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「お腹、いっぱい?」
労わるような笑顔を浮かべておばさんが首を傾げる。
僕は首を振って、フォークでサラダをつついた。
なんでだろう。ぼうっとして、食べなきゃって気持ちが迷子になる。
「お肉、もう少し食べたら?それとも、もっとさっぱりしたものの方がいいかしら。スープはどう?」
「食欲がないんだろ」
おじさんが横からぴしゃりとおばさんを遮った。
「疲れているなら、もう部屋で休みなさい。料理はまた明日、温め直してもいいんだから」
さあ、という具合におじさんが僕の肩に手を置く。
おばさんは下唇を突き出してもじもじしていた。
そうかな?僕、疲れているのかな?
だから、ぼうっとするのかもしれない。
「ごちそうさまでした」と呟いて、僕は席を立った。
父さんの亡骸と僕が見つかった時には、父さんが死んでからすでに一週間以上が経っていた。
僕はその間ご飯も食べず、時折うとうとと眠っただけで、わずかも離れることなく父さんに付き添った。
僕らを見つけた管理人さんによると、部屋は鼻が曲がるほどの異臭がしていたという。一週間もそんな部屋に閉じこもっていたせいで、僕の鼻は機能しなくなっていた。
管理人さんは、ここのところ姿を見せない僕たち親子を危ぶみ、何度か電話を掛けたという。僕はベルの音に全く気付かなかった。気付いていたとしても取らなかっただろう。
応答がないことでさらに怪しんだ管理人さんは、合鍵を使って部屋に上がり、僕たちを発見した。意識が朦朧としていたせいで僕は覚えていないけれど、管理人さんが体を抱え上げようとすると、僕は非力ながら抵抗したそうだ。その時になっても僕は、父さんとの約束を果たそうと必死だったわけだ。
管理人さんは仕方なく僕たちの部屋から警察に電話をし、僕らを監視するようにして人が来るのを待った。
色々な面倒ごとを片づけたあと、僕はおじさんとおばさんの家に預けられることになった。
二階の、それまで持て余していた小さな物置が僕の部屋に宛てがわれ、二人は僕を迎えるために部屋をあらかた片付け、僕の家から持ってきた布団を床に敷いた。
「ベッドもそのうち用意するからな。部屋は好きなように使っていいぞ」
おじさんもおばさんも、僕が部屋に籠っている時はそっとしておいてくれたし、欲しいものはないか、とよく気に掛けてくれた。二人とも僕がこの家に来たことを喜んでいるようだった。
部屋に戻ると、僕はいそいそと布団に潜り込んだ。
床に直に敷かれた布団は、ベッドのように暖かくも柔らかくもなく、寝返りを打つたびゴツゴツと音がした。
頭まですっぽり隠れて布団の匂いを嗅ぐ。父さんの死体と過ごした間、この布団もあの家にあったのだ。
そう考えると、布団の饐えた臭いが父さんの死臭のように思えた。あの家の、少しじめじめした空気や得体の知れない何かが僕の体を包んでいる。僕はじんわり汗を掻いていた。背中や腋がべたついて、気持ちが悪い。足を虫が這うような感覚がして、肌が粟立つ。
僕はじっとその不快感に耐えていた。そうすることが僕とあの家を繋いでいたし、それがつまり、僕と父さんを繋いだ。
気付くと目を見開いて天井に見入っていた。
じんわり汗を掻いてる。背中や腋がべたついて、気持ちが悪い。足を虫が這うような感覚がして、ゾッとする。
「どこにも行かないでくれ」
耳元で父さんが囁きかけてくる。しわがれて割れた、何かを抑え込んだような窮屈な声。僕は頷いて答える。
「分かってるよ」
「いいや、分かってない。お前は俺を置いていったじゃないか」
「でも、そうしなくちゃいけなかったんだよ」
耳に生温い吐息が掛かる。父さんの喉は、ひゅうひゅう隙間風みたいな音を鳴らしてた。
「父さんにはな、父さんにはお前しかいないんだ。母さんは俺たちを置いて行ってしまった。そうだろ?父さんにはお前しかいない。それなのに」
父さんがくぐもった声を上げた。
苦しんでる。
父さんの腐敗した体から、白くてうねうねした虫が湧いてきて、父さんを覆い尽くした。
僕はそのおぞましい一部始終を、冷えた布団の中から目を見開いて見つめている。
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