生徒間であれば、何か言われたとしても、最悪涼しい顔をして無視したっていいんだ。


 だから、大丈夫……なはず。


 どちらにせよ、もう目と鼻の先に彼が近づいてきていたので、仕方なく、臆せず、勇気を振り絞って、階段を登った。


 一歩、二歩と近づいていく距離。


 彼はずっと下を向いていて、こちらに目を合わせようとはしないため、良かったと胸をなで下ろしながら、私も極力目を合わせないよう視線を外して階段を登った。


 しかし、世の中そう上手くはいかない。


 三歩、四歩と登り、私と彼とが丁度すれ違おうとした五歩目。


 気の緩みからか、不意に彼の方向に視線を泳がせてしまったその瞬間。


 私は、バッチリと彼と目を合わせてしまったのだ。


 何故か、その瞬間だけ、彼も私を見ていた。


 地味目だけど整った大人っぽい顔筋、無造作に伸び切った黒髪、気だるげそうな奥二重、そして……


 たった一瞬、ほんの数秒だけ目が合っただけなのに、私の頭には、彼の顔が、その表情がくっきりとインプットされてしまった。


 ほんの少しの違和感を抱いたけれど、そのまま何も起こらず、私達二人はすれ違い、彼は校舎の方へ、私は屋上の方へと進んでいった。




「…………え?」




 屋上に続く扉の前にたどり着き、思わず声を上げた。


 すれ違った時、一瞬、目が合った時。




 どうして、あの男の子は…………




 考えようとして、やめた。


 人間、生きていれば色々あるのだろう。


 私だってそうだし、彼だってそのはずだ。


 一つ一つに理由をつけようとしては疲れてしまう。


 それに、答えを探ったところで、私に何ができるというのだろうか。


 名前も知らない彼のために、私は何をすればいいのだろううか。


 何もないし、何もできない。


 彼だって、急に知らない女子に声を掛けられたら迷惑だろうし、それを望んではいないのだろう。


 場合によっては男の子のプライドを傷つけかねない。


 おじいちゃんが昔「男は面子で生きるもの」と言っていたし、やっぱり、私にできるのは、彼のあの顔を見なかったことにするくらいだ。


 少し心配だけど、仕方がない。


 どうすることもできないと、私はあきらめて屋上のドアを開いた。


 


 ×    ×    ×    ×    ×




 コンクリートと金網でできた灰色のキャンバスに、空の青と雲の白が壮大に塗りつぶされている屋上はいつもと変わらず、肌を刺すような日差しがジリジリと照り付けている。


 その爽やかな環境に、内心は嬉しいくせに、わざと「あー今日も暑っつい」だなんて気だるげそうに言ってみたりして、自分の居場所の心地良さに安堵する。


 いつもと変わらない私の居場所。


 けれど、数分、いや数秒がたった後。


 私は、私の居場所に起きた些細な変化に気がついた。




“Looking forward!”




 黒色のインクで地面に書かれたその文字は、先週、この場所を訪れた時には見当たらなかった。


 誰が、こんな落書きを……と自分のテリトリーを汚されたような気がして、少し不快な気分になった。


 この一週間の内に誰かがここを訪れてイタズラしたのだろうか、それとも……


 不意に、先ほどすれ違った男の子の顔が脳裏を過る。


 彼が、この言葉を書き残していったのだろうか。


 一体、どうして。


 不思議な事と不可解な事が重なり合って、頭がパンクしそうになる。


 コンクリートに書かれた文字に手を触れ、英語を直訳してみる。




“前を向け!”




 あれ……これ、どこかで……


 言葉の裏に隠された意味は分からなかったし、どんな意図があってその言葉が書き残されたのかも分からなかった。


 そもそも誰が書いたのか、彼が書いたのか、それとも別の誰かが書いたのかも謎のままだった。


 けれど、なんでだろう。


 理由はないけれど、根拠もないけれど。


 私には、その言葉が、何故か。




 自分に向けられた言葉のように思えて、仕方がなかった。




 ×   ×    ×    ×    × 




 高校を卒業して、二年の月日が経った。


 私は大学生となり、成人して、形としての大人の仲間入りを果たした。


 けれど、何となく、自分が本当に大人になれているのかと疑問を持ちながら、大人になった実感を持てないまま、中身は何も変わらない大人の皮を被った子供として、日々の生活を送っていた。


 変わった事と言えば、身長と、少しばかりの胸の大きさだろう。


 他に明確な、少しばかり大きくなった胸を張って言える変化なんてものはなくて……


 あ、でも一つ。


 本当に、明確に、くっきりと、私の生き様を変えるような変化は、一つあった。


 もはや生活の一部として体に染みついていた変化だったから、忘れてしまっていた。


 感謝すべき事を、幸せを感じるべき事を、当たり前だと思ってしまうほど怖いものはない。


 反省、反省っと。




 私は今、夢を叶えるための学校に通い、夢を実現するために日々学び、精進している。


 夢を叶えたとまでは言えないけれど、夢に挑戦することには成功したのだ。


 まぁ、高校生の頃の私からすれば、今の私の姿は夢の又夢のはずで、ある意味では夢を叶えたとも言えるのだろうけれど、夢は大きくが私の最近のモットーなので、昔の夢は忘れようと思う。


 けれど、何故、私は変われたのか。


 それを思い返してみると、もちろん自分で考えて行動したのが一番の理由になるのだろうけれど、そのきっかけをくれたのは、行動の動機をくれたのは、あの謎のメッセージなのではないかと思っている。


 


“Looking forward!”




 直約して




“前を向け!”




 その言葉は、翌々思い返してみると、私が大好きな絵本に登場するキャラクターの特徴をよく表したような言葉だった。


 私は、この言葉から力をもらっていた。


 この言葉から、現状を変えるエネルギーを受け取っていた。


 どうしてかは分からないけれど、この言葉を思い出すと、誰かに背中を押されているような気がして、大抵の事は頑張ることが出来た。


 あの日、高校三年生の夏のある日の昼休み。


 この言葉を見つけていなかったら、今の私はなかったと思う。


 だから、屋上の地面にこの言葉を書き残してくれた人には頭が上がらないと思っているし、感謝してもし足りないくらいだった。




 結局、誰がこの言葉を屋上に書き残したのかは分からないままだった。


 そうして、そのまま、時間だけが過ぎた。


 私の知らない、全くの赤の他人なのだろうか。


 それとも……


 ふと、あの日、屋上の前ですれ違った男の子の顔を思い出した。


 二年の月日が経ってもはっきりと覚えているので、私の中でよっぽど印象深かったんだろう。


 地味目だけど整った顔筋、無造作に伸び切った黒髪、気だるげそうな奥二重。


 順を追って思い出していくと、最後に、一番印象的だったあの映像が脳裏を掠めた。


 そういえば、すれ違う間際の、あの一瞬。


 私と目が合った、あの一瞬。


 どうして、あの男の子は…………


























 泣いて、いたんだろう。

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