第59話
小粒の雨。
それが頬に張り付いては、返り血と共に流れていく。
雨粒なのか血なのか。
それすら分からない混沌とした戦場でルーチェは戦っていた。
「ついてきてくれ!頼む!」
目の前の敵を切り捨て、ルーチェは叫ぶ。
ただ、その声に答えるものは僅か。
仲間のほとんどが地面に倒れ、戦場の優劣は既に決していた。
それでもルーチェは自身を奮い立たせ、前へ前へと進み前線を押し上げようとする。
「下がってください!貴方が死ねば全体の士気が!」
「でも!」
「貴方は戦場でっ……」
何かを言いかけた仲間
その首に矢が刺さる。
ほんの一瞬前まで力強い生命力に満ちていた体。
その体は急速に力を失い、目の前で崩れていく。
崩れゆく仲間を受け止める事すら出来ず、ルーチェは盾を構え警戒する。
(これでお主が死ぬような事があればワシはお主を許さんぞ?)
セネクスの言葉がルーチェの頭を過ぎる。
このままでは自分だけではない。
仲間の命までも無駄に散らす事になる。
前線を上げ突っ込む事。
それはもう勇敢ではない。
ただ味方の死体を増やすだけ
蛮勇どころか、ただの人殺しだ。
「クソッ!!!」
ルーチェはやり場のない声を空に叩きつける。
リュンヌも助けられず、そして自分を娘の様に愛してくれたセネクスを守る事も出来ない。
情けない。
どうして自分にはこうも力が無いのかと嘆きながら。
「……撤退だ。全員撤退しろ!!」
気が付けばルーチェは叫んでいた。
自分の無力さを痛感しながら。
「撤退などさせると思うか?ここでお前らが逃げればまた殺す手間がかかるだろう」
冷たく鋭い声。
その声と共に殺気がルーチェの体を突き刺す。
ルーチェは反射的に動き盾を殺気の方へ向け、見えない攻撃に備えていた。
ガギン!
蒼い火花が散り、とてつもない衝撃がルーチェを襲う。
(痛っ!なんだ?!)
吹き飛ばされ地面に転がるルーチェ。
素早く立ち上がり、動きに支障が無い事を確認する。
(痛むけど、動けない程じゃない。盾が衝撃を吸収してくれた。問題ない!)
ルーチェは周りを確認する。
すると視線の先に青白いオーラを纏った大剣を持った騎士が立っていた。
「魔法の……大剣?」
「その通り。だが、その盾も普通では無いな?魔法の盾と言ったところか」
大剣を持つ騎士は楽しそうにルーチェを見つめる。
間違いなく強者。
ルーチェは本能で感じ取る。
周りの仲間もその圧倒的な存在感に足を止めてしまっていた。
戦場で出会いたくない強い相手。
それと一番余裕のない時に対峙する。
ルーチェはその運命を呪うしか出来なかった。
「動け!撤退しろ!」
ルーチェは叫ぶ。
その言葉に弾かれるように、周りの仲間達は再び走り出していた。
「ははっ!いいだろう!他の者は見逃してやる。だが、貴様は私と一騎討ちだ。魔法の盾を持つ相手。不足はない!」
魔法の大剣を持つ騎士は辺りに合図を送る。
敵は逃げた味方を追わず、ルーチェを取り囲んでいた。
(やるしか……ないな)
魔法の剣を持つ騎士と正面に向き合う。
逃げれないと悟り、ルーチェは覚悟を決める。
例え一人逃げたられたとしても、今度は仲間が追撃され殺される。
もう、選択肢など存在しなかった。
「これで横槍は入らない。存分に楽しもう」
「はっ、俺が勝ったらここから無事に逃がしてくれよ?」
「いいだろう。勝てたら……な」
その言葉が合図となり、二人は動き出す。
(体力も少ない、疲労もある、ここまで不利だと笑えて来るな……なら初手から勝負に出るしかない!)
覚悟を決めて、ルーチェは仕掛ける。
半ば捨て身のしなやかな体から伸びる高速の突き。
それは相手の想像以上に早く伸びる。
敵の騎士は躱しきれず、薄い赤線を首に描いてしまう。
(よろけた?逃さない!)
無理に躱したせいか、少しバランスを崩したてしまった騎士。
その隙をルーチェは逃さない。
手首と体をしなやかに捻り反転し、剣を横に振り払う。
金属同士がぶつかり合う鈍い音。
ルーチェの一撃を騎士は躱しきれず、鎧に当て弾いていた。
(まだまだ!)
ここぞとばかりに、ルーチェは攻撃を繋げていく。
威力は低いが、首などを執拗に狙った嫌らしい連続攻撃。
一つ振るごとに加速するその剣は、確実に騎士を追い詰めていた。
(いける!)
ルーチェが確信した瞬間だった。
騎士は苦し紛れの横薙ぎをルーチェへと振るう。
(こんな力の乗らない一撃。盾で弾いてやる!)
大剣を弾けば敵は大きな隙を晒す羽目になる。
それは勝負の決定的な分かれ目になるはずだとルーチェは確信する。
ゴンッ!
剣と盾がぶつかり合う鈍い音が響き、ルーチェは魔法の大剣を弾く……はずだった。
ルーチェは軽く放り投げられたかのように宙を舞い、地面に叩きつけられた。
ルーチェ本人でさえ何が起きたのか分からない。。
目の前には空が広がり、息すらも吸う事ができなかった。
必死に体を落ちつかせ、上体起こせば青白いオーラを纏った剣が付きつけられていた。
「相性が悪かったな。この魔法の大剣は魔力を吸い衝撃に変える。私と同じだけ盾に魔力を込めていたら結果は違ったのかもな」
何か言い返す事も出来ず、ルーチェはただただ後悔する。
始めに気付くチャンスはあった。
相手が自分を吹き飛ばした初撃。
あれを分析し、理解さえしていればこんな結果にはならなかったはずだ。
もう一回やれば負けない。
ただ、2度目など永遠に来ない事はルーチェが一番よく理解していた。
「悪く思うな。経験の差。これも実力よ」
勝ちを確信した周りの兵士達がこれ以上ない歓声を上げる。
殺される。
そう覚悟を決めるが、悔しさのあまり涙が溢れてしまう。
(シャール……フィス!!)
涙の奥から最愛の二人の顔が浮かんできてしまう。
最早、自分の命などどうでもいい。
ただ愛する二人を守れなかった事。
それが何よりも悔しかった。
最早ルーチェに出来る事。
自分を殺す相手をただ睨む事だけだった。
「戦場で泣くとは無様な。さっさと殺してやろう」
「……賛成だ」
ルーチェ蔑むように見下した騎士。
その首がずるりと地面に落ちていく。
首が重力にひかれてボトリと地面に落ちた時、周りも初めてその異常に気が付いた
「遅くなった」
「あっ……あっ……」
忘れもしない懐かしい声。
ルーチェは涙でにじむ目を何度も、何度も擦り確認する。
その姿はルーチェの知っている姿とは違う。
髪は黒から灰色に代わり、左目も失っていた。
だけど、そんな事些細な事でしかなかった。
そこにいたのは、他でもない……
最愛の人が……いた。
「卑怯者!!一騎打ち……」
周りを取り囲む兵士の一人が叫んだ……瞬間。
その兵士の首に短剣が刺さり、地面へ崩れていく。
フィスは既に動いてた。
腰や腿に下げた短剣を引き抜き、周りの兵士達に投げつける。。
それは次々に兵士の喉を的確に捕らえてた。
「一騎打ち?こんな状況でよく言える」
フィスは止まらない。
持っていた短剣を投げ終え、魔法の剣を抜き白い残像を残しながら周りの兵士たちの命を摘んでいく。
突然の出来事に呆けた様に立ち尽くしていた兵士達。
何人倒れただろうか。
沢山の死体が転がり、そこで初めて兵士たちは冷静さを取り戻していた。
「陣形を組め!相手は一人恐れる事は無い!」
敵の兵士達は冷静さを取り戻し。
フィスから距離を取る。
「イラ!氷の障壁を」
「もう!せっかちなんですから!」
戦場には似つかわしくない柔らかな声。
そんな声と同時に、兵士達の前に山のような氷塊が出来上がっていった。
あまりにも常識外れの現象に敵の兵士達はただ茫然と眺めるしか出来なかった。
「はぁ、追いつくのでやっと。貴方急ぎすぎよ?」
ふわりと空から一人の女性が舞い降りる。
散歩に出かけるかのようなラフな服装。
そして、艶のある髪に薄く化粧された整った顔。
どう考えても戦場にいるような女性ではなかった。
「すぐに追いついただろ。文句を言うな」
フィスはその女性に視線すら合わさずに言い放つ。
そんな粗暴な言葉に”はいはい”優しくと頷く女性。
二人の間には特別な雰囲気が流れていた。
「砦ごと吹き飛ばす。イラ。後を頼む」
フィスはゆっくりと剣を鞘に戻し構える。
その動作だけでルーチェは理解する。
フィスがこれから何をしようとしているのかを
「まって!砦にリュンヌさんが!!」
ルーチェの言葉にフィスの動きがピタリと止まった。
「多分捕まってる!助けてあげて!!」
気が付けばルーチェは叫んでいた。
助かるはずもない。
そう思って割り切っていたはずなのに。
フィスを前にしたら、そんな事などすっかりと忘れてしまっていた。
「……イラ、ここを任せる」
「はい、任されました」
フィスはそう告げ、イラと呼ばれた女性は優しく微笑む。
夫婦の様な二人の関係に、ルーチェは嫉妬を覚えてしまう。
「砦までの道も作れ」
「はいはい」
「行ってくる。戻る場所の確保を頼む」
「……本当に人使いが荒いんだから」
「イラだから頼めるんだ」
「あら、そんな事も言えるのね」
フフッと笑い、イラと呼ばれた女性は前に手をかざす。
たったそれだけの動作で、頭よりはるかに高い場所に砦まで続く氷の一本橋が出来上がってた。
「……なんだこれ。こんなのありえないだろ」
ルーチェが茫然としている間に、フィスはその道を駆け抜ける。
次第に小さくなっていく背中。
それはかつてルーチェの英雄だった男の背中。
それは昔と同じ。
手の届かないはるか遠い位置に存在していた。
「ダメだ。俺も出来る事を……やるんだ!」
ルーチェは自分の頬を叩き、立ち上がる。
もう自分は背中を見るだけの弱い人間じゃない。
そうならない為に努力してきたんだ。と強く言い聞かせながら。
ルーチェは自分の足に括り付けていた一本の狼煙を焚く。
そこからは赤い煙が立ち上がっていた。
◆
「負け……じゃろうな」
辺り一面から黄色狼煙が炊かれている。
黄色い狼煙は、負けの合図。
それが至る所から立ち上る状況。
もう勝負はついた。
そう判断するのが妥当な状況だった。
「待ってください。まだ勝敗は」
オーランドの王子。
ヴェルナーは言葉を絞り出すが、セネクスはゆっくりと首を横に振る。
最早、それ以上ヴェルナーは言葉を紡ぐ事が出来なかった。
「さて」
セネクスは背筋を伸ばし砦の方を見つめる。
自分たちが攻め、落とすはずだった砦を。
「リュンヌからの狼煙も上がらんか、捕らえられたか、殺されたかじゃな」
殺されていた方がマシだと、セネクスは呟く。
リュンヌの容姿を考えれば、捕まったらどうなるかなど簡単に想像がつく。
「まぁ、安心せよ。そうなる前にワシが砦ごと潰してくれる」
自嘲気味に笑い、セネクスは杖を掲げゆっくりと集中する。
戦場にあふれる感情。
それを魔力に変換、吸収し、自分の力とするために。
「ガフッ」
セネクスは血を吐き、地面に膝をつく。
ほんの少し。
周りに溢れる感情を取り入れた途端、セネクスの体は拒否反応を起こしていた。
「フィスめ。こんなのに耐えておったのか。信じられんな……」
自らの体で体験して初めて実感する。
フィスという存在の異常性を。
「弟子に出来た事。ワシが出来んでどうする」
自らの体を叱咤し、セネクスは立ち上がる。
その先にあるのはただの破滅だと知りながら。
「待ってください!赤い狼煙が!」
ヴェルナーは慌ててセネクスの体を支え、ある一点を指す。
そこには赤い狼煙があがり、そして……氷の壁が出来上がっていた。
「なんだ?あれは」
氷の壁から飛び出た様に砦まで続く氷の橋。
「あれは……ルーチェ?いや、違う!」
その氷の橋を素早く渡る一つの影。
地上から射られる沢山の矢。
それを難なく躱し、時には剣で打ち落としながら突き進む一つの影。
その影が剣を振るう度、残される白い残像。
遠くからでも目立つ特徴的な物だった。
「あの阿呆がっ!!」
セネクスは歓喜の混じった悪態をつき、狼煙の方へ走り始める。
「どこに行くのですか?」
「決まっておるじゃろ!退却した部隊をまとめ上げ、あの氷壁の後ろに陣取るのじゃ!!」
「何を?!それでは数で押しつぶされます!」
「大丈夫じゃ!」
「どうして言い切れる!」
セネクスは走りだした足をピタリと止め、顔だけヴェルナーの方へ向け
「ワシはフィスに賭けて負けたことが無いからの!!」
それだけ言い残し、我慢できない子供の様に再び駆け出していった。
◆
「へへっ、役得だな」
「まだ手を出すなよ。戦争中に女と遊んでたと知れたら俺たちが仲間から袋叩きにあう」
「わかってるよ。だが、いい女だ。コイツは」
ジメジメとしたカビの生えた石壁。
吐瀉物と血が掃除もされず酷い匂いを放つ冷たい石床。
世辞にも綺麗とはいえない劣悪な環境。
そこに裸の女が縛られ壁に貼り付けられている。
女は逃げられないように手と足を木の杭で打ち抜かれ、体中には青く変色した拷問の痕が残っていた。
「まぁ、退屈しのぎに少しくらい遊んでてもいいだろう?もう戦いは勝ちが決まった様な物だしな」
「顔はやめておけよ。あとが楽しくなくなる」
「分かってるよ」
そう言って男は、汚らしい笑みを浮かべながら女を弄ぶ、痛みや苦痛に堪える姿を楽しみながら。
すると異常を知らせる鐘の音が男たちに元にも響き渡った。
「なんだよ。良い所なのに……おい、ちょっとお前様子見て来いよ」
「あぁ?なんで俺が。お前が行けよ」
「チッ、ならクジで決めるぞ。誰が負けても文句なしだ」
「ああ、わかったよ」
渋々といった感じで一人の男が頷く。
ただ、その頷いた首は上に登る事なく下がり続け、最後には地面に落ちコロコロと転がっていた。
「「はぁ?」」
残された二人の男が呆けた声を上げ、見つめ合う。
異常な光景。
その原因も理解しないまま、残された二人の男。
だが、理解する必要もなかった。
見つめ合った男たちの首もすぐに地面に落ち、体は冷たい石床に倒れ動かなくなった。
男たちは自分が殺されたと気が付くこともなく絶命していた。
「たく……遅いん……だよ。お前」
暗闇を見つめながら裸の女は言う。
掠れ、なんとか絞り出した様なか細い声だった。
「すまない。探すのに手間取ってしまった」
暗闇からゆっくりと姿を現したフィスの第一声。
それは謝罪の言葉だった。
縄で縛られ、全身にあざを作り、手足には木の杭が打たれている。
そんな目を背けたくなるリュンヌの惨状。
フィスは短剣で素早く縄を切り捨て、木の杭に手をかける。
「痛むが声を出さないで欲しい。我慢できるか?」
「……私を……誰だと思って……いる」
気丈に振る舞うリュンヌの姿を見て、フィスは少し笑う。
「そうだった。いつも強い人だったな。貴方は」
そう言ってフィスは遠慮なく手に刺さった杭を引き抜く、そして間を置かずに足に刺さった木の杭を力任せに抜いていく。
「ん”っ!!」
小さなうめき声をあげ、リュンヌは気絶する。
無数の拷問の痕。
そして、意識を失う程の痛みを受けてさえ声を上げなかった事。
その事実一つ一つにフィスは感心し、心の中で称賛する。
「今は休んでください」
フィスはリュンヌの頭にそっと手を当て撫でる。
そして、自身の上着に切れ目を入れ服を破いていく。
女の手足をきつく縛り血がこれ以上零れないように処置を施す為に。
「起きたら怒る……だろうな」
フィスは呟き、リュンヌを縛ってあった縄と上着の切れ端で自分と女をしっかりと結んでいく。手で支えなくても体が離れないように。
「気絶してもらって良かったな。起きていたら何を言われるか」
作業を手早く済ませ、フィスは外装を纏い直しその場を後にする。
そのすぐ後に、砦からは雷のような怒号が飛び交い、嵐の様な矢がフィスに降り注いだ。
ただ、その一本すらフィスに届く事は無かなった。
仲間を抱え普段よりも圧倒的に動きにくくなっているはずなのに。
フィスの人間離れした動作に、敵は怒りよりも称賛を覚え、ただ畏怖する事しか出来なかった。
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