第0043話 闇へと至る絶望

「サブリネ。なんでお前さんがここに?」

「なに?お前は誰だ!…………ん?え?ノアハ?」


 エルフの国、ザイエの町でノアハを奴隷にして操っていたサブリネに奴隷商館の前で偶然出会ったのだ。 認識阻害神術を常時発動しているので、俺の事は分からなかったようだ。……認識阻害神術を解く。


「あ、うえさ……」

「しっ!今は微行びこう中だ。俺の事は"シンさん"と呼ぶように。いいな?」


 サブリネが俺に気付いて『上様……』と言いながら跪こうとしたのを止め、認識阻害神術を再び発動した。周囲を確認してみたが、辺りには誰もいない。


「シンさん、さすがですねぇ~。もう闇奴隷商人の大物のひとりを突き止められるとは!いやぁ~感服の至りってところですよ。ははは」


「ん?何のことだ?闇奴隷商人の大物?」

「え?この女性奴隷専門の商館、ビギャルドの経営者、ヘルカルマが闇奴隷商人の大物だと知って懲らしめに来たんじゃないんですか?」


「いや。知らなかったぜ。幼女を連れた怪しい男の後をつけてきただけだ」

「な~んだ。知らなかったんだ。ぷぷぷ。さすがだと感心して損した」

「おい!サブリネ!ダーリンに対して失礼だろ!ししふ……」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!謝りますからどうか『四肢粉砕』は勘弁して下さいよ~」


 ノアハがサブリネのふざけた態度に怒り『四肢粉砕』を唱えようとしたようだ。

 サブリネは平身低頭して謝っている。


「まぁいい。それでお前さんは何しにここに来た?」

「何しに来たって……シンさんの命令にしたがって、ここの主を私の隠れ家に呼び出す下準備のためですよ」


 そうだったな。 この神都にあるサブリネの隠れ家に闇奴隷商人どもを集めて、一気に処刑するんだったな。


「ちょうどいい。サブリネ、この商館に奴隷を買いに来た客として俺たちのことを紹介しろ」

「いいですよ。でも、今日は懲らしめないんですか?」

「ああ、そうだ。今日に限っては、できるだけ穏便にすまそうと思っている。中に入って行った幼女の事の方が心配なんでな」



 ◇◇◇◇◇◇◇



「……そんなのおかしいじゃねぇかっ!俺が売った時は金貨8枚だっただろ!金貨20枚なんてめちゃくちゃだぜ!」

「売り物だから当然だろ!買った値段で売ってたんじゃ商売にならんことぐらい、頭の悪いお前でも分かるだろうがっ!もう今はウチの商品だからなっ!欲しけりゃこっちの言い値で買いな!」

「売るのをやめるって言ってんだ!金貨8枚は返すから女を寄越せ!」

「金が無いんだったら帰ってくれ!商売の邪魔だっ!さあっ!」


 俺たちがつけてきた男が店主らしき男と揉めている。

 男の足にしがみついて、小さな女の子が泣きそうな顔をしている。


「おじちゃん、ママに会えないの?ううう……」

「大丈夫だ!俺が絶対にママを取り戻してやる!心配するな!」

「……う……ん……」


 どうやらこの男は魂の色が示すような極悪人ではないようだ。

 しかし、どうして魂の色が真っ黒なんだ??


「あ、サリーさんいらっしゃい!……」

「なぁ頼むよ。この通りだから。この子の母親なんだよ。返してやってくれよ」

「ええいっ!うるさい!……おい!コイツをつまみ出せ!」

 "はっ!"


 店の奥から5人のがたいが大きい男たちが出てきて、店主らしき男と揉めている男を力ずくで店の外へと放り出した。


「おじちゃん!おじちゃん!……」


 幼女が男のもとへと駆け寄っていく。

 男と幼女が再び店の中に入れないように、入り口を5人の男たちが固めている。


「サリーさん、すみません。お見苦しいところをお目にかけてしまって……それでご用件は?」


 サブリネはサリーという偽名を使っているようだ。


「ああ、こちらのお方がね、私の上得意なんだけど、ハーレムに加える奴隷を買いたいということだったんでね、ここに案内してきたんだよ。たくさん買ってくれるから勉強してあげてよね?」


 店主らしき男は俺とハニーたちに視線を向け、なめ回すように見てからニヤリと笑った。ハニーたちの品定めでもしているかのような視線である。最後のニヤリは『お盛んなことで……』とでも言いたそうな顔をしながらだった。失礼なヤツだ!やはりぶっ殺すかぁ?


「ああ、そうでしたか!もちろん、サリーさんのお知り合いでしたら、目一杯勉強させてもらいますよ。ははは。……私は、このビギャルドの経営者のヘルカルマと申します。どうぞよろしくお願いします」


「シンだ。よろしく」

「それで……どういった女性奴隷がお好みで?」

「取り敢えず全部見せてくれねぇか。金ならあるぜ」


 懐から金貨がぎっしりとつまった革袋3つを取り出して商談用のテーブルの上に置く……ヘルカルマの目が輝く。


「わ、分かりました!それでは奥の応接室の方へお越し下さい」



 ◇◇◇◇◇◇◆



「この者たちが現在私どもがお売りできる商品のすべてです」


 応接室は思いの外広かった。まるで大広間といった感じである。俺たち11人がすべて座れるように椅子が用意された。サリーこと、サブリネは別室に案内されたようだ。


 今、目の前には隷従の首輪を嵌めた女性が8人いる。

 魂の色で確認すると、ひとりだけ赤黒い色をしている女性がいる。残りの7人はすべてが青色だった。


 その魂の色が赤黒い女性を指さして……

「この子だけどうも他の子たちとは違うような気がするんだが……」

「さすがシン様は女性を見る目がお有りですね。この女は犯罪奴隷オークションで落札してきました。今は隷従の首輪で大人しくしておりますが、実はとんでもない毒婦です。色仕掛けで金持ちの男性に近寄ってたらし込み、その男性を殺害しては全財産を奪い取る……といったことを繰り返していた凶悪犯です」

「そんな酷いことをしてきたのによく死刑にならなかったな?」

「これだけの上玉ですし、しかも、夜の方のテクニックは卓越していますからね。当局も処刑するよりも、性奴隷として売れば良い金になると踏んだんでしょう」

「奴隷契約を結んだ主を殺したりはしねぇだろうな?」

「はい。もちろんです。その点に抜かりはありません。この隷従の首輪は、シオン神聖国から輸入した極めて強力なものです。ですからたとえ神でも外せませんからどうかご安心下さい」


 見ると管理助手も拘束可能な例の隷従の首輪だった。

 神にも外せないだってぇ?俺は簡単に外せたんだけどなぁ。ははは。


「よし。全員もらおう」

「へっ?ぜ、ぜ、全員ですか?」

「ああ、全員だ。あ、そういえば、さっき揉めていたヤツがいただろう?あの男が欲しがったのはどの女性だ?」

「あ、はい。あの女です。かなりの美人でしょ?お値打ちでしょ?金貨20枚では安いくらいの上玉ですよ」


 見ると28歳のブロンドロングヘアをした美しい女性だ。この女性があの幼女の母親なのか?


 ちょっと威圧しながら……

「まさか……犯罪がらみじゃねぇだろうな? ここにいる子はみんな合法的に手に入れたんだろうな?」

「ひぃっ、も、もも、もちろんでございます」


 よく言うよなぁ、ったくよぉ。

 あの幼女の母親だって、きっと攫ってきて無理矢理奴隷にしたんだろうがっ!


「それでいくらになる?勉強してくれよ。今後も贔屓にしてやるからよぉ」

「は、はいっ!サリーさんのお知り合いですし、お約束致しましたように、目一杯勉強させていただきます。えーと、合計で金貨200枚と申し上げたいところなのですが、特別に金貨160枚でいかがでしょうか?これだけの上物揃いですから、かなりお買い得だと思いますよ」

「よし。すべてもらおう」


 本当はコイツら闇奴隷商人と部下どもを全員ぶっ殺して、女性たちを解放したいところだが、コイツらはシオン神聖国とも取引があるようだしな。ここは、派手に動かず、客として女性を購入してから女性たちを解放する事にしよう。


「それでは奴隷譲渡書類と、奴隷契約の所有者変更のための準備を致しますので、大変恐縮ですが2時間程お時間を頂戴致したく存じます」

「分かった。昼時も近いことだし、外で時間を潰して2時間後にまた来る。それでいいか?……手付金は置いていかなくてもいいのか?」

「はい。本来なら半額の金貨80枚を手付金としていただくのですが、シンさんはサリーさんのお知り合いですから特別にということで後ほど全額、金貨160枚をお支払い下されば結構です」

「いや。取り敢えず金貨80枚を手付けとして置いておくぜ。俺たちがいねぇ間に余所に売られちゃ敵わねぇからなぁ。ははは」


 俺は金貨80枚をテーブルの上に十枚ずつを積んで金貨の山を8つ作る。


「ありがとうございます。……これが手付金の受領証と、こちらが奴隷の受取書でございます。後にお越しの際に、店頭に立っている者にお渡し下さい」


 手付金の領収書と奴隷引換券のようなものを受け取り、俺たちは奴隷商館を後にした。


「どうしたハニーたち。ずっと静かだったな?」


「はい。ダーリンの邪魔をしないようにずっと黙っておりましたわ」

「そうっす。でも店主の視線が嫌だったっす。人を値踏みするような目つきをしていたっすからね。腹が立ってきたっすよ」

「そう。あの男には天誅を加えることを求めます」

「あ、やっぱりみんなもそう思っていたの?うちもね、嫌な目でじろじろ見るヤツだなぁと思っていたんだ」

「ああ、ラフちゃんもそう思った?あたしもね、そう思ったんだ」

「はい。不快でしかなかったですね。女性たちを物のように扱っていましたし」

「ご覧になりましたか?目に涙を浮かべている人が多かったですよね?」

「奴隷にされると言いたいことが言えなくて悔しくて涙が出てしまうんですよね。私も最初に奴隷にされた時もでしたし、デルダルムに奴隷にされた時もそうでしたから。ひょっとしたら、彼女たちも無理矢理奴隷にされたのかも知れませんね?」

「シェリーって狙われやすいんだよねぇ~。綺麗だから」

「え?魔物溢れの調査の時に最初に奴隷にされたのはラヴちゃんでしょ?」

「うちら4人は狙われやすいのかなぁ?ダーリンが助けてくれなかったらと思うとゾッとするよね?」

「あたしらの時みたいに無理矢理奴隷にされたのかなぁ?」

「そうかも知れないですね。私もサブリネに無理矢理奴隷にされた時は悲しくて、いつも涙を流していましたから……どういうわけか、涙だけは流せるんですよね。そう考えますと、彼女たちはやはり正規の奴隷ではないような気がします」


 ソニアルフェとオークドゥも何か話そうとしているのだが、どうやらうまく話の輪に入っていけないようだ。……ソニアルフェはいつもあわあわしているな。


「さぁてと、受け取りまでに2時間あるから飯でも食いに行くか?」

 "はいっ!"



 ◇◇◇◇◇◆◇



 昼食は11人で、うまい料理だと評判の店で食べたんだが、ハニーたちの評価は低かった。俺が出す料理の方がずっとずっと美味しいと口々に言っている。


 奴隷女性たちの引き渡しを受ける時間が近づいてきたので、奴隷商館ビギャルドの前にやって来たのだが……誰かがボコボコにされている!?

 先ほどの奴隷商館の用心棒たちが輪になって、その中心で地面に横になっている誰かをボコボコにしているのだ。確かさっきは用心棒は5人だったが今は10人程いる。……皆で寄ってたかってひとりの人間に暴力を振るっている!


 あっ!なんてことをっ!……ナイフで首を掻き切った!


「きゃー-ーっ!おじちゃん!おじちゃん!」


 よく見ると店の入り口付近に、さっき見た幼女がいる!?用心棒らしき男に抱き抱えられている!そして、その横には幼女の母親、そう、俺が買った奴隷の女性が無表情で立っている!?


 ということは……


 たった今殺された人物をターゲット指定すると、やはり……さっきの男だった。

 そう、幼女を連れていた男だ。彼がたった今殺された。

 幼女は泣き叫びながら、手足をバタバタさせている。男のもとへと行きたがっているようだ。


「おい。この子供はどうする?」

「構うこたぁねぇ。奴隷にしちまおうぜ」

「ああ、そうだな。この男がこの娘の身寄りはこの奴隷女しかいねぇと言っていたからな。奴隷として売っ払っても誰も文句は言わねぇだろうからなぁ。ははは」


 ぺちっ!ぶべっ!……ズガーンッ!


 俺は幼女とその母親のもとへと高速移動し、幼女を抱えている男の腕から幼女を助け出すと、その男のおでこにデコピンを一発喰らわせてやった。

 男は空中を仰け反りながら飛んで行くと、商館の壁へと激突した。白目を剥いて口から泡を吹いている。


 俺は威圧する。


「てめぇら、勝手なことを言ってんじゃねぇぞっ!」

「うっ!……な、なにおう!?クソガキ!」


 騒ぎを聞きつけたのか、奴隷商館の中から店主のヘルカルマが慌てて飛び出して来る!


「お前らっ!大切なお客様のシン様に対してなんてことを言う!土下座して謝れ!バカ者がっ!……シン様、大変申し訳ございません。どうかお許し下さい」


『や~なこったぁ!……転送!』

 用心棒どもをターゲット指定して、心の中で『転送!』と念じる……


 一瞬で男どもの姿が消える。


 小さな子供の前だから、残虐な行為はできない。

 だから、用心棒を全員まとめてサンドワームの餌にしてやった。サンドワームの巣に転送してやったのだ。さっきデコピンを喰らわせてやったヤツも当然一緒だ!


 奴隷商館の主、ヘルカルマは、何が起こったのか理解できずボーッとしている。


「おい、店主。もう奴隷は引き渡せるのか?」

「あ、あ、はい。もちろんでございます」

「なんでひとりだけ外にいるんだ?」

「すみません。ファルコフが攫っていこうとしまして……」


 ファルコフ・ルージェ。そこで殺されている、幼女を連れていた男だ。

 俺から離れて幼女がファルコフに近づいてくるのを見て、ハニーたちは幼女には惨たらしく殺された男の姿を見せないようにとでも思ったのであろう、男の死体に修復神術を施した。もちろん、息は吹き返していない。男は死んでいる。


「おじちゃん。おじちゃん……死んじゃったの?ねぇ、おじちゃんてばぁ……」


「あの子は俺が預かって母親と一緒に面倒を見るからな。文句はねぇよな?」

「あ、は、はいっ!もちろんですとも!」

「あの男の死体ももらっていくぞ。俺がねんごろにとむらってやる」

「はい。私どももその方がありがたいです。助かります。あのぉ~私の部下たちは一体どうなったのでしょうか?」

「さあな。な~んかいきなり目の前から消えちまったよな?不思議なことが起こるもんだよなぁ。ははは。どこ行ったんだろうな?」

「……」


 ハニーたちとオークドゥは、『よく言うよねぇ~』とでも言いたそうに苦笑している。彼女たちには、用心棒たちの転送先の見当がついているようだな。



 ◇◇◇◇◇◆◆



 奴隷商館で残金を支払い、奴隷女性たちと幼女を伴って神殿に帰ってきた。

 殺された男、ファルコフの遺体はオークドゥが左肩に担いでいる。


 奴隷女性たちはみんな、俺たちが迎えに来る前に風呂に入れられて、新しい服に着替えさせられたようだ。みんな"さっぱり"としている。


 これなら風呂に入れたり、浄化神術を施したりする必要はないな……。

 取り敢えず寝泊まりする場所を用意してやろうかな。


 マンション前の広場、オークドゥ専用テントの側に、奴隷女性たち専用の宿泊用テントを新しく生成することにした。その中は奴隷にされていたエルフ女性たちのテントと同じような造りにする。ただし、中は1階建てで、エレベーターはない。食堂と大浴場は完備だ。




 新しく生成した奴隷女性たち専用のテント。俺たちは今その中のロビーにいる。

 奴隷商館で購入した女性8人と共に、母親を探しに来た幼女、ルルーも一緒だ。

 殺された男、ファルコフ・ルージェの遺体もある。


 オークドゥは先ほど決めてきた定宿へと帰した。

 なんか残念そうにトボトボと歩いて行ったなぁ。後ろ姿に哀愁を感じたよ。


 ノアハと、近衛騎士のシェリー、ラフ、ラヴ、ミューイを除いた冒険者ギルドへ同行したハニーたちも自室へと戻ってもらうことにした。

 自室へ戻って行くハニーたちは、こちらを何度も何度も振り返りながら、オークドゥのように背中に哀愁を漂わせながらトボトボと歩いて行く……。


 奴隷女性たちの"魂の履歴"を調べることで、彼女たちのほとんどが、不当に奴隷契約を結ばされていたことが分かった。

 だから、一緒に残ってもらったのは、無理矢理奴隷にされる苦しみをよく知っているハニーたちのみにしたのである。


 奴隷女性の心のケアができるのは、同じ苦しみを味わった人間じゃないと難しいだろうからな。


 元が犯罪奴隷だったひとりの女性を除いて、奴隷契約を破棄して、隷従の首輪を外してやった。奴隷から解放してやったのだ。自由だ。

 今日のところは奴隷から解放した女性たちにはゆっくりとしてもらうつもりだ。 これからのことは明日、彼女たちと相談しながら決めることにする。


 彼女たちのサポートは、ノアハ、シェリー、ラフ、ラヴ、ミューイにお願いすることにしよう……。

 そう思って、彼女等にサポートを頼もうとしたら、なんと、5人は自ら申し出てくれた。俺の考えていたことを察してくれたようだな。愛いやつらじゃのう!


 無表情で涙をポロポロと零していたある女性の顔に、奴隷から解放された途端、表情が戻った。そう……その女性こそが、幼女の母親であるルミカである。

 ルミカは涙をボロボロと流しながら娘のルルーと抱き合い、再会を喜び合う。


 この感動的な母子の再会シーンが見られただけでも、奴隷を買い取って解放した甲斐があるというものだな。よかった。



 さて、どうしたものか……。

 問題となっているのは、犯罪奴隷だった女性をどうするかと、殺された男を蘇生させるべきなのかということである。


 犯罪奴隷だったジュリンの魂の色は赤黒い。かなりの悪だ。奴隷から解放しない方が正解なのかも知れないな。はてさてどうしたものかなぁ……。

 ジュリンを解放した場合のリスクを検討してみようとしたのだが、不確定要素が多すぎて検討どころではないことが分かっただけだった。


 結局は、彼女を解放すべきかどうかをすぐに判断することはできなかった。

 なんかとんでもない女性を連れて来ちゃったのかも知れないなぁ……。


 しようがない。ジュリンについてはこのまま奴隷にしておいて暫くは様子を見ることにしよう……ふぅ。



 殺された男、ファルコフについては……取り敢えず魂の履歴を確認してみるか?

 幼女を母親に会わせようとするなんて、魂の色が真っ黒な男がとる行動とは思えない。だから、気になってしようがない。



 ◇◇◇◇◆◇◇



 奴隷商館の用心棒に殺されたファルコフ・ルージェの"魂の履歴"によると……


 彼は数年前までは神都の北2000km程の位置にあるハットレイリテスという大きな町の神殿騎士だった。

 そして、その当時彼には妻と5歳になる娘がいた。彼等は誰もがうらやむような理想的ともいえる家庭を築いていたようだ。この時の彼の魂の色は"スカイブルー"であった。


 実直で優秀な神殿騎士だった彼は、今から3年程前に神都エフデルファイの中央神殿で勤務するように命令が下り、家族と共に神都エフデルファイに移住する事になる。


 この実直な、清らかな魂を持つファルコフ・ルージェが、闇へと身を投じる事になろうとは誰もが予想し得なかっただろう……。



 彼等は幌馬車で神都へと向かった。小さな子供を連れての旅だ。神都への道程は幌馬車で3ヶ月程かかるものと考えられていた。


 ファルコフたち家族は道中で、ある農村に宿泊することになる。

 ずっと日照りが続いていたためか村にはとても重い空気が漂っていたようだが、そんな中でも村人たちは、彼等を手厚く持て成してくれたらしい。……ある意図のもとに……。


 ファルコフたち親子が宿泊したのは村長の家だった。事件は夜中に起こる……。


 ファルコフたち親子は寝ているところを襲われた!突如現れた村人たちによって村長の家から引きずり出されたのだ!

 ファルコフは抵抗するが縛られた上に多勢に無勢。最後は、生死を彷徨さまようような重傷を負ってしまい、村の側にある森の中へと捨てられてしまう……。


 ファルコフが最後に見たのは、妻が大勢の村人により撲殺されて果て、泣き叫ぶ娘が村人たちによってどこかへと連れ去られる光景であった。

 彼は妻たちを助けようと必死にもがいた……だが身体には力が入らず、ついには意識を手放すことになる。


 次に意識を取り戻すと、そこは森の中であった。


 隣には腐乱しかけた彼の妻の遺体が無造作に投げ捨てられていた。死者に対する敬意のかけらも感じられない……妻の手足は変な方向に曲がっていた。酷い骨折を負っている。妻の目は見開かれたままだ。……苦悶の表情を浮かべながら、まるで彼に助けを求めているかのようにこちらを、魂の抜けた目でじっと見ていた。


 普通であればファルコフも死んでいただろう。

 ファルコフたち夫婦がしていた結婚指輪には、治癒神術が封じ込められている。

 死にさえしなければ、指輪に封じ込められた神術が発動し、僅かずつだが身体の傷や病が癒える。その指輪のお陰で、瀕死の重傷を負っていたもののファルコフは助かったのだ。


 森の獣や魔獣・魔物に襲われなかったのも幸いであった。旅立つ際に、友人から餞別にともらった動物よけのお守りを身に付けていたのが良かったのだろうか。


 娘のことが気になった。だが、村の中へ潜入するにはまだ日が高い……。

 それに、最愛の妻をこのままにはしておけない。彼は焦る気持ちを押さえ込み、まずは妻を埋葬することにする。

 妻の墓は森の中に造り、獣たちに荒らされないように丁寧に埋葬した……。

 埋葬用の穴を掘り始めてからずっと涙が溢れて……涙に曇りよく見えない……。 妻との楽しい思い出が走馬灯のように浮かぶ……


 ……かわいそうになぁ……。

 彼の魂の履歴に記録された映像を見ながら俺も涙した……。



 とにかく娘のことが心配だ。彼は夜になるのを待って、村の様子を見に行った。

 幸いなことに月夜だ。月明かりで夜目もきく。

 彼が意識を手放す前に見た、娘が村人たちによって連れ去られて行った方向へと進んで行くと……礼拝堂のような建物が建っていた。


 辺りを警戒しながら礼拝堂の中に入ると……正面には祭壇らしきものがある。

 祭壇の上には何やら置かれているようだ?彼はそれが何なのかを確かめるために近寄って行く……。


 それが何かを知った瞬間、彼は、魂ごと心臓を射貫かれたかのような強い衝撃を受けた。血の気が引く……意識を保っているのがやっとだった。身も心も霧散してしまいそうだ。


 ……最愛の娘が……胸を切り開かれた遺体となって、祭壇の上に寝かされていたのだ!


 ファルコフの魂の履歴に保存されていた映像データを見ると、彼の娘には心臓がなかった。どうやら……胸を切り開いて心臓を取り出し、何かの儀式にでも使ったようだ。



 ……む、惨い!!彼女は生け贄にでもされてしまったのだろうか?

 絶対に許せんっ!……が、くっそうっ!今の俺にはどうすることもできない!!



 彼は暫く、あまりのショックで石化してしまったんじゃないかと思われるくらい固まっていたが、やがて動き出し、おもむろに娘の遺体を抱き上げた。

 無表情だ。じっと娘の遺体を見ている……。


「グッグッ…ウォォォォーーーッ!」


 怒髪衝天!突如、黒かった彼の髪の毛がすべて真っ白に変わり逆立つ!

 鬼の形相とはこのことか!?彼は血の涙を流しながら……


「ゆ・る・さん!ぜっ・たい・にっ!許さんっ!皆殺しにしてやるっ!」


 この時彼は……闇に落ちた。


「ウォォォォーーーッ!」


 彼は相手が女子供であろうが、老人であろうが一切容赦はしない。視野に入った者から片っ端からぶっ殺していく!


 ファルコフは優秀な神殿騎士だ。村人が群がってファルコフを殺そうとしたが、寝込みを襲った時のようにうまくいくわけがない。戦闘訓練すら受けたことがない村人ごときが、何人で立ち向かおうがファルコフに敵うはずなどなかった!


 途中、鍛冶屋でファルコフ自身の剣を見つけてからは殺戮に更に拍車がかかる!

 ファルコフが殺戮を始めてから1時間もしない内に、ほどんどの村人が殺されてしまうことになる。



 ◇◇◇◇◆◇◆



「なぜ殺した?なぜだっ!」


 この村で生き残っているのは村長だけになった。


「あ、雨乞いのためだ。あんたたちには気の毒だがああするより他なかったんだ。神様に雨を降らせてもらわなくちゃ俺たちは生きていけない。あんたの娘は神様に願いを聞いてもらうための生け贄にしたんだよ。あんただって、他人の子供の命と引き換えに自分の子供を殺さずにすむんだったら、迷わず、他人の子供の命を差し出すだろう?ち、違うか?」」


 ああ……なんと身勝手なっ!利己主義にも程があるわっ!くそっ!俺がその場にいたのなら……。 ファルコフ一家はこんな村に立ち寄ったばっかりに……。


 この村では、日照りが続いて農作物が深刻な状況に陥ると、神に生け贄を捧げる風習があった。そして、昔から生け贄は子供と決まっていたようだ。

 今回の生け贄を誰の子供にするのか……と揉めていたところへファルコフ一家がやって来たというわけだ。生け贄にどうぞ…とでも言わんばかりに子供まで連れている。村人たちにとっては渡りに船だった。

 これで村人から生け贄を出さなくてもいい。この旅人の子供を生け贄として神に捧げることにしようということになったのだった。


「死ねっ!」

 ズバッ!ぐはっ!ブシューーーーッ!!


 村長が斬り殺されてその村はゴーストビレッジになった。

 いつの間にか外は雨が降っていた……。



 それ以後、ファルコフ・ルージェは、神殿騎士から野盗へと成り下がった。もう彼にとっては人は虫けらと同じ。己の利益のためなら人を殺すことなんぞなんとも思わなくなってしまった。


 かつて"スカイブルー"であった彼の魂の色が真っ黒になるのに、それほど時間はかからなかった。



 ◇◇◇◇◆◆◇



 なるほど……彼が壊れてしまったのも無理はない。悲しい……悲しすぎる。

 だが、その極悪人となってしまった男が、またなぜ、幼女を助けようと思ったのだろうか……不思議だ。


 ファルコフの"魂の履歴"にある娘の映像と、ファルコフと一緒にいた幼女の顔を見比べてみて、なんとなく理由が分かった。……二人は似ているのだ。



 ◇◇◇◇◆◆◆



 今から5日程前のことである。ファルコフは、神都から馬車で3時間程の位置にある町の宿屋に宿泊している。そして、そこで働くひとりの女性に目をつけた。


 それがルルーの母親のルミカであった。


 ファルコフは、ルミカが子持ちであるとは知らずにかどわかし、そして、神都の奴隷商館ビギャルドに奴隷として金貨8枚で売り飛ばす。

 その後ファルコフは不自然に思われて足がついてはいけないと考えて、ルミカが働いていた宿屋へと戻る。何食わぬ顔をして2、3日逗留した後に余所へ行こうと思っていたのだ。


 ルミカをうっぱらった次の日、宿屋の食堂で母親の行方が分からずに捜し回っているルルーと出会う。

 ファルコフはその時まで気付かなかったが、彼がうっぱらったルミカは、ルルーという名の幼女を育てながら宿屋で働いていたシングルマザーだったのだ。

 ルミカがいなくなり、ルルーはひとりぼっちになってしまった事を知る。


 ファルコフは驚く……3年前に亡くなった自分の娘にルルーが似ていたからだ。

 母親を必死に捜すルルーを見ている内に、ファルコフ自身さえ完全に冷え切ってしまっていたと思っていた自分の心に、何やら暖かいものが、優しさの灯火とでも言うのだろうか……が灯り出したのを感じるようになる。


 彼はルルーの泣きじゃくる顔を見た瞬間、もう放ってはおけなくなってしまう。

 それと同時にルルーの母親であるルミカをかどわかして奴隷商人にうっぱらった自分を責めずにはいられなくなってしまった。



 ◇◇◇◆◇◇◇



 そうか……それでこの神都に、母親を取り戻すためにルルーを連れてやって来たというわけか……。なるほど。



 ファルコフ・ルージェの魂の履歴の最後。彼が絶命する直前に考えていたことが分かった。


『ああ……これで愛する妻と娘のもとへ行ける……』


 ……だが、世の中そんなに甘くはない。

 彼は余りにも無辜むこの者たちを殺しすぎている。"奈落システム"行きは、まず間違いない。

 だから、このままでは、彼が生まれ変われるなんてことは絶対にない。彼の魂はただ消え去るのみである。

 もちろん、彼の妻子の生まれ変わりと来世で出会うなんてこともあり得ない。



 どうしたものか……。蘇生させてやり、彼が臨終の際まで真っ当に生きることができれば魂の色は改善するのだろうか……。これは賭けだな……。


 どうするかは、本人の意思に委ねるか……。


「蘇生!」


「………………ん……」

「気が付いたか?ファルコフ」

「んん……。あ、あんたは誰だ!……はっ!う、上様!」


 ファルコフが飛び起きて俺の前に跪く。

 そう。彼は元々が神殿騎士だったから俺が神だとすぐに分かったのだ。

 俺は神殿に戻るとすぐに認識阻害神術の発動をやめている。眉間にある"印"も、今は当然見える。それで彼は、俺が何者であるかということに気付いたようだ。


「ああ……私のような者でも天国に行けたんですね……ああ、神様」


「バカ者!お前のような極悪人が天国へ行けるわけがねぇだろうがっ!お前さんを生き返らせたんだよっ!……それに天国なんてものはねぇっ!

 あのまま死んだままで放っておくとお前さんは地獄行き確定だったんでな。酷え目に遭って闇に落ちちまったお前さんが、それじゃぁ、チートばかし不憫でなぁ、最後のチャンスでもやろうかと思って……」

「最後のチャンスですか?」


「ああ、そうだ。地獄に落ちちまうとなぁ、二度と生まれ変われなくなって消えてしまうんだよ。そうなるとお前さんはお前さんの妻子の生まれ変わりと来世で遇うことが完全に不可能となっちまうんだよ。それがちょっとかわいそうでなぁ……。

 あ、でも勘違いするなよ?たとえ生まれ変わったとしても妻子の生まれ変わりと出会えねぇかも知れねぇから、出会えなくても文句言うのは無しだぜ?」

「……」


「それで、お前さんを生き返らせてやってだな、お前さんが今度死んだ時に地獄に行かずにすむようにできるチャンスをやろうと思ったんだよ。……お前さんがこれから死ぬまで一生をかけて善行を積めば、ひょっとしたら、地獄行きを免れるかも知れねぇ……どうだ?チャレンジする気はあるか?だだ、どんなに善行を積んでも地獄行きを逃れることができねぇかも知れねぇけど……それでもやってみるか?」

「……死ねば妻子のもとへと行けるものだとばかり思っていました。お願いです。チャンスを下さい。お願いします!」


「よし。チャンスをやろう。これからは人々のために生きるんだぞ。今まで無辜の者たちの命をたくさん奪ってきた、その罪を一生懸命償うつもりで生き抜けよ?」

「はい……」


「ああ、それから、これだけは覚えておいてくれ」

「はい?なんでしょうか?」

「俺は幼子の命と引き換えに雨を降らすようなことは絶対にしねぇぞ!子供を生け贄に捧げるようなヤツらは邪教徒か、大馬鹿者だ!」

「でも……あの時雨が降ってきましたが……」

「バカ者!それは偶然だ!」



 ファルコフは、ルミカとルルー母子に謝罪し、ルミカたちもそれを受け入れた。

 元神殿騎士で極悪人だったファルコフ・ルージェは、ルミカとルルーを影ながら支えていこうと決意したようだった。



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